セレストブルー01
和菓子に使う餡を煮詰めている鍋を見守りながら、リンドウの頭の中を占めているのはキッチンカー奥の居住スペースで昼寝をしている男の事だった。
名はキキョウ。師匠から幾度となく聞かされてきた、まるで芸術品のような和菓子を作り出すリンドウの兄弟子に当たる天才。長い間その和菓子を一目見てみたいと憧れ続けたその人は、とんでもなく口が悪く態度が大きかった。その上、自らもキッチンカーを持ち商売をしている身でありながらキッチンカーを駆逐しようとするゴーマン商事に協力しようとしていた。何を考えているのか全くもって分からない男だし、何を言っても不機嫌な返事が一言二言返ってくるばかりなのでどう接していいのかも分からない。
師匠から聞かされた話によってリンドウ自身の中に作り上げられたイメージと実物の乖離の大きさによる混乱は落ち着いたものの、今後どうすればいいのかというのが一番の悩み所だった。世界中を回るまんぷくマルシェを始めてから各々の故郷を回る中でマルシェを手伝ってくれる追加メンバーも続々参加しているが、寝床などは縁のあるメンバーのキッチンカーを使っている。今度は自分にそのお鉢が回ってきただけだし、キキョウがこんな取り付く島もない男でなければ何も文句はなかったのだが、相手が相手だけに考えただけで息が詰まりそうだった。
どうすれば兄弟子は心を開いてくれるだろう。考えてはみるものの、元々リンドウが得意な分野ではないし、他の者には決して内面まで踏み込ませなかったあのフェンネルの心を開いたランチですらキキョウの態度には戸惑っている様子だった。
マルシェの手伝いをしてほしいという意味で呼んだ筈なのにマルシェに着いたなり他のメンバーに紹介する暇も与えずに昼寝を始めて起きる様子もないキキョウの気配を僅かに感じながら一つ溜息を吐く。雪を踏む音に顔を上げるとランチがこちらに向かってきていた。
「あのねリンドウ……キキョウさんの寝る場所なんだけど……」
「分かっている、俺の寝床を一緒に使ってもらうつもりだ。俺のキッチンカーはミツバのように部屋が分かれているわけではないから兄弟子は不満かもしれないが……」
「んだ? 人のいねぇとこでコソコソ内緒話かよ」
声を潜めて話しているところに後ろから声が上がり、振り向くといつの間にか起きていたキキョウが眠そうにあくびを漏らしていた。
「すいません、兄弟子を起こしてはいけないと思っただけで、決して内緒話をしていたわけでは……」
「このクソダセェキッチンカーで寝るなんて真っ平ごめんだな、こりゃ今からでもゴーマンストアに行った方がいいか」
車内を見回して嫌味たらしくそう漏らしたキキョウの言葉を聞いて、今までそのクソダセェキッチンカーのベッドで寝ていたのはどこの誰だという言葉を飲み込んで頭を下げる。どんなに邪険にされても仮にも兄弟子、失礼があってはならない。
「むさ苦しい所ですが他に場所がないので……俺は床で寝ますからどうか辛抱していただけないでしょうか」
「ちょっとリンドウ、ダメだよ床で寝るなんて……!」
「そこの女は黙ってろ。てめぇが床で寝ようがどこで寝ようが知ったこっちゃねぇが、もうちっとマシな寝床はねぇのかよ。こんな硬いベッドで寝てたら腰をやっちまわぁ」
「他の場所はもう埋まってしまっていて……布団を新しいものに替えますから、それならどうですか」
「……ま、そこまで言うんならいてやってもいいぜ。新しい布団早く買ってこいよ」
大した事でもないような興味のなさそうな顔をしたキキョウは、言うなり手を振りながら再び居住スペースに入っていった。また一眠りするのだろう。しばらく経って物音がしなくなってからおずおずとランチが口を開いた。
「ねえリンドウ……その、本当にいいの? 無理してない?」
「兄弟子が言うようにベッドも元々硬めの布団を使っていたし、床で寝るのもそれなりに慣れている、問題ない」
「私が言うのもなんだけど、なにもそこまでしなくてもいいんじゃないかな……いくら兄弟子さんだからって」
リンドウを見つめるランチの眼は心配げだった。安心させたくて自然に軽く笑みが浮かぶ。
「いいんだ。一緒にいれば兄弟子の技を見ることもできるだろうし、又とない勉強の機会になる。その為なら大した事ではない。それに万一ゴーマン商事に味方されてしまったら大変な事になる。ランチには心配をかけてすまないな……」
「ううん、こっちこそごめんね、私もなるべくキキョウさんに仕事してもらうように言ってみるから、リンドウも言えそうならそれとなく言ってみてくれるかな?」
「ああ、もちろんだ」
頷いてみせるとランチも幾分か安心したようで笑顔が戻った。他の仕事が山積しているランチは駆け足気味に去っていき、再び餡を煮詰めている鍋とリンドウだけが残される。
キキョウが起きている内に布団を買いに行くのと引き換えにこの鍋を任せれば良かったと今更思い至る。キッチンカーを敵視するオニオンに対する危機感もなくこのまんぷくマルシェに対する思いも全くないように見えるキキョウに、どう仕事を手伝ってもらえばいいのか。どうにかいい関係を築いてはいきたかったが今はその糸口すら全く見えなかった。
結局夕飯の時間までキキョウは昼寝するかその辺りをフラフラするかして過ごし、夕飯の席でようやく他のメンバーに引き合わせることができた。メンバーが揃ったところでランチが紹介を始める。
「こちら、マルシェを手伝ってくれることになったキキョウさん。リンドウの兄弟子さんなの。みんなよろしくね」
「誰が手伝うっつった……ええと、なんつった」
「ランチです、覚えてください! あと食べた分は働いてもらいますから! そこのバジルくんだって食べた分は働かなきゃって頑張ってるんですから少し見習ってください!」
ランチが指し示したバジルがにへらと笑うが、不機嫌そうなキキョウの顔を見た直後ひぃっと短く声を上げて固まった。
「分からない事があれば気軽に聞いてください。とりあえず今日の夕食の後片付けからお願いします」
「だから、誰が働くっつったんだよ」
「働かざるもの食うべからずです。それとも食べないで寝ますか?」
はっきりとランチに宣言されて、キキョウは目の前のテーブルに並んだ料理を見下ろした。ほかほかと湯気を上げおいしそうな匂いが辺りに立ち込めている。ごくりと一つ唾を飲み、キキョウはちっと舌打ちした。
「わーったよ、やりゃあいいんだろやりゃあ」
「お願いしますね。じゃあみんなお待たせ、食べよ! もうお腹ぺこぺこだよ~」
満面の笑みを浮かべたランチと苦々しい顔をしたキキョウが席に着き夕食が始まる。夕食の後片付けという軽い仕事とはいえあのキキョウに仕事する事を承諾させてしまうとはさすがランチだった。これからキキョウに仕事してもらう糸口を掴んだような気がしてリンドウの頭を悩ませていた重い問題も少しだけ軽くなったような心地がした。
夕食が終わり、キキョウと元々食器洗いの当番だったブーケガルニを手伝って水場まで食器を運び戻ってくると、マルシェのメンバーは一様に戸惑っているようだった。
「大丈夫かいバジル」
「ぼく……ちょっとあの人怖いっす……仲良くできるか自信ないっす……」
「あひっ……怖かったです……」
「確かに、ちょっとヤバげな雰囲気だよね……やる気なさそうだし」
バジルとミツバとマジョラムがそれぞれ不安を漏らすが、それに反論する言葉はリンドウにはない。同じ不安をリンドウもまた抱えているからだ。
「確かにちょっとこのマルシェに馴染むまでには時間がかかるかもしれないけど……でも時間をかければ絶対みんなみたいに仲良くなれるよ! それに、リンドウに何回か聞いたんだけどキキョウさんは天才的な技術を持ってるって、だからこのマルシェに必要な人になるって思うんだ。私頑張るから、だから、今はそっと見守っていてほしいな」
「まぁ……ランチがそう言うなら」
ランチの力強い言葉に不安を口にしていたマジョラムも頷いて、張り詰めていた空気が幾分和らいだ。
「そうです、きっと大丈夫ですよ~! 今はまだ来たばかりで緊張しているのかもしれませんし~! 美味しいものを食べたから、きっとご機嫌も直ってますよ~!」
「あはは、ユーカリじゃないんだから。でも確かにランチの言う通り、時間が経てば馴染むんじゃないか? わたしも新入りだけどなんだかずっとここで一緒に働いているような気分になってるからさ」
続くユーカリとネリネの言葉に皆に笑顔が戻るがリンドウの心は晴れなかった。自分の憧れと天才の技術をあわよくば盗みたいというそれだけを理由に、和を乱す存在を引き入れてしまったのかもしれないという後悔がじわじわと胸を黒く蝕む。
「すまないランチ、ありがとう……」
ランチの横に腰掛けてそっと礼を言うと、ランチはううん、と首を振った。
「さっき言ったのは本当に思ってる事だから。マルシェの為にもなってリンドウだって夢に近付けるし、それにまんぷくマルシェの仲間が増えるならそれは嬉しい事じゃない? だからリンドウにありがとうって言わなきゃ」
そう言って優しく微笑んだランチの姿は眩しくて、正視できずにリンドウは横に目線を逸らした。ランチが相手だとしばしばこんな風に胸が高鳴り締め付けられたようになる。その気持ちの正体は前々から自覚しているけれども、自分の未熟さを思えば伝える気になど到底なれなかった。リンドウにとって今大事にしなければならないのは一人の職人としてしっかりと自立する事と、もっと目先の話をするならゴーマン商事とのファン争奪バトルを勝ち抜く事だ。男として独り立ちできなければ、想い人と幸せになる事もできない。だから今は、その時ではない。
自分の気持ちをランチにいつか伝えたい。だがそれはランチを縛る鎖になってしまわないだろうか。動きを封じる重荷になってしまわないだろうか。
それらしい理由を付けてはいるけれどもただ単に伝える勇気がないだけなのかもしれない。その思いもまた、リンドウの心を薄暗く曇らせた。
その後明日の仕込みも終わり夜も更けた頃、着替えの為にリンドウがキッチンカーの居住スペースに入ると、ベッドの上で肘を着いて寝転がり既に寝る体勢に入っていたキキョウにじろりと一睨みされる。
「あの、すみません兄弟子……着替えさせていただいてよろしいでしょうか」
「チッ……すんなって言ったらしねぇのかよ」
「いやそれは……困りますが……どうかお許し願えませんでしょうか」
「好きにしな」
何やら品定めでもするかのようにキキョウが目を細めたのは気に掛かったが許しは出た。ありがとうございますと一礼してからリンドウはブーツを脱いでスリッパに履き替え、上着とエプロンを脱ぎ、袴の紐に手をかけた。
「おめぇ、あれだろ、あの女に惚れてんだろ」
唐突なキキョウの言葉にリンドウの手は止まった。瞬時に頭の中がひどく混乱して真っ白になる。何か言いたいのだが言葉が一つも出てこないし喉も思うように動かせない。何故突然そんな事を言い当てられなくてはならないのか全くもって分からない。
「なっ、なな、な……なに、を……」
「ハッ、図星かよ。あのちんちくりんのへっぽこアドバイザーのどこがそんなにいいんだか、酔狂な野郎だな」
「……ランチは、決してへっぽこなどではありません。訂正してください」
へっぽこアドバイザー、その揶揄を聞いた途端に頭の中がすっと冷えた。兄弟子に当たる人に失礼があってはならないと低姿勢を貫いてきたが、ランチを悪く言われるのだけはどうにも我慢ならなかった。
「へっぽこだろうがよ、見てくれだけ派手なゲテモノ料理で客引きしてんだ、そんなんに乗っかったら桃栗堂の看板にも傷が付かぁな」
「自由な発想で食材が組み合わせられた新しい料理です! 味は確かで世界のあちこちにファンも既に沢山います、何も知らないのにそんな事を言うのはやめてください!」
つい声を荒げてしまったが、つまらなさそうな表情をしたキキョウの冷たい視線を受けて、言い過ぎたかという思いが過ぎる。だが言い過ぎでも構わなかった。上っ面を見ただけでランチをそんな風に言われるのは我慢ならなかった。これ以上ランチを侮辱されるぐらいならここで訣別しても構わないとまでリンドウは思っていた。
「……そうがなり立てなくても聞こえてらぁな、うるせぇ口だな」
顔をしかめてそうぼやくとキキョウは唐突に立ち上がった。狭いキッチンカー内の居住スペースの事、二歩三歩歩けばリンドウの眼前まで辿り着いてしまうがキキョウはそのまま立ち止まらず歩き続け、押し出される形で後退ったリンドウは壁際に追い詰められた。上背もリンドウよりあるがそれ以上に纏った空気がひやりと冷たく、リンドウを見下してくる目線は有無を言わさぬ鋭さがあり、それらの合わさった威圧感に圧倒されてしまう。だがそんなものに負けてはいられない、未熟な自分についてなら何を言われても構わないが、まだよく知りもしないランチの事を好きなように言われるのはどうしても嫌だった。その思いを込めて負けじとリンドウもキキョウの眼光をその眼で受け止めた。
「なんでぇその目は、オレに楯突こうってのか」
「そんなつもりはありませんが、ランチを悪く言うことだけはやめてください。彼女は誰にもできない立派な仕事をしている、それを侮辱する権利は兄弟子にもありません」
「まだ言わせんのか、どんだけうるせぇんだよこの口は」
冷え切った声で吐き捨てるとキキョウはリンドウの顎に手をかけて顔を上向かせ、何をする気かとリンドウが思った次の瞬間には唇を奪われていた。
全く予想だにしなかったキキョウの行動にリンドウの思考は驚愕と困惑で完全に真っ白になり、何も対応できないままキキョウの舌先が唇の隙間を割って口腔内に侵入してくるのも許してしまう。口腔を好き勝手に掻き回されて舌を絡め取られ、歯茎の裏を思いの外丁寧になぞられると今まで経験した事のない電流の走ったような刺激が背中を駆け上がって脳髄を痺れさせて、口を塞がれた息苦しさも相まって酸欠になってしまったかのように頭がクラクラして視界が定まらなくなる。
どれくらいの間そうしていたのかリンドウが分からなくなった頃、キキョウはようやく口を離した。やっと口から呼吸できるようになり、荒く浅い呼吸を繰り返すが息苦しさとそれから、体全体が刺激に過敏に反応してしまうようになっているような感覚は収まろうとしなかった。
「なかなかそそる顔するじゃねぇか。もしかしてこういうのは初めてだったか?」
最早何を言われているのか言葉を咀嚼し理解するような余裕もリンドウにはなかった。自分がどんな顔をしているのかを気にしたり想像したりする事もできない。何も言えずに荒い息を吸っては吐くを繰り返すだけのリンドウを見て、キキョウはおかしそうに口の端を歪めてくっくっと笑いを漏らした。
「黙らせたいとは思ったがこんなに効果があるたぁ思わなかったぜ。その様じゃあのへっぽこアドバイザーにも粉の一つもかけられてないんじゃねぇのか?」
「へ……へっぽこでは……ないと……」
「まだそんな口が聞けるたぁ、これっぽっちじゃ躾が足りねぇか? いいぜ、二度とそんな口が聞けねぇようにとことん躾けてやるよ」
そう告げるとキキョウは長い睫毛に彩られた眼を細め、艶やかに笑んだ。フェンネルの輝かしく眩い美しさとは違う、ぞっとするような凄絶さを孕んだ美貌だった。これ以上何をするというのだろう、とにかく逃げた方がいいというのはリンドウにも理解できたが、のろりと脚を動かした刹那手首を取られて引き倒されベッドの上に転がる。体を起こそうとした上からキキョウの両手が肩をベッドに押し付けて伸し掛かられる。何を、と問う間もなく再び塞がれた唇に強引な舌先が割り込んできた。
ゆるゆると首を振って必死に逃れようとするが、細く見える体つきからは想像も付かない力でがっちりと肩を固められて振り払うことはできない。息苦しさと眩みで力がこもらない腕で引き剥がそうとしても無駄な足掻きだった。
頭がぼうっとして体温も幾分上がっているような感覚がある。息苦しさから解放されたいあまりに目尻に涙が滲んだが、キキョウは一向にリンドウの唇を解放しようとはせず、甘ったるいような疼きがじわじわと体を蝕んでいく。
再びどれほどの時間をかけたのか分からない接吻が終わると、肩を押さえつけていた筈のキキョウの手は既に離れていて、その代わりに作務衣が大きくはだけられていた。息も絶え絶えのリンドウを見て満足気に笑ったキキョウは、リンドウのうなじに顔を埋めた。
「あ……あっ!」
うなじを舐め上げられた刺激に耐えきれず体がびくついたばかりか声を押さえきれずに上げてしまった事実が微かに残る理性を苛む。そればかりかそれ以上の刺激をもっとと頭のどこかが感じているのがたまらなく嫌だった。こんな事を望んでなどいない、理性と本能がどんどん乖離していき噛み合わなくなって、ただでさえ混乱していた頭がより働かなくなっていく。
首筋を探るにようにつうっと舌先が撫でていき、そうかと思えば気紛れに強く吸われて甘く食まれる。ランダムに与えられるそれぞれ種類の違う感覚にリンドウはただ翻弄され、声を上げてしまった場所を中心にねちっこく繰り返される責め苦につい上がりそうになる声を押し殺そうとして叶わずくぐもった声を漏らし続けた。意識が段々キキョウに与えられ続ける刺激にしかいかなくなり、他の事は考えられなくなっていく。
ぼんやりした頭の中にランチの姿を浮かべようとしてもはっきりとピントが合わない。自分の想いも伝えられていないのにまだそんな段階ではないと思いつつランチと体の関係を持つ夢想をしなかったといえば嘘になるが、こんな風にすればランチはどんな反応を見せるだろうと妄想していた事を今日会ったばかりの男にされるなど想像もしていなかった。あまつさえまだほとんど何も知らないこの男から与えられる悦楽に体は溺れようとしている。憧れを砕かれ、好意もほぼ持っていないこの男に。己の心が弱いが故にこんな様を晒しているのだろうか。考えれば考えるほど思考は泥沼に嵌っていって、抜け出せなくなっていく。
「もっ……もう…………やめて、くださ……兄、弟子……」
「んだ? この程度で音ぇ上げてんのかよ、お前チョロすぎだろ。まだまだこんなもんじゃねえぞ」
艶を帯びた低い声が耳元で囁く。耳朶にかかる熱い息遣いにすらリンドウの身体は思惑とは関係なく反応した。なんとか逃れようと身体をくねらせても力の入らない腕で空を掻いても、何の抵抗にもなっていない。体の中心に蟠る疼きは強さを増していくばかりで、甘くとろけてしまいそうな感覚に襲われる。こんな事を望んではいないのにという思考が一層胸を締め付けて、息苦しさは組み敷かれてしまっている屈辱の故なのか間断なく与え続けられる刺激の故なのかももう判断はつかない。
「なん、で……こんな、ことっ……」
「てめぇがギャアギャアうるせえからっつったろ。もう口答えしねえってんならどうするか考えてやらねぇでもねぇがな」
問いかけると、ようやく首筋から顔を上げてキキョウがリンドウを見下ろした。何の感情もこもっていない空虚な視線を向けられ、ぞくりと背筋が凍る。
「……それは、できま、せん……」
「そうかよ」
いくら兄弟子の言葉とはいえランチを侮辱されるのは耐え難い。必死の思いでリンドウはキキョウの提案を跳ね除けたが、キキョウは何の感情も読み取れない平板な声で返事を返すと、リンドウの露出した胸元に舌先を伸ばした。鎖骨に沿ってつぅっと舌先が動き、望まぬ快感がまたぞろリンドウの身体を支配する。
「んぐっ……ふ…………」
「我慢しねぇでアンアン喘いだっていいんだぜ、おめぇのその感度の良さ女にだってなかなかいねぇぞ」
「んん……っ……」
「ふん、強情なのも嫌いじゃねぇがよ、いつまで我慢できるか見ものだな」
言いながらキキョウの舌先は胸板を下っていく。今の内にキキョウを振りほどこうとリンドウは呼吸を整えようとしたが、皮膚が薄くなっている乳輪のあたりをぞろりと舐め上げられると鋭い電流が走ったように背中がしなった。
「ああっ、は……ぁ」
「ほらな、その反応だろ。おめぇのその反応の良さはなかなか気に入ったぜ」
くぐもった笑いを零しながらキキョウは、左の乳首をねぶり時に甘噛みしつつ、右の乳首を細い指先でこねくり回し摘みたまに爪を立てた。過剰なほど敏感になってしまっていた場所を責め立てられて、もう抑える事も叶わないほど甘ったるい声がリンドウの喉から立て続けに溢れた。
「んぁっ……あ、ああっ……やめ、んん……っ」
「いい声出すようになったじゃねぇか、ほれ、もっと啼いてみせろや」
「はぁん……あっ、んん……あぁっ……」
キキョウの言葉は心外だが反論する余裕もリンドウには残っていない。体の奥から脳髄を突き上げてくるような悦楽に身体は支配されてキキョウに言われるがままに言葉になど到底ならない甘ったるい声を上げることしかできない。こんなのは嫌だ、僅かに残った理性がそう叫び訴えるけれども身体はまるで思うようにならず、受け止めきれない現実が感情の許容量を超えて涙になって目尻を流れていった。
「んぐっ……ん、は…………も、やめて、ください……っ……兄弟子……」
「なんだおめぇ、泣いてんのか……チッ、一丁前に煽ってんじゃねぇぞ」
「そ、んなっ……つもりは……っ……」
「もっと面グチョグチョになるまで泣かせたくなるだろうが、そういうのを煽ってるってんだよ」
言うとキキョウはリンドウの顎に指をかけて持ち上げ、唇を合わせて再び思うままに蹂躙していく。同時にリンドウの上体をまさぐる手が段々と下へと降りていき、袴に手がかかる。
「んんっ、んっ、んーっ……!」
口が塞がれているため鼻声を上げて必死に身を捩るが、キキョウの指先は器用に袴の帯の結び目を解いていき、緩められた袴と肌の間に手が滑り込んでくる。
「ああっ、は……やめ、ああぁっ!!」
下腹部に熱がこもり血が集まっていく感覚は感じていたが考えないようにしていた。それを、キキョウの手がそっと撫ぜることによって形も硬さも暴かれていく。一番感じてしまう場所を触られた言い様のない快感と果てもない羞恥とがないまぜになってびくりと背が跳ね上がる。
「いや、です……あっあっ、あぁっ……」
「こんなにしといてよく言うぜ。ホントはもうイキたくてたまらねぇんだろ?」
「ちが……うぁあっ……あ……」
否定はリンドウの希望で、身体は裏腹にキキョウの言葉通りに一刻も早く達したがっていた。早くこの熱に浮かされたような状態から解き放たれてしまいたい、そればかりが頭の中を満たす。気持ちと身体が乖離した感覚と混乱は一層深まっていって、訳も分からずに涙が止めどなく溢れる。
「まぁイかなくてもいいってんならいいんだぜそれで、ずっとこのまま中途半端なままで悶えてぇとは奇特な奴だな」
薄く笑みを浮かべたキキョウは口を動かしながらも今にも爆発しそうなリンドウの猛りを掌で撫でさすり続ける。もっと激しい動きならば達することができるのに緩やかに与えられる刺激があまりにももどかしくて、苦しいまでの悦楽にリンドウは顎を上げ身をよじる。キキョウに屈してしまうのは嫌だが、これ以上はもう頭がおかしくなってどうにかなってしまいそうだった。
「も、もう……許して……くださ……うんっ……ああぁ……」
「そんなんじゃダメだな、もっとちゃんとおねだりしてみな」
「……き、たい……」
「そんなボソボソ言われても何言ってんだか全然聞こえねぇぞ」
リンドウを見下ろすキキョウの顔は嗜虐的な笑みを浮かべている。羞恥で全身がまた熱くなるが、それすらも擦られ続ける恥部を更に感じさせるだけだし、これ以上焦らされるのには耐えられない。
「も、もう……イキたい……です……お願い、します……」
浅い息の間からようやく告げると、キキョウは満足気に笑みを深めた。顔を近付け、低い声で囁きかける。
「ようやく素直になったじゃねぇか。さて、どうするかね」
「そ……んなっ、ううっ……ぅ……」
「くっく……いじめがいがあって面白ぇな、おめぇはよ」
いいように弄ばれているのは分かっていたが今はもう達する瞬間の事しか考えられない。お願いです、と再び口にするとキキョウはふぅんと面白げに鼻を鳴らしてから、仕方ねぇなと呟いた。すぐにリンドウの袴と下着を脱がしにかかり、あっという間に下半身は何も纏っていない状態になった。ひやりとした夜気に火照った肌が晒され、勃起した恥部を他人の目に晒しているという事実を思い出してまた羞恥が募る。
「ほらよ、もうイッていいぜ」
「……え……あの……」
「見ててやるから自分でやってみせろよ、ほらさっさとしな」
言いながらキキョウはリンドウの脚の間に座り込んだ。困惑と羞恥でますますリンドウの頭の中は混乱してしまうが、触っただけで達してしまいそうなほど張りつめたものを早くどうにかしたいという欲求があまりにも強すぎて、どうにもやるしかないようだという結論に至らざるをえなかった。
意を決して、おずおずと昂りに手をかけ、ゆるゆると上下に擦る。そうなればもうキキョウの視線など気にならない程の快感が脳を焼いて、リンドウはその単純作業に夢中になった。
「んっ……くっ、も、もう……っ、イクッ……!」
既に極限まで張り詰めていた昂りが熱を吐き出すまでにそう長い時間は要しなかった。腹の上に吐き出された白い熱を拭き取らなければという考えに至れないほど溜めに溜め焦らされてからの射精の余韻は長く深く続いた。
息も整わず呆然としたままのリンドウの腹の上の精液をキキョウは指先でひと掬いして、リンドウの緩く開いた唇の中に差し入れる。
「おら、しっかり綺麗にしろよ」
差し入れられた指はぐりぐりとリンドウの口の中を動き回り犯す。
「んぐっ……んんっ……」
「おい、まだ終わってねぇぞ、寝んなよ」
キキョウのその言葉に、ぼんやりした頭が急に冷える。これ以上何をされるというのだろう。もう十分すぎるほどの仕打ちを受けたし、正直言ってリンドウは今とても眠い。心の底からこのまま寝かせてほしい。
「そんな……ことを……、言われても……」
「テメェだけ気持ちよくなってんじゃねえよ、今度はオレの番だろうが」
そう告げるとキキョウは着流しをたくし上げた。先程脱いだのか下着は着けておらず、上を向いてそそり立った屹立がリンドウの視界に入る。確かに自分だけ達しておいてキキョウを放っておくのは言われてみればおかしい気がしたが、だからといって何をどうすればいいのかは皆目見当もつかない。どうしたものかと戸惑っていると、キキョウはリンドウの両膝の裏に両腕を入れて持ち上げた。
「あ、兄弟子……何を……!」
恥部をキキョウの視界に晒すことになるその姿勢に慌てて脚を閉じようとするが、今まで味わったことのないような絶頂に追い込まれて脱力した身体には力は入らず、まるで赤子がおむつを替える時のような姿勢をとらされる。
「あぁ? することなんざ一つに決まってるだろうがボケが。おぼこい事言ってんじゃねぇぞ」
抑揚のない平板なキキョウの声がそう宣告すると、燃えるような熱を持った硬いものが股座に押し当てられる。まさか、嫌な予感ばかりが頭の中に渦巻く。それは無理だ、入るわけがない。ひやりとした恐怖が背筋を撫でる。
「あっ、兄弟子っ……そんなの、無理です……やめてください……!」
「最初はそう思うかもしれねぇが案外できるもんだぜ、まぁちっとばかり痛いかもしれねぇがな」
言うとキキョウはリンドウの反応を楽しむような嗜虐的な笑みを再び浮かべた。何を言っても無駄だ、その事実から湧き上がる恐怖が絶望に変わって胸の内を蝕んでいく。
「おら、入れんぞ、力抜いてた方が身の為だぜ」
その宣告が終わるか終わらぬかの内に固く閉じた後孔を割り開いてキキョウの優美な見た目にはそぐわない剛直が侵入を開始する。
「あがっ……ぐ…………んんっ……いた……痛いっ、無理、です……」
「おら、そんなに力んでたんじゃ入るもんも入らねぇし余計痛いだけだっての、力抜け」
力ずくで無理くりに侵入され、身体を裂かれるような痛みが走り止まっていた涙がまたじわりと溢れてくる。力を抜けなどと言われてもそんなことは無理だった。呼吸がまともにできなくなって浅い息を繰り返し吸って吐くが肺にまで入ってこない。じわじわと身体の内側にめり込んでくる固く熱い感触のもたらす感覚は全く未知のもので、そこに生じる熱がじわじわと身体を侵していくのを感じる。
「も、無理……ゆるし……ぐぅっ……」
「二度と逆らう気が起きねぇぐらいしっかり躾けてやるっつったろ、これくらいで音ぇ上げてんじゃねぇぞ」
リンドウの涙混じりの懇願を冷たく切り捨てて、キキョウはぐっと強く腰を押し込む。強い衝撃が身体を駆け抜けて、裂けてしまうという短い言葉を頭に浮かべるのがやっとだった。だがそれもすぐに掻き消えてしまうほど硬い質量に内蔵を直接触れられる異物感は圧倒的で、胃の腑の辺りがひっくり返りそうな気持ち悪さを覚える。
「ほらな、ちゃんと全部入っただろうが」
「も…………無理、です…………抜いて、くださ……あぁ……っ」
「ふん、お気に召さなかったと見えるな、まぁいいぜ」
一つ息をつくとキキョウは言葉通りにゆっくりと中に突き入れたものを引き抜いていく。その感触に排泄時に感じる一種の恍惚感に似たものを遠く感じながらやっと終わるという安心感をリンドウが噛み締めていた時だった。半ばまで引き抜かれたものがまた一気に突き入れられ、何が起こったのか理解する間もなくリンドウは背中をしならせた。
「がっ、あ、ああっ……!」
「なんて言うとでも思ったか? 誰が途中で止めるかよ。ククッ、マジで笑えんなぁおめぇ」
「ああっ、あっ、あ、んんっ、んぁあっ」
キキョウの嘲笑は開始された激しい抜き挿しの衝撃に紛れリンドウまで届かなかった。奥を突かれるたびに壊れた機械のように繰り返し短い声を上げる他は何もできない。視界が白んでぼんやりと輪郭が揺らぐ。世界を知覚する手段が絶たれたような感覚の中で、ただ自分の中に繰り返し捻り込まれる固く熱いものが内壁を飽きるほど何度も擦り上げていくえも言われぬ感触だけをはっきりと感じ取っていた。内臓を抉られる吐き気と痛みの他に、甘やかな痺れがある。身体の中心から指先へとじわじわ侵食してくるその痺れは、ふわふわとした高揚感のようなものを生み出す。
愛情も労りも思いやりもないただ欲望を満たすだけの行為に身体が反応してしまっていることがたまらなく悔しい。ただ痛くて苦しいだけのものと思えればきっと今よりは楽だった。だが現実にリンドウの喘ぎ声は甘やいだ艶を帯び始め、中を突かれる毎に感じる感覚も快感であると分かるようになってきている。
「……もしかしておめぇ、感じてんのか。無理矢理される方が燃えるタイプか」
「ち、ちが……っ、い……んんっ、あっ!」
「いいね、そそるぜその顔。もっといじめ抜いてやりたくなるな」
「も……ゆるし、いんっ……んっ、あっあっ……」
何も分からなくなり涙でぐしょぐしょに濡れたリンドウの顔はキキョウの嗜虐心を余計に煽ったようで、突き上げる力と速度が一層増す。息つく間もない激しい波に飲み込まれてリンドウは吐き出しそうな拒絶感と今まで感じたことのない悦楽に心を引き裂かれ、激しさを増す突き上げを混乱の極みの中で受け止めるしかできなかった。
「くっ……そろそろ、出すぞっ……、一滴だって漏らすんじゃねぇぞ」
「ああっ、あっ、いやだっ、あっ、あ、ああっ」
力のない拒絶は届くわけもない。キキョウがより深くまで突き入れようと腰を密着させ、リンドウの中で膨らんだものが弾ける。
「あああっ、ひっ……ああぁっ……」
中に放たれたものの熱さに全身が悶えて背筋がしなる。何回か脈打って吐き出し切るとキキョウはゆっくりとリンドウの中から自身を引き抜いた。中を満たしていたものがずるりと抜ける感覚にリンドウは恍惚の中でまた身震いし、吐き出された精液がどろりと垂れる感触を覚えた。
「あーあ、漏らすなっつったろ。こりゃまた躾が必要か?」
キキョウのくぐもった笑い声が聞こえる。そんな無茶な事をという反論を口に出す余力ももうリンドウには残っていなかった。重い瞼は気付かない内に閉じ、世界が暗転する。
ぱちりと目が開いて覚醒したリンドウがまず気付いたのは、眼鏡をかけたまま寝てしまったという事と隣に感じる温もりだった。
まるで抱きまくらでも抱くようにキキョウの腕と脚がリンドウの身体に絡みついていて、身動きがとれない。
首を動かしてベッドの横に置いた棚の上の時計を見るといつもの起床時間だった。もう起きて朝の仕込みと開店準備にかからなければならない。汗と精液にまみれたどろどろの身体のままで寝てしまったし、ずいぶん泣きじゃくってしまったので顔も酷い事になっているはずだ。身体を洗って身なりを整える時間を考えても今すぐ起きなければならない。
「あの、兄弟子……起きてください、もう朝です」
「んん……んー…………」
おずおずと声をかけるがキキョウはぼんやりとした寝惚け声を返すだけだった。それならばと腕に手をかけ引き剥がしにかかるが、腕をずらそうとするとしがみつく力が強くなる。
参った、これでは起きられない。心底困ってはいるもののリンドウは悪い気がしていない自分に少し驚いていた。
昨日の出会いも夜の事も最悪だった。それは間違いない。この男と上手くやっていける自信はますますなくなったし、これからどう接していいのかも分からない。だが、母を求める子のように温もりに縋り付いて安らかに眠るキキョウを見ていると、どうしても憎みきれなかった。
体温の温もりは、触れ合った互いが感じ合うものだ。だからつまりリンドウも今隣に眠る人の体温を感じている。
これからどうすればいいのか、そして当面の問題として今起きるにはどうすればいいのか。いい考えも浮かばずに、リンドウの口からは自然と溜息が漏れていた。
コメントを送る