12

 夕刻、近くの小川での漁で捕まえた川魚を手に戻ってきたキュクーは、木造ながらも壮麗で巨大な建物を見上げて憂鬱そうに息を吐いた。
 今彼が住んでいるこの立派な建物は彼らリザードマンの支配者であるナザリックがトブの大森林の奥深くに建てた建造物だ。今までは一時的に使われるだけで普段は警護のシモベしか配置されていない建物だった。広大な建物に一人で生活することになり、広すぎて落ち着かないとはいえ生活するうえでキュクーの心はそれなりに平穏だった。
 だが、その平穏を乱す存在が今は同じ建物で生活している。
 湖のリザードマンを統治する蟲の武人コキュートスと同格の地位を持ち懇意にしている悪魔・デミウルゴスが今ここで一時的に仕事場を構えていた。
 キュクーが気軽に話を聞けるような相手ではないので詳しい事情を本人から聞いたわけではないが、半分くらいは聞かなくても察することはできなくもない。神をも超えた至高の御方、死の神アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下にナザリックの全ての者は絶対的な忠誠を誓っている。現在アインズはここを使って帝王学の授業を受けており、デミウルゴスは配下のシモベもほとんど使うことはなくただ一人で講師のザナックの送迎など雑事をこなし手助けをしているから、それを最優先するためにここで起居しているのだろう。常識では考えられないような高度な転移の術が使えるのに、とは思うが、ナザリックの方々の驚くほど強い魔導王陛下への忠誠心や敬意を考えればこの過度なほど徹底的な優先ぶりは敬意の表れなのだろう。
 どうしてナザリックから出て他の場所で生活しているのか、その根本的な原因についてはキュクーは知らない。デミウルゴスがここに移ってきた日に、しばらくの間ここで仕事をするがそんなに長い期間ではない、とは言われたが、いつまでなのかも知らない。ただ、困ってはいる。仕事の関係で出入りしているのであろうデミウルゴスの配下もほぼ悪魔だが、とにかく恐ろしい。見た目は勿論だが、デミウルゴスとの差がキュクーからでは分からないほど強大な力を持った悪魔たちであることは見ただけで分かる。ドラゴンと巨人との力の差が一般人に分かるわけがない、どちらも戦えば為す術なく死ぬしかないのだからキュクーから見れば同じくらい絶望的な強さだ。理由もなく無体を働かれることはないと知っていても緊張してしまうのはキュクーのせいではないだろうし、忙しいデミウルゴスの仕事に伴い入れ替わり立ち替わり一日中悪魔たちは出入りしているのだから、つまりキュクーは一日中ずっと緊張の中に置かれている。気が休まる時が一秒たりともない。
 こんなことになると知ってさえいれば、勧めを受けた時にとっとと帝国に留学していたのに、と思わなくもない。どれくらい強いのかもよく分からないほど強い悪魔に囲まれて恐ろしい思いを毎日し続けるような事はきっと帝国ではなかっただろう。
 それに、さっさと帝国に行ってさえいれば、魔導王陛下の学友に、なんてことにもならなかった。事あるごとに魔導王陛下に学友としての態度を求められるのにもキュクーは正直困らされている。魔導王陛下の配下であるデミウルゴスやコキュートスさえキュクーから見れば気安く口をきける相手ではないのに、彼らの上に立ち神としか思えない力を振るう魔導王陛下など本来平伏して頭を上げずに許可を得て話すべき相手なのだから、机を並べて言葉を交わすのも恐れ多い。
 しかしながら、勘違いかもしれないし不遜な物言いだろうが、キュクーのような身分の低い者に身分を超えて友人として振る舞うことを要求する魔導王陛下のお気持ちが少しも分からないわけではない。
 王というのはきっと孤独にならざるをえないだろうし、神ともなれば更に孤独となるだろう。小規模なリザードマンの一部族の長にすぎないとはいえ、キュクーも人の上に立ったことはある。長として非情な決断を下す場面もあったし、余人には相談できないこともあった。長というのは一人しかいないのだから、部族の中では対等な立場の者はいない。リザードマンの部族は閉鎖的で他の部族含めた外との交流がほぼないのは鋭き尻尾レイザー・テイル族もその例には漏れなかったから、ナザリックの侵略に際して顔を合わせたシャースーリューはじめ他の部族の長は久し振りに対等に話せる相手だった。長というのは集落全体の利益を代表する立場ではあるけれども、人それぞれ考えは違い何が利益となるのかもそれぞれに違う。長としてやっていた事といえば大半が利害の調整だ。どちらか片方の味方になれないということは、利害を超えて見てくれる相手がいなければ友人は決して得られないということでもある。幼い頃から長として定められ年若くして長になったキュクーは特に友人が得づらかったし、だから長として振る舞う必要がなくなり周囲の者たちと胸襟を開いて対等に話せるようになった現状に感謝すらしていた。
 これを言えばどうなるか、どのような影響が誰に出るか、というのが見えすぎるのもある種の問題だった。ちょっとした愚痴すらこぼす相手によっては考えもつかない影響が出る。白竜の骨鎧ホワイト・ドラゴン・ボーンすら奪い尽くせなかった己の知性は部族を守るための強力な力であったから与えられた感謝を祖霊に捧げることは常に忘れなかったけれども、だからといって寂しくなかったわけではない。キュクーは己の心をあけっぴろげに開示したことなど一度もないし、肚の底が見えない相手を友人として扱おうとする者はそうそういないだろう。部族を守るという目的のために己が果たすべき役割があるのだから仕方ないことだ。だからキュクーはずっと諦めて納得していた。
 魔導王陛下に蘇生していただいて以降五部族が統合したリザードマンの村で暮らす日々は、初めてキュクーが他の者と対等に友人として過ごせている時間でもあった。今とて言わなくていいことは言わないようにしているが、話せることはずっと増えた。全体の利害のバランスや調整のことを考えずに自分の考えで最良と思える意見が言えるようにもなった。白竜の骨鎧ホワイト・ドラゴン・ボーンに奪われた知性は一度奪われたら二度と戻らない筈だったが、どういう原理かは分からないが蘇生によって知性が戻ってきたキュクーはリザードマンにとって頼るべき頭脳となった。過程に理不尽の極みの侵略があったとはいえ、魔導王陛下とナザリックからキュクーが受けた恩義は過程の理不尽さを補って余りあるほどに甚大だった。
 だから、魔導王陛下の希望を叶えて差し上げたい、とは思うのだ。デミウルゴスに言われたように恩義を僅かばかりでも返す好機だろうし、規模が違うだろうが多少なりとも孤独が分からないわけでもない。
 ナザリックには魔導王陛下に忠誠を誓う多数の配下がいるのに、配下の中では最も位が高い中の一人であるデミウルゴスが雑用まで全て自身の配下も使わず単独でこなしているのだから、魔導王陛下が帝王学を学んでいるという事項は極秘なのだろうということは簡単に推測が付く。関わる人数が増えれば増えるほど秘密が漏れる可能性は高くなるのは自明の理だ。
 知らないから学びたい、ということすら言えないのはきっと孤独だろう。魔導王陛下は魔道の極みに至った偉大なる魔法詠唱者マジックキャスターなのだから、知らないことがあるなどと知れれば外聞がよろしくないし不利に働く状況が生まれる可能性もあるというのも分かる。キュクーも以前は孤独であったけれども、魔導王陛下が誰にも相談できないことはきっとキュクーなど及びも付かないほどに多いのではないかと思われた。
 だからきっと、コキュートスへの直言を躊躇わずに助けてやってほしいと、あんなにも必死だった。魔導王陛下が恐れているのは、支配領域を広げ続けるコキュートスに言えないことがどんどん増えて孤独になってしまうことなのではないだろうか。
 推測でしか動けないのは歯痒いが、どのラインから先が無礼に当たるのかの見極めに今キュクーは腐心していた。平伏もしないまま魔導王陛下の横に並んで座って一緒に授業を受けるなどコキュートスが知ったなら驚愕と憤慨のあまりに卒倒するのではないだろうか。キュクーとしても最低限平伏は必要だと思っていたから、正直現状の無礼に当たるラインが全く分からない。いっそ思い切って無礼な発言をしてみれば見極めやすくなるのだろうが、万一魔導王陛下が許してくださったとしてもデミウルゴスに殺されるだろう。デミウルゴスはキュクーに目をかけていると魔導王陛下は思っているようだが、それは好悪の感情は関係なく利用価値があるからだし、殺すべき理由が利用価値を上回れば眉一つ動かさず相手を殺せる冷酷さはデミウルゴスの慇懃な言動の端々から容易に読み取れる。デミウルゴスが自分に利用価値を見出している以外の感情など持っていないことはさすがにキュクーにも分かる。それでも魔導王陛下の希望にできる限り沿って、今でもキュクーはかなり思い切って敬意の表明を省いた物言いをするようにはしている。
 ゼンベルが羨ましい。キュクーはまた一つ大きな溜息を漏らした。強さと正しさだけを絶対の基準としたまっすぐなあのオスは、魔導王陛下さえ隔てはしない。魔導王陛下に直接窘められて以降はさすがに最低限の礼儀は守るようになったけれども、礼儀を守っているだけで発言内容はやはり遠慮はない。リザードマン全体の利益などという薄ぼんやりした相対的流動的な基準ではなくて、己の中の正しさという絶対の基準をゼンベルは持っているから迷いがない。それがいいか悪いかは置いておいて、だから悩まない。人によって正しさは違うのだから当然争いが生まれるが、強い方の言うことを聞くというリザードマンらしい絶対のルールを遵守するから矛盾もない。
 そう考えると、賢さというのは何の役に立つのだろうということもキュクーには正直よく分からなくなってきていた。使い方次第なのはどんな物事にも当てはまるが、賢いからといって上手に生きられるわけではない。賢いという言葉にも様々な意味があり種類があり、その観点からいえばゼンベルだって愚かではないどころかある種の賢さはキュクーより断然上だ。起こりうる危険を予測し対策し回避する、そのように使って部族を守ってきたつもりではあったけれども、それは確かに己の中で最も正しい使い方だったけれども、全ての危険を回避できたわけでもない。リザードマン同士が骨肉相食み二つの部族が滅んだあの戦いも回避はできなかった。もしリザードマンがあの戦い以前に閉鎖的な生き方をやめて外に目を向けていたなら、ザリュースやもしかしたら他の者がもっと早く外から魚を育て増やす養殖の考え方を持ち帰ってきていたかもしれない。養殖が湖のリザードマン全てを養えるほどに実用的になったのはデミウルゴスの改良があればこそだが、そこまで成功したものではなくてもリザードマンの人口の増加が直ちに食糧危機とそれに伴う争いを引き起こしてしまうのを防ぐ、あるいは衝突開始を引き伸ばす役割は果たせたのではないか。足りないなら増やせばいい、という発想すら持てなかったのだから結果論に過ぎないのだが。
 己の中で信じられるものを正しいと信じそれに従って生きていけるのは、強さだ。腕っぷしの強さだけではなく、そのような強い信念、心の強さを持ったゼンベルやザリュースといったオスはやはりリザードマンの中でも際立って強いといえる。
 様々なものが見えてしまう故に正しいと言い切れるものがなくなるのは、強さではないだろう。キュクーはいつも迷ってばかりいた。選択していたのは次善策でしかない。全ての条件を満たす最良の選択など通常はありえないからだ。目的も利益も考え方も各人によって異なる以上、全員を一度に幸福にする都合のいい方法は存在しない。
 長であるということは、誰かに割を食ってもらう選択をする責任を持つ、ということだった。長に相応しいだけの強さがその選択を各人に納得させるけれども、それでも出来る限り公平に公正に誰でも納得できるような論理でもって、損をする者の損が少ないように、以前損をした者が今度は得を取れるように、キュクーは苦慮してきた。その苦心はある程度は成功しており、だからこそ自身を守っていた白竜の骨鎧ホワイト・ドラゴン・ボーンの防御を抜いて有効な攻撃を加えられる者が鋭き尻尾レイザー・テイル族だけではなく湖のリザードマン全体で考えてもいなかったにしても、部族内の不満は非常に少なく長に成り代わろうとする者も現れなかった。きっとそれはキュクーがそれなりに上手くやれていたという証拠なのだろう。
 だけど、それは正しかったのだろうかとキュクーは考え続けていて、答えは未だに見えない。部族の全ての者に公平であることは取りうる中で最良と思える次善策だったけれども、誰かの味方でなかったことは本当に正しかったのだろうか。選択が本当に正しいのであれば、誰かの味方だったとしても選択が間違いになることはないのではないか。
 結局のところ、キュクーが特定の誰かの味方ではなかったから、誰にとってもキュクーは特別ではなかったのではないか。
 誰かの味方であるということは、その人自身に対する強い信頼を伝えることでもある。信頼されればこそ相手も自分を信頼するだろう。自分だからこそ信頼された、と思えなければ、相手に同様の信頼を返すこともないだろう。
 過去の決断について今更考えたところで全て結果論でしかない、無益だ。だけれども、あの時他の道について思い至ることができていたなら、他の結果もあったのだろうかとつい考えてしまう。
 とりあえず目先の問題はこれから夕食を済ませて寝るまでの時間、強大な悪魔たちの気配に警戒と緊張を強いられ気が休まらない、ということだ。もう一回大きな溜息をつくと、意を決して脚を動かしキュクーは偽りのナザリックの中へと入っていった。

***

 ナザリック第十階層玉座の間、諸王の玉座にアインズは久方振りに腰を下ろし来訪者を待っていた。
 横にはアルベドが控え、玉座に至るまでの通路脇にメイドたちとナザリック・マスターガーダーが左右に分かれ整列している。
 しばらく待つと入口の巨大な扉がゆっくりと左右に開き、シズに案内されたネイア・バラハがきょろきょろと周囲を見渡しながらゆっくりと進んでくる。玉座の手前でシズは立ち止まり跪拝し、ネイアもそれに倣う。
「アインズ様、ご招待されたネイア・バラハが到着いたしましたので、お言葉を賜わりたく存じます」
「うむ。招待に応じ遠路はるばるよくぞ来てくれたな、ネイア・バラハ。ここがシズと私、我々の居城であるナザリックだ。ナザリックの全ての者がお前を歓迎している。案内はシズに任せるが、色々と珍しいものもあるだろうから存分に楽しんでいってほしい」
「偉大なる魔導王陛下のご厚情に深く感謝いたします」
「簡素だが夕食には歓迎の宴も用意している。シズ以外のメイド悪魔たちや私の信頼する腹心たちもお前を歓迎したいと参加することになっているが、緊張しすぎずに気楽に楽しんでもらえれば嬉しい。極めて珍しいのだぞ、このように歓迎される人間というのは。なあシズ」
「アインズ様の仰る通り。ネイアは人間なのに見どころがある、それを確かめるのを皆楽しみにしてる」
「し、シズ先輩、そんなこと言われても……あっ失礼いたしました!」
 自身にかけられた過大な期待に思わず漏れた不安から普通の口調でシズに話しかけてしまったネイアが恐縮して平伏するが、アインズは愉快そうに呵呵と笑った。
「ははは、構わんぞ。友人として親しくシズと接してくれるのは私にとっても喜ばしいこと、それを咎めたりはせん」
「あの……重ね重ねの無礼になるかとは存じますが、一つ質問してもよろしいでしょうか」
「構わんぞ、何だ」
「この広間には様々な紋様の旗が掲げられておりますが、配下の方々の旗なのでしょうか」
 ネイアにとっては何気ない疑問だったのだろうが、アインズにとってはとても重大な問題だ。胸の痛みが疼く。だが別に隠すようなことではない。
「ここに掲げられているのは、このナザリックを共に作り上げた私の仲間たちの旗だ」
「陛下が仲間と認める方々……そんなに素晴らしい方がこんなに沢山おられたのですね!」
「そうだな……ああ、そうだ。皆、素晴らしい仲間だ。数え切れない冒険を共にして、皆の力でこのナザリックを作り上げた」
「この地に来て、あまりにも立派すぎて、まるで神の居城のような世にも美しいお住まいだと驚いてばかりでしたが、肩を並べる仲間と陛下に認められるような偉大な方々がこんなにも沢山いて皆様で協力したからこそこんなに素晴らしい場所が作られたのだと得心いたしました。教えていただきありがとうございます!」
 無邪気に、嬉しそうにネイアは笑う。仲間たちのことを思ってそんな風に笑いたいのにもう二度とこんなに嬉しそうに楽しそうにはできないからそれが悲しくて、昂った感情は沈静化され胸の痛みだけがじわじわと残る。
 アンデッドになっていて良かった、と感謝することは度々あったけれども、今もそうだ。もし人間のままだったなら鈴木悟はうっかり泣き出してしまっていたかもしれない。堪えきれない強い感情はきっと渇望だ。
「いつか、機会があれば陛下の仲間の方々のお話も伺いたいです」
「ああ、そうだな。私も、いつか話したい。さておき今回はシズがナザリックを存分にお前に自慢したいようなのでな、付き合ってやってくれ」
 まるで過去のことのように、仲間を自慢することはアインズにできるのだろうか。過去のことのように話すのは既に過去であると認めていなければできないことなのではないだろうか。いつか探し出し再び巡り会いたい、そう思い続けているうちはきっと過去になどなってはくれない。
 モモンガさん、今日はどこに狩りに行きましょうか? そんな風に問いかけられるのを今も心のどこかで待ち続けているのに?
 ログハウスから第十階層までの転移門ゲートをシャルティアが開いてそれを使いシズとネイアはここに来たので、一旦地表部まで戻って上から順番にシズは案内したいらしい。ナザリックのギミック全ての知識を持つシズは部外者に見せてはいけないものを誰よりも把握しているので、案内役としてはこれ以上ない最適の人材だ。到着の挨拶は終了して二人は移動の為に転移門へ向かっていった。
 差し当たってアインズがすることは今のところなくなったのだが、ネイアが滞在している数日間はナザリックにいる予定だった。アルベドも付いてくる意志を断固として曲げなかったので、極秘任務でモモンが数日間街を離れるという設定にしてエ・ランテルはパンドラズ・アクターに任せている。数日間のことなので許容範囲だろう。
「しかし、デミウルゴスには悪いことをしたな……気を使いすぎではないかあいつも」
「ネイア・バラハはヤルダバオトの姿として憤怒の魔将イビルロード・ラースしか見ていない、という話ですから気を回しすぎと言えなくもないですが、万一ということもございますので。ネイア・バラハがここにいる間はヤルダバオトに繋がる一切の要素は排除した方がよろしいかと」
 何気なくアインズが漏らした独白にアルベドが答える。ネイア・バラハの来訪に伴ってデミウルゴスは一時的にナザリックを離れている。万が一ヤルダバオトと自分が結びつけられるようなことがないように、とデミウルゴスから申し出てきたことだ。考えすぎではないかと思いつつもアインズは許可した。そもそもデミウルゴスは外での仕事も多く極めて忙しいのだから不在であること自体は全く不自然ではない。
 人間を歓迎することなどデミウルゴスにとっては興味が湧く事柄ではないだろうが、それでも何だか嫌だなぁとアインズは感じていた。一人だけ除け者にしてしまっている感じがする。
 しかし確かに万が一ヤルダバオトとデミウルゴスが結びつくようなことがあれば、ネイアにとっては父母の仇で祖国を悲鳴と呪詛と絶叫に塗れたとんでもない地獄と化した相手だ。その相手がアインズの腹心で全部魔導国の策謀、なんてことが判明したらとんでもない事になる。リスクを考えれば念には念を入れるのは当然だろうから許可した。
 第七階層を空にするわけにはいかないので配置されたデミウルゴス配下の悪魔たちはそのままだが、ヤルダバオトとの戦いで降伏し魔導国に忠誠を誓った者たち、という設定になっている。憤怒の魔将イビルロード・ラースだけはネイアが帰ったから戻って良いと連絡するまではナザリックへの帰還を禁じている。お前じゃなくてあれはデミウルゴスが召喚した奴だったのにな、と思うと哀れさが湧かないわけではないのだが、背に腹は代えられない。アインズにリザードマンの個体識別が難しいように、人間に悪魔の個体識別などできない。というかアインズもできない。
 ネイアの滞在期間中は帝王学の授業もお休みだ。デミウルゴスと顔を合わせる用事自体は当分ないのだが、夜も含めれば自由になる時間はアインズには割合ある。慰労も兼ねて後で様子を見に行ってみるか、とアインズは心の中だけで考えた。差し入れとして料理長にフィレオフィッシュでも作ってもらい、ついでにキュクーにも食べさせてやるのもいいのではないか、などと余計なことを考え始めると寧ろ楽しくすらなってきた。
「とても楽しそうでらっしゃいますね、あの人間をアインズ様はそんなにもお気に召しておいでなのですか」
 優しげな笑みを浮かべたアルベドが穏やかに問いかけてきたが、慈愛の女神のようなその笑顔がアインズにはとても恐ろしいもののように映った。威圧感や嫌悪感など何もない筈なのに、それどころではない得体の知れない恐ろしさを感じる。アンデッドにも第六感とかあるのかな、と馬鹿なことを考える。
「……いや、そういう訳ではないのだが」
「左様ですか? ご自身では意識されていないだけでお気に召している、ということかと存じますが」
「あのな……ネイアを招待したのはシズの望みだったからだ。ネイアには世話にもなったしこれからも世話になる、何よりシズの友人として大切な存在だと私は考えている。私個人の感情としては好きでも嫌いでもないし…………ここまで説明しなければならないか?」
 アルベドは外から妃を迎えることを警戒している、というのは何となく推測が付くからアインズは説明を始めたが、何でそんな濡れ衣を着せられて事細かに説明しなくてはならないのだろうかという理不尽さが段々と先に立ってきて言葉を切った。一人だけ参加できないデミウルゴスを後で慰労しようと思っている、と正直に言えばよかったのかもしれないが、だから楽しそうだったというのはそれはそれでアルベドは恐らく面白くないだろう。悋気が度を過ぎている。
 声に苛つきが出てしまっていたのだろう。アルベドは青褪めると平伏した。
「申し訳ございません! 出過ぎたことを申しました!」
「……それがナザリックの為の言葉であればいくらでも聞こう、いくら出過ぎても構わん。だがお前の嫉妬の為に身に覚えのない釈明をする必要はないな? お前はそんなにも私が信じられないか? あのような年端もいかぬ少女であろうと男だろうと誰彼構わず手を出すようないい加減な男に見えているのか?」
「決して! 決してそのような……ただわたくしは!」
「シャルティアと正妃争いのじゃれ合いをしようと押し倒されようと、それは私がお前の設定を枉げてしまったからであり私が原因、そう思い許してきた。だがいくら私自身の責任とはいえ限度はある。もう我慢ならん、ここではっきりさせておこう」
「はっきり……と仰いますと、どのような……」
「私は妃を娶るつもりはない。お前を含め誰であってもだ。故にお前が誰かに嫉妬する理由は一切ない。今後も同様の態度が続くようであれば厳しく対処する。エ・ランテルに戻る期日まで自室で謹慎して頭を冷やせ。お前の頭脳はナザリックとアインズ・ウール・ゴウンの為にこそ使われるべきであり、根拠のない嫉妬でそのような考えもない言動をしていては守護者統括の名が泣こう。分かったら行け」
 呆然とアインズの言葉を聞いていたアルベドはしばらくの沈黙の後、かしこまりました、と力なく呟いて立ち上がると生気なく歩き出し玉座の間を辞していった。
 やってしまった。
 勢いでついつい言わなくていいことまで言ってしまった、アインズは激しい後悔の中にあった。沈静化が起こるが後悔が強すぎたのだろう。
 あまりにも誰彼構わずに嫉妬を向けられて苛ついたとはいえ、明らかに言い過ぎた。妃を迎えるつもりはない、というのはいずれ言わなくてはならないとは思っていたが、言い方というものもある。
 アルベドが冷静さを取り戻したであろう頃に機会を見て近い内にもう一度話すしかないだろうが、何をどう説明し直したものかもさっぱり浮かばない。デミウルゴスを訪ねようという予定は変更はないのだが、慰労ではなく相談になってしまいそうだった。
 いつまでどこまで、何をどうすればアルベドの設定を書き換えてしまった責任を取ったと言えることになるのか。もしアインズにアルベドを愛することができたなら妃にしてやればよかっただろう、だがそれは少なくとも現時点ではできない。こうしてついカッとなって言い過ぎてしまったことも無責任な行いだったのかもしれない、自己嫌悪の深い沼からしばらくの間アインズは浮かび上がれずに沈んだままでいた。

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