星をみるひと3.5

 黒い砂塵が激しく舞い散り続けるダブリンから、完全に動力が切れ沈黙したΖΖガンダムが回収された。
 ぴくりとも動けぬその機体のハッチが外から開けられ、パイロット、ジュドー・アーシタがそこから出てきたのを待ちかねていたように、エル・ビアンノは駆け寄っていった。
「ねぇ、ジュドー、プル知らない?見なかった?解体中のキュベレイで出て行ったまんまなのよ、帰ってこないの」
 歩く速度は落とさずに、パイロットスーツの襟元を窮屈そうにくつげながら、ジュドーは目線だけをエルに向けた。
 モビルスーツデッキの奥は外の光も届かず、薄暗い。その中で、エルの視界にはジュドーの碧色の瞳だけが明るく映った。
 何処を、見ているの。
 ジュドーの目線はエルに向いているというのに、エルは自分が見られていないという事を感じていた。
 感情が底に沈んだ、静かな瞳をしていた。
「あんな体なのに無茶よ。早く見つけなきゃ。感じたり、しない?どの辺りかとか」
 エルが更に問いを投げると、ジュドーはようやく足を止めた。
 やはり、何処も見てはいなかった。正確に言うと、この空間を、見てはいなかった。
「死んだよ」
 短く、まるで近所に買い物に行ったとでも告げるように淡々とした口調でジュドーが口にした言葉は、エルの耳に滑らかには流れ込んでこなかった。
「…え?」
 ジュドーはそれ以上は何も言わず、目線を前に戻して、また歩き出した。
 呆気にとられながら数歩遅れて、エルもそれを追い掛けた。
「ねぇ、どういう事」
「死んだ」
 今度は突き放すような少し強い語調だった。低く荒い声。ジュドーはもう振り返らない、足も止めない。
 もし、それが本当ならば。
 どうしてリィナの時のようには悲しまないの。知ってる、あたしは知ってる。ジュドーはプルだって、リィナと同じ位大事だったって。
 口には出せなかった。やがてエルは通路に通じるドアの前でジュドーを追うのを止め、ジュドーの背中を見送った。
 リィナとプルでは、意味合いが違うのは知っている。
 それでも、どちらも、ジュドーは見ていた。確かに見ていた。
 あたしは、見ては、貰えないのに。
 それが無理な願いであるという事は、エルにも少しずつ分かり始めていた。
 エルには、リィナのようにも、プルのようにも、ジュドーを分かる事は出来ない。
 鈍感なだけなのだと、半ば自分に言い聞かせるように信じて、それでもいつかは見て貰えるのかも知れないという希望を持っていた頃には、もう戻れないのだという事も。
 ジュドーは今もまた、エルを見てはくれなかったのだから。

 耳の奥で、低く微かに鳴り響き続ける音があった。
 怨嗟、恐怖、嘆き、苦しみ、悲しみ、痛み。
 切れ間なく頭の中で唸り続けるその音を必死に聞くまいとする。耳元で飛び続ける小さな虫の羽音のように耳障りに、それよりもずっと酷い悲痛さをもって、微かに、だけれども途切れる事はなく響き続ける、音。
 気をしっかり持っていないと、倒れてしまいそうになる。
 それは本来ならば、重々しい空気とでも形容されるべきものだったろう。人間が本来持っている感じる力、それが、音を聞くという形で、少し強く発現しているのだとエルは解釈していた。
 口には出さないが、誰の顔色も青ざめ、どんな時でも黙らないビーチャすら、口は重そうだった。
 ジュドーには、もっとはっきりと、聞こえているのだとしたら。
 ふとそんな事を思い、エルはぞっと背中が粟立つのを感じた。
 気が狂いそうになる嘆きの叫びが頭に響く中、ジュドーはまた、大切なものを失ってしまったのだろう。
 おそらくは、目の前で。
 少しだけは分かるのだ。プルがジュドーをどう分かり、ジュドーはプルをどう分かっていたのかを。少しだけは。
 それでもそれは、ほんの少しに過ぎなかった。
 ジュドーのエルに対する態度がこうして戦争に巻き込まれる前と比べて変化したわけではない。だからこそ、分かる。
 本質的に、求められていないから、見て貰えない。そしてそれは、あくまで無意識のものだと。
 無意識に嗅ぎ分けられるような種類のものであるから、望みも、ないのだと。


 アーガマは地球に残し、クルーだけが宇宙に戻って、新造戦艦を受け取る事になり、クルーはノルウェーにあるカラバの基地からシャトルで宇宙へと戻る事となった。
 シャトルの中、隣の座席に座ったジュドーは、別段落ち込んでいる風もない。
 いっそ泣いてくれた方が良かったとエルは思った。何かを考え込む風に軽く伏せられた瞼、その下の碧い眼の光は明るい。
 ジュドーが、プルの死について語った言葉は、少なかった。
 サイコガンダムに乗ったもう一人のプルから、俺を庇って死んだ。
 それ以上を、どれだけ問い詰められても語ろうとしなかった。
 リィナが死んだ時のように、泣きわめくでもない。落ち込み、拗ねるでもない。
 まるで悲しんでいないかのように、ジュドーは無感動で、普通に見えた。
 本当のところは、エルとて、どう反応していいのか分からなかった。あまりに人が死にすぎて、知らない人間の断末魔を聞きすぎたのだと思う。
 そこには、プルが死んだ、という事実しかない。
 エルはプルが好きだった。奔放に過ぎて困らされる事ばかりだったが、本質的にとても優しい子だった。
 兄弟姉妹のないエルにとっては、本当に、妹のような存在だったのかもしれない。
 しかし、プルはエルではなくジュドーの妹になりたかったし、恐らくエルはプルのその願いを脅かす存在ではなかったから、プルに受け入れられていたのだという事も感じられた。
 直感、本能、そんな言葉とはどこか違うのかもしれないが、一瞬のうちに自分にとって相手がどういった存在であるのかを嗅ぎ取る嗅覚のようなものが、確かにプルには強く存在していた。
 そして、最近のジュドーにも。
 プルがもういない。沢山の人が、死んだ。どうして生き残れたのだろう、あんな地獄のような場所で。
 アーガマがシャングリラに来たあの日から、本当は、いつ死んだっておかしくはなかった。
 モビルスーツに乗るというのはきっとそういう事だ。
 少しでもジュドーの助けになりたい。ただそれだけの理由で、出来てしまったからモビルスーツに乗った。乗り続けている。
 今は違う。少しでも何か出来る事があれば、戦いを終わらせる事に繋がるならば。ジュドーの負担を軽くしたいという理由がある事も確かだが、それだけではなかった。
 出来てしまうから。本当は、それは不思議で、おかしい事なのだ。戦争は、その為の訓練をした大人のするものだ。そうであるべきだった。
 いつ誰が死んだって、それはちっともおかしくはないのだ。
「良くここまで来れたもんだね」
「ハマーンの戦力が宇宙に戻ったお陰さ」
 口に出たのは、正直な感想。ジュドーは天井に目線を向けたまま、やはり正直な感想を返した。
 何処を、見ているの。
 見て貰えなくてもいいと言ったら、嘘になる。それでも、届かなくても、少しでも負担を減らせるなら。
「地球連邦の偉いさんを、みんな叩く訳にはいかないもんね」
「ああ、俺達、誰も助けられなくて、挙げ句にまた宇宙戦か」
 何処かを、見ながらジュドーは、ごく普通に語る。
 見てはくれない。一人で感じて考えて、ジュドーは。
 それでは、支えられない。口に出してくれなければ分からない。エルには、プルのようには分かる事は出来ないから。
「ジュドー」
「ん」
 俯いたまま、名を呼んだ。たまらなくなって、ジュドーの手の上に、手を添えた。
 ようやくジュドーは目線をエルに移したが、エルは顔を上げられなかった。
 誰も助けられなかった。
 そんな事を考えて、ジュドーは一人で何も言わずに。
 誰も助けられなかったわけではない、これからきっと、死ぬ筈だった沢山の人を、助けられる。死ななくていい人を、助けられる。
 これで、終わりではない。まだ続いている。
 そう信じなくては、モビルスーツに乗って戦うなど、出来る筈もない。
「まだ何も終わってないよ、地球の連中が、ハマーンにサイド3をくれちゃったから」
「でもさ、こんな事やっててケリ付くのか」
 そこにあるのは、無念と焦燥だ。突きつけられた無力であるという事実。何が出来るというのだろう。
 それでも、自分達の他に、為す者はないのだ。
 支えたい。助けになりたい。それが、エルの願い。
「だからさ、頑張ろうよ」
 すぐに目線を逸らし、あらぬ所を見つめるジュドーを、それでも。
 側にいられるのだから。生きているのだから。
 エルには、エルの出来る事しか、出来はしないのだから。
「ようし、やるぞ」
 ジュドーは気合いを入れるように添わせたエルの手ごと威勢よく腕を振り上げ、体を寄り添わせたエルは軽く身を引いた。
 鈍感でやっているなら、いいのに。
 声を張り上げなくてはならない。ジュドーらしい行動だ。そう在ろうとしている。それは、必要な事だった。
「あっ、エル、何やってんの」
「んっ、ん、あはは、個人の自由でしょう」
 二人が手を合わせているままなのを見とがめ、ビーチャが声を上げる。
 何を言われているのかときょろきょろするジュドーは、確かに色恋沙汰には鈍感な少年だった。
 本当に鈍感なら、いいのに。
 本当は敏感だから、見てはくれない。知っている。
 目線の先に映る場所に、エルはいないから。
 暫くして、シャトル発射のカウントダウンが始まる。少し上を向いたジュドーは、ふ、と目線を泳がせた。
「リィナが、生きてる」
 ぼそりと低いその呟きは、カウントダウンのアナウンスとエンジン音にかき消されそうな程か細かった。
 問い返そうとしてエルが口を開きかけると、アナウンスがカウントゼロを告げ、襲ってきた強い振動と負荷に危うく舌を噛みかける。
 どういう事。
 歯を強く食いしばり体にかかる強烈なGに耐える中でも、その疑問は頭から離れない。


 ジュドーはおかしい。
 ビーチャの感想は、正直で正しかった。
 それでも、それに触れてはいけないのだとビーチャ以外の者は考えた。勿論エルも。
 ジュドーは疲れているのだ。色々な事が重なりすぎて。急に襲ってきて。
 普通に負うのにも重すぎる事が、あまりにいくつも肩にのしかかって。
 リィナは死んだのだ。それは、誰よりもジュドー自身が強く感じた事ではないか。


 ジュドーは、おかしい。
 戦いに吸い込まれそうになっている。ジュドーが、カミーユ・ビダンを評した言葉だ。
 吸い込まれているのは、ジュドーではないか。
 引き寄せられているのは、ジュドーではないか。
 どうしてハマーン・カーンなのだろう。どうして、惹き合うのだろう。
 誰も憎む事が出来ない。ジュドーの優しさは、そういう種類のものだ。それをエルは知っている。
 憎む事も、許す事も、出来ない。いつまでも分かりたいと願って、それでも対立する、戦う。
 深い所で分かるから?
 どうしてハマーンなのか。どうしてあの人の事を、ジュドーが分からなくてはならない。
 憎まなくてはいけない敵だ。戦いを生み出す人だ。
 ジュドーもハマーンも、おかしい。強く惹かれ合っている。本質的な部分で。
 そんな分かり方は、おかしい。
 その感覚が分からない訳ではない。そういったものを、一瞬に感じるのだという事も分かる。
 それでも思う。そんなの、おかしい。
 何も出来ないではないか。支えたくても、割って入る余地などないではないか。
 エルには、ハマーンの事など、分かりはしないのだから。


 ジュドーは変わってしまった。
 それは、エルの好きな彼ではなくなってしまったという事ではないのだけれども。
 何処を見ているのかが、分からない。
 見ている場所が違う。そう思う。
 隣にいて、同じものを見ている筈なのに。
 戦いが、死が、感じ方が、ジュドーの見ているものを変えてしまった。
 エルだって変わった。シャングリラで貧しくても気儘に暮らしていた頃とは違う。
 しかし、ジュドーの変化は、もっと本質、存在としての基礎の部分ではないのかと思えた。
 エルの好きな彼は何も変わっていないのだけれども。
 はっきりしたのは、決して、見ては貰えないという事。



 それでも、好きなのに、どうしたらいいのだろう。


 それでも、好きだから。



 エルは、一緒に、戦うのだ。
 同じ重さでなくても、一人で負っているのではない。それを分かって貰えたなら、少しは届いたのだと感じられるから。
 側にいる。それしか出来なくても。一人で負うよりもずっといいのだと、知っている。
 エルだって見ていなかった。ビーチャが、思っていたよりもずっと真剣に、自分を見ていた事を。
 色々な事がはっきりして、考え直さなくてはならない事が増えただけだ。
 終わったら、全部終わったら、考えよう。
 ビーチャの言葉も、きちんと考えよう。
 バイザーを下ろし、カタパルトデッキの上に出たマークIIのコクピットから見えた宇宙。
 ジュドーには、このそらも、違う風に見えているのかしら。
 ふと浮かんだそんな疑問は、発進の轟音にかき消えていった。

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