星のない空

 今日の天候の予定は、午前は晴れ、午後に一時間、乾燥を防ぐために雨が降る。
 尤も、予定なんて当てにはならない。気温だってうまく制御できていない。予定の温度と実際の温度が、五度くらい違う事もある。
 「外」に出て行った連中は、雨が降る前に帰ってくる予定だった。イーノは窓から外の空を見た。
 晴れといったって、アフリカの空みたいに、雲ひとつないなんて事はない。いつも霞がかったように薄ぼんやりとしている。
 それが、彼等の住む最古のスペースコロニー、シャングリラの風景だった。
 昔は、このコロニーの風景が、大嫌いだった。
 薄い茶色の古ぼけた建物、すり減った石畳。空気の循環機能も上手く働いていないから、いつだって埃っぽい。
 街はどこもごみごみして、鉄屑やジャンクがそこらに転がっている。それだけでは足りず、デブリやジャンクばかりを集めたゴミの山がある。
 コロニーはどんどんポンコツになっていくのに、維持するために税金は上がっていくばかり。
 イーノの親は、他のコロニーに出稼ぎに出ていた。
 親の事は好きだ。尊敬している。父親は、イーノにいつも友達を大切にする事を教えてくれた。実直で、でも不器用な人だった。
 仕送りはあったけれども、それだけでは生活できなかった。イーノは自然と、学校には行かなくなり、ジャンクを集めて売り、働き始めた。
 やがて、同じ境遇の、同じ年頃の子供達とつるむようになった。
 本当に本当に、様々な事があった。成り行きでコロニーを出て、戦うようになり。
 世間では、ハマーンの乱だとか第一次ネオジオン戦争だとか、そんなたった一言で言い表されてしまう戦いだった。
 身を切られるよう、と言ったら軽くなってしまうだろうか、あの頃の事をイーノは忘れられない。
 『悪い人』なんていなかった。誰を憎む事もできなかった。ただ無意味に、人が沢山沢山、死んでいっただけだった。
 思い出すだけでぞっとする。いや、凍りつく、体が震える。
 抗うなど考えることも出来なかった。あの場を覆っていた、音、声。光に包まれた後、塵が視界を覆うほど舞い、熱に巻き上げられた水分が塵を吸い上げて雲を作り出し、黒い雨が降ったあの場所。
 一瞬で何もかもを吹き飛ばした、圧倒的な質量。街が一つ、一瞬にして消え去った出来事。
 だけれども、一番辛いのは自分ではないだろうとイーノは思っていた。
 彼の一番大切な友達は、その瞬間の感覚から、今も抜け出せていないのだろうから。
 文字通り、忘れ去る事が出来ずにいるのだろうから。

「おいこらイーノっ! 話が違うじゃねえか!」
 高くがなり声が響いた。声の主は分かっている。イーノは声の方向を見た。
 片方は栗色の髪を長めに伸ばして、はしこそうな吊目。もう片方は浅黒いがっちりとした体つき、背が少し低い。
 イーノの仲間、ビーチャとモンドだった。
「お帰り。何かあったの?」
「あったのじゃねえよ! 綺麗なネモが浮いてるっていうからプチモビ二台も借りたんだぞ! 使えねぇデブリしか浮いてねぇじゃねえか!」
 おかんむりの様子だが、イーノには覚えがない。見ればモンドが横で溜息をついていた。
「……それ、ビーチャが持ってきた情報だろ。振り回されたこっちの身にもなってみろよ」
「んだと! んじゃ俺が自分の勘違いで自分で痛い目見ただけだっていうのか!」
「そうだよ……」
 モンドはじとっとした目で、静かにビーチャを見ている。ビーチャは暫く、反論の言葉が出ないのか唇をわななかせていたが、ややあって、がっくりと肩を落として無言で奥に入っていった。
 彼等はこの廃工場を借り受けて、ジャンク屋をやっている。誰かが拾ってきたジャンクを買い取って他に売ったり、使えるように直して売ったりする。
 コロニーの外に出て、使えそうな部品や、あるいはモビルスーツそのものを拾ってくる事もある。
 危険だし身入りのいい仕事とはお世辞にも言えないが、ずっと続けてきた仕事にそれなりに愛着はあるし、仲間もいた。
 戦争が終結した今、戦争が産み出した膨大な量のデブリは社会問題でもあったから、ジャンク屋の仕事もそれなりに社会に対する貢献度はあるのだ、と勝手に思っている。
 それに彼等には、目標があった。彼等のように食べるのにも困る子供達、戦争で親を失った子供達。彼等に本当に必要なのは庇護ではない。
 彼等が働くための、生きていく力を得る為の場所を作りたい。その為に、彼等は今土地を買おうとしていた。
「おーす、ビーチャは? ビックニュースよ、ビックニュース」
 もう一人の仲間が、早足に駆け込んできた。綺麗なプラチナブロンドを結い上げて、彼女のくりっとした大きい目が何やらやけに輝いていた。
「ニュースって何さ、エル」
「それがね、聞いて驚くな。いーや、聞いたら絶対驚くわね」
「何さ、勿体つけないで教えてよ」
 イーノもモンドも、きょとんとした視線を彼女に向けたが、彼女はふっふっふと、不気味な含み笑いを浮かべている。
「何だと思う?」
「全く想像が付かない。いいから教えろよ」
 ややうんざりした口調でモンドが言うと、仕方ないわね、と小さく呟いてから、エルは息を吸い込んだ。
「帰ってくるのよ、あいつが、ジュドーが!」
「……えっ」
「本当かよ! おい、ビーチャ、ビーチャ!」
 モンドは慌てて、奥へと駆けていった。ぽかんとしたままのイーノを見て、エルは怪訝そうな目線を向けた。
「……何? あんた嬉しくないの?」
「嬉しい……よ……」
「まあ、分かるけどさ……。あいつも、帰ってこられるって思えるように、なったんだよ。素直に喜べばいいんだよ」
「うん……」
 エルは、静かに淡々と告げた。イーノはその言葉に頷いて、俯いた。
 嬉しくない筈はない。今でもジュドーは、イーノにとって一番大切な友達だ。
 でも彼が、帰ってこられない理由も、分かっていた。
 あの戦いが終わって、ジュドーは、共に戦争を戦い抜いたルー・ルカと共に、木星船団へと加わり、旅立っていった。
 その後数年して、地球圏には戻ってきていたが、シャングリラには戻らず地球に降りていた。
 分かっていた、分かっている。ジュドーのほしい物はシャングリラにない。ジュドーは、それを探さなければいけない。
 見つけなくては、彼は足りないものを胸に抱えたままで、歩けない。
 何か、見つかったというのだろうか。彼はもう、歩けるのだろうか。
 会えるのは嬉しい、嬉しくない筈がない。だけれども、イーノには分からなかった。

 ジュドーが木星に行ったのは、端的に言えば逃げたのだろうと、イーノは思っている。
 それを責める気持ちなどない、寧ろ必要な事だったと思う。
 イーノに聞こえているのだ、彼に聞こえない筈はないのだ。
 それは声だ。死人のものなのか、生きている人のものなのかは知らない。
 声というのは正確ではないかもしれない。想いなのだろう、きっと。
 それは言葉ではない。だが、「分かる」のだ。チャンネルが開かれたまま、閉じることができない。
 イーノやビーチャ、エルやモンド、彼等は、主に戦場でそれを感じていた。
 だけれども彼の力は誰よりも強かった。誰よりも強く感じていた。それを、感じ続けることが、きっと辛かった筈だ。
 木星は開拓が始まって歴史はまだ浅い。
 あそこには、人の想いだとかそんなものは、このしがらみだらけの地球圏より、ずっと少ない筈だった。
 距離も遠い。あそこまではきっと、この地球圏を漂うものなど、届きはしない。
 誰にも聞こえないものを聞き、見えないものを見ていた。彼の気持ちを分かってやれる者など、誰もいなかった。
 そして彼は、大切な者を失って、大切になるかもしれなかった者も、切り捨てなければならなかった。
 どうしても許すわけになどいかなかったから。これは分かり合う力の筈なのに、分かり合えなかった。
 ジュドーの感じた絶望など、誰に分かる筈もなかった。いくら分かりたいと強く願っても。
 分かることが出来るのならば、分かりたかった。だけれども、分かったような気になって、分かったふりをする事など出来なかった。
 分かる、という事がどういう事であるのかを、少しでも感じたからこそ。
 まともに受け取るほど、傷つくだろう、押し潰されるだろう。実際に、傷つき押し潰された、カミーユ・ビダンという少年がいたのだから。
 だけれどもジュドーは最後まで笑っていた。最後の方は、見ている方が泣きたくなるような笑い方しかしなかったけれども、それでも。
 彼が埋められないものを埋めることができるものを探さなければならなかったのなら、それを仕方ない事と思えど、責めるなど考えられなかった。
 彼はきっと、何事もなかったように笑いながら姿を現すだろう。そして、再会を無邪気に喜ぶだろう。
 それは嬉しい事だ。だけれどもイーノは、悲しい、と思った。

* * *

 宇宙港のロビーからエスカレーターに乗り、大きなバッグを肩に下げた青年が降りてきた。
 一緒に迎えに来た、彼の妹、リィナが手を振った。
 背が、随分伸びていた。だけれども、癖っ毛は変わらず眉の上でくるっと巻かれているし、その奥にあるエメラルドグリーンの瞳も変わらない。
「ジュドー!」
 ビーチャが、エスカレーターへ駆け寄っていった。ジュドーは、左手を軽く上げて、にかっと笑った。
「よっ、久しぶり。皆元気だった?」
「元気だった、じゃねえよ! 馬鹿野郎!」
 真っ先に駆け寄って行った癖に、ビーチャが上げたのは怒声だった。
「数年ぶりに会った友人に、いきなり馬鹿はないんじゃないの?」
「うっさい! お前が馬鹿じゃなくて何だ! 地球圏
こっち
に帰ってきたと思ったら地球なんかに降りて連絡も寄越さないで!」
「リィナにしてただろ」
「……何で、俺達には、してくれなかったんだよ」
 エスカレーターを降りきったジュドーは、その質問には答えないで、目を伏せた。
 ビーチャも、恐らく質問の内容を後悔しているのだろう、俯いて口を閉ざした。
「まあまあ、折角帰ってきてくれたんだからさ、そう暗くなんない! らしくないわよ、ビーチャ!」
 エルがわざわざ、大袈裟に明るく大きな声で、身振りまでつけて言うと、ビーチャもジュドーも顔を上げて、苦く笑って頷いた。
「……ごめんな、皆。連絡もしなくってさ……」
「いいんだよ。別にお前が俺達の事忘れてたって訳じゃないのは分かってるし、済んだ事をいつまでもグチグチ言わない」
 モンドがやはり苦笑いして言うと、ジュドーは少しだけ泣きそうな顔をして、その後に、安心したように笑った。
 宇宙港を出て、二台借りてきたエアカーにそれぞれ乗り込む。
 今日の天気は晴れ。空気は相変わらず埃っぽいし、昼の光は薄ぼんやりしている。鉄の匂い、饐えた様な匂いを運んでくる風は温い。
「……ああ、シャングリラだなぁ」
 モンドが運転するエアカーのリアシートに座ったジュドーが、そう呟いたのが聞こえた。
 彼がこのコロニーを離れて十年以上。変わった事もあるけれども、見た目には何も変わっていない、彼の故郷。

* * *

 ジュドーはこれから月に行く。途中で時間がとれるので、立ち寄ったのだという。
「へっへー。ウォンさんの紹介で、アナハイムの工場もじっくり見学出来るんだぜ。羨ましいだろ」
 にやついて自慢した顔は、以前と全く変わっていなかった。
 確かに羨ましい。アナハイム・エレクトロニクスの工場は、最新技術の集まる場所だ。モビルスーツいじりをする者として憧れないわけはない。
 これからどうするのかは、月に行ってから考えるのだという。
 誰も、戻ってくれば、とは口にしなかった。一つ所にじっとしているのは決して悪い事ではない。だけれども、ジュドーはそれをしてはいけないと、皆思っていた。
 彼は彼の道を、彼の心で決めなければいけない。道はもう何年も前に、分かたれてしまったのだ。
 今はリィナが一人で暮らす家で、リィナとエルが用意した夕食を、皆で食べた。こんなの、何年ぶりなんだろうと思った。昔は毎日、こんな風に一緒に食事をしていた。
 そういえば、アーガマに乗るきっかけになったのも、食事だった。
 貧しかった。食べるのだけで精一杯だった。戦うということがどういう事なのかなど、何も考えていなかった。
 本当は、貧しくたって、こんな風に家で、皆で集まって食事を食べられれば、それで良かったのに。
「地球でカミーユに会ったんだろ? リィナに聞いたけどさ。もう元気なんだって?」
「元気も元気。正直、あんな口より手が先に出る人だとは思わなかったよ」
 何でもなさそうにジュドーが答えて、質問をしたビーチャも、他の面々も、意外そうにぽかんとジュドーを見た。
 実際に見たジュドーとリィナはともかく、他の面々は、何も語ることが出来なかった儚げなカミーユ・ビダンしか知らない。想像がつかなかった。
「……おっかないんだぞ、あの人。空手の段位あるし」
 大方軽口でも叩いて鉄拳制裁を浴びたのか。ジュドーの呟きには実感がこもっていた。
 笑顔は尽きないし、話も尽きない。それでも時の流れは速すぎて、夜はすっかり暮れた。
 イーノの家はジュドーの家と近い。イーノが帰宅を告げて立つと、送るよ、とジュドーも立って、にこりと笑った。
 ドアを出ると、やや蒸し暑い。夜の闇が辺りを包んでいたけれども、星は見えなかった。
 イーノは、アフリカで見た星空を思い出した。ほんとうの星空など、コロニーに住んでいる限りは知る事はできない。本当の事は地球にしかない。水も風も土も、コロニーにあるものは、再現したものでしかなかった。
 だけれども、ここが僕の、僕達の、生まれ育った場所だ。それは、本当だ。イーノはそう思っていた。
 街灯が切れかけている。ちか、ちかと、白い光が明滅していた。
「ジュドー」
「ん、何だ?」
「どうして、帰ってこようって、思ったの?」
 昔はイーノの方がずっと背が高かったからいつも見下ろしていたけれども、今では目線は同じだ。だけれども、きっと見ているものは違うのだろう。
 伺うようにイーノがジュドーの顔を覗き見ると、ジュドーはやや困ったように眉を寄せていた。
「うーん……何でかなぁ。帰れない、って、思わなくなったから、かな。皆には、ずっと会いたかったんだ。本当にさ」
「何か、見つかったんだ?」
「いや……何が、っていう訳じゃないよ。だけどさ、俺、宇宙
そら
に上がんなきゃいけない、って思ったんだ」
 言ってジュドーは、目を細めて、遠く遠くを見て、微笑んだ。
 彼が見通せる遠くというのは、どの位遠いのだろう。どこまでも宇宙は広がっていて、彼はずっとずっと遠くを見ている。
「俺が何か見つけられるとしたら、ここにしかないから……なんて、ちょっと、カッコつけすぎかな?」
 口の両端を上に上げて、ジュドーは悪戯っぽく笑った。イーノは微笑んで、首を軽く何回か、横に振った。
 何かを埋められるものなんてない。きっとそうだろう。
 埋められると思ったって、それはそう錯覚しているだけだ。愛も憎しみも、悲しみを喪失を、ほんとうには埋められない。
 イーノだって、エル、ビーチャ、モンドだって、失ったものはあった。それは今でも埋まらないし、きっと一生、この埋まらない穴は塞がらないのだろう。
 それでも。代わりを探すのではなくて、新しいものを掴みとるために、進んで行けたなら。
「まだ、いるの?」
「うん、いるよ。きっとずっといるんだろうって思う。でもさ、俺が忘れなかったら、いなかった事にはならないって思う。だって俺が覚えてるんだから。だから俺、忘れないで、覚えてればいいんだ。そう思うようになった」
 プルもプルツーもハマーンも、グレミー・トトさえ。彼はそうして、抱えたままで、探していくのだろう。
 彼は強いから、出来るから。
 それを助けられない事が、イーノはとても悲しかった。彼と同じものが見られたら、同じものが聞けたら、どれだけそれを願っただろう。
 だけれども、祈りや願いだなんて、必ず叶うわけじゃない。叶わない願いの方が多い。
 ただジュドーが帰ってきたなら、イーノはいつだって、笑顔で迎えるだろう。彼はいつでも旅立っていくだろうけれども、ここはジュドーの故郷なのだから、イーノはいつだって彼を迎え入れるだろう。
 薄ぼんやりとスモッグがかかった夜空には星はない。その向こうに見える宇宙そらの事を思って、それからイーノは軽く口の端を上げて笑った。

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