I saw the dead, the great and the small, standing before the throne(3)
東の空はやや白じみ始め、濃度を失った山の端の空は、既に星の光を映し出していない。
雲が多い。暫くすれば、東の空を覆う雲は薔薇色に染まるだろうが、今はただ生気なく灰色に横たわるばかりだった。
兎にも角にも航空自衛隊入間基地の正門へと到着した北條透以下の警察官、道中で合流した者を合わせてざっと百名弱を待ち受けていたのは、ヘッドライトに照らされて浮かび上がった人影一つだった。
「皆さぁん、朝早くからご苦労様ですぅ。まさかここまで辿り着くなんて、皆さん意外と優秀! お姉さん、びっくりしちゃいました」
「貴女の戯言に付き合う気はありません、道を開けなさい」
門が閉じられている為、車のまま進む事は出来ない。捜査員たちは車から降りると、拳銃こそ構えないものの、警戒は解かずにたった一人の女を包囲していく。
車から降りた北條が、やや強い声で女の言葉に応じた。相手を小馬鹿にしたような、この女――スマートレディを名乗る正体不明の女性――の語り口に、苛立ちを隠しきれない様子だった。
「あれあれ、戯言? そーんな事、言っちゃっていいんですかねーっ。北條さんってぇ、ご自分の立場を、よく弁えてらっしゃらないんですね」
「……どういう意味です?」
「あなたたち、もうお終い、っていう事ですよ」
艶やかに女は微笑んだ。
後ろから、叫び声が一つ上がる。上、その言葉に反射的に空を見上げると、大きな翼を持った、猛禽類を象ったようなオルフェノクが二体、両脇に大きな箱を抱えて、空に在った。
空からばら撒かれるであろうものの報告は、北條に届いていた。だが、今ここで使われるとは、考えていなかった。
「皆さん勇敢で優秀ですから、きっと立派なオルフェノクになれますよ。何人残れるか、お姉さん楽しみです。ワクワクしちゃいますね! 守ってくれる警察や軍隊から先に潰しちゃえば、人間の絶望ってもっと深くなると思うんですよ。お姉さんって冴えてると思いません?」
「その為に……仲間を捨て駒に、警察や軍隊を、おびき出して……?」
「仲間? あたしはオルフェノクなんかじゃありません。あれは皆、只の王の僕、王の餌ですよ」
この女が北條宛てに資料を送り付け、適宜情報を撒いていた理由。それは、今北條達が陥っているように、触ればオルフェノクとなると推測される何か(恐らく青い薔薇)を、誰よりも先に警察や軍隊といった防衛にあたる者に浴びせる為、外に引き摺り出す事だった。
北條は、女の予想すら越えて、上手い具合に罠に飛び込み引っ掛かった、という事のようだった。
例えば、軍隊が出動した海外で同じ事をされたら。国は防衛の力を失い、オルフェノクは兵力と兵器を手にする事になる。一般市民は守る者なく、抗う力もなく引き摺り出されて灰かオルフェノクにされるだろう。
「ここの確保に予想以上に手間取っちゃいましたから、時間稼ぎの駒が足りないかなーって心配してたんですけど、まさかそっちから来てくれるとは思ってませんでした。お姉さんラッキー! さあ、下らないお喋りは終わり。さよなら、人間だった皆さん」
追い詰めていたつもりが追い詰められていたなど想像もしていない。北條が歯噛みしたところでひっくり返しようのない状況だった。
女の別れの挨拶を合図に、上空のオルフェノク達の抱える箱が逆さまに引っ繰り返される。ぱらぱらと、中身が零れ落ちる。女を囲んで隙間なく配置された捜査員たちが、咄嗟に身を隠したり逃げたりする場所はない。
『Tornado,Fire』
何かの音声が英語で響き、刹那、上空につむじ風が巻き起こった。
その風は燃え盛っていた。風は空中に散らばった薔薇を巻き込み飲み込んで、纏う炎で焼き尽くしていく。火勢は強く、上空にいたオルフェノク二体も巻き込まれそうになり高度を上げる。
『Absorb Queen,Fusion Jack』
更に後方から音声が響いて、人影が空に飛び立った。
緋色のスーツに金銀の鎧、優雅な曲線で描かれた羽根を広げて、空へと浮き上がる。
緋色は、手にした銃で上空のオルフェノク達を狙撃し始める。呼応するように、後方にいつの間にか横付けにされた大きな乗り物――モービルのようだが、それよりももっと武骨な排気筒を備えた、大型のランドクルーザーよりもまだ少し大きい図体をした――から、ミサイルが幾筋も上空のオルフェノク目がけ放たれた。
「デルタ、それにBOARDのライダー? ……どうしてここに」
「王は封じられた。お前が全部仕組んだようだが、もう終わりだ」
呆然と成り行きを見守る捜査員の波を掻き分け現れたのはG3‐Xと、緑に金のプロテクター、そして、赤いスーツに、蟷螂にも見える鎧を纏った(恐らく)男だった。
予想外だったのか、やはり呆然とした様子の女に向かい、蟷螂が低い声で淡々と言葉を吐いた。
「まさか、氷川さん、氷川さんですか! どういう事ですか、何故許可もなくG3‐Xを!」
「処罰は後でいくらでも受けます、今はそれより、一度下がってください!」
G3‐Xの叱咤する声に、我に返って北條は頷くと、手振りで捜査員の人垣に下がるように指示を出す。まだオルフェノクがどれだけいるのかは分からない、G3‐Xを後方から援護するのが恐らく正しい選択だった。
「……アンデッド、お前は王の餌になった筈なのに」
「一つ分からない事があったが、女、お前を見て合点がいった」
「……」
「何故王は生命の実を半分しか口にしなかったのか。神が半分しか与えなかったのだと思っていたが、違うな」
蟷螂の言葉に、スマートレディは返事を返さなかった。尚も蟷螂は言葉を継ぐ。
「お前の中に、人間と、王に近いもの、二つ気配がある。お前が、もう半分の実を食べたんだな」
「だから何」
「王のように、力を振るわないのか」
「残念。私には、あんな力はないの。ただ人を渡って、あのひとの眠りを醒ますために動くだけ。私に出来るのは、それだけ。あなたみたく野蛮じゃないんです」
女の笑顔は崩れなかった。張り付いたような笑い顔に、しかし氷川を嘲笑った余裕はもう見てとれない。
一つ息を吐くと女は、ぷいと背中を向けて駆け出した。ひらりと、踏み切ると低い門を飛び越え、尚も駆けて行く。
「待って!」
氷川の声が呼び止めるが、女は足を止めることなく、基地の敷地内を駆けていく。
赤い蟷螂と緑色が後を追って駆け出し、鉄柵を二つ合わせたような門を押して、無理矢理に抉じ開けた。G3‐Xもすぐに続く。
「尾室さん、G3‐Xのカメラとマイクをこっちにも流してください、そう、すぐ!」
一旦下がった北條が携帯電話で尾室と会話しつつ、後方に停車した車の中に積んでいたノートパソコンを操作する。
ここの確保に手間取った、女はそう言った。もし基地内の人々がオルフェノクに襲われたなら、オルフェノクに変貌させられた者もいるだろう。どれ位の敵がいるのか分からない。人数が多いとはいえ、捜査員や機動隊の装備で突っ込むのは無謀と思われた。G3‐Xがいるのは幸い、先行してもらい中の状況を確認すべきと北條は判断した。
「所轄に連絡、機動隊を出せるようなら出動要請を。入間基地はオルフェノクに占拠されている、愚図愚図言うようなら代わりなさい、私が話します」
携帯電話をしまいつつ側の捜査員に指示を飛ばす。
夜は明け始め、山の端から差し込む鋭い角度の白い光は、基地の建物の輪郭を浮かび上がらせた。
王は封じられた、その報告は北條も尾室から受けている。まず封じる封じないという話が非現実的すぎて、どうにも実感は沸かないが、王を蘇らせるというオルフェノク達の目的は阻止された、とみていいようだった。
各地に被害は広がっているが、事態は終息に向かうと見て間違いない。オルフェノク達の目論見は失敗したのだ。
する事は決まっている。今まだ基地に留まる輸送機が飛び立ち、薔薇を撒くのを阻止。あの女が全てを画策しているのならば、他の地域や海外でどうやってそれを撒くつもりだったのかも、捕まえて吐き出させる。だが輸送機が飛び立つのを許せば、自分たちは灰か、良くてもオルフェノクへと変化してしまうだろう。
「頼みましたよ、氷川さん……」
ノートパソコンの画面に、G3‐Xのカメラ映像のモニタリングが始まる。生唾を一つ飲み、北條は基地内を進むカメラの映像を見守った。
***
薄闇の中基地内を走るが、三人を妨害する者はなかった。
緑色のスーツに金のプロテクターを付けた人物とは面識がなかったが、相川の知り合いらしい。向こうもこちらを不審には思っているのかもしれないが、細かい事情を説明する時間もとれないままで、一緒に走っていた。
所々、灰の山が点在している。オルフェノクの力に覚醒する人間は少ない。基地の中にどれだけの人数が残っていたのかは分からないが、制圧される過程で、殆どの自衛官は灰にされたのだろう。理不尽さに、訳もなく怒りがこみ上がった。
時折思い出したように、何某かの動物を象ったようなオルフェノクが脇から飛び出し道を遮ろうとするが、三人の行く手を遮る事は出来ない。
庁舎の脇を抜けると、すぐに滑走路が見える。滑走路に出た三機の輸送機のエンジンにはもう火が入っており、轟音が張り詰めた朝の空気を震わせ乱していた。
一台の輸送機の乗降口に接続されたタラップに、女は佇んでいた。
差し込み始めた白い光が、剥き出しの白い肩を照らしている。エナメル地の装束が、てらりと光を跳ね返した。
「待ちなさい!」
タラップの真下まで走りこんで、G3‐Xは声を張り上げた。女はつまらなさそうに、足元を見下ろした。
「もう、こんな事は無駄だ、終わったんだ。王がいないのに、人をオルフェノクにしてどうするというんです」
「あなた、しつこいわ」
「僕は警察官です、あなたを逮捕するのが今の僕の仕事だ。あなたが人間だというなら、人の法で裁かれるべきだ! もうこんな……何の為にこんな事を続けるんですか!」
薄闇の中で女の表情はぼんやりと沈み、確とは見てとれない。
ただ、不愉快そうに、口の端を吊り上げて笑っている。それだけが分かった。
「何の為……? 私は王を起こしたかっただけですよ。どれだけ待ったと思っているの、あなたみたいなつまらない人間風情に何が分かるというの。人を統べるのは王、エノク、彼しかいないのに」
「神などおらず、人を統べる者もいはしない。人はただ自らの意志で己の道を選びとっていく、それだけだ。お前の言っている事は戯言だな」
赤い蟷螂の言葉に、女は気分を害したのか背中を向け、輸送機が前進を始めた。G3‐Xがタラップに脚をかけるが、輸送機はスピードを増して、タラップを後方に置き去り滑走路をスピードを上げ走り出した。
タラップを駆け上がったG3‐Xは柵に足をかけ飛び越えると、開いたままの乗降口に左手をかけぶら下がる。
輸送機はスピードを上げ、高度を徐々に上げながら滑走路を疾走する。振り落とされそうになりながら、G3‐Xは自分を見下ろす視線を睨み返した。
「死ねばいいのに」
「僕は、まだ、死なない、あなたを、捕まえるまで!」
乗降口脇の手摺に捕まって、それでも扉を閉めようとはせず、スマートレディは見下ろしていた。
輸送機は高度をどんどんと上げていく。G3‐Xは空を飛べるわけではない、地上の人影が米粒ほどになった今落ちれば、確実に死ぬだろう。
咄嗟に乗降口のドアに指先を引っ掛けているこの体勢をとったのは、我乍ら無謀という他なかった。振り落とされまいと掴む以外の動作を取る事ができない。
「本当に、つまらない人。今落ちたら、いくら強化服を着てたって死ぬっていうのに、ただの人間のくせに」
「あなた……だって、人間だ!」
やや後方で、爆発音が立て続けに上がる。恐らく、他二機の輸送機が撃墜された音、なのだろう。
やがて、G3‐Xがぶら下がる輸送機にも、後ろから激突でもされたような強い衝撃が走る。女は脚をよろめかせ、かろうじて引っ掛かっていたG3‐Xの指先は、その拍子にドアから離れた。ゴムや鉄を燃やしたような酷い刺激臭が流れこむ。輸送機は後部エンジンから、もうもうと黒煙を上げていた。
落下したG3‐Xをややあって受け止めたのは、上空のオルフェノクに向かっていった緋色の鍬形だった。
手摺に掴まった女は、風に髪を揺らしてG3‐Xを見下ろしている。満足なのか悲しいのか分からない笑みが、ようやく姿を見せた陽光に照らされている。そして女は、ふいと船内へと姿を消した。
「駄目です、あの人を捕まえないと、離して!」
「落ち着け、もう無理だ」
淡々とした、低い青年の声が動揺する氷川の言葉を窘めた。やがてエンジン部に引火したのか、輸送機後部は大きく爆発を起こして機体は大きく揺さぶられ、急速に高度を落とし始めた。
***
入間基地内に残っていた、薔薇の搬入に使用されたトラックには、スマートレディが使用していたと思しきパソコンが数台残されていた。
プロテクトはかかっているが、外せないものではないようだった。ここから、薔薇の生産ルートなどが割り出せるかもしれない。
都内の騒乱はほぼ終息。地方都市ではまだ混乱が続いているが、各地の自衛隊が(阻む者がいなくなった為か)ようやく要請に応じて出動を始めた。海外の騒動も散発的なもので、概ね平定されたようだった。対抗できる火器さえあれば、オルフェノクは人間にとって抗えない敵ではなかった。
恐らく手順としては、都内を輸送機から撒いたものでオルフェノクの巣窟と化し、混乱に乗じてまず日本、そして徐々に世界をオルフェノクの世界へと変えていく、といったものだったのだろう。
合流したGトレーラーで装甲を脱ぎ着替えて、座った氷川は何度目か分からない溜息を漏らした。
入間基地はあの後、北條率いる未確認生命体対策班が突入、残存していたオルフェノクもいたが、輸送機の対処には回らなかった緑のプロテクターと赤目の三角形のプロテクターの二人が、数少ないオルフェノクを掃討、追い付いたG5部隊も戦い、殲滅されていた。
赤い蟷螂を始めとした四人のプロテクター達は、混乱に乗じてどこかへ消えていた。
事情を詳しく聞かなければいけないとは思う。翔一は見知っていた様子だったから、彼らの身元を割り出すのは不可能ではないだろう。だけれども、彼らはそれを望まないだろう。
結局何も出来なかったのだろうか。
徒労感があった。人の命はあまりにも簡単に数多く奪われ、目の前で死にゆく人を救い出す事もできなかった。
「んあ……」
間の抜けた声に、氷川は顔を上げた。床に寝かされていた翔一が目を覚ましたのか、体を起こしてきょろきょろと辺りを見回していた。
本来であれば病院にでも搬送すべきだったのだろうが、尾室は現場への到着を優先させた。翔一も、先に目覚めて事情も聞かせないまま海堂と共に姿を消した乾と呼ばれていた青年も、命には別状はなさそうだというのがその理由だった。
「津上さん、目が覚めましたか」
「はい……何かよく寝ちゃったなぁ、頭すっきりしました。……って、どなた、でしたっけ?」
話しかけた尾室を見つめて、翔一は本当に思い出せないのだろう、難しい顔をして首を捻った。
心外そうに顔を歪めて、尾室が「また記憶喪失ですか」と尋ねるが、それには横に首を振って答える。
「……体は、大丈夫ですか? 津上さん」
「あっ、はい、多少痛いっちゃ痛いですけど、何ともないですよ。どうなりました?」
「多分、全部、終わりました」
笑おうとするが、ちゃんと笑顔になっているのかは分からない。氷川が答えると、翔一は口の両端を大きく上げて、満面の笑みを浮かべた。
「良かった。ほら俺寝ちゃったから、どうなったかなって心配で。でも本当に良かった。お疲れ様でした、氷川さん」
笑顔には曇りがない。だけれども翔一が悲しくないわけではない事を、氷川は知っている。
やはりちゃんと笑えているのかは分からないけれども、氷川も頬を上げて笑顔を作ると、強く一度、頷いた。
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