堕ちる、浮く、甘い沼
いつものようにベッドの上に引き倒した弟弟子は、抗議するでもなく怒るでもなく悲しげに目を細めてこちらを見た。その視線がまるでこちらを憐れんででもいるように感じられて無性に腹が立った。
「やめてください……お願いですから、兄弟子……」
「嫌だね」
口では嫌だやめろと言う割には大した抵抗をするでもない。こいつはいつも口ばかりだ、そんな苛立ちがいつものように湧き上がる。苛立つほどに頭の芯がすうっと冷えていくように感じる。徹底的に無茶苦茶にしてやらなければ収まらない、腹に据えかねているのに驚くほど冷酷に冷静にそう考えている。縋るように見上げてくる視線が鬱陶しくてたまらない。どうしてお前はそんな、答えの返ってこない疑問が胸に渦巻くのが厭わしくてたまらない。身を裂くような激情と凍るような酷薄さは同居して眼前の対象に向けられる。
こいつはいつも口ばかりだ、少しばかり感じさせてやればすぐに悦がって言いなりになってしまうくせに、嫌だとかやめろとか望んでいないとかそんなつまらない事を言い募る。望んでいないから、嫌だからやっているのだ、傷付けて滅茶苦茶にしてしまいたくてやっているのだ、やめてほしいなどと言ってそれがやめる理由になる筈がないではないか。
ちょっと遊んでやろうと手を出しただけのつもりが、最早遊びでは済まされないほどに憎んでしまっている。激しい憎しみがきりきりと胸を締め付ける。何も知らずに師匠の愛を受けて育ち無邪気に和菓子を愛し作ることのできるこの弟弟子が、心から憎くてならない。どうしようもなく傷付けて笑顔を曇らせ絶望させてやりたい、そんな仄暗い望みがキキョウを突き動かす。
作務衣の留め紐は簡単に外れるし脱がせるのにも抵抗するでもない。リンドウはただ悲しそうな目をしてこちらを見ている。その視線がたまらなく気に障った。まるで憐れまれてでもいるようでみじめな気持ちになる。どちらが上でどちらが下の立場なのかをしっかり教えてやらなければならない、そう思わされる。袖がするりと腕から抜け落ちて上半身を露わにしたリンドウの肩を掴み、後ろの壁へと押し当てる。リンドウが何か言い出そうとするのになど構わずに半開きの唇を塞いでしまう。
どうせこういう時にこいつの口から出てくる言葉といえばやめてくれだとか嫌だとかそんなつまらないものばかりなのだ。それに対する己の返答も決まりきっている。それなのに聞く価値などどこにあるだろう。
深く口付けて口腔の粘膜を隈なく舌でなぞり逃げ惑う舌先を絡め取れば、呆れるほど簡単に甘ったるい吐息がリンドウの鼻から漏れ始める。逃れようと弱く左右に振れる首を逃さず、舌を絡め合う甘ったるい感覚に酔う。この感覚を与えてくれるならこいつでなくても相手など誰でもいい、ただこの甘さと熱に浸っていたい。こうして他者の熱を感じそれに煽られるように熱く燃え上がるその間しか、自分が生きているのだということをキキョウは感じられなくなってしまった。その事を悲しんだり歯噛みしたりはしないけれども、己の体温を上げてくれる誰かが必要になってしまった。そうしないと、己が温かいのか冷たいのかすら分からなくなってしまった。
まるで縋っているようだ。それは違う、キキョウはリンドウを完膚なきまでに傷付け立ち上がれぬほどに叩き潰したい。こんな奴に縋らなくても一人で生きていける、体温を感じさせてくれる誰かが一時通り過ぎるだけでいい、そうすれば自分が生きていると分かる。
じっくりねっとりと口内を嬲り尽くして口を離すと、リンドウの顔から首、肩にかけては白い肌にさっと朱を刷いたように色づいて情慾を唆った。目を潤ませて甘い吐息をつき肌を色づかせる、こんな反応を見せて望んでいないと言われたところで誰が信用できるものか。心はどうか知らないがこの人一倍感度のいい身体は男を受け入れるその時を待ち侘びている。規範を重んじ理性の堅牢なリンドウが己の理性と快楽に弱い身体のギャップに思い悩めばそれこそキキョウの思う壺だ。どこまでも苦しんで苦しんで、その内に壊れてしまえばいい。
「大分欲しそうな顔になったじゃねぇか」
「こんな事は嫌です……お願いです、もう、やめてください……」
「断る」
冷たく言い放つとリンドウの顔は苦しげにくしゃりと歪む。いい気味だ、と思った。胸がすくような思いとはこういう感情の事を言うのだろう。
もっと汚して絶望させてぐちゃぐちゃにしてやりたい。何もかもぶち壊してやりたい、滅茶苦茶になってしまえばいい。
いっそこいつを壊してしまえばこんな衝動からも解放されるのだろうか。キキョウ自身にも分かりはしなかった。否、分かっている、目の前の何の罪もない男をどうこうしたところで何も解決されないのだという事は。それでも何もせずにはいられなかった。
まるで縋り付くように首筋に唇を寄せ滑らかな皮膚を舐め上げ甘く食めば、いとも容易くリンドウの鼻からは甘やいだ吐息が漏れ出す。嫌がっているなどという戯言をこれでは誰が信じるだろう。脚の間に膝を割り入れ熱を持ち始めているものを擦り上げれば上ずった声がいくらでも漏れ出てくるというのに。手早くブーツを脱がせ、衣服を剥ぎ取り床に放り捨てる。微かに震える白い膚を晒して、それでもリンドウは抵抗しようとはしなかった。嫌だというのならばそれなりの対応をすればいいのだ。何もかもを受け入れて悦んですらいるくせに嫌だやめろなどと言われたところで口ばかりの奴としか思えない。
リンドウはただ悲しそうな顔をして俯いている。まるで憐れんでいるようなその態度がどこまでも気に食わなかった。
リンドウの肩を引っ掴んでベッドの縁に座らせ、帯を解いて袖を滑り落として着物を脱ぎ下帯も解いて放る。
「しゃぶれよ」
後頭部に手をかけ軽く引き寄せると、リンドウは逆らわずにまだ柔らかい陰茎の根本をそっと持ち先端を口に含んだ。雁首をぐるりと舐め回した後裏筋へ、動きにぎこちなさと辿々しさはあるが教え込んだ通りの舌運びでリンドウは口の中のものを高めようとする。どうしてそんな事をするのかが分からなくてキキョウの中の苛立ちはますます募っていく。
憎み嫌えばいい、嫌ならば拒否すればいい。どうして弱々しく言い募るばかりでこの男は拒絶の姿勢を本気では見せないのだろう。
したくもない舌打ちがひとりでに鳴った。胸を灼く苛立ちに任せてリンドウの髪を鷲掴み腰を押し付け、リンドウの口の中で大分大きくなったものを力任せに喉の奥へ捩じ込む。嘔吐反応が出たのかえずき咳き込む声が潰れていようが関係なかった。腰を引き強く打ち付けまるで性器のように口内を扱い犯す。こんな事をしても気など晴れないし苛立ちは増々募るばかりだと分かっているのにそうせざるをえなかった。苦しげに顔を歪めて目尻に涙を溜めながらも懸命に舌を絡めてくる目の前のこの男に対する苛立ちは、どうすれば晴れるのだろう。憎しみも怒りも拒絶も拒否も向けられることはなく、まるで相手にされていないような気になり苛立ちばかりが降り積もっていく。どれだけ汚してもお前などには汚せはしないとでも言われているようで忌々しかった。
キキョウのする事などには何の意味もありはしない。まるでそう言われているようで苦しかった。
すっかり硬く太くなったものを口から抜き去るとリンドウは背中を丸め軽くえずきながら咳き込んだ。その様子を眺めても何の感情も湧き起こらず、胸にぽっかりと空いた穴の塞ぎ方も分からないままキキョウはベッドに上がり仰向けに寝転んだ。
吹き晒しで風化した穴を冷たい風が吹き抜けていく。穴を埋めるものを探し始めてどれだけ経ったろう、どこにもそんなものはありはしなかった。苛立ち紛れに手を出したこの弟弟子など穴を広げているような気さえする。誰のものでもいい、絶頂の快楽に酔い痴れる瞬間と誰かの体温だけが胸に空いた穴のことを一時だけでも忘れさせてくれる。
「向こう向いて乗れ」
ようやく咳き込みが止んだ様子のリンドウにそう声をかけると、リンドウは振り返り不思議そうな顔をして首を傾げた。
「手前で挿れんだよ、さっさとしろ」
「兄弟子は……どうして、そんなに苛立っておられるのですか」
「こういう風にてめぇが苛々させるからじゃねぇか、それともようやくまともに突っ撥ねる気になったか」
「いえ……やります」
手短に答えるとリンドウは言われた通りに背中を向けてキキョウの腹の上に跨がり己の唾液に塗れた昂ぶりを手に取った。左手で肉棒を立て、右手で尻の肉を割り広げて先端を秘所に宛てがう。慣らしてもいない孔は異物を簡単には受け入れず、少しずつ飲み込まれていく先端はきつく締め上げられる。だがそんな様子もキキョウの心を何ら動かしはしなかった。
「はしたねぇケツだなぁ、男のモンを飲み込んでくのが丸見えだぜ」
「ふ……っ、ん……見ないで、ください……っ」
「見られたくねぇなら尚更よーく見といてやるよ」
「いやだ……っ、あ、あぁっ……」
こいつは口ばかりだ、またそう思う。嫌だといくら上の口だけで言ってみても下の口は剛直を確実に飲み込んでいき、柔らかく温かい内壁がまるで悦ぶように震え包み込んでくる。悦び愉しんでいるくせにつまらない倫理や規範を物差しにして嫌だなどと口にする。こんなにも男好きのする身体をしているくせにそれを認めようとしない。つまらない枠組みなどぶち壊して己がいかに快楽に弱い生き物であるかをこの男に認めさせたい。抗う事など考えもつかないほどの悦楽を与えて虜にしてしまいたい。
この男を、従わせたい。
立場の違いから気を使っているだけの見せかけの服従などいらない。捻じ伏せて負けを認めさせたい。何もかもを自分のものにして所有してしまいたい。そんな気も知らないでリンドウは苦痛故か快楽からか肩を震わせ首を巡らしつつも肉茎をようやく全て飲み込む。
「ああ……あっ、はっ、あ…………んんっ……」
「まさかそれで終わりじゃねぇだろ? しっかりいやらしくケツ振れよ」
「だめ、です……っ、動かしたらぁっ……ああっ、あ、はぁっ……」
「へぇ、じゃあこのままにしとくか? それでもいいぜ、好きにしな」
「そんな……あぁっ、あ、ああぁ……っ、このまま……なんて、は、あっ、あぁっ……」
逡巡を見せながらもやがてリンドウはキキョウの腿に手を置いて腰を上下に揺らし始めた。最初は遠慮がちな小さな動きだったのが、息が荒くなり声が甘くなると共に動きも淫靡さを増していく。そら見たことか、鼻で笑ってやりたい気分になりながらうねる粘膜の熱さに包まれる感覚を楽しむ。出入り口の締め付けはきつすぎるほどで上下運動の度にたまらない刺激を局部に与えてきて、視覚に捉えたしなる背中といやらしくうねる腰部の動きの淫猥さと共に興奮を煽る。
「やだっ……いやだ……ああっ、あっ、やっ、ああぁ……っ! は、あ、あっ、あぁっ、はっ、は、ああぁっ……」
「嫌じゃねぇだろ悦いんだろ、ちゃんと正直に言えよ」
「はっ、あ……だめ、だめですっ、こんなの……あ、は、あぁ、あっ、あっ、ああっ……!」
嫌だ駄目だといくら口で言ったところで、快感を求めてうねるリンドウの腰の動きは最早止めようもない。本当にこいつは口ばかりだ、反吐が出そうだ。
「おら、こっち向け、身体ごとだ」
そろそろ頃合いかと思いリンドウの動きを止め声をかける。名残惜しそうな甘ったるい声を上げつつ剛直を引き抜いて身体を回しリンドウは正面に向き直り、悦楽に蕩けきっただらしない顔と隠しようもなくしとどに濡れ膨れ上がった欲望をキキョウの眼前に晒した。
「いい面になったじゃねぇか、もっと欲しいんだろ? ちゃんとねだってみな」
「あぁっ……あ…………い、挿れても、いいですか……兄弟子の……早く、欲しい……んっ」
「駄目だって言ったらやめんのかよ」
「やっ、やだっ……いやです…………おねがい、ですから……」
「じゃあもっとちゃんとした頼み方ってもんがあるんじゃねぇか? なぁ?」
そう告げるとリンドウは明らかな戸惑いをその面に浮かべたが、僅かに考え込んだ後目線を逸らして口を開きぼそぼそと小さな声で話し始めた。
「その……俺を…………犯して、ください……」
「人に頼み事する時は目を見て言うもんだぜ、どうしてほしいんだよ」
そう告げるとリンドウの顔は明らかに強張った。いい気味だと思いながら反応を待つ。オレはどっちだっていい、そう思っていると思わせる事が重要だった。己から望んでいるのだと思い知らせてやる、その事こそが重要だった。キキョウの肩口に手をかけ縋り付き潤む目を向けてリンドウがもう一度口を開く。
「お願いします……あなたに、犯されたい……」
「どうしてもってんなら、いいぜ、抱き潰してやるよ」
これ以上ない優越感に浸り自然と深い笑みが頬に浮かぶ。リンドウの肩に手をかけ起き上がると逆らう事なくリンドウはベッドに横たわった。待ち侘びる唇へと欲しい物を与える為に上体を沈み込ませる。
幸か不幸かはまるで分からないけれども、堕とす為に一緒に沈み込んでいってしまっている事を悟れないほどキキョウは愚鈍ではなかった。
欲するままに盛んに舌を絡め合いながらリンドウの脚を割り開き、欲望を満たしたい一心でまだ閉じきっていない出入り口へと再び押し入っていく。
「んあぁっ……ん、ん、んんっ……あん、は、んんっ、ん…………」
甘ったるい嬌声が耳にこびり付く。もっと欲しい、この男の全てが。しなやかな青い髪もよく通る低い声も黎明の空の色をした瞳も、その心も。全てを自分のものにして隷属させ意のままにしたい。求めるままに腰を打ち付け始めるとリンドウの表情は見る間に快楽に蕩けていく。
「ひぁっ、ああっ、あ、あ、あっ、ん、んんっ、あぅっ、ふ、はっ、あ、あっ、ああぁっ、あっ……」
「どうしたよ、嫌なんじゃなかったのかよ、随分悦さそうじゃねぇか」
「はっ、あ、いっ、あ、いいっ……ああっ、いっ、きもちっ、いいです……っ!」
「ほんっと、口だけだよな、おめぇはよ」
リンドウの悦い所などもう知り尽くしている。そこを擦り上げてやればたまらない様子で真っ赤に染まった首を振る。思ったとおりの反応が返ってくる素直な身体だった。この男は心だけでなく身体も嘘をつけない、その事実は都合がいいが同時に妬ましくもあった。こんな輝きを手にしてしまえばキキョウは妬ましさに身を焦がすしかないだろう。それでも手に入れたい、理屈ではなく心がそう願ってしまう。
この感情に付ける名前を知らないまま、甘ったるい汗の匂いの充満する泥濘へと二人して沈み込んでいく。答えなどいらない、明日などいらない。今この時この熱があればそれだけでいい。肌を滴る汗は混じり合いシーツを湿らせる。この男が憎くて、誰でもいい筈なのに欲しいのはこの男だった。このままでいい、いつまでもこのままで。これ以上などキキョウは望んではいなかった。
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