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第六階層の円形闘技場のアリーナへと続く回廊を久方ぶりに踏みしめる革靴の足取りは軽やかだった。機嫌良さげに尾を揺らし、そんな無作法はしないものの鼻歌でも歌いそうな上機嫌な様子でデミウルゴスは青空の下のアリーナへと出た。中央では既にマーレが来訪者を待ち受けている。
「で、デミウルゴスさん、こんにちは。今日は、どんなご用事ですか?」
「やあマーレ。聖王国も一段落付いたのでしばらくナザリックでゆっくりできそうなのでね、久し振りに楽園の様子でも見ておこうと思ってね」
「いっ、いつものやつですね。そ、そんなに、面白いですか? あそこ……」
「ああ、とても興味深い場所だよ。あの場所はアインズ様がお作りになられたこれから魔導国が目指すべき姿だからね。これまで経過を観察してきたが実に興味深い」
「そ、そうなんですね、ボクには、よく分かりませんけど……」
そこまで言うとマーレは、そうだ、と何かを思い出したように呟いた。
「きょ、今日は、アインズ様もいらっしゃってますよ」
「そうなのかね、何か大切なご用事ならばお邪魔になっては申し訳ないから日を改めた方がいいだろうか」
「息抜きのお散歩、だそうです。何でも、森林浴は気分のリフレッシュに最適? なんだとか……」
「成程、それならばお目にかかれたらご挨拶申し上げれば問題ないだろう。森の方へ行かれたのならばお会いできないかもしれないしね。では少しお邪魔するよ」
「ごゆっくり、どうぞ」
お辞儀をするマーレに軽く手を振ってデミウルゴスは歩き出した。向かったのは「楽園」だ。
第六階層に存在する湖の南を整地しログハウスを建てたその集落には、トブの大森林を調査征服していく段階でナザリックに住まわせても問題ないと判断された様々な異形種やモンスター達が暮らしている。果樹園ではトレントやドライアード達が果樹の世話をしている。顔馴染みのデミウルゴスは敬意の籠もった挨拶を鷹揚に受け歩を進めていく。育てている作物の品質もユグドラシル産にはまだ及ばないものの外の世界のものに比べれば格段に味が上になったという。食堂に行って楽園産の野菜や果実を使った料理の試食も頼まなくては、と心の中のメモにデミウルゴスは書き加えた。副料理長が世話をしている野菜の畑も横目に見るが今日は来ていないようだった。
楽園は押し並べて事もなし、平和そのもの。この地はさながらナザリックという圧倒的な力に護られた揺り籠だ。新しく増えたモンスターをいくつか目にしてどのようなモンスターかアウラにでも後で尋ねようと思いつつデミウルゴスは歩いていく。
「はぁ……マンドラゴラを呼ぶ合言葉が何故これなのだ……? アインズ・ウール・ゴウン万歳……」
「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」
「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」
副料理長の畑の横をデミウルゴスが通り過ぎようとした時だった、聞き馴染んだ威厳に溢れた声が聞こえ、俄かに畑が賑やかになった。よく見ると、柵の向こうでアインズが屈み畑から出てきたマンドラゴラ達がその前に整列するところだった。
アインズ様は何をなされているのだろうか? ご挨拶すべきだろうがお邪魔しては……。
アインズの背中を見つめながらデミウルゴスが躊躇しているとアインズは盛大な溜息をついた。何かご不快な事があったのだろうか? すぐに解決せねば、使命感が湧き上がるが声を掛ける前にアインズがマンドラゴラ達に語り掛け始めた。
「こういうの……聞いてアロエリーナだっけ……? なんかそういうのが昔あったみたいだけど……聞いてマンドラゴラだなこれは。やっぱ話し相手にヌルヌル君を連れてくるべきだったかなぁ、でも俺がエ・ランテルにいない間はツアレに任せる事で俺がツアレを信頼してるってナザリックの者に示さないといつまで経ってもツアレが馴染めないし……お前達どう思う?」
「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」
「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」
優しげな青年の声でマンドラゴラ達にアインズは語り掛けていた。この声を勿論デミウルゴスは知っている。様々な話を他の至高の御方々と楽しげに語られていた時のお声だ。マンドラゴラ如き下等生物が尊いこのお声を聞くなど烏滸がましい、と怒りがデミウルゴスの心中に湧き上がるがアインズ様の御前で無様は晒せないとぐっと堪える。これでは盗み聞きだが声を掛けるタイミングを完全に失ってしまったし、このまま通り過ぎるのもそれはそれで不敬極まる。柵の向こうからアインズの背中を見守る格好でデミウルゴスは動けなくなってしまった。
「聞いてほしいけど誰にも話せないんだよな……はぁ、友達欲しい……。ジルクニフとはいい友達になれると思ったのになぁ……。だからせめてお前達聞いてくれ。今回の聖王国、ほんっと! 疲れた! いつも自分が丸投げしてるから大きな声じゃ言えないけどさ! ほとんど白紙の計画書渡して丸投げって酷くない!? 俺がどれだけ苦労してアドリブで辻褄合わせたか分かってる!? 聖王国に行く時の無理矢理感半端なかったよ!? ほんとさあ、俺に対する勘違いがどんどん悪化してる気がするんだけど!? 特にデミウルゴス、何考えてるのあいつ!」
自分の名前がアインズの口から出て、どきりとデミウルゴスの心臓が跳ねた。何か不敬を働いてしまったのだろうか、何かご不快にさせてしまったのだろうか、どう償えばいいのだろう、必死に考えるが思い当たる事は何一つなかった。内容からすれば今回の聖王国における作戦についてアインズの深謀遠慮をデミウルゴス如きの浅はかな考えで邪魔しては、と細かいシナリオは定めずにアインズに全て任せた事に立腹されているらしかった。
「そりゃ俺も悪いよ? 千年王国思い出したからってついノリで万年……とかキメ顔で言っちゃったのは悪かったよ? でもそれ真に受ける? 万年どころか明日の事も分かんねーよ! 大体そもそも世界征服って一体どこから出てきた? いや、名声を広める手段とはしては悪くないからいいけどさ……何でそういうことになってるのか全然分からないし……あーもう! ほんと勘弁してくれ、お前の方がずっと頭良いよ、って言っても全然話聞いてくれないしさー! どうすれば支配者らしい威厳を保ったまま誤解を解けるのか全然分からないよ……お前達、どうすればいいと思う?」
「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」
「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」
「……それしか答えがなくても愚痴を言える相手がいるだけでもここはいい場所だ。俺にとっての楽園だよ……。はぁ……友達欲しい……いや、それよりまずはどうすればデミウルゴスとアルベドの誤解を解けるかだな。俺の像を建てるデメリットだって出任せで五つって言っただけなのにあんなに慌てるんだもんな……迂闊な事言えないよ……最大のデメリットは俺が嫌だって事だよ……。俺が黒って言えば白も黒になるんじゃないの? 俺が嫌だって言ってるんだからやめる事にならないの? NPCの事が分からない……」
そう言って深い溜息をついたアインズの発言にデミウルゴスは正直なところ強いショックを受けていた。アインズの先の先を見通す考えに深い感銘を受けた場面での発言が出任せだった、という点も気にかかったが、それはそれでいい。シモベが望むような偉大なる支配者としてアインズ様は常に振る舞って下さっていたという事だ、有り難いと思いはすれども問題にするような事ではない、と思われた。それ以上にデミウルゴスの心を乱したのは、アインズが素直な心情を吐露する相手がよりにもよってマンドラゴラなどという知性のない下等生物だったという事だ。事によれば口唇虫に話すつもりもあったらしい。
今の話によれば、デミウルゴスはアインズを悩ませるばかりで悩みを打ち明けて頂けるような信頼を得るには至っていない、という事になる。配下として、シモベとして、これ程不甲斐なく情けない事があるだろうか。今まで遮二無二働き、ナザリック第一の勲功と誰もが認める働きをしてきたと思っていた。アインズに命じられた事を完璧に全てこなし、望まれた以上の成果を上げる、それこそが己の務めであると思っていた。だが違う、お助けするべき主人を悩ませてそれでナザリックのシモベとして相応しいといえるだろうか。一体自分の何が至らなかったのか、それがデミウルゴスには分からなかった。
今のアインズの発言をなるべく冷静にデミウルゴスは思い返した。アインズ様は偉大なる支配者をシモベの為に演じて下さっている。そして、それを重荷に感じられてそれなのに誰にも相談できずにこうしてマンドラゴラなどという下等生物相手に愚痴を零しておられる。
配下としてシモベとして、これ以上アインズ様を煩わせるような事があってはならない、そう強く思った。デミウルゴスがアインズについて何かを誤解しているというのならば、何が誤解で何が真実なのかをはっきりさせなくてはならない。
「でもなぁ……誤解を解くっていってもあいつら俺の話聞いてくれないからなぁ……ご謙遜をとか言って全然信用してくれないし……。特にデミウルゴス、あいつは駄目だ、なるべく話したくない……。でも聖王国も粗方片が付いちゃったし、今度はカルサナス都市国家連合にでも出向させるか……?」
再び己の名前が出されてしかもそれが己を遠ざけたいという思惑を示していた事にデミウルゴスの心が激しく掻き乱された。アインズからしてみればデミウルゴスは頭が良すぎるのであまり話をすると地頭が良くないという事がすぐバレてしまうからあまり話したくない、というただそれだけの意図しかないのだが、それを知る由は今のデミウルゴスにはない。
してみれば、ナザリックがこの地に転移してからあまり時を置かずしてデミウルゴスは外の仕事に出された。己の能力を信用されて任されたのだとデミウルゴスは意気込んでいたが、アインズの心は違った、デミウルゴスを遠ざけたかったのだ。何故、どうして、分からない、何がアインズ様のお心に障ったのか、何故に話もしたくない程にデミウルゴスを敬遠されているのか。
このままでは見捨てられてしまう。
強い危機感がデミウルゴスの胸に湧き上がり見る間に心の内を満たしていった。ただ一人この地に残って下さった慈悲深き至高の御方アインズ様、そのお方に見放されてしまったら、デミウルゴスは一体何の為にどうやって生きていけばいいというのだろう。そんな生には最早何の意味もない。
「おっと、そろそろ戻らねばならんな。よし、マンドラゴラ達、戻れ」
立ち上がりながらアインズが告げると、マンドラゴラ達はその声に従い畑の中へと戻っていく。畑が元に戻ったのを見届けるとその場からアインズの姿は掻き消えた。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの転移機能で転移したのだろう。ただ一人その場に残されたデミウルゴスは何も出来ずにただ呆然と立ち尽くしていた。
どうすればいい、一体どうすれば。思考は上滑りするばかりで上手く働かない。これ以上ない程にデミウルゴスは焦っていた。今すぐにでも申し開きに行きたい、何が誤解で何が真実なのか、どういう事なのか、何故なのかを知りたい。だが正面切って今聞きに行ったところで率直な胸の内をアインズはデミウルゴスに語ることはないだろう、それだけの信頼をデミウルゴスは得られていないのだから。
少し、少し冷静にならなければならない。時間を置いて、じっくりと考えなければならない。どうにかこの衷心をアインズ様にお伝えし、信頼を得なければならない。その方法を何としても考え出す。それがもし出来ないのならば、デミウルゴスの生きている意味は失われる。
聖王国を半ば手中にした事による達成感などデミウルゴスの中からすっかり消え失せていた。デミウルゴスの為す事は何もかもが至高の御方、アインズの為のものであらねばならない。だがもしデミウルゴスが今までアインズの意を勘違いし望んでもいない事をさせていたのだとしたら、それはどれだけの不忠だろう。そんな事はあってはならないが、あってはならない事が起こってしまったのかもしれない。
一体どこまでが勘違いでどこまでが真実なのかすら定かではない、絶対的な支配者としてのアインズの振る舞いは完璧だった。マンドラゴラへの愚痴の内容から鑑みるに演技をされていたのだとは思われたが、どこまでが演技でどこからが本音なのかがデミウルゴスには分からない。
兎にも角にも、お心をお聞かせ頂く機会を作らねばならない。それがまず第一と思われた。いつどこで、どうやって二人きりで、どうすればお心を開いて頂けるのか。ただでさえ己とはなるべく話したくないと思っているらしきアインズ様と。考えを纏めるべく第七階層の自室で考えようと円形闘技場の転移門に戻る為にデミウルゴスは踵を返し歩き出した。
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