ワンドロ34 怒る・ユーカリ

「いけません!」
 突然響いてきたのは今まで一度も聞いたことのないユーカリの怒声だった。何が起こったのかとランチは取るものもとりあえず声の方へと向かう。それなりに長い時間一緒に過ごしているが、ユーカリが怒っているところなど今まで一度も見たことがない。嫌な事がないわけではないだろうとは思うのだけれども大抵はいつも笑顔で、時折真剣な顔色や声を垣間見せる事はあるがそれも静かなもので、ユーカリでも声を荒げて怒るということがあるのかというのを真っ先に考えた。
 ユーカリは料理に使う種々の材料が配達され置かれた所にいた。向かいには困り顔のフェンネルが立っている。
「だからユーカリ、僕ならもう大丈夫だから」
「今まで、フェンネルさんはそうやって無理してきたからこんな事になったんでしょう! パン屋は重い小麦粉の袋だって普段からいっぱい運んでるんですから、わたしの方が力持ちです! ブーケガルニさんやディルさんを呼んで来たっていいじゃないですか!」
「それは、そうだけどさ……困ったなぁ、僕から仕事を取り上げないでおくれよ」
 ユーカリが滅多に見せない怒りを露わにしていた相手はフェンネルだった。気持ちはよく分かる。先日フェンネルは雨の中倒れ、一時は生死も危ぶまれるほどだったのがランチとバジルが奇跡的にガラスのバラを持ち帰った事で命を取り留め、つい二日前まで念の為静養させていたのだ。本人の強い希望があったので仕事に戻ってもらったけれども、身体に負担をかけてはまた倒れてしまうのではないかというのはランチでも考える。ユーカリの怒りももっともと言えた。
「ユーカリ、ちょっと落ち着いて、怒る気持ちも分かるけど……」
 間に入ってユーカリの腕に手を添え宥めるランチを見てフェンネルが肩を竦めて困ったように笑った。
「ランチにまで怒られちゃうのかい? 困ったね」
「フェンネル、茶化さないで」
 さすがに今は軽口に付き合う気分にはなれない。反省を促す意味も込めて見つめるとごめんとフェンネルが小さな声で呟いた。
「わたし……フェンネルさんが、フェンネルさんが死んじゃったらどうしようって……ほんとに……」
「そうだねユーカリ、本当に怖かったね。今まで無理させてたのに気付けなかったの、悔しかったね」
 ぽろぽろと涙を零し始めたユーカリの背中をランチはそっとさすった。ランチだって今回の件はもちろんショックだったけれども、それは同じ時を一緒に過ごしてきた皆も同じだろうし、その中でもユーカリはフェンネルと一番付き合いが長いのだ。どうして気付けなかったのだろうという思いは人一倍抱えているだろう。
「分かったよ……ユーカリ、ごめん、もう無理な事はしない。君に心配かけるような事はしないよ。君がそんなに怒るところなんて初めて見たから……」
「そうだよ、フェンネルはケーキを作るだけでも忙しいんだから他の仕事は出来る人に任せて。休憩も一杯していいから」
「そういう特別扱いは嫌なんだけどな……そうも言ってられないね」
 弱りきった顔で特別扱いが嫌だと言うフェンネルの気持ちも分かるけれども、マルシェの責任者としてもランチ個人の感情としても、もしまたという可能性を思うと出来るだけ無理はしてほしくなかった。バジルも充分分かっているとは思うけれどももう一度良い含めておかなくてはと密かに心の中で決める。
「わたしだって……怒ります、腹が立つ事だってあるんです……」
「そうだねユーカリ、フェンネルのこともっと怒っていいよ。ちょっと言ったくらいじゃ全然屁とも思わないんだから」
「ちょっとランチ、それは言い過ぎじゃない? こうやって反省してるのにさ」
「心配させた罰です」
 フェンネルとランチのやりとりを聞いて、まだ涙を零し続けているけれどもユーカリはくすくすと笑いだし、つられるようにフェンネルとランチの頬にも笑顔が浮かんだ。今泣いた烏がもう笑うとは言うけれども、やはりユーカリは怒っているのが苦手なようだしあまり長くは続かないようだった。

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