13

 ネイア・バラハの到着の挨拶を受けた後にアルベドを厳しく叱責した件について、アインズは充分に説明しないままアルベドが反論できなくなるほど厳しく非難したこと以外にも大きな過ちを犯していた。その場にいたのはアインズとアルベドだけではなかったのだ。
 居並ぶナザリック・マスター・ガーダーたちは居たところで特に問題はない。主人であるアインズに絶対服従であり生者を憎む以外の意思が希薄なアンデッドたちなので何を見ても聞いても特に影響は受けない。問題は客人の歓迎の為に並んでいたメイドたちだった。
 噂話が三度の飯の次に好きな彼女たちにかかれば、不在の者を除きナザリック中の者が事態を知るのにそう時間は要さなかった。
「ふざけないでくんなんし! とんだとばっちりでありんす!」
 忌々しげな感情を込めて感情的に叫び、シャルティアは宙空を無意味に殴る。その様子を椅子に座りコーラを飲みながらアウラは気怠げに眺めた。
 ナザリックを拠点に各地に霜の竜フロスト・ドラゴンを派遣する輸送部門担当のシャルティアは大体はナザリックにいるが、広域警戒担当のアウラは久し振りにナザリックに帰ってきていた。最近は食肉の試験牧場を任される事も決まったのでその準備もあり忙しくなってきているのだが、今日は噂のネイア・バラハが訪問し歓迎会が行われるので、ある程度の仕事は事前に済ませておきナザリックに帰還してきた。ネイア・バラハがどれだけ話の分かる人間なのかアウラもそれなりの興味を抱いている。人間は基本的に知能が低く相手の力量を見極める能力も高くないのでアインズ様の偉大さをなかなか理解しないけれども、シズの話だとネイアは相当見込みがあるらしい。
 だが目先の問題はこの興奮の極みにあるシャルティアがうるさい、ということだ。第六階層でのんびりしていたアウラの元に訪れると、先程玉座の間であった事件について怒りをぶち撒け始めた。
「何なんでありんすか! 私が何をしたというでありんすか! あの大口ゴリラが事もあろうにアインズ様を怒らせるから、私まで妃候補から外されるなんて! こんな理不尽ないでありんす!」
「……それだけが原因じゃないとあたしは思うけどね~」
 あまりにもうるさいのでつい声を漏らすと、シャルティアはぴたりと動きを止めて腕をおろしアウラを顧みた。
「どういう意味でありんすか、ちびすけ」
「あたしにはあんたとアルベドの女の戦い、アインズ様はずっとお困りになられてたように見えるけど。お優しいアインズ様はあんたたちを傷付けたくなくて言い出せなかっただけじゃない? 喧嘩してる時のあんたらの恐ろしい顔を見たら、妃なんていらない、って思われても無理ないと思うけどね」
「あっ、あ、アインズ様に向かってあんな顔はしないでありんす!」
「いやそれでも、もう何回も見せちゃったんだから百年の恋だってとっくに冷めてるでしょ」
「そ、そんなぁ……アインズ様ぁ……」
 半泣きのシャルティアは必死な目でアウラを見つめてくるが、どうすればいいかなどアウラに分かる筈はないので何も言えることはない。
 客人であるネイア・バラハにまで嫉妬を向けたアルベドにとうとうアインズ様は激怒なされ、妃は娶らないという宣言をされた、と聞いた。いつかこういうことが起きるのではないかとは思っていたけれども意外と早かったな、くらいの感想しかアウラにはない。不敬を働いたアルベドが謹慎になるのはいつものことといえばいつものことだ。今回ばかりはさすがに堪えたかもしれないが、謹慎が解けたら案外ケロッとしているかもしれない。アインズ様の謹慎命令を照れ隠しの愛情表現と捉えている節すらアルベドにはある、この試練を乗り越えてこそ真実の愛が育まれる、とか言い出しても何も不思議はない。頭良いんだからそんな訳ないって分かると思うけどな、とは口には出さない。面倒事はご免だ。
 守護者統括なのによくまああれだけ凝りもせず不敬を働けるものだ、とは思うけれども、統括の座は至高の御方々のお決めになった役職だから口を出す筋合いはない。
 成長したらいずれはあたしもアインズ様のお妃に、アウラも考えてはいたけれども、アインズ様が望まれないなら仕方のないことだ。アウラ個人の考えなど、ナザリックの絶対支配者であらせられるアインズ様の決定の前では意味を持たない。それにお考えが今後絶対に変わらない、ということではないのだし。
「あたしはアルベドが心配だよ。妃は娶らないってはっきり言われちゃったなら、思い詰めて何か変なことしたっておかしくないでしょ」
「変なこと、でありんすか」
「何するかなんてあたしにも想像つかないけど、とんでもないことする可能性だってあるじゃん?」
「アインズ様を悩ませ煩わせた上に逆恨みで妙なことをするようなら、それこそ正妃の資格も守護者統括の資格もないでありんす。そもそもアインズ様のご意向に楯突くなんて、栄えあるナザリックの一員としての資格すらないでありんすよ。アルベドだってそこまで馬鹿じゃないでありんしょう」
「その通りだし、そうならいいんだけどね……アインズ様はお優しいから、アルベドを強く叱責したことを気に病んでおられないといいけど」
「人間の女なんてアインズ様が妃になど考える筈がないのに、誰彼構わず醜い嫉妬を向けた当然の報いでありんす。アインズ様が気にされることなんて何一つありんせんというのに……ああ愛しいアインズ様、わたくしが慰めて差し上げたい!」
「そういうとこだよあんた……」
 アルベドと五十歩百歩のシャルティアの様子に溜息が漏れるが、それでもシャルティアは妃候補にはどう考えてもならない人間や男性にまで嫉妬を向けるようなことはない。シャルティアがそこまで嫉妬深い質ではないというのもあるだろうが、それにしてもアルベドの嫉妬は度を超えている。慈悲深いアインズ様の怒りが爆発してしまうのも無理のないことだと思われた。
 何が起こるか予想が付けられない。こんなことになってアルベドがどういう行動を取るかなど誰にも予想はできないだろう。それでも、何が起きるにしてもアウラの、そして他のナザリックの全ての者のする事は決まっている。アインズ様の為になることだ。
 デミウルゴスがいればどうするべきか指示してくれたかも、と冷静な知恵者の同僚の不在をアウラは少し残念に思いながら、アインズ様をお守りしようと、具体的な行動はまだ定まらないもののもう一度強く決意した。

***

 夕刻、キュクーは割り当てられた自室で魔導王陛下に写本していただいた本を読んでいた。
 村であれば灯りは確保が難しい。焚物はいくらでも森にあるが半水棲で完全な陸では十全に動けないリザードマンにとって森は決して安全な場所ではない、厄介な特殊能力を持った強力な魔獣や攻撃的な亜人が多く棲息するトブの大森林は陸生の生物でも生き抜くのが難しい。狩猟班は森に慣れているとはいえ薪などを拾って往復するのは容易い仕事ではなかった。そしてリザードマンは主に湿地で暮らしているから、薪が確保できたとしても保管は湿気との戦いになるのであまり現実的ではない。その為狩猟班が集めてくる焚物は必要最低限の量になる。
 だから村では起きている必要がない限り夜は皆早々に寝るが、ナザリックの造った建物は違う。魔法の灯りによってどこも夜でも煌々と照らされている。本を読むのにも何の不都合もなかった。
 村での自分たちの暮らしとのあまりの格差に畏怖の念は増すが、それはそれ。本がいつでも読める環境をキュクーは有り難く享受していた。これで行き交う悪魔たちの恐ろしい気配さえなければ完璧なのだが、今は望むべくもない。
 本の内容に集中していると、コンコンと扉がノックされた。誰だろう、と不審に思う。この建物にキュクーを訪ねてくるのは身の回りの物を届けてくれる担当者だけだ。デミウルゴス配下の悪魔だが、キュクーに合わせて昼間訪ねて来るのが常で寝る前の遅い時間に来たことはない。デミウルゴスと他の配下がキュクーに用事などないだろう。
「どうぞ」
 誰にせよナザリックの関係者だからこの建物に入ることができているのだろう、つまり危険はないという判断からキュクーは入室を促した。扉が開いて、姿を見せたのは魔導王だった。あまりの驚愕にキュクーは本を取り落として即座に平伏した。
「まっまま、魔導王陛下! 大変失礼いたしました!」
「顔を上げてよい、楽にせよ」
 その言葉にキュクーは不審を深めつつ顔を上げた。魔導王陛下はアンデッドなので表情の変化は分からないから確とは言えないのだが、先程の声は明らかに投げ遣りといえばいいのか、ため息混じりだったようにキュクーには思われた。
「わたくしのような身分卑しき者を御自らお訪ねいただき、恐縮の至りにございます。それで、あの……本日はどのようなご用件で」
「……学友なのだ、住まいを訪ねても不自然ではなかろう、多分。私もよくは知らぬがそういうものだと思っていた。学校には昔通っていたのだが家を訪ねる友人などいなかったので詳しくはないが……。用件は、ついでで悪いが差し入れを持ってきた」
 言うと魔導王は虚空から袋を取り出し横のテーブルに置いた。
「デミウルゴスに用事があるので手土産を持ってきたのだが、お前も同じ場所にいるのを思い出したので用意した。魚のフライ……油で揚げたもの……分かるかは分からんが魚料理を小麦のパンに挟んだものだ、後で食べるとよい」
「温かいお心遣い、誠に痛み入ります。有り難く頂戴いたします」
「何か困っていることなどないか、住み慣れた村から離れたのだ、色々と不自由もあろう」
「はい、その……いえ、何から何までご用意いただき不自由なく暮らしております」
 不自由はないのだがあの悪魔たちは勘弁してほしい。だがそんな事を魔導王陛下に言い出せるわけもなくキュクーはお茶を濁すことにした。ここはナザリックの造った施設なのだし、キュクーよりデミウルゴスの事情が優先されるのは立場から考えて当たり前のことだ。どういう事情かは知らないがキュクーがその事情に優先することなどありえないだろう。
「そうか? ふむ、ならよいが。何かあったらすぐ言うがよい」
「細やかなお心遣いをいただき、卑しき者も隔てぬ真の支配者に相応しきそのお心に感服しきりでございます」
「……なんだか少し前のデミウルゴスと話している気分だ。あいつほど大袈裟ではないが、語彙が豊富というのも善し悪しだな……そのように美辞麗句で褒め称えなくてよい」
「失礼いたしました。わたくしの感謝を陛下に相応しい言葉でお伝えしようと努めましたが、お心に沿えず慚愧の念しきりです」
「だから……いや、言っても詮無いことか」
「あの、陛下、分際を弁えぬ不遜な質問かとは思うのですが……」
「何だ? 言ってみよ」
 促されてもキュクーはなおも質問を口にするのを躊躇してしまう。だけれどもただ何となく気になるからとかそんなつまらない理由で聞こうとしているわけではないし、何より質問があると言ってしまったのに口にしないなど不敬極まる。意を決してキュクーは口を開いた。
「大変失礼かとは存じますが、何やらお心が晴れぬ様子とお見受けいたします。陛下は多数の配下を率い他に比すべくもなく重大な責任を背負われた方。軽々に口にできぬことも多々あるとは承知しておりますが、わたくしはナザリックの皆様方とはしがらみのない身でございますので、差し支えなければ世間話としてお話しになるだけでも少しはご気分が晴れるのではないでしょうか? 僭越ながら学友への世間話であれば、少しは陛下も楽なお気持ちでお話しいただけるのではないかと愚考いたします」
 そのキュクーの言葉に答えないまま、魔導王陛下はキュクーを凝視して沈黙を続けた。表情が読み取れないから何を思っているのかの手がかりはない。分を弁えず踏み込んで詮索するなどやはり無礼だったのだろうかと思ったが、それならすぐキュクーを処断すればいいだけの話だ、沈黙の意図が読めない。
「……世間話か、そうだな。学友であれば身の回りの出来事を気軽に雑談するだろうし、試してみるのも悪くはないか……怒りに任せて、配下を激しく拒絶し、傷付けてしまったのだ。それをいたく後悔しているから、お前に分かるほど態度に出てしまったのだろうな……」
 キュクーの疑念とは裏腹に、沈んだ声で魔導王はぽつりぽつりと話し始めた。その反応に意外さを覚えながらも、一拍を置いてキュクーは返事を返す。
「その配下の方をとても大切に思われているのですね」
「勿論だ。だが、その気持ちも上手く伝わらん。怒りに任せてきつく叱責したのが良くないのは分かっているのだが、配下は皆、私を崇拝するあまり言葉を素直に受け取ってはくれない。どう伝えればいいのか分からないのだ」
「……ナザリックの皆様は魔導王陛下を誰よりも尊敬しておられますから、偉大なる陛下が配下を顧みることを素直に受け取れないのも自然なことかと思われます」
「そうか……そうだよな。仕方のないことなのかもしれないな」
 キュクーの答えを聞いて魔導王陛下は深い溜め息をつき、そう吐き捨てるように言った。素直に受け取るならば、その反応が示すのは強い諦めだろう。孤独に慣れどうにもする手段がないのならばやがて諦めるのは当たり前だ。
「先程陛下は、怒りに任せ拒絶した、と仰られました。拒絶というのは言葉の綾で出てしまっただけで本心ではない、ということなのでしょうか」
「……いや、彼女の要求には応えられないから、もっと違う形で機を見て話そうと思っていたが、つい口をついて最悪の形で出た」
「それでしたら、要求に応えられないというそれ相応の理がございましょう。そして何より陛下がその方をとても大切にされておられて、傷付けてしまったことをそんなにも悔やんでおられるというそのお気持ちを、しっかりと伝えることが一番大事なのではないでしょうか。陛下のそのお優しいお気持ちが相手の方に伝わらないのはあまりにも双方にとって悲しいことです」
「お前の言うことはもっともだが、しかしな、言ったところで伝わるだろうか」
「もし陛下が本当にその方を大事に思っておいでならば、その方に理解していただけるまで何度でも、言葉を尽くし様々な伝え方を試されませ。一度では伝わらないかもしれませんし、伝え方によっては陛下が今後悔されているような結果になるでしょうが、だからこそ考えられる方策を全て試して、それでも伝わらぬ時にはその時初めて別の道を考えるしかないのではないでしょうか。言い方によって伝わらないということは、言い方を変えれば伝わる可能性があるということです。陛下やナザリックの皆様方を我らや人間と同列に扱っていいものかは無礼に当たるかもしれませんし分かりかねますが、我らや人間であれば一度や二度伝えられただけではなかなか悟れないのは当たり前のことでございますし、悟れたからといって変わることも即座には難しいものです。お恥ずかしながらわたくしも変化を恐れておりましたが、どのような形でも学ぶ機会を与えていただいた事に今は心より感謝しておりますし、陛下と共に学ぶことでもっと様々なことを学びたいという気持ちも生まれました。徐々にでも、変わることはできると、わたくしは確信しております」
 ある種の賭けではあるが思い切ってキュクーは己の考えを述べきった。失敗すれば自分の命や下手をすれば全ての同胞たちの命を支払うことになる賭けだが、それでもきっと今伝えなくてはならないのではないかと思えた。
 魔導王陛下がコキュートスへの直言をあんなにも懇願したのは、もしかして自分が直言してほしいと思っていたから、せめて部下にそんな思いをさせまいとしていたのではないだろうか、そうふと思うとその思いが確信に近くなるのに時間はかからなかった。コキュートスやデミウルゴスの魔導王陛下への絶対的な帰依ともいえるあの態度を見れば、直言を逆らうことと捉えて不敬と考えていてもおかしくはない。長が誰にも反対されずに己の言葉が正否に関わらず絶対となる、そんな状況にはさすがにキュクーは置かれたことはないが、それがどれくらい恐ろしいか完全ではないにしても想像はできる。
 たとえ間違っていても正しいとされて、己の言葉一つで全てが決まってしまう。そしてもし間違った方向に突き進んでいくことになり止められないのだとしたら。そんな責任などそうそう背負い切れるものではない。
 だからキュクーは、不敬とこの場で手討ちにされる覚悟で自分の考えを述べ直言した。自分は間違っているとも言い出せない、それもきっとどうしようもなく孤独だろうから。キュクーが述べ終わり口を閉ざしても、魔導王陛下は言葉なくキュクーを見据えたまましばらく動かなかった。
「……ようやく、意味が分かったな」
「は……失礼ですが、どのようなお話でしょう」
「今まではよく分かっていなかったのだ、デミウルゴスが何故お前を私の学友にと推薦したのか。理由は説明されたし納得もしたが、本当の意味では私は分かっていなかったのだろうな。ふふ、この言われてみれば当たり前の道理は残念だがあいつでは私に説くことはできなかっただろう。変えようのないことだがあいつは巧言令色を弄する悪魔なのだから。確かにお前であればコキュートスの参謀として育てるのに不足はないだろうな」
 ゆっくりと語る魔導王陛下の声音から諦めの色は消えていた。魔導王陛下に直言した内容の通り、一回ですんなり納得されることをそもそもキュクーは想定していない。勿論一番納得を得られそうな論理を使うけれども、何回か理屈や言い回しを変えることを最初から考えている。村の同胞ならば共通認識があるから通じやすい論理というものがあるけれども、共通の認識がない相手ならば尚更のことだ。だから意外だったのだが、キュクーの言葉はすんなりと魔導王陛下に届いたようだった。
「……お褒めの言葉、恐悦至極に存じます」
「世間話というのは、実にいいものだ。また話しに来てよいか」
「はっ、身に余るお言葉を賜り光栄にございます。わたくしでよろしければいつでもお話相手を務めさせていただきますので、いつなりとお訪ねください」
 また来る、と言い残し魔導王は部屋を出ていった。僅かばかりでもお心を軽くし少しでもご恩をお返しできたのだろうか。少しでも、孤独ではないと思ってもらえただろうか。それならばよいのだが、と思いながらキュクーは取り落としたままだった本を床から拾い上げた。

***

 すれ違うデミウルゴス配下の悪魔の跪拝を受けながら偽りのナザリックの廊下を歩きつつ、アインズは先程言われた言葉の意味を考え続けていた。
 言われてみれば当たり前のことなのに、どうしてその発想を全く持てなかったのだろう。一度言われたからといって一度だけで納得し理解することは難しい。当然アルベドやデミウルゴスは人間など及びも付かない恐ろしいほど高い知能の持ち主だけれども、思い込みというのは正しい認識を強固に妨げるのだから、一度で通じる道理がない。
 ご謙遜を、と一度言われたらすぐに言いたいことを引っ込めてしまっていたのは、通じそうなら言ってみようと思っていたけど通じそうになかったからだ。だけどそれは、本当に伝えようとする態度だっただろうか。
 勿論支配者としての姿をかなぐり捨ててまで伝えることは恐らく今のアインズにはできないのだが、それにしてもあまりにも、伝えようとはしてこなかったのではないだろうか。
 自分が凡庸だと強く言い出せなかったのは、偉大な支配者の演技でなんとかなっていたからに他ならない。凡庸であると伝える必要が薄かったからだ。必要が強まればさすがのアインズだってどうにか伝えようとする。
 アルベドには、どうしても分かってほしい。アルベドが望むようにではなくても愛しているのだと。その点をまず分かってもらえなければ責任を取る方法を考えることすらできないのではないか、という思いが明確な根拠はないけれどもアインズの中に生まれていた。
 それならばきっと、言ってもどうせ通じないなどと言ってはいられない。
 どれだけの困難があったとしても、それを乗り越えてでも伝えなければならない気持ちというものが、きっとある。
 大事なタブラさんの娘が愛されていないと誤解する、そんな悲しいことがあっていい筈がない。
 デミウルゴスが一時的な執務室に使っている部屋の前には警護の悪魔が立っている。取り次いでもらい部屋の中に入ると、跪いたデミウルゴスに迎えられた。
「ご苦労、頭を上げよ」
「御自らご足労いただき恐縮にございます。お呼びいただければ馳せ参じる、と申し上げたいところですが、今はナザリックに帰還するわけにはいきませんので、ご配慮に感謝いたします」
「お前のことだ、用件は大体見当が付いているのだろう。どの程度知っている」
「はっ……玉座の間にてアルベドがネイア・バラハに対する嫉妬を見せたことに端を発して、アインズ様が妃を娶る気はないと宣言され、アルベドに謹慎を申し付けた、と把握しております」
「見事に全部だな……」
「噂好きのメイドたちの口に戸は立てられませぬ。既にナザリック中のシモベが事態を把握していると見るべきかと」
「女三人寄れば姦しいというが、女性が惚れた腫れたの噂話が好きなのはどこも変わらないのだな。それはともかく、私はアルベドと話し、私がどう考えているかを理解してもらえるまで伝えようと思う。お前はどう考えている?」
 問いかけにデミウルゴスは目線を伏せて長考する。それはそうだろう、解決など不可能に思える問題だ。唯一の解決の道をアインズが感情的に潰したせいで、時間稼ぎで言い包める手さえ使えなくなった。
 無理ならよいとそろそろアインズが声を掛けようか考え始めた頃、デミウルゴスはようやく目線を上げて口を開いた。
「恐れながら、残された道は二つと愚考いたしますが、片方は実質的に選べない選択肢でございます。ですのでアインズ様のお考えが唯一の道かと思われます」
「……引っかかる物言いをするな、そう勿体付けるものではない」
「申し訳ございません。お怒りを被る可能性もあり口にするのも憚られる方法でございますので、そうする以外ないという状況になるまでは口にしたくないのです」
「排除、か?」
「御意。ですがアインズ様は決してそのような結果を望まれないでしょうし、アインズ様やナザリックへの明確な反逆でない以上わたくしにとっても取りたい手段ではございません。無論アインズ様の命とあらば確実に実行いたしますが、そのような命が下されるなど今のところありえない話でございます。今のアルベドが聞き入れる可能性があるとすれば、アインズ様ご自身の言葉以外には恐らくないでしょう。ですのでアインズ様のお考え通りにされるのが現状で取れる最善の方策かと存じます」
「最善か……最善ではないのだろうが、これしかないのだろうな」
「智をもって御身に仕える身でありながら無策の醜態を晒してしまい、大変申し訳なく存じます」
「よい。私の愚かさが引き起こした事態だ。それにいずれは真剣に考えなければならなかったことだ。お前やナザリックの全てのシモベに気を使わせてしまう状況を作り出したことをむしろ私が謝らなければならないだろう。お前ならば何か他の道が、と考えたから相談に来たのは事実だが、他に方法はない事は認識している。かといってどう話したものかというのは、いくら考えてもよく分からないのだがな……妃を娶る気はないが大事に思っているということをどう伝えるべきだと思う」
 問いかけるとデミウルゴスは再び沈黙を返してきた。今度はすぐにアインズに向き直り口を開く。
「その問いにお答えする前に、アインズ様に一つ伺いたいことがございます」
「何だ?」
「アインズ様がエ・ランテルでわたくしに真実を告白してくださった時、何故アインズ様はわたくしに隠し通そうとされていたご自身の秘密をお話しくださったのでしょうか。無論わたくしが慮外にも御身の内心の吐露を盗み聞きしてしまったから、ということもございましたでしょうが……」
 唐突なデミウルゴスの質問返しにアインズは戸惑ったが、アインズの能力など遥か及ばない智謀を持っているのだ、デミウルゴスの中では案外繋がっている話なのかもしれない。関係なかろうとばっさり切り捨てるわけにもいかないかと素直に話すことにする。
「お前の言う通り、つまらん愚痴を聞かれてこれ以上誤魔化せないと思った、というのが一番大きな理由だな、それは確かだ。何をどう取り繕っても絶対に辻褄を合わせられないと思ったのだ。だがそれだけでもないな……見捨てられるのではないかと取り乱したお前を放っておけないと思ったのも、また確かだ」
「シモベにあるまじき醜態をお見せしてしまったこの身をそのように気遣っていただけたこと、誠に深謝申し上げます」
「ウルベルトさんが遺してくれた大切なお前を、見捨てられるわけがない。それは他の者も同じことだ。お前が本気で思い悩み進退窮まっていることは伝わってきたから、どうにかしなければと思ったのかもな」
「それであれば、その我らシモベを思いやるお気持ちをアルベドにも是非お伝えください。もしかしたらあの時のわたくし以上に思い詰めているやもしれません。甘言で人を惑わす悪魔たるわたくしが申し上げるのも口幅ったいのですが、最早小手先の弁舌など無意味でございます、お気持ちを真っ直ぐな言葉で伝えられることこそ最善にして唯一の方法かと存じます。わたくしが衷心を何としてもお伝えしたいと本気で願った気持ちがアインズ様に通じたように、アインズ様のお気持ちは必ずやアルベドに通じます。本気で伝えようとされているアインズ様のお気持ちを受け取らぬようでは愛しているなどとはアルベドも申し上げられないでしょう」
 そう告げるデミウルゴスのいつもと同じ筈の微笑みが、とても穏やかなもののようにアインズには感じられた。自信と皮肉をいつもは宿している筈なのに、気の持ちようによって見え方も変わるのだから認識というのはいかにもいい加減だ。
 それでも、そっと励まそうとしてくれているような穏やかさは、たとえ勘違いだとしても今のアインズには心強かった。

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