その20

「待って、卵は三時からタイムサービスで安くなるから、もうちょっと待った方がいいよ」
 一パック百四十八円のL玉十個入りのパックを手に取ったアスムにそう声をかけたのは、明るいブラウンの髪で、左のこめかみに若草色のメッシュを一房入れた青年だった。
「そうなんですか?」
「うん、今日は三時から三十分間、なんと卵がお一人様一パック限りで八十八円、今日の目玉商品だよ」
「えっ、これが八十八円になるんですか?」
 アスムが驚いて訊ねると、青年は腕を組んで眼を瞑り、やや芝居掛かった大仰な動作で頷いた。
 壁に掛かった時計を見ると十四時時四十分。少し早く来すぎてしまったようだった。
「アスム、卵はありましたか」
 呼び掛けられて振り向くとワタルが野菜を満載した籠をカートに載せて押している。
「あったんですけど、三時からならタイムサービスでこれが八十八円になるそうですよ」
「……別にいいですよ、六十円位。それより早く帰りましょう」
「よーくーないっ!」
 ワタルの返事に憤然と声を上げたのは、緑メッシュの青年だった。
 正真正銘の王侯貴族だったワタルは、あまり金に頓着しない。スマートレディに出してもらっている金という事もあり、有り難さも半減しているのだろう。目立った浪費もしないが殊更に節約もしなかった。
 アスムは節約を好んだが、それは趣味嗜好とでもいうべきもので、実に無計画だった。よって、安売りと見れば節約と名目を付けて、使うのかどうかも分からないものを買い込む構図が完成する。
 そもそもアスムはそれまで買い物のような貨幣経済との接触が極端に少なかったようなので、金銭感覚自体が白紙も同然。何が必要で何がいらないかという生活の感覚も薄い。加えて異様に素直で騙されやすい。アスムに購買意欲を起こさせるのは、赤子の手を捻るよりも簡単な事だった。
 緑メッシュの青年は実に不満げにワタルを見据えて、何度か首を横に振った。
「一円を笑う者は一円に泣く、と昔から言う。小さなお金だって、侮っちゃ駄目だ! 勝負は最後まで分からない、気を抜いたほうが負けだぞ!」
「……あなたが何と戦ってるのかは存じませんが、もう帰りますんで」
「タイムサービスは激しい戦場だ、最初から逃げ腰でどうする!」
「いやだから、そもそも参加しませんって」
 まるで話の噛み合わない青年にワタルが頭を抱える。気付けば三人の後ろには、既に四五人が行列を作っていた。
 タイムセールまで後十五分強。もう既に戦いは始まっているらしかった。
「八十八円なら、二パック買っていってもいい位ですね、お得だなあ」
「二パックあっても使いきれませんよ……」
「なら、お世話になっているお隣へのお土産というのはどうでしょうか?」
「……感謝の気持ちを表すお土産なら、もう少しきちんとした物にしませんか」
 ワタルとて今まで買い物など碌にした事もない。食材も雑貨も服も、出入りの御用商人が城に納めるものだった、一つ一つにどれだけの価値がありどんな値段がついているかなど、城にいた時は想像しようとした事もない。つい買い過ぎたり必要な物をいつも忘れたり、失敗も多い。
 だが何事も、上には上がいるものだった。アスムの浮世離れの具合は、ワタルの常識を常に覆し打ち破った。
「君たちは兄弟? 今日はお手伝いで買い物?」
 タイムセール開始を待つ間の暇を持て余したのか、緑メッシュがアスムに質問を投げた。
「いえ、僕たち兄弟ではないんですけど二人で住んでるので、お手伝い、という訳でも」
「えっ……大人の人は? お父さんとお母さんはどうしたんだ? 迷子になってはぐれた?」
「僕は……捨て子だったので両親は会った事がなくて……」
 まるで何でもない事のようにアスムが答えた。今の話はワタルも初耳だった。
「何だって……なんて酷い事を……悲しい、俺は悲しいぞ!」
 緑メッシュは穏やかな笑みを崩さないアスムを見つめると、端正な造形の顔をぐちゃぐちゃに崩して、眼の端に浮かんだ涙を大きな手振りで拭った。その様子を見て、アスムは嬉しそうに笑いを漏らした。
「僕の育った所は皆貧しかったので、そう珍しい事でもなかったみたいで、仕方なかったんだと思います。いい人に面倒を見てもらって、心から打ち込める使命とも出会えましたから、僕は大丈夫です、有り難うございます」
「なんて……なんて健気なんだ! 偉いぞ少年!」
「いやそんな……」
 緑メッシュの反応は一々大仰だった。興奮と感動のあまり、緑メッシュは目にうっすらと涙さえ浮かべていた。
 肩を掴まれ揺さぶられて、流石のアスムもやや困惑気味に引きつった笑みを浮かべていた。
「あの……もし良かったらなんだけど。俺じゃあお父さんやお母さんにはなれないけど、俺が出来る限りの事で是非君を力付けたい。せめて温かいご飯を食べてもらいたいんだ。何か作るから食べに来ないか?」
 男泣きの涙に噎ぶ緑メッシュの提案を聞いて、アスムはちらとワタルの方を窺った。そんな事をしてもらう理由もないが断るのも気が引ける。しかしながらこの緑メッシュの男は、善良そうではあるが若干鬱陶しい性格ではないかという予感がしたので、ワタルはあまり関わり合いになりたくなかった。
 答えを迷う内に、卵を積み上げたワゴンの横に、鉢巻を締め黄色い法被を身に付けた店員が出てきた。
「大変お待たせいたしました。これより本日三時のタイムセール、卵L玉十個入り一パック八十八円を開始いたします! 本日は先着百パック限定です、お一人様一パック限りでお願い申し上げます!」
 その後はもう、戦場に飲み込まれるしかなかった。ワタルは、卵を二パックも買うつもりはなかったが、まるでベルトコンベヤーに乗せられ組み立てられる部品のように、機械的に卵を渡され流れていく列の中に巻き込まれていたので、つい受け取ってしまった。
 このままではこのまま流されるままに夕食にお呼ばれする事になってしまうのではないか。
 残念ながらワタルの悪い予感は見事に的中してしまったのだった。

* * *

 一度マンションに戻って購入した荷物を収納してから、緑メッシュの青年に連れられやって来たのは、町外れの空き地だった。
 何故か、線路もない場所に列車が停まっていた。
「なんっでこんな場所に列車が……みょーちくりんだなぁ」
 留守番をしていたキバットも着いてきて、目の前の光景の特異さに驚いている。
 妙な列車だった。黒と緑のカラーリングで、先頭の車両は牛を象ったような立派な角のあるデザインになっていた。
 周りは整備工場でも車庫でもない、単なる空き地だった。線路もない場所に何故どうしてどうやって、列車を入れたのか。
 ぴかぴかの列車をきょろきょろと見渡してアスムは感心したように、すごいですね、と声をあげて、緑メッシュは得意げに頷いた。
 緑メッシュは『デネブ』と名乗った。苗字は、と聞くとないと言う。言動もそうだが妙な男だった。
 一応ワタルは、知らない方の家にいきなり伺うのは、と難色を示してはみたが、厚意を無駄にはできないとアスムは乗り気で、何よりデネブのテンションの高さに押し切られてしまった。
 デネブがタラップを登ると、自動なのかドアが開いた。後に続いて入ると、列車の中は思ったよりもずっと余裕をもった広々とした空間が広がっていた。何故かちゃぶ台が置いてある車両に案内され、座るよう示される。
「よーし、ワタルくんとアスムくんにおいしい料理を食べてもらう為に、今日は張り切っちゃうぞうー! 今日はね、いーい椎茸があったんだよ! あっ二人とも、椎茸嫌いじゃないよね?」
「はぁ……」
「キバットちゃんも?」
「俺様は好き嫌いはないぞ!」
 上機嫌でスキップなど踏みながらデネブが尋ねる。ワタルとアスムそれにキバットが頷くと、さも嬉しそうな笑いを浮かべる。
 が。
「デーネーブー……てんめぇ……」
 突然デネブが動きを止め俯いた。絞り出した声は低く、怒りの色さえ籠っている。
「うわっ、侑斗駄目だよー! これからご飯を……」
「うるせー!」
 アスムとワタルが見守っていると、突然デネブが手を大きく広げ叫んだ。体から黒く大きな何かがぽんと飛び出して、ゴロゴロと転がった挙句に壁にぶつかって止まる。黒尽くめで、口は鳥の嘴のようにも見える。要するに怪人だった。
「えっ、えっ、えっ?」
「な、何事ですか!」
 成り行きに着いていけずに呆然とするワタルとアスムには構わず、いつの間にか髪が短くなり緑メッシュの消えたデネブが、飛び出た怪人へと軽く助走をつけて飛び込んだ。
「椎茸はやめろっつってんだろうがーっ!」
「うわあぁっ、駄目だよ侑斗、好き嫌いしたらっらっらって……痛い、痛いってばー!」
「おりゃー!」
 怪人が情けない声を上げるが、『ゆうと』と呼ばれるさっきまでデネブだった青年は聞く耳を持たずに怪人にヘッドロックを決めた。
 先程までとはまるで別人だった。寧ろ雰囲気としては怪人のほうがデネブに近いかもしれない。
「何だか、取り込んでいるようですので、僕たちは失礼した方が……」
「そうかもしれませんね、お忙しそうですし……」
「何だ何だ、俺様はここまで飛び損か!」
 呆れ切ったワタルの言葉にアスムも同意し頷いた。既に青年は怪人に四の字固めを決め、ワタルとアスムは眼中にない様子だった。
 二人が「失礼しました」とその場を後にしようとしても、青年は完全に怪人との二人の世界に入っている様子だった。
「あっ、ああっ、こ、今度何か作って持ってくから! ま、またねーっ!」
 何故か怪人の方が二人に気付いて、コブラツイストを掛けられながら手を振った。ワタルは深く息を吐き、アスムは弱々しく手を振った。
 デネブは桜井侑斗と契約したイマジンであると二人が知るのはもう少し先、デネブが(全く誤魔化しきれていない)変装をし、椎茸尽くしのお重を持って二人のマンションを訪れた時の話となる。

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