時刻は朝の九時。警視庁捜査一課へと出勤した氷川誠は、使っている机の椅子の背凭れへ、適当に纏めたコートを掛けた。
 PCモニターの周囲に雑然と書類が積み上げられた机が並んでいるが、人はそう多くない。既に担当事件の捜査のため外に出ている者も多い。ホワイトボードは、既に各自の今日の予定で黒々と埋まっていた。
 氷川もすぐに聞き込みの為外へと出る予定だった。一緒に行動する予定の河野の姿を探すが、見つからない。
 河野は少し早めに出勤してくる。緊急事態でなければ、まず緑茶を一杯飲んでから行動するのが彼の常だ。
 トイレへでも行っているのだろうか。そう思い辺りを見回すと、フロアの入口ドアを開いて、意外な人物が姿を見せた。
「おや、氷川さんじゃありませんか。お久しぶりです」
 相手も氷川の姿にすぐに気付き、にこりと微笑んで歩み寄ってきた。長らく海外で活動していた北條透だった。
「北條さん、お久し振りです。戻ってくるようなお話は耳にしていませんでしたが、どうしたんですか?」
「呼び戻されました。あなたと河野さんが追っている事件に、対策本部が設置されます。私も参加する事になりましてね」
「……対策、本部? 何故、今更……」
 北條は相変わらずの早口で、簡単に帰国の経緯を告げた。その内容に不審を覚え、氷川は訝しげに首を捻った。
 彼と河野は、(他の緊急を要する事件の合間に)この事件をもう二年程、二人で追い続けている。それが今更、何故捜査本部などと仰々しい事態になるのか? しかも事件を追っている氷川と河野には一言の相談もなく、だ。
 北條は氷川に歩み寄り、出来る限り顔を近づけて、声を潜めて告げた。
「事情が変わったんですよ。アンノウンが目撃されたんです。あなたの追っている事件がらみでね」
「……何ですって? なんでそれが僕と河野さんに伝わってないんですか」
「あなたと津上翔一は、アンノウンはもう人を襲わないと言った。その言葉の通りアンノウンは出現しなくなった。だが、アンノウンが再び人を襲った、だからです。これは今の所極秘事項だ」
 寝耳に水。その言葉がぴったりきた。熟睡しているところに冷水を掛けられたように、氷川ははっとして目を見開き、驚いた表情を隠せず北條を見た。
「…………人を? 何故それが……」
「これがすぐに周知されなかったのには、更に事情がある。その辺りは河野さんが来てから別室で」
 北條はあくまで冷静に、ややゆっくりと氷川に告げた。氷川が頷くと、河野がドアを開け入ってきて、北條の顔を見つけて嬉しそうに足早に駆け寄ってきた。

***

 いつも通りの事だが、客が来ない。昼食を済ませてからカウンターに戻り、既に三時間。客は一人も来ていない。
 乾巧は左肘をカウンターに突いて頬を支え、開いた右手を開いて掌を眺めた。
 本当なら、もっとずっと前に灰と化し、崩れ去っていなければいけなかった手は、皮の一つも剥けておらず、何事もなかった。
 全くいい迷惑だ、と巧は思った。彼が灰と化していないのは決して彼の意志からではない。何を考えているのかは知らないが、名前も知らない男の意図によって、彼は生き永らえさせられていた。
 店内は静かだった。真理は勤め先の美容室に出勤したし、啓太郎は配達に出ている。
 眺めていた右手で口を抑え、あくびを噛み殺して、巧はつまらなさそうに自動ドアの外を眺めた。
 ふと、横に置いていた携帯電話が揺れて震え、着信音を奏で出す。ディスプレイを開くと啓太郎からの着信だった。
「たたたたた、たっくん、オオオ、オ、オルフェノクが……」
 通話ボタンを押し電話に出れば、即座に懐かしい台詞が耳に飛び込んだ。
「落ち着け啓太郎、何処だ、すぐ行く」
「オオオ、オルフェノクが……何だか分かんない奴にやられちゃったんだよ!」
 電話を耳に当てながら巧は立ち上がり、アタッシュケースを探そうと歩き出したが、啓太郎の次の言葉に思わず足を止めた。
「……は? 何言ってんだ、お前?」
「ホントなんだってば!」
「……いい、分かった。お前は大丈夫なのか?」
「あ……、うん、大丈夫」
「とにかくそっちに行く、話はそれから聞く」
 再び歩き出してしまい込んだアタッシュケースを取り出し、バイクへと急ぎながら、啓太郎の現在位置を聞き出して電話を切る。
 啓太郎は、何だか分かんない奴、と言った。オルフェノク同士が殺しあったのではない、という事だ。
 あの時、やがて来るべき時の為に、とあの男は言った。その時の巧は何を訳の分からない事を言っているのかと問題にもしなかったが、もし今の事態が「来るべき時」という奴であるならば、巧が再び、戦わなければならない、という事なのだろう。
 草加の形見、と言えるのかもしれない。サイドバッシャーのエンジンをかけ、巧は啓太郎の元へと走り出した。

***

 ノートパソコンをテーブルに広げて、白井虎太郎は難しい顔でディスプレイを覗き込んでいた。
 注文したコーヒーはもう冷めているが、気にしている様子もなく、虎太郎はカップを持ち上げてコーヒーを一口啜った。
「……ライダーの、噂だと?」
 テーブルの向かいでは、エプロンをつけた相川始が仏頂面を見せていた。
 午後二時過ぎ、ランチタイムが終わって、ハカランダ店内には今は他に客はなかった。奥まった窓際の席で、始は話があるという虎太郎に対応していた。
「うん。剣崎君の事何か分からないかなって、ネットの噂とかずっと調べてたんだけど……読んでると、そういう噂がぽろぽろあるんだ。しかも、ブレイドとかギャレンとかレンゲルじゃない、別のライダーっぽいんだよね」
 難しい顔をして、やや首を捻り、虎太郎はもう一口、冷め切ったコーヒーを啜った。
「……とはいっても、その噂は僕が剣崎君に会う前から、ギャレンの噂と一緒にあったんだけど。もう仮面ライダーはいない筈なのに、その噂は消えないで根強く残ってるんだ」
 確かに、虎太郎の言う通り、妙な話だった。一年ほど前に、二体のジョーカーを除いた全てのアンデッドは封印され、ライダーシステムもあれからずっと起動されていない。
 誰かが仮面ライダーの都市伝説から話を創作している可能性の方が高いだろうが、本当の目撃情報である可能性も、ゼロではない。
 情報が複数あるのであれば尚更。彼らはもしかすると、ギャレンが開発されるよりも前から未知の敵と戦い、仮面ライダーと呼ばれる都市伝説となっていたのかもしれない。
「で……最近、ここ一週間位かな? どうも妙な話が増えてるんだよね」
「妙な話?」
「うん。鷲とか犬とか、何かの動物みたいな大男が、全身灰色の怪物を殺して、灰色の怪物が青い炎を上げて燃え尽きる……っていう話。アンデッドじゃない……よね」
「それは有り得ない」
 表情を動かさずに始が答え、それに虎太郎も頷いた。何かの動物にも見える大男、とは、アンデッドと思えなくもない形容だったが、二体のジョーカー以外のアンデッドは全て封印されている。『統制者』は何も動きを見せていないし、BOARDが作り出したアンデッドを解放する装置は既に廃棄されている。ラウズカードから解放されて姿を現す事は有り得なかったし、そうなれば始がアンデッドの存在を感知できない筈がない。
 大体にして、アンデッドがもし解放されたとして、彼らの興味はバトルファイトにしかない。灰色の怪物を倒して回っている、というのは不自然だ。邪魔であれば人間(や、もしかすれば灰色の怪物)を殺す事もあるだろうが、彼らの目的はあくまでバトルファイトでの勝利なのだ。
「……橘なら何か掴んでいるかもしれん。BOARDに行くぞ」
「え、ちょ、待ってよ始」
「さっさとしろ」
 手短に告げて始は席を立ち、エプロンを外した。それを見た虎太郎が慌ててノートパソコンを閉じ、ACアダプターをしまい始める。
 その間に始は、カウンターの奥で夕方の仕込みをしていた遥香へと声をかけていた。
「すいません、ちょっと白井と出てきます」
「はーい、気をつけてね」
 遥香の呑気な声が奥から返ってきた。荷物を纏めた虎太郎と始はそのまま外へと出て、二人は虎太郎の車へ乗り込んだ。
「でも、何か意外だなぁ。君は興味ないとか言うかと思ってた」
「……なら、なぜ俺に相談する」
「他に相談する相手が思いつかなかったんだもん、しょうがないだろ」
 虎太郎が肩を竦めてみせると、その様子を見て始は軽く笑いを漏らした。
 本当は、始には知らせなければいけないと思ったから、虎太郎はまず始に話した。彼が人間として暮らせる平和がもし脅かされようとしているのであれば、なるべく早くにそれを知らせ、対策を練らなければいけないと考えた。それは虎太郎の望みだったし、今はもう会う事のできない、虎太郎と始にとって共通の大切な友人もそれを望むだろうと思われた。
「……あいつの代わりに戦う、と言ったら驚くか」
 虎太郎がキーを挿し込みエンジンをかけると、始がぼそりと呟いた。やや驚いて虎太郎が助手席の始を見ると、始はいつも通りの仏頂面で、まっすぐにフロントガラスの向こうを見つめていた。
「ううん。驚かない、嬉しいよ」
 にこりと笑って虎太郎が返すと、始は実に面白くなさそうに息を吐き出した。

コメントを送る

コメントはサイト上には表示されず、管理者のみ確認できます。