ワンドロ01 姫抱っこ
世界樹のマルシェから行ける食材の仕入れ場所の一つである秘密の花園は、フェンネルしか詳しい場所を知らない謎めいた場所である。
故に、仕入れのために秘密の花園を訪れる度ごとにランチは、色とりどりに咲き乱れる美しい花々や見たこともない動物たちを(なんとか新しい食材にできないものかと)熱を込めた視線で見つめ回すのが常で、辺りをキョロキョロ見回す事に集中して目的地に移動するのが疎かになってしまうランチが一度はぐれかけてからは、フェンネルはキッチンカーから降りると彼女の手をとって歩き始めるのが暗黙の了解のようになっていた。
その日も、ぷにょん達から食材を集め終わりフェンネルが集めたものを袋にまとめていると、フェンネルの手から離れたランチは辺りをうろうろと歩き回り始めた。
この不思議な色のお花をフェンネルのケーキの上に飾ったらとっても可愛いだろうな。あの虹色の羽の鳥は食べたらどんな味がするんだろう。
彼女の興味はいつも新しい味の追求にしかない。あまり遠くに行かないでねとかけられたフェンネルの声にもはぁいと生返事で応じただけで、フェンネルの言葉など次の瞬間には意識の上から消えて新しい食材探しに上書きされてしまう。
困った子だなと思うけれどもランチのそんなところがフェンネルは案外気に入っている。フェンネルが目の前にいる状況でフェンネル以外の何かに意識を向けられる女性に会ったのはランチが初めてだったから単純に面白いと思ったし、最近では料理のないランチがもし自分に夢中になったらどんな気持ちがするだろう、とふと考えることもある。
自分はゴーマン商事の手の者なのだから不用意に近付かないようにと予防線を張ったにも関わらず、そんな事はお構いなしでランチは他のシェフと別け隔てをせずフェンネルに接したし、何度遠ざけようと冷たい言葉を放っても次会った時には何もなかったかのように親しく語りかけてくるランチにほだされてしまい、語らなくてもいい過去や事情をつい話してしまった自覚がある。
本当は、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。母さんのこと、ゴーマン商事こそ自分達には救いの手であった事。そんな事を話せる女性は今までフェンネルの周りにはいなかった。フェンネルが本当はどんな人間だったとしても、この美しい容姿があればどんな女性でも夢中にさせる自信があったのに、ランチはそうではなかった。
いつも女性に追いかけられるばかりだったけど、僕も本当は追いかけてみたかったのかもね。今までは追いかけたいと思うようなものがなかっただけで。
食材をまとめ終えて、ふと浮かんだ思考にフェンネルは苦笑する。ランチは人の喜びや悲しみには敏感だけど、恋愛感情に関しては本当に鈍感なのだ。他の女性にかけたなら瞬く間にフェンネルに恋してしまうような言葉をかけても、何も気付かないかからかっていると怒るかのどちらかだ。フェンネルがどれだけ本気なのかなどランチは気付きもしない。
フェンネルは焦ってはいない。少しずつ本気なのだとランチに分からせるつもりだ。今まで微笑みかけただけで大抵の女性はフェンネルに恋してしまった(世界樹のマルシェの女性シェフやランチは本当に例外だ)からフェンネルも実は具体的な方策があるわけではないけれども、気付いてもらえるまで粘り強く気持ちを伝えるつもりだ。
荷物作りも終わったしそろそろ帰ろうと声をかけようとした時だった、きゃっという短い悲鳴がそう遠くはない場所から聞こえてきた。
駆け出したフェンネルは程なく、木の根元で座り込んだランチを発見した。大方木の根に足を取られて転んだのだろう。
「大丈夫かい? 周りをよく見て歩かないからそういうことになるんだよ?」
手を差し出すとランチは、若干涙ぐんだ目でフェンネルを見上げて差し出された手をとった。
「ううっ、ありがと……痛っ」
フェンネルに手を引かれて立ち上がろうとすると足が痛んだ様子で、ランチはまた座り込んでしまった。
「転んだ拍子に足首を痛めてしまったんだね」
「そうみたい……でも、これくらい大丈夫……」
「じっとして」
再び立ち上がろうとしたランチの鼻先に人差し指を当てて、フェンネルはそっと呟いた。鳩が豆鉄砲を食ったような素っ頓狂な顔でランチはフェンネルを見上げた。
ランチの鼻先からゆっくりと手を引くと、フェンネルはランチの膝の裏と背中に腕を回して、腰に力を込めて一気に持ち上げた。
「えっ、えええ、ええっ? ちょ、ちょっとフェンネル、近い近い近い、降ろしてよぉ~っ! 自分で歩けるから!」
「降ろしていいの? 地面にこのまま? 痛くない?」
「えっやだ、そっとだよそっと! 普通に降ろして~!」
頬を赤く染めて慌てふためくランチを見ているのはとても楽しい。しばらく、いやずっとこのまま時が止まってしまえばいいのに。ふっと浮かんだそんな思いは苦笑で流す。フェンネルの苦笑いをランチはまた馬鹿にされているのだととったようで、ぷうっと頬を膨らませた。
「降ろさないよ。こういうのも王子様っぽくてカッコいいでしょ? キッチンカーまでだからすぐだし」
「だって、その……重くない?」
「うん、重い」
「もーフェンネルー!! 降ろして!!」
腕の中でランチが軽く暴れるけれども、その様子を見て笑いをこぼしながらフェンネルはキッチンカーまで歩き始めた。
本音を言えば腕の中に捕まえたら二度と離したくない。でもそれをランチがきちんと分かってくれる日がくるまで、ランチが自分からフェンネルの腕の中に飛び込んできてくれるまで、フェンネルは待つ。
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