(8)予感
海東は、閉じていた目をぱちりと開いた。
雨が降り始めた。力が入らず、動かすのが億劫な腕を動かしてみる。
腕も脚も、まだ動いた。助かった、と思った。
あの士が士だと思い油断してしまうなんて、どうにも自分らしくないと思った。
お陰で、インビジブルを使う間もなく、叩きのめされた。
アポロガイストから一通りの話を聞いた後、あの場に士は現れた。突如として、オーロラを通って。
また大ショッカーに捕まったのかと思い声をかけたが、あれは士ではなかった。士なのかもしれないが、少なくとも海東の知る士ではない。
体の端までゆっくりと意識を集中して、なるべく無理のないように体を起こす。
見回せば、瓦礫の山が積み上げられているばかりで、もう誰も居なかった。
建物など跡形もなかった。それが昨日の戦いの激しさと、あの士の恐ろしさを物語っている。
海東が大ショッカーに興味がないように、大ショッカーも海東の事は眼中にない。それが少々面白くなかった。
一泡吹かせてやるのも面白いかもしれない。
大ショッカーがいなくなれば、お宝を巡って世界を回っても邪魔者も少なくなる筈だった。
世界が消えるという事は、その世界のお宝も消えてしまうという事でもある。
もしアポロガイストの話が本当ならば。門矢士とは一体何者なのか。
尤も、何者なのかなど、海東にとってはどうでもいい。問題は、如何にすれば大ショッカーの目論見を阻止して一泡吹かせる事が出来るかだ。
「それにしても……もう死んでたなんてな」
思わず独りごちた。まさか死んでいるとは思わなかった。ならばあれは幽霊なのか。
本当は、海東が会った士は、今九つの世界を旅した士はともかく、一人一人、別の士だったのかもしれない。
***
ヒビキのディスクアニマルが思い思いの方向に飛び立っていくのが、窓から見えた。
城戸真司は椅子に腰掛け、難しい顔をして腕を組んでいた。
「どうした城戸、馬鹿の考え休むに似たりと言うぞ、そう悩むな」
「おまっ……、馬鹿っていう奴が馬鹿なんだよ! 馬鹿天道!」
「小学生かお前は」
憤慨して椅子から立ち上がるが、天道は相変わらず相手にしない。
「……ちょっと、気になる事があるんだけど。黄色い奴、そいつも門矢士なんだろ。なら、人間じゃないのか?」
「そうだろうな。それがどうかしたのか」
「どうかしたのか……って……いやお前に言っても無駄だな」
真司が深く溜息をついて椅子に腰かけ直す。無心でコーヒーに息を吹きかけ続けていた巧が、顔を上げた。
「城戸、俺は戦うぞ」
「えっ……お前、この前と言ってる事違わね?」
「違わない。俺は人間だからどうとか言った覚えはない。寧ろ、人間だからとかは関係ねえ」
納得のいかなさを顔に出して、不機嫌に真司が尋ねるが、巧は表情を動かさなかった。
「いいか、あいつは剣崎と渡を戦闘不能に追い込んだんだぞ。お前、想像出来るか、あの二人が逃げ出すのを」
「…………できない。でも、人間なんだから、あのピンクの門矢士みたいに話が通じるかも」
「通じないね。あいつは自分の力を面白がってる。そもそもあいつは大怪我をしてた渡と、あの夏海って女を庇った小野寺を殺そうとしたんだぞ。そういう心が怪物になっちまった奴が、話なんか聞くわけがない」
巧は容赦なくぴしゃりと言い切った。反論出来ずに真司は、下を向いた。
心が怪物になってしまった人間。確かにそんな人間には話など通じないだろう。心のままに、戦いを楽しむのだろう。浅倉威や、東條悟がそうであったように。
「やりたくないなら無理にやらなくていい、足手纏いだ。お前は人間じゃないものとだけ戦っていればいいだろう」
天道に言われると真司は、がたりと音を立てて椅子から立ち上がり、天道を睨みつけて、どしどしと歩いてドアを出て行った。
「怒らせんなよ」
「お前こそ、城戸相手に付け入る隙を与えなさ過ぎだ」
「別にそんな積もりねえよ。どう見てもとどめ刺したのはお前だろ」
目線を合わせないまま、二人は互いを非難した。
どちらも真司を怒らせた責任を被りたくないところに、二人の城戸真司への目線が表れているが、当の本人はといえば、腹立たしそうに足音も高く廊下を歩き続けていた。
「ったく天道も乾も……どうしたらいいんだよ俺……」
ピンクのディケイドだったら、まだ、倒せないとはっきりと言えた。
彼は各世界のライダーを助けて人間を守っていた。そんな相手とは戦えないとははっきりと言えた。
ライダー同士が戦い合う繰り返しから抜け出したというのに、結局自分は同じ事をまた繰り返していると、真司は思った。
浅倉をどうしても倒さなければならないと思いつめた事はある。だがそれも、結局出来なかった。
人間と怪物で線引きをするのならば、乾も、剣崎も渡も、人間ではない。
例えば、渡が門矢士は人間ではないと言ったなら、俺は何の躊躇いもなく戦ったのだろうか。
ふとそんな思いが頭を過ぎったが、答えなど出る筈もなかった。
「ああもう分かんねえ!」
「あ、城戸さん、丁度いいところに」
角を曲がってきたのは、右手に盥を乗せ、左手に洗濯籠を抱えた津上翔一だった。
「すいませんけど、俺今手が離せなくって。これ、門矢さんの所に持っていってくれませんか?」
そう言って翔一は返事を聞かずに盥を真司に渡し、忙しそうに早足で駆けていった。
翔一は自主的にこの城の家事全般を請け負っている。広すぎる為、掃除はなかなか行き届かないと嘆いていた。
別にいらないのに、と次狼達が言っていたが、翔一はやらなければならないのではなく、やらせてもらいたい風だった。
そうやって動いているのが好きな、根っからマメな性格なのだろう。片付けられない真司からすると、尊敬に値する。
冗談は寒いが気さくで気の優しい、所謂いい奴だった。真司には、翔一の頼みを断るという発想は浮かばない。
廊下を歩いて門矢士の部屋のドアの前に立ち、一応ノックをした。
「開いてる」
中からぶっきら棒な声が帰ってきた。門矢士は起きているらしかった。
中に入ると、この城では何処もそうだが、広い間取りが取ってあった。窓とドアの中間の壁沿いに、天蓋付きのベッドが置いてあり、門矢士はそこで虚空を見つめていた。
「失礼しまっす」
部屋に入り、ベッドの脇に置いてあるチェストの上に盥を置いた。
門矢士は熱が出ているようで、ぼんやりした目をして汗をかいていた。
額に置かれたタオルを手にとると、ぬるい。水の張られた盥に浸してタオルを絞り、見える部分の汗を拭いてやってから再びタオルを洗って、額に乗せてやった。
翔一はまだ戻ってくる様子はなさそうだった。
この部屋を出たところで真司にする事は今のところないし、何かをする気分にもなれない。
座って、門矢士を看病でもしていれば気も紛れるかもしれない。そう思い、置いてあった椅子に腰掛けた。
「あんた……誰だ」
門矢士が薄く目を開けて、こちらを見ていた。そういえば、真司は門矢士の顔を知っているが、会うのは初めてだった。
「俺は城戸真司」
「俺を……倒しにきたのか」
その質問に、真司は首を何回か横に振って答えた。
真司は昔、人間を倒さないと決めた。その気持は今も変わっていない。
「じゃあ何しに……」
「それが……分かんねえ」
答えて真司は、折り曲げた膝に肘を突いて俯いた。
考えても考えても、答えは出ない。こうしてずっと、答えが出ないまま、繰り返して行くのだろうか。
その様子を見て、門矢士が、低く声を出して笑った。
「あんた、面白い人だな」
「? 何でだよ」
「遥々別の世界から来ておいて、来た目的が分からないってのも、なかなかないだろ。来る前に考えなかったのか?」
「……正直言うと、あんまり深く考えてなかった」
そうだ。今考えれば、優衣が消えてしまうという神崎士郎の言葉と、この世界融合の現象の相関関係すら分からない。
ただ真司は、再びライダーの力を手にして、それを使えば優衣がきっと助けられるのだと、特に根拠はなく信じてしまった。
「まあ、戦わなくていいなら、それでいい。正直あんたらと戦うのは、あまり気が進まん」
門矢士はそう言って、瞼を閉じた。
「……どうして、気が進まないんだ?」
真司の言葉に、門矢士は閉じた瞼を半分開いて、真司を見た。
「乾巧と津上翔一もそうだが、あんたもいい奴っぽいからな。そんな奴らと戦いたい訳ないだろう?」
「それはまあ……」
「例えば、目の前で誰かがあんたに襲われてるっていうなら話は別だが、そんな事は有り得なさそうだ」
そう言って門矢士は、微かに笑った。
そうだ。誰かを守る為に、だ。そうでなければ、真司は戦えない。
世界がどうとか、融合がどうとか。そんな想像が付かない事の為に、戦えないのだ。
では、何の為に戦えばいい。
誰か、ではなく、仲間を守る為に。そんな事でしか、きっと真司は戦えないだろう。
そしてきっとその場面が訪れない限り、真司は迷い続けるだろう。
門矢士はまた目を閉じて、暫くすると寝息が漏れ始めた。
真司はその寝顔を、もう暗さのない表情で見守っていた。
***
夏海とユウスケは、一度写真館へと戻ってきていた。
紅渡達と行動を共にした方が戦いには都合が良さそうだったが、一つ障害があった。
天道が、夏海の同行に難色を示していた。
とりあえず栄次郎の安否も気に掛かる為、二人は一旦戻る事にした。
鍵を開け中に入るが、栄次郎はいなかった。
「おじいちゃん、何処行っちゃったんでしょう……」
「買い物かな?」
壁には何も描かれていない背景ロールがかけられたままになっている。言伝の手紙でもないかと夏海はテーブルを見たが、そこには額に入った一葉の写真が置いてあるだけだった。
「それいつの写真だろうね。何か古そう」
夏海が手にとったのを覗き込んで、ユウスケが簡単に感想を述べた。
立派な洋館が写っている、モノクロの写真だった。この写真に、夏海は強い違和感を覚えた。
「私……ここ、行った事が、あるような気がします」
「昔旅行とかで行ったんじゃない?」
「おじいちゃんが温泉が好きだから、毎回旅館に泊まってて、こんな洋風の建物は、旅行では行ってないです」
「うーん、じゃあ、何だろうな」
ユウスケは考え込んだが、ユウスケが考えても分かる筈がない。
夏海は写真をじっと見つめた。懐かしくて、楽しかった気がする。それなのに、思い出せない。
「おお、夏海、ユウスケ君、おかえり」
栄次郎が、買い物袋を提げてドアから入ってきた。葱にこんにゃく、豆腐に白菜。夏の盛りに鍋でもするのだろうか。
「おじいちゃん、この写真、何処なんですか」
「えっ」
「私、行った事があるんですか」
夏海は栄次郎に写真を見せて詰め寄った。その様子があまりに必死で、ユウスケも夏海の様子におかしさを感じた。
「お前は、行った事はないよ」
「じゃあどうして」
「……何かの記憶違いじゃないのかい?」
「…………そうでしょうか」
釈然としない様子で、夏海は引き下がり、写真をテーブルに置いた。
「……夏海ちゃん、そんなに気になるの、その写真」
「分かりません。でも何だか、絶対知ってる筈なのに思い出せなくて」
夏海は微かに、肩を震わせていた。
ユウスケはもう一度写真を見たが、ちょっと立派なくらいで、何か変わった様子のある洋館とは思えなかった。
寧ろ気に掛かっていたのは、栄次郎がこの写真が何処のものなのかを語らなかった事だった。
***
「わっかんないんだよねぇ」
あっけらかんとした声で、実に不思議そうにヒビキは言った。
彼がディスクアニマルを送り出すのを隣で見守っていた剣崎は、その声にヒビキの方を見た。
「何がですか」
「君の考えてる事がだよ」
「……俺の?」
ヒビキも剣崎を見つめていた。剣崎の反応に、ヒビキはややオーバーアクション気味に、うんうんと大きく頷いた。
「君と渡君って、二人で何でも片付けようとしてない?」
「そんな事はありません。ヒビキさん達にも戦ってもらってるじゃないですか」
「そりゃ大ショッカーとは戦ってるけどさ。ディケイドの方の事だよ」
その問い掛けに剣崎は答えを返さず、ヒビキから目線を外して、ディスクアニマルが消えていった森を見た。
夏の森は濃い緑が茂っていて、強く草の匂いが湧き立っている。茂った木々の葉が日光を遮って森の中は暗かったが、所々から光の帯が漏れて筋を作って降り注いでいた。
風は緩やかだった。もう剣崎は暑いと感じる事はなくなってしまったけれども、風の心地よさは感じる。
「君の考えてる事が分からないから俺の想像でしかないけど……君と渡君は、二人で、嫌な事を全部背負い込もうとしてるんじゃないのか?」
その問いに、剣崎は答えるべき言葉を持っていなかった。故に口も開かず、ヒビキの方に振り返る事もしなかった。
ヒビキもヒビキで、気にした様子もなく言葉を続けた。
「自分達が人間じゃないから、とか思ってるんだったら、それって俺達に凄く失礼じゃない? 俺は、やる事やるつもりで来たし、君とも仲間のつもりなんだけど、認めて貰えてないわけ?」
「……そういうつもりではなかったんですが、すいません」
「シンちゃんとか良太郎に背負わせたくないってのは分かるよ。でもさ、皆ずっとそれぞれ戦ってきた奴らなんだから、自分で選べるよ」
そうなのかもしれなかった。皆それぞれに、正しいと思う事を選びとっていけるだろう。
それでも、別に背負わなくてもいい事もあると、そうも思った。
「君はどう思ってるのか知らないけどさ、皆それなりに覚悟はしてるんだよ。乾君だって、そりゃあんな性格だからカッとなって出ていったりとかしたけどさ、君の言う事は割と素直に聞いてるだろ。君の言う事も正しいって分かってるからだよ」
その言葉がやや意外で、剣崎はヒビキをちらと見たが、言われてみればそうかも知れなかった。
もう一人の門矢士が現れた岬で、偶然に巧と翔一を見つけた時は、詳しい事情を説明する時間などなかった。
渡が殺されてしまう、助けてほしい。
短く告げると乾巧は手短に、だがしっかりと頷いて、翔一がその後に、そりゃ大変だと大慌てで走り出した。
乾は剣崎と渡のやり方に反発を感じているのだと思っていたから、確かに、意外といえば意外な反応だった。
「俺達は君の事信じてるから、君も、俺達の事もっと信じてくれていいと思うよ」
「……信じています」
「まっ、それならいいんだけどさ」
言うとヒビキは、腕を伸ばして手を頭の上で組み、大きく伸びをして、城の中へと歩き出した。
俺は、怖ったのかもしれないと、剣崎は思った。
得るものがなければ失う事もないのだと、ただ時間だけが過ぎ去っていく砂の只中で思っていた。だから、得てしまうのが怖くなってしまっていたのかもしれない。
始は最初からアンデッドで、仲間とかそんな概念がそもそもなかったのだから事情が違うだろうけれども、あいつもこんな気持が少しはあったのかもしれないと、剣崎は思った。
そうだ、心は育っていく。分かり合う事は出来る。
今すぐ倒さなければならないと思いつつ、渡が待ちたいというのに強く反対出来なかったのは、剣崎こそが、例え人でないものでも、心が生まれて育まれていくという事を誰よりも知っていて、誰よりも強く信じていたからかもしれなかった。
「また、同じ事の繰り返しになっちゃうかもしれないけど……これでいいのかな。俺やっぱり、馬鹿だなぁ」
独り言を呟いて、剣崎は昔のような顔で、やや寂しげに笑った。
***
夏海は、家中の写真という写真をひっくり返し続けていた。
今までどうして疑問に思わなかったのかが不思議だった。この家には、一枚も、父と母の写真がない。
夏海は栄次郎に育てられた。父と母は夏海が物心つく前に死んだと聞かされていた。それはそれでいい。
栄次郎は、夏海の母方の祖父。それならば、何故、母の写真すらこの家には一枚もないのか。
膨大な量の写真があるというのに、夏海の欲しい写真だけが、一枚もなかった。
今までそれを見たいという発想すら浮かばなかったし、それを栄次郎にねだった事も、どんなに記憶を遡っても思い浮かばなかった。
あまりに不自然だった。あの洋館の写真を見て急に思い出すのも、不自然すぎた。
「夏海、どうしたんだい、こんなに散らかして……」
古い写真を収納する倉庫として使っている部屋の中は、足の踏み場もないほど写真やアルバムが散乱していた。
栄次郎は、その真中で手を止めて栄次郎を呆然と見つめる夏海を、困ったように見ていた。
「どうしてなんですか……」
「何がだい?」
「どうして、お母さんの写真が、ないんですか」
栄次郎は困った顔のまま、ほうと一つ息を吐いた。
「教えてやりたいんだけど、それは出来ないんだ」
「どうしてです、おじいちゃん一体、何を隠してるんです!」
夏海の声は自然と大きくなったが、栄次郎はやはり困った顔のまま、首を何度か横に振った。
「それは、士君が自分で見つけないといけないんだ」
「……? どうして士君が、私のお母さんと関係があるんですか」
「何も話してやれなくてすまないね……。でも、一つ覚えていておくれ。士君は、やっと見つけた希望なんだよ」
「士君が……希望?」
「そうだよ。やっと終わらせて、新しく始める事ができるかもしれないという、希望だ。私は、士君と会えて、本当に良かったと思っているんだよ」
夏海には、栄次郎の言う事が全く分からなかった。何故だかとても悲しくなり、涙がぽろぽろと頬を伝って零れた。
「おじいちゃんは、ずっと、士君を探していたんですか……」
「そうだよ。ずっと会いたいと思っていた」
「どうして?」
「起こってしまった事はもうやり直せないけれども、新しく始めたいと思ったからだよ」
意味が分からない。夏海はふるふると首を何度も、横に振った。栄次郎は脇にあったティッシュの箱を夏海に手渡して、散らばった写真を集め始めた。
アルバムが、ページが開いたまま床に散らばっていた。夏海が小学生の頃の写真がそこには貼ってあった。
運動会の写真、遠足の集合写真、友達と二人で写っている写真。
何がほんとうで、何が嘘なのだろう。
「お前は、士君の側に、いてあげなさい」
「……どうしてですか」
「だってお前は、そうしたいと思っているだろう」
栄次郎の言葉に、夏海は力なく頷いた。
士は、夏海とユウスケを探して、来てくれた。帰ってきてくれたのだ。
心配だった。ただ士の事が、気がかりだった。
「なあ夏海。確かに私は士君の事を知っていたし、だからここに連れてきたんだ。でも、だからといって、ここで士君と夏海と、ユウスケ君が、怒ったり悲しんだり、笑ったりしたことが、嘘になってしまうわけじゃないよ。それは、確かにあったことだよ」
「あったこと……」
「そうだよ。士君の歩いてきた道は、側にいた夏海や、ユウスケ君や、私の心に、ちゃあんと残っているんだ。だから怖がらなくてもいい」
相変わらず、栄次郎の言う事は夏海には全く分からなかった。
栄次郎はにこりと微笑むと、黙って写真の片付けを再開した。夏海もティッシュで鼻をかむと、それに倣い始めた。
***
一人、ソファに腰掛けてぼんやりととりとめのない考え事をしていたユウスケの前には、思ってもみない人物が訪れていた。
「やあ……士は何処だい」
「……海東」
海東の服は破れぼろぼろになっており、そこかしこに擦り傷や切り傷も出来ていた。
「士はいない。どうしたんだ、その傷」
「なに……ちょっと不覚をとっただけさ」
「手当するよ」
「余計な事をするな、君の情けは受けない!」
ユウスケが立ち上がると、海東はそんなユウスケを睨みつけて、叫んだ。
「……別に情けとかじゃなくて、こっちが落ち着かないんだよ。そんな傷だらけでボロボロでいられるのは」
「君が落ち着こうが落ち着くまいが、僕の知った事じゃない。いいから士が何処にいるか教えたまえ」
むっとした顔を見せて、無言のままユウスケは再びソファに座った。海東はそんなユウスケを、鋭い目で睨めつけた。
「君に用はないんだ。消えてやるからさっさと士の居場所を教えろ」
「…………いいけど、条件がある」
「条件?」
言って、今度は海東がむっとした顔を見せた。彼はユウスケを対等に話す相手だとは考えていない。ある種、士よりも傲岸な男だった。
「士を助けるのに、手を貸して欲しい」
「……何を言ってるんだ、君は。僕は君らなんかとつるむのは御免だ」
「今士がいるのは、手を貸してくれない人間には教えられない所だ。力を貸すんでなくても、俺達の邪魔はしないと約束してくれないなら、教えられない」
海東は尚も厳しくユウスケを睨みつけたが、ユウスケは譲るつもりはなかった。
如何な海東でもまさかそんな事はしないとは思うが、万が一大ショッカーにでもあの城の居場所が漏れれば、今後の戦いがやりづらくなる。
ユウスケの海東大樹への信頼は、アギトの世界で消え去った。一度信頼の気持ちを失くした相手を再度信頼するのは難しい。
そうして暫く無言で睨み合った後、海東は呆れたような馬鹿馬鹿しいような顔をして、一つ息を吐いた。
「……いいだろう。僕も今忙しいんでね。君らの邪魔はしない」
「本当だな」
「僕は物は盗むけど約束は守るよ」
もう一度、ユウスケは海東の顔を見つめたが、海東の表情は動かなかった。
「わかった」
ユウスケの答えに、海東は満足そうに、にやりと右の口の端を上げて微笑んだ。
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