見知らぬ草原

 目の前には草原が広がっていた。彼方に見えるのは都市の城壁。その上には青空がどこまでも続いている。
 おかしい、とデミウルゴスは思った。
 デミウルゴスはナザリック地下大墳墓第七層の守護の任に就いていた。第七層は灼熱の溶岩地獄、こんな草原もあんな都市もありはしない。もし何らかの要因で知らない内にナザリックの外に出されたのだとしても、ナザリックのあるヘルヘイムは明けることのない永劫の夜に閉ざされた闇の世界、こんな青空が広がっている筈がないのだ。
 とりあえず状況を確認しようと周囲を見渡す。すぐ横には、こんな所にいる筈のない人物が立ち驚愕と動揺を隠そうともせずデミウルゴスを見つめていた。
「デミウルゴス様……?」
 鍛え抜かれ鋭く研がれた一本の鋼の剣の如き真っ直ぐで鋭い佇まい、鷹に似た射抜くような眼光。そこには、ナザリックの仲間達の中でただ一人だけどうしてもデミウルゴスが好きになれない男が立っていた。
「セバス……これは、どういう状況なのかな?」
「わたくしにも何が何やらさっぱり……デミウルゴス様は何かご存知ではないのですか?」
「第七階層にいた筈なのだが気が付いたらここに立っていたね。君も第十階層の守りに就いていた筈だったね?」
「ええ、わたくしも気付いたらここに立っておりました。プレアデスと共に守護の任に当たっていた所命を受け、モモンガ様に付き従って玉座の間で御前に控えておりましたが……他の者は……いないようですね」
 セバスは周囲を見回したがプレアデスの面々はおろか、人っ子一人いないだだっ広い草原を風が渡っていくばかりだった。
 情報が足りないまま分からない事を考え続けていても仕方がない、まずは情報を集めなければ。ここは一体どこなのか、ナザリックはどこに行ってしまったのか、それらの情報を得る事が先決だとデミウルゴスは考えた。
「分からない事を君と二人で額を突き合わせて考えていても仕方がない、今後の行動の方針を決める為にも情報を集める事がまずは必要だろう。影の悪魔シャドウ・デーモン
 デミウルゴスは特殊技能スキルを使い影の悪魔シャドウ・デーモンを二体召喚する。
「あの街へ行き集められるだけのありとあらゆる情報を集めてきなさい。ここはどこなのか、ナザリックはどこにあるのか、何者が住む街なのか、言葉は通じるのか、使われている文字は読めるのか、住む者の強さ、装備品の程度、何者が支配しているのか……どんな小さな事でも構いません、とにかく集められるだけです。お前は何者が暮らしているかと強さの程度の確認が終わったら一度すぐに戻ってくるように。行きなさい」
 デミウルゴスの言葉に従い影の悪魔シャドウ・デーモン二体は彼方に見える都市へと向かっていった。その様子を見送ってから、怪訝そうに眉を顰めたセバスはデミウルゴスを見やった。
「現在地やナザリックの場所の確認は分かりますが、言語や強さの確認が必要でしょうか?」
「これからあの街にコンタクトを取るにしても我々の力が通用するのかどうかによって出方は変わるだろう? 言語の確認は念の為だよ。ギルドの中には外国人ギルドなる言葉が通じない者達の集まりもあると至高の御方々がお話しになっていたからね、もしそのような者達の住む街であれば我々はまず言葉から学ばなければ情報を集められない」
 成程、と呟いてセバスは頷いた。デミウルゴスとしては和やかに雑談をしたいような相手でもないので黙ったまま影の悪魔シャドウ・デーモンの帰還を待つ。
 申し付けた通り一体はすぐに戻ってきた。住んでいるのは人間だけで、影の悪魔シャドウ・デーモンでも片手で殺し尽くせるような脆弱な者がほとんどである事が知れる。装備を整えた者も稀にいるようだが、装備品も貧弱で影の悪魔シャドウ・デーモン一体すら倒せないような者達のようだった。そして、喋っている言葉は理解できる事も分かった。戻ってきた影の悪魔シャドウ・デーモンをもう一度情報収集の為に街に向かわせてからデミウルゴスは口を開いた。
「ふむ……あれは人間の街のようだね、脆弱な者しかいないようだよ。とりあえず言葉も通じるようだ。栄えあるナザリックに侵入した不届き者達のように至高の御方々に匹敵するような力はないらしい。完全に安全とは言い切れないが我々が接触しても差し当たっての危険はないと判断していいだろうね」
「……接触、というと?」
影の悪魔シャドウ・デーモンでの情報収集にも限界がある、私も直接街へ行き情報を集める必要があるだろう。安心したまえ、勿論穏便な手段でだ」
 デミウルゴスのその言葉にセバスは僅かに頷き、そうですか、とだけ返してきた。一瞬漂った剣呑な気配は隠しきれない。セバスの危惧は分かる、デミウルゴスならばあの街を力で蹂躙し支配すると言い出すとでも思ったのだろう。だがその手段は現状ではメリットが少ない為デミウルゴスは端から考えてはいなかった。
 まず第一に、いくら好きになれない相手とはいえナザリックの仲間である事には違いないし現状は二人きりでもある、少なくともナザリックに帰還するまではセバスとは協力していかなければならない。そのセバスが強く反対するであろう手段をとって敵対する事にでもなったら面倒だからだ。何かナザリックの不利益になったりナザリックの栄光に泥を塗るような真似をするならばデミウルゴスも容赦する気はないが、そうでないのにセバスと敵対する事に利益や意味はない。人を殺戮し蹂躙し支配するようなデミウルゴスの好むやり方を好まないセバスの善良さは至高の御方によってそうあれと創り出されたものだ、それをどうこう言うような真似はいくら好かないからといってデミウルゴスもしたりはしない。
 第二に、この街にいないからといって至高の御方々に匹敵するような強者がどこにもいないという保証にはならない、街を陥としたとあればそういった輩に目を付けられる可能性もある。ここがどこで周囲がどのようになっていてどの程度の強者がどれだけいるか分からないこの状況でわざわざリスクを冒してまで占拠する価値はあの街にはないだろう。
 それに街を支配したとしてもそれを維持するリソースがナザリックにいる部下達を使えないデミウルゴスにはない。現状デミウルゴスの目的はあくまでナザリックへの帰還であって、街をどうこうする事ではないのだ。故にデミウルゴス自身が街に留まって支配を続けるという選択肢は端からない。あんな脆弱な人間しかいないというつまらない街を支配する理由は今の所ない。
「人間しかいないという事であればデミウルゴス様のお姿は少しばかり目立つのでは?」
「その通りだ。そこでだセバス、一つ頼まれてほしい。あの街へ行き、フード付きのローブと頭に巻く布を調達してきてくれないだろうか。魔法詠唱者マジックキャスターに化けて尾と耳を隠せばとりあえず私も人間共の中にいても然程違和感はないだろうからね。人間共に見つかると厄介だろうから、そうだね……私は近くにナザリックがないか空から周囲を探索してからあそこに見える森に潜んでいる事にするよ」
「畏まりました、早速行って参ります」
 そう返事をすると栄えあるナザリックの家令ハウススチュワートに相応しいぴしりと美しい礼をしてセバスは踵を返し街へと歩きだしていった。セバスにとっても渡りに船の提案だったのだろう、恐らくはデミウルゴスと同じ気持ちの筈だ。二人きりでいると息が詰まる思いがする。ようやく一人になり思わずデミウルゴスはほうっと息をついた。本当は今後どう動くかは影の悪魔シャドウ・デーモンから齎される情報次第なのだからデミウルゴスの格好などその後気にすれば良かったのだが、セバスと二人というのは気詰まりだし、この辺りが人間の勢力圏ならば今後人間と接触する機会も多いだろう、ついでだった。
 このセバスへの嫌悪については、同程度のものをセバスもデミウルゴスに抱いているようである。デミウルゴスは悪魔だが、ナザリックに所属する者達は皆大切な仲間と考えているし大事に思っている、その対象はデミウルゴスとは正反対の性格を持つメイド長ペストーニャ・S・ワンコですら例外ではない。それなのにセバスだけはどうしても好きになれない。こういう言い方は極めて理性的でないしまるで愚かな人間のようなので本来デミウルゴスは好きではないのだが、セバスに関してはウマが合わないというような軽い程度のものではない、生理的な嫌悪感さえ抱いている。不倶戴天と言ってしまってもいいかもしれない。
 創造主、ウルベルト・アレイン・オードル様にそうあれと定められたわけでもないのにそう思ってしまう事にデミウルゴス自身も疑問を抱いている。この感情は一体どこから生まれてくるものなのか、その源がまるで知れないのにデミウルゴスにとってはごく自然に感じられる感情なのだ。
 他の者であれば例え御しがたいシャルティアでもこんな重い気分にはならなかっただろう。セバスと二人でどこにあるのかも定かでないナザリックを探す、その事にデミウルゴスは暗澹たる思いを抱いていた。だがとりあえずは動かなくては何も始まらない、そう簡単に事は運ばないだろうがもし周囲にナザリックがあれば問題はそれで解決だ。人の気配が周囲にない事を確認してからデミウルゴスは蛙じみた外見の半悪魔形態へと姿を変え皮膜の翼をはためかせ空へと飛び立った。
 正直な話、空からナザリックを発見できるとはデミウルゴスは考えていない。万が一にも見逃す事があってはならないから念の為に確認するだけだ。ナザリックがヘルヘイムのグレンデラ沼地から動いていないという可能性がまず一番高い。この場合はデミウルゴスとセバスがヘルヘイムへと帰還する手段を見つければいいだけだ。仮にデミウルゴスとセバスのように何処とも知れぬ場所に飛ばされていたとしても空から発見できる可能性は限りなく低いと思われる。他の至高の御方々が去られても最後までナザリックに残って下さった慈悲深き方にして至高の四十一人の纏め役、モモンガ様。計り知れぬ叡智に溢れた端倪すべからざる彼の方が空から容易に発見できるような状態にナザリックを放置しているとは考えられない、必ずや外敵に対し最大限の備えをされるだろう。それからもう一つ、それとは別の可能性が故に発見できない事も考えられるがその可能性については確証がない限り出来るだけ考えたくないというのが正直なところだ。その最悪の可能性についても追々考えていかねばならないだろうが、まずは情報を集める事が先決だから後回しにしてもいい。
 ざっと街の周囲を上空から回るが、やはりナザリックらしき建造物はどこにも発見することができなかった。セバスに指定した森へとデミウルゴスは降り立ち、影の悪魔シャドウ・デーモンの帰還を待つ事にする。待っている間にアイテムボックスの中を確認するが創造主ウルベルト様から持たされていたものはきちんと持っていた。
 召喚限界時間近くに戻ってきた影の悪魔シャドウ・デーモンの報告は、驚くべきものだった。
 まず近くに見える都市の名はカリンシャ、聖王国という国の都市だった。東には大城壁がありその向こうにはアベリオン丘陵という亜人達が跋扈し日々紛争を繰り返す危険地帯があるという。ナザリックの情報はやはりというか何というか何も得られなかった。言葉は通じるが文字は未知のもので、最初に確認した通り非武装の民衆はもとより武装した者すら影の悪魔シャドウ・デーモンの敵ではない。武装も貧弱で魔法の力を宿した武具すらほぼ見当たらなかったという。聖王国には九色なる強者がおり、東の大城壁ではその内の二人が亜人に対する備えに当たっているという情報も得られた。
 ユグドラシルの常識に照らし合わせて考えれば有り得ない状況だった。魔法の武具など最低限の装備だ、下級の装備でさえ組み込まれたデータクリスタルによって何らかの魔法の力は宿している。そしてユグドラシルにおいて使用されている言語は日本語しかない、アルファベットはあるが英語が分からなければ理解できない事というものはないし、他の言語は使われていない。外国人という日本語を解さない存在もいたようだが、彼等にしても日本語をどうにか解読していた筈だ。影の悪魔シャドウ・デーモンが未知の文字というからにはアルファベットで書かれた英語という線も消える。話している言葉は理解できるのに文字は未知のもの、これは一体どういう事なのだろう。
 デミウルゴスとてまだまだ未知の領域の残された広大なユグドラシルの世界全てを把握しているわけではない、都市名や国名や地名に心当たりがないのはデミウルゴスの知識の外の情報だからという事も有り得るかもしれないが、言語と装備については不可解すぎた。
 これは、出来れば考えたくなかった最悪の状況についても検討する必要が出てきてしまったのではないか、という考えにデミウルゴスは至る。
 可能性を少しも考えていなかった訳ではない、だがそれこそ有り得ないと思いたかった。ここはユグドラシルの世界の外である、という荒唐無稽な可能性。デミウルゴスとセバスが二人、どこか知らぬ世界へと飛ばされてしまったという可能性。もしナザリックが今もユグドラシルの世界のヘルヘイムのグレンデラ沼地にあるとしてデミウルゴスとセバスだけが全く異なる世界に来てしまったのだとしたら、一体どうやって帰ればいいというだろう。足元がぐらつく思いがする。
 ナザリックはデミウルゴスにとって全てだ。ナザリックとそれを支配する至高の四十一人に仕える為だけに己の存在があり、ナザリックの為に働く事こそが己が存在する価値そのものだ。それがもし果たせなくなるとしたら、そんな事は考えたくもなかった。己の生きる意味も価値もナザリックと共にあり、他にはない。至高の四十一人の為に働けない己など存在する価値がない。
 まだ何も分からない、この謎の地のどこかにナザリックも飛ばされているという可能性だって全くないわけではない。そうでなくてもユグドラシルの世界へと帰還できる方法だってあるかもしれない。兎にも角にも情報を集めなければ話が始まらない。己の置かれた状況が不明確過ぎるし考えようにも材料が足りなさ過ぎる。故にデミウルゴスはセバスが変装用のローブを調達して来てくれるのを待つことにしたのだが。
 夜になってもセバスは帰ってこなかった。まさかとは思うが何者かに害されたのかと影の悪魔シャドウ・デーモンを送りセバスを探させたが、帰ってきた影の悪魔シャドウ・デーモンの報告は思いも寄らぬものだった。
 セバスは無事だった。曰く、ローブを買い求める為の金銭を稼ぐ為に建設現場で日雇いの仕事をしていて、ローブを買えるだけの金を得るにはもう数日かかる、とのことだった。
 たかだかローブ一着ごときを調達するのに何をチンタラやっているのですかあの男は!
 激しい苛立ちに任せて思わず影の悪魔シャドウ・デーモンに当たり散らして切り裂くところだったがすんででデミウルゴスは己を抑え、深い溜息をついた。セバスであれば正当な対価を払って物品を得ようとするだろう、それはそうあれと望まれて至高の御方に定められたセバスの性質だ、とやかく言うことはできない。
 子供向けの文字の教本も追加で買い求めるようにセバスへの伝言を影の悪魔シャドウ・デーモンに申し付け街へと送り出す。情報を集めるにしても何にしても今後活動していく上で文字の習得は必要だろう。ナザリックへの帰還方法を探すべく本格的に動き出せるようになるのは今しばらく時間がかかりそうだった。
 それにつけてもセバスと二人というのはデミウルゴスにとっては不安要素が大きすぎる。デミウルゴスの出す方針にセバスはいい顔をしないだろう事は容易に想像できる。例えばそれがモモンガ様を始めとする至高の御方々から全権を委任された上での命令だったならばセバスも従うだろうが、今はナザリックは無くデミウルゴスとセバスは対等な立場で共にナザリックを探す同志だ。セバスと同志であらねばならないというのがデミウルゴスにとってはまず頭が痛いのだが。セバスも容認できる方針となればかなり遠回りな道になるであろう事は想像に難くなかった。
 だがそれでも、何としてもナザリックを探し出し帰還しなければならないのだ。例え帰る道がなくても作り出す。そうでなくてはここに今デミウルゴスが存在する理由や意味などなくなってしまう。それは恐らくはセバスも同じだろう。それならば己の感情など多少は飲み込んで協力していかなければならない。いくら好かない相手であってもセバスもナザリックの仲間、それにセバスに万一の事があればお優しいモモンガ様はさぞ悲しまれるだろう、別々にナザリックを探すという選択肢は今の所ない。セバスを一人にしておけばあのお人好しのことだ、次々に厄介事に巻き込まれて何が起こるか分かったものではない。デミウルゴスが側に付いている必要があるだろう。
 気は重いがすべき事ははっきりしている。為すべき事をデミウルゴスは為すだけだ。
 とりあえずセバスが戻ってくるまでは何も出来ず動けない。出来るとすれば朝になったらまた影の悪魔シャドウ・デーモンを街に行かせ情報収集をする程度だろう。忌々しい思いを紛らわせる事もできずにデミウルゴスは重い溜息を再びついた。

***

 数日後、ようやくセバスが頼んだ物を持ち戻ってきた。デミウルゴスは頭に布を巻いて耳を隠し、服の上からゆったりしたローブを着た。尻尾はローブの下で丸めておく。ローブに皮手袋はデミウルゴスの美的感覚からすると許容し難いが、人のものでは有り得ない鋭い爪を見られるのはまずいだろうからそのままにしておく。
「たったこれだけの物を揃えるのに随分と時間をかけたものだね」
「申し訳ございません、身分がない者がすぐに金を得られる仕事には限りがございまして、稼ぎもそう良くはなかったものですから」
「身分ですか……これから活動していく上で厄介になりそうな点ですね」
 セバスの申し開きにデミウルゴスはふむと唸り考え込んだ。この見ず知らずの地では何のバックボーンもないデミウルゴスとセバスに身分などあろう筈がない。(あながち嘘でもないのだし)遠方から来た旅人で通してしまえばいいだけの話ともいえるが、余所者に大切な情報を簡単に流す者はそうそういないだろう事を考えると情報収集の効率はあまり良くないだろう。支配の呪言で聞き出してしまう方法は相手に記憶が残るので聞き出した後消す前提になる、それはセバスがいい顔をしない。情報が伝達されていくネットワークがあの街にも構築されている筈で、出来ればそこに何らかの形で食い込みたい。
「その点は追々考えましょう。街に入ってまずは私は文字を習得したいと考えていますが異論は?」
「ございません。身分に関してですが解決できそうな話を一つ聞きました」
「ほう? どのような話ですか?」
「冒険者というモンスター退治を主に行う職業があるそうで、流れ者等でも容易に登録できるようです。等級があり、上の等級になると国を超えた名声を得る事も可能になるとか」
「成程」
 セバスの説明を聞きデミウルゴスは再び考え込んだ。まずはその冒険者なる者達の実態について少しばかり観察する必要はあるだろうが、横の繋がりもあるだろうしもしかしたら情報屋等への伝手も得られるかもしれない。それに仮定の話にはなるが、ナザリックがどこか別の地にあったとして、モモンガ様ならば外敵への備えをしつつも外界の情報収集も怠らないに違いない。もし遠くまで届く名声をデミウルゴスとセバスが得られればナザリックにもその名が届く可能性があるということだ。検討する価値は十分あるだろう。そのような情報を得られたなら数日間デミウルゴスが待ちぼうけを食らったのも全くの無駄ではなかったという訳だ。
 とりあえずは街に向かう。セバスは門の衛兵に既に顔を覚えられていて、セバスがデミウルゴスを主人ですと紹介すると衛兵も特に不審を抱く様子もなく通してくれた。デミウルゴスは知る由もなかった事だが門を通る時に通行料が徴収された。初日通る時どうしたのかセバスに聞くと、燕尾服のジャケットを担保として預け日雇いで稼いだ金を払い返してもらったのだという。成程顔を覚えられる筈である。
 そのままセバスが拠点にしている労働者向けの宿に向かうが、道行く人からセバスはこの前はありがとうとかお世話になりましたとか次々に声をかけられて挨拶を返している。やけに日数がかかったのはこのお節介のせいではないのだろうかと思うと業腹だがその辺りはもうデミウルゴスの方が諦めるしかないのだろう、セバスに変われと言っても無理な話だ。だがこれから先は出来る限り控えてもらわなくては余りにも時間の無駄だ、後で注意すべきだと頭に留め置く。
 それから二、三日の間、デミウルゴスは文字の習得に勤しんだ。教本を見れば大体の法則性は掴めるし、セバスに追加で子供向けではない普通の本を買わせて教本を参考にしつつそれを読み込んだ。街にも出て他の国から来た旅人で文字が読めないがこれは何が書かれているのかと看板やビラなどを指し通行人に聞いたりもした。その甲斐もあって聖王国語と思われる文字の読み書きと理解はデミウルゴスは今では完璧にこなせる。
 差し当たってする事のないセバスは日雇いの仕事を続けていた。信憑性のない噂話がほとんどだが、日雇いの現場にも情報がない訳ではない。東の大城壁にいる九色なる強者がオルランド・カンパーノという剣士とパベル・バラハという弓使いであるという情報、聖王国は女王カルカ・ベサーレスによって統治されており、側近として九色の聖騎士レメディオス・カストディオと神官団のトップ、ケラルト・カストディオなる者がいるという情報、聖王国は封建国家であり領地を与えられた貴族が各地を統治しているという知識などを新たに得られた。セバスの賃金からも分かっていたが、この辺りで流通している貨幣はユグドラシル金貨ではなく聖王国の貨幣と交易共通金貨、略して交金貨と呼ばれるものに代表される交易共通貨幣である事も分かった。
 準備が整ったところで夜、宿の部屋でこれからの方針について語る。
「さて、ではこれからの方針を決めようか。私達のすべき事はただ一つ、一刻も早くナザリック地下大墳墓へ帰還する事。ナザリックがどこにあるのかは杳として知れないが、宛てもなく闇雲に探すというのもいかにも効率が悪く愚かしいこと。身分や金銭の問題もこれから出てくるだろうし、それらを得る手っ取り早い手段として冒険者に登録するというのは悪い手ではありません。名声を得れば我等の名がナザリックにまで届くという可能性もあることだしね」
「異論はございません」
「モンスター退治は君の好きな人助けのようなものだ、ここで異論を差し挟まれては話が前に進まないから大いに助かるよ。この街にいる冒険者らしき者を観察したがいずれも脆弱なゴミ、相手にするモンスターがどの程度の強さなのか未だ不明という点は留意すべきだろうが、これならば我々であればすぐにでも上に登れるだろう。ああ、これからは敬称は不要だよセバス、至高の御方々に創造されたナザリックに所属する者としても元々対等な立場なのだし、我々はこれから冒険者仲間となるのだからね」
「分かりましたデミウルゴス」
 にこりともせず無表情のままセバスは頷いた。ここで微笑まれても気持ちが悪いだけなのでデミウルゴスとしてもそれに文句を言う気はない。
「それから一つ言っておきたいのだが、君はあちこちで人助けをしているようだが、これからは控えてほしいものだね。我々の目的はナザリック地下大墳墓への速やかな帰還、他の事に割く時間はないと心得えたまえ」
「その言にも一理あります、留意いたします」
 素直に了解を返さないところがデミウルゴスに対するセバスの感情を表しているといえるだろう。
「一つ質問があるのですが」
「何だいセバス」
「ナザリックへ帰還する手段として、ヘルヘイムへ帰る道を探すのではなくナザリックを探す、というのは何故なのでしょうか」
「勿論ヘルヘイムへと帰る手段があるかどうかも探すとも。だが、今までの情報を総合するとこの地は我々の知らない未知の領域、ヘルヘイムへ帰る道があるかどうかも定かではない。そして我々が知らぬ内にこの地に飛ばされていたように、ナザリックもまた同じ現象に巻き込まれている可能性も留意すべきだろう? もしかしたらナザリックの者がバラバラに分断されて様々な所に飛ばされているかもしれない、様々な可能性を考慮すべきだ。そういう意味でも、名声を高め名を広める事には大いに意味があると思うがどうかな? 社会的地位が高まれば集められる情報もより多く確実なものが増えていくだろう」
 最悪の可能性について敢えてデミウルゴスはセバスに語らなかった。確証のない事を口にするのは好きではないし、セバスの希望を折るメリットなど現時点では何一つない。ユグドラシルにおいてモンスターはプレイヤーが狩るものである、冒険者という耳慣れぬ職業がある時点でこの世界がユグドラシルとは別物であるというのはデミウルゴスの中では事実としてほぼ確定しているのだが、証拠は何もないし証明の手段もないだろう。
「成程、納得いたしました。余計な口を差し挟み失礼いたしました」
「構わないとも、先程も言ったが我々は対等の仲間、疑問があるならどんどん口にすべきだ」
「はい、それではこれからは疑問点は遠慮なく質問させて頂きます」
 軽く頷いてやはり無表情のままセバスはそう告げた。あまり会話をしたくないというのがデミウルゴスの正直な気持ちだがナザリックに帰るまでは二人力を合わせやっていくしかないのだ、個人的な感情など二の次である。できればセバスもその点をよくよく弁えていてほしいものだと心からデミウルゴスは願っていた。
 デミウルゴスから見ればまるで豚小屋のような薄汚く狭苦しい労働者向けの宿の一室で、こうしてデミウルゴスとセバスのナザリックを探す旅路は始まろうとしていた。

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