永遠の都2
希望通りの海の見える部屋。部屋に荷物を運び込むジュドーは、重い荷物を担いでいるというのにどこかしら嬉しそうに笑みを湛えていた。
同じ市内での引っ越しだし、運ぶものもそう多くはない。家電製品や家具などは据え付けが当たり前だ。
だから、小さなトラックを借りて二人分の荷物を積み込んだ。
カミーユは、イングランドに住み始めてから少しずつ買い貯めてきた本やディスクが結構な量になってしまっていた。
一度きり、欲しいとぽつりと呟いただけなのに、誕生日にファが古本屋を巡って買ってきてくれた本も、まだ持っている。
ジュドーの荷物は、あまり多くもない着替えと身の回りの本当にこまごまとしたものだけ。
前に、趣味はないのかと聞いたら、趣味って、それを楽しむ余裕と時間のある人の持つものじゃない、と返された。
カミーユは覚えてはいない。ファが初めてジュドーと会った時、もうずっとずっと昔の話。ジュドーは仲間と、売り払って金に換える為にΖガンダムを盗み出そうとしていたという。
学校にも行かず親を悲しませて、と言ったファに、親は出稼ぎに出たまま帰らず、食べていく為には学校になど行っていられない、と返したという彼には確かに、楽しみを見つけて趣味など持つような悠長さはなかったのかも知れない。
普段はそんな事はまるで感じさせない陽気な男だったし、ちょっと見ではその身軽さが羨ましくもなってしまうのだが。
荷物を運び入れ終わり、ジュドーは空になったトラックを返しに行った。
一人になり、ぼんやりと部屋の中を見渡してみた。
ジュドーがリィナと住んでいた部屋とほぼ同じ間取りだった。やや大きめの玄関、リビングとキッチンがあり、部屋のドアが二つ。小さな洗面台とシャワールームにトイレ。
荷物を整理し始めようとドアを開けると、風が吹き抜けた。やや冷たい、軟らかい潮の匂いがした。
窓は開け放たれていて、すぐ下に通る車もない海岸沿いの道路がまっすぐに横たわっている。そのすぐ向こうに、あるのかないのかも分からないような狭い砂浜があり、海が開けていた。
カミーユは、この海はあまり好きではない。曇ってばかりの空の色を映して、暗く鈍色にうねる陰気な海を見たとて、大した感慨もない。
だが、彼にとってはこの海こそが特別なのだろうという事を、知っていた。
カミーユは覚えていなくとも、彼にとっては、忘れたくはない場所なのだと。
知らない所に行けたら、と思う。そこにいなくても、離れても、きっと彼はこの海を忘れる事など出来はしないのだから。
同じ事だと思った。どれだけ離れてもいなくなりはしない彼の側にそれでも居たいという執着。
執着は深くなるばかりではないか。脚を絡め取られ、飛ぶ事など出来はしない。
そも、飛ぶ、とは何だったのか。
離れたくないという気持ちを捨てて手を離す事では、ない筈なのに。
答えを知っている筈だった。フォウ・ムラサメを見つけた時、ジュドーを見つけた時。答えはそこにあった筈だった。確かに知っている。
知っているのに、形にする事が出来ない。形になどしなくてもいいのだと知っている、彼がいるという事こそが答えなのだと知っているけれども。
急に何かが変わってしまう、という事はなかった。
そもそも、ろくに顔を合わせる時間すら満足にはなかった。
ジュドーは温めればいいように簡単な朝食をテーブルの上に用意して、朝早くに仕事に出掛ける。
引っ越しが終わったあたりから、カミーユの仕事は納期が迫って忙しくなり、家に帰り着くのは日付が変わる頃だった。
いつもダイニングに置いた椅子に腰掛け、ジュドーはおかえり、と笑い、夕飯を温める為に立ち上がる。
決して美味しい訳ではないけれども、食べられない事はないジュドーの料理。
離れる事が決まってから、リィナから急仕込みを受けた、付け焼き刃の、簡単で、少し焦げていたり塩味がきつかったりする料理。
今日のテレビに好きな歌手が出ていたとか、そんなどうでもいいような、他愛のない話をしながら食べるその味を、とても美味しいと思った。
一週間ほどが過ぎた頃だった。
仕事が詰めの段階に入れば休みが取れないのはもう慣れていたけれども、さすがにその日は疲れてしまった。
ようやく納品出来るまでに仕上がったプログラムのデバッグ中に、致命的なバグが見つかった。
普段ならばそれこそ会社に泊まり込み徹夜でバグフィックスをする所だったのだろうけれども、日付が変わって少ししてから、何とか帰宅が出来るような状況にまで作業が進んでいた。
カミーユの集中力と作業速度に、同僚達は舌を巻いていた。自分でも、驚いた。
帰りたい、少しでもいいから、顔が見たい。
ただ、それだけだったのに。
電車で通勤している同僚に、もう電車がないから泊まり込んで最後の仕上げを引き受けるから、君は帰ってゆっくり寝るといいと言われ、カミーユは礼を言って少しばかり焦った様子で荷物を手にすると、小走りにオフィスのドアを開けて外に出た。
ビルのエントランスの階段を駆け下りてふと空を見上げると、星の光が白く冷たかった。白いのは温度が高いから。それなのに、何故白い星の光は、鋭く冷たいのだろう。
家に帰り着くと、ジュドーはやはりダイニングの椅子に腰掛けてテーブルに肘をつき、ドアを開け入ってきたカミーユに向かって、おかえり、と軽く笑った。
「ただいま…………先に、寝てていいぞ。飯を温める位、俺にだって出来る」
「眠くなったら寝るよ」
「朝早いんだから早く寝ろよ」
「心配しなくても遅刻なんかしてないよ」
ああ言えばこう言う。しかし、何故だかそのやりとりに気持ちがほっとしたし、カミーユだって本当は待っていて欲しいと思っているのだから、それ以上言葉が出て来なかった。
「ほらほら、早く着替えてきて」
「そんなに食わせたいのかよ、余程の自信作なんだろうな」
「それは……ともかく、ご飯はちゃんと食べないと良くないでしょ!」
いじけて少し頬を膨れさせたジュドーの顔がおかしくて、軽く笑いながら、夕飯を温める為皿を持って歩き回っているジュドーの横をすり抜けて、ドアを開け部屋に入った。
これは、望んでいたものなのだろうか。
探していたものなのだろうか。
ネクタイを解くと、息が漏れた。
顔が見たくて、声が聞きたくて、すぐ側に、目の前にいるのに心が急かされて。これは、何なのだろう。
胸が、締め付けられる。
部屋着に着替えダイニングに出ると、ジュドーはフライパンで小麦粉をまぶした鱈の切り身を焼いていた。
バターが軽く焦げた香ばしい匂いがする。
「すぐ出来るから、待ってて」
振り向かずにジュドーが言い、ああ、と答えて、カミーユはリビングのテレビの前に置かれたソファに腰掛けた。
テレビは付けっぱなしになっていて、深夜枠の音楽番組が流れていた。
バラードを歌う女性歌手の声は甘く緩く、連日の疲れも手伝って、瞼にかかる重みを支える事が出来ず、いつの間にかカミーユは眼を閉じ、小さいソファに体を折り曲げて横たえて、眠ってしまっていた。
暫くして、浅い眠りの中で、軽く頬をはたかれたのを感じた。
薄く目を開けると、ぼんやりと、屈み込んだジュドーの顔が見えた。
「こんな所で寝ないで、ほら、ちゃんとベッドで寝て」
「…………ん……うん……」
テレビは消えていた。バターと鱈の脂の香りはまだ辺りに漂っていた。
「……飯…………食べる」
「疲れてるんでしょ、寝なよ」
「だって……作って、くれたのに」
まだ頭の中はぼんやりとする。はっきりと呂律が回らない。何故だかジュドーは、少し哀しそうな顔をした。
「そんなのいいから」
言葉と、哀しそうな目が切なくて、夢の中で泣いているような心持ちがした。
泣いている自分を、見ている自分がいる。そんな感覚だった。
「ちゃんと、寝て、風邪引いちゃう」
頬を軽くはたいたまま動きを止めていたジュドーの右手の温度が頬から離れて、手があった筈の場所にひやりと流れ込んできた冷気を、何故だか耐えられないほど寒いと思った。
目の前に、いるのに、どうして。
離れた右手を捕まえようと左腕を泳がせたけれども、まだ半分眠りに落ちたままの体は距離を正確に測れずに、左腕ごとぼすりと体がソファに沈んだ。
どうして、掴みたいものは、掴めないのだろう。目の前にある、ここにいる、それなのに。
たまらなくなって低く呻くと、左手を掴まれた。
「そんな、顔、しないで」
低く、押し潰したような声だった。見上げたジュドーの顔の方が、余程見たくないような、辛そうな顔をしていた。
何に痛むのだろう。二人ともここにいて、今は、諍いもない。失ったものを取り戻す事など出来はしないけれども、得たものがある。
それなのに、左の手首を掴む掌の熱さ、少し痛いくらいにかかる力、そんなものを、求めている。
どうしてくちづけが欲しい。
分かってくれる、分かる、それだけでいい筈なのに。
これは、欲望だ。どろりと熱く胸を満たす強い衝動。目の前の人を、何もかも独占してしまえるのならば、自分のものに出来るのならば、という衝動。
吐く息が、ねとつく。
掴まれた左手を引っ張り上げられ、仰向けにひっくり返った体を強く抱き留められても、逆らう気は起きなかった。
そうしたい、と願っていたのだから。
「そんな顔されたら……キスしたくなる」
「したら、いい」
「駄目だよ」
「俺は、したい」
肩に右手をかけ、軽く体を引き剥がして、短く口づけたのはカミーユの方だった。
あっさりと離れたカミーユの顔を、信じられないものでも見るように見つめて、ジュドーは驚いて目を見開いていた。
「どうして、いいの」
「お前のこと、好きだって、言ったろう」
「だって、違うよ、それはさ……」
「同じだよ」
ジュドーが何が言いたいのかは、何を今更躊躇しているのかは、分かっているつもりだった。
どこから線を引いていいのか、分からない。何か他のものを勘違いしているのでは、ないのか。
それでも、感じている事は二人とも同じなのだと思う。
触れたい。もっと触れたい。
触れたら触れただけ、もっと欲しくなっていく、足りなくなっていく。
その体に、触れたい。
一番得たいものは心なのに、それは間違いがない筈なのに、どうして全部、欲しくなるのだろう。
表す方法など、いらないではないか。もっと正確に伝える力を持っている。それなのに。
何もかもが。
顔が近付いてきた。両肩を掴んだジュドーの手にゆっくりと力がかかって、ソファの背もたれに背中が沈んだ。
熱い息が鼻の下にかかる。ジュドーの肩に手をかけると、耳の下あたりから、じっとりと汗が滲んでいた。
緩く口を塞がれると、半開きのままだった唇の隙間から少々乱暴に舌先が割り込んできた。
輪郭のはっきりした唇は、あまり柔らかくはなく、弾力があった。その感触を強く感じる事が、ひどく胸を満たした。
何かを探し求めるように忙しなく動き回る舌に、舌を絡める。
軟らかい舌の感触は捕らえどころがなく、べちゃべちゃと唾液の混ざり合う音が耳の中に響いて、気が急いた。
肩から首、耳の脇を撫でて、後ろ頭を掴み力を込めた。もっと深く、口づけたい。求める心の際限のなさは恐ろしくもあったし、気を急かせ、息を一層荒くさせた。
肩の辺りから胸を伝い、下腹の奥にかけてじわりと広がる感覚があった。それは腿にまで伝わって、脚に力がこもる。
甘やかな痺れ。閉じた目の奥は白く眩んで、目の前にある体温をしか感じる事が出来ない。
肩にかかったジュドーの手が離れて、上着の裾からするりと入り込んでくる。流れ込んだひやりとした空気に籠もった熱は少しばかり逃げたが、温度の高い指に少し汗ばんだ脇腹を触るともなく撫でられ、体がびくりと軽く跳ねた。
「嫌だって、言ってよ……」
頭が近すぎてジュドーがどんな顔をしているのかは分からない。だけれども、彼が、恐れている事は、分かった。
答えの代わりに、その頬に唇を落とす。短いキスを、耳を掠めて首筋に、幾度も落とす。
しっかりとした、やはり弾力の強い少し固い肌。肌理は細かく滑らかだったけれども、繊細さや柔らかさとは無縁だった。
その感触はちょっとした嗜虐心や征服欲をそそるわけでも、守りたいと思わせるわけでもない。
それなのに胸が熱くなるのは何故だろう。肌のすぐ下を流れる熱い血の流れを鼻先に感じて、それに心が昂ぶるのは何故だろう。
「好きだよ、カミーユ、好きだ」
耳にかかる熱い息、掠れた声。何かに堰き止められたように息が詰まり、目の奥が白く霞んでいく。
耳の外周を舐められると、他人の声かと思うほど上ずった声が喉から漏れた。
体は火照って、篭もった熱を大分帯びている。それなのに、彼のぬめる舌先の温度はもっと高い。
何か甘いものでも貪り舐めるように、耳を伝い首筋をなぞる彼の動きは性急だった。背中をまさぐっていた手が止まり、強く抱きしめられる。
背中を包む掌の熱さに、肩が強張る。
目はすっかり覚めていたが、意識はぼんやりと熱に浮かされていく。上がる息に潤んだ眼の先には、彼の骨張った首筋しか映らない。
カミーユはすっかり動きを止めてしまっていた。背中に回った腕が上がり、乱雑に上着を脱がされ、後ろに放り投げられても、こみ上がる熱に上がる息を整えようと藻掻く事しか出来ない。手をかけたジュドーの肩には余計な力がかかっていて、固く盛り上がっていた。そっと撫でると、彼の喉からも軽く高い喘ぎが漏れた。
まるで、知らない声のようだ。
彼はこんな風に。夢見るように眼を細めて、何かに焦るように息を荒くして、短く高い声を漏らす。
眼の碧が滲んでいる。それでもその色は、明るい。
その眼が今自分をしか映していないという事に、こうも胸が満たされるのは、何故だ。
右の首筋から降りてきた唇は、鎖骨の窪みに執拗に口づけを繰り返す。上がる声を抑える事も出来ずに、触れたいという気持ちばかりが先走って、カミーユの手はトランクスを履いただけのジュドーの腰にかかった。薄い布越しに、じとりと滲む汗を感じる。
びくりと、彼の、膝が震えた。
Tシャツの裾から指を滑り込ませると、短い声が幾度も漏れる。それに気をよくして滑らかに盛り上がった固い脇腹をなぞると、漏れ聞こえてくる筈の彼の声はくぐもり、じゅぷ、と濡れた唾液の音がして、窪んだ乳首をきつく吸われていた。
「うあっ……あ」
びくりと腰が跳ねる。それはただの痛みの筈だった。だが、痛みではないものが、霞んでぼやけた頭の中で白く弾ける。
彼の右手が腹をそっと伝ってジャージ地のズボンの上から、どうしようもなく張り詰めた部分を軽く撫でる。
「ん……んっ…」
何か文句を言いたかったが、息が切れるばかりで言葉が出て来ない。すっかり固く立ち上がった乳首をねぶられながら、さも愛おしそうに張り詰めて脈打つものを緩く撫であげられて、ただ荒い息の合間から鼻にかかって甘えた声が漏れるだけだった。
「俺のも、触ってよ」
顎が仰け反る。剥き出しになった首筋に唇が触れて、下着の裾から入り込んできた手に直に固くなったものを鷲掴まれ、背中にわだかまっていたむず痒さははっきりとした快感に変わった。
言われるままに、もどかしそうに左手でトランクスをずり下ろした彼の剥き出しになったものに手をかけた。根元の太い血管から血は絶え間なく注ぎ込まれ、びくびくと少し萎んでは限界まで張り詰めるのを繰り返しているのを掌に感じる。きつく指で握りこすり上げると、彼はたまらないといった様子で目を閉じ、切れ切れに短い声を上げた。
声が止まらないのはカミーユとて同じだった。細く目を開けると、彼がやはり細めた目でじっと顔を見ていた。彼に性器を扱かれた快楽に上気する顔を見られるのは何故だかいやに気恥ずかしく、カミーユは目を閉じて目線を逸らした。
背けた顔を、彼の唇が追い掛けてくる。顎を左手で捕まえられて、先刻よりも荒々しいキス、前歯がぶつかり合ったが彼は気にする様子もなく、目を固く閉じては薄く開け、ひたすらに舌を絡めてくる。
彼の左手が顎から離れ、口も解放されたが、扱く手は止まっていない。息をつく事も出来ぬままに吸い込んでばかりいるような気がする。頭がくらくらする。
何に耐えているのかもよく分からなかった。言葉は白く霞んで消えてしまう。ただ、彼の触れる場所が気持ちが良い、それだけしか認識出来なかった。
「駄目だ……も、うん……っ、やめ……」
「いきたいなら、いって……」
「汚れ……る……馬鹿……」
「後で……綺麗にする……から」
もどかしそうに口を開く彼の額には汗が浮かんでいた。彼の空いていた左手が、気付かぬ間に開いていたカミーユの脚の間に落ちこみ垂れ下がっていたものを、急に少し強く掴み、ゆたりと手の中で転がし、揉みしだいた。
「あぅ…あっ、駄目……だって……んんっ……」
「駄目じゃ、ないんでしょ」
耳元で籠もって響く声はやけに硬かった。抗う事の無意味さが、ますます頭の中を白く霞ませる。
彼の昂ぶりを扱く手など動かしている余裕はもうなかった。彼を引きはがそうと両手を腕と肩にかけるが、思うように力は入らない。彼の手の動きに合わせて腰が浮き、沈む。
「いいならいいって、言ってくれないと……分からない」
「あぁっ……あ……も……出る」
「出して……よ」
また、口づけられる。入り込んできた舌に歯の裏を舐め上げられると、その感触に何かが耐えきれず弾けた。
「んんっ……ん…ん…………う…っ」
吐精の絶頂の感覚に、背筋が激しくしなり、離れまいとする彼の唇を強引に引きはがして、強く強張った肩の間に顎が沈んだ。
鼓動に合わせて、彼の手の中で脈打つものが精を吐き、鳩尾の辺りを白くどろりと汚していく。
カミーユは朦朧とその様子を見ていたが、腰を落としたジュドーに腹を垂れ落ちる精液を嘗め取られ、びくりと肩を震わせた。
「やめ……そんなの……っ、嘗める、な……」
腹の上の彼の頭に両手をかけ引きはがそうとするが、息が上がり腰に力も入らない。
何より、夢中な様子で嘗め取る彼の舌先や唇がぬとりと白く汚れていく様は、不思議なほど、ひどく淫靡に映った。
落ち着きかけた息がまた熱を帯び始める。
彼の指先が脚の付け根をなぞり、臀部の奥にまで降りてくるのを感じ、彼の考えているであろう事への恐怖が急にカミーユの中に沸き上がった。
「いや……だよ、何する……」
彼は答えない。ただ荒く浅い息遣いだけが響く。入り口に指先がかかって、強く意識している為か、悪寒とも快感ともつかぬぞくりとした感覚が背中に走った。
「やめ……ろって……!!」
右の足の裏をジュドーの肩にかけ、力任せに蹴り押した。バランスを崩したジュドーは勢いよく床に尻餅をつき、テーブルの脚の角に後頭部をしたたかに打ち付けた。ごん、と鈍い音がした。
体を起こして打ち付けた後頭部をさするジュドーの顔は、何か信じられない事でも起きたかのように、きょとんとしていた。
謂われなく頭を叩かれた犬のような顔だった。ぽかんと口を半開きにして、目を見開いている。
「……シャワー……浴びて、くる」
口を開けて呆けた顔をしたままジュドーが小さく頷いたのを確認して、カミーユは目をそらし、下ろされたズボンを腰まで引き上げて立ち上がり、早足で歩き出した。
シャワールームの前で引き上げたばかりのズボンを下着ごと脱ぎ捨てると、中に駆け込み、勢いよくドアを閉めた。
正確で詳しい知識とは言い難かったが、どうするのかは知っている。
栓を拈り、頭から湯を浴びる。息はまだ整わない。甘い疼きは、どれだけ湯を浴びても腹の下にくすぶったまま消えてはくれず、ますます強くなっていく。
馬鹿げた話だった。
こうなる事はずっと前に覚悟していた筈だった。この状況を作り出したのは誰あろう自分だった。
触れたいと手を伸ばしたのは、自分だった。
そんなものは必要がない筈だったのに。彼の掌の熱さに、舌に、昂ぶりに、胸が熱くなるのは、何故だ。
簡単に体を洗い流しシャワールームを出ると、洗面台にバスタオルと着替えが用意されていた。
体を拭いて用意されていた下着と服を身につけリビングに戻ると、ジュドーの姿はなかった。
彼の部屋のドアをノックする。返事はない。ドアをそっと開けると、彼は照明を点けない暗い部屋でベッドに腰掛けていた。
「……もう、遅いし、疲れてるんだからさ。もう寝よう」
カーテンの隙間から漏れる薄い光が、彼の笑みを照らした。
その言葉にカミーユはかぶりをふった。
「嫌なら、そんな……焦って、する事でも、ないじゃない」
「嫌じゃ、ない」
部屋に入りドアを閉めると、ジュドーは軽く背中を捻って、腰を浮かし、引いた。
「無理、しなくていいよ」
「してない」
ジュドーの前に立ち、彼の肩に手をかけると、肩がびくりと震えた。
どこから線を引けばいいのかも分からないまま、恐れているまま。それは確かに、無理をしているという事なのかも知れなかった。
それでも、望んでいる事に気付いてしまった。
抑えきれないという事を、気付いてしまった。
「分かったんだよ」
「何が……」
「欲しいんだって、分かったし、お前だから欲しいんだって、分かった」
やはり口づけたのはカミーユの方からだった。
唇を合わせると、彼はたまらない様子で強くカミーユの背中をかき抱いた。痛いくらいの力を感じるのは、心地良かった。
知りもしないのに、いつでも、そこにいた男。
見つけた、それだけでいい筈なのに。掌に彼の背中の厚さを感じ、鼻から漏れる息の熱さを感じることに、ひどく満ち足りた気分をおぼえるのは、何故だろう。
カミーユは確かに知っている。彼がいてくれたから。だけれどもそれは、所謂愛ではないという事も。
もうそんな事は、どうでも良かった。
けっして混同できるものではないという事も、知っている。
抱き合ったままベッドにゆっくりと倒れ込んでそれでも唇を離そうとはせず、仰向けになったカミーユの上に乗って脚の間から膝を割り込ませてくるこの男は、興奮の為かこめかみに薄く汗をかいている。それが答えである気がした。
好きだと、そればかりを彼は幾度も譫言のように呟く。
着たばかりの服を剥ぎ取られ、露わになった肌のそこら中に短く幾度も口づけを落とされ、その感触に再び昂ぶっていく自分を、カミーユはぼんやりと不思議だと思った。
ただ必死に自分を貪り食らい尽くそうとする目の前の男に、言い様のない愛おしさを感じる。
その気持ちは即物的な快感に変わって、他人のもののような上ずった甘い声が鼻から漏れる。
腰を自然とくねらせるものは、快楽であるのか欲であるのか愛おしさであるのか。そんなものに、境界線は引けない。それが答えである気がした。
内股を伝っていた舌は、段々と降りて中心に近付いていく。それに恐れを覚えないといえば嘘になった。
やめなくていい、その言葉は伝わったのだろうか。思わず逃げるように引いてしまった腰を掴まれ、カミーユは諦めとも安堵ともつかぬ吐息を吐いた。
狭い入り口に舌先がかかると、半ば反射で腰が大きく跳ねた。
「ひっ……」
驚きなのか恐怖なのか分からない短い叫びが喉から漏れる。だが、腰を掴んだ手の力は緩まない。
びちゃびちゃと絶え間なく、信じられないほど卑猥な水音だけが響き続ける。彼の肩にかかった脚は無駄に揺れ、宙を掻いた。
むず痒いような感覚が、舐められた場所を、鼓動に合わせひくつかせる。そのリズムは、再び怒張したものへ送り込まれる血の流れのリズムでもあった。目の奥は白く浮ついて、視界が霞む。自分が今、何を見ているのかも定かでなくなっていく。
やがて唐突に、指先が入り込んできた。たかが指先だというのに、ひどい圧迫感と内臓を抉られるような気持ちの悪さが胃のあたりにこみ上げる。
「や……気持ち……わる…いっ……」
肩をくねらせ体を逃がそうとしたが、逃げるだけ彼も着いてきた。指先はゆるりと入り口の辺りをほぐすように動き続け、彼の口は今度は、上を向き張り詰めるままに任せていたものの先を銜えた。
彼の左手が腰から離れ、怒張を掴んで上下に動く。
吐き気は柔らがないが、一番感じやすい部分から生まれる強い快感は腰にかかった余分な力を抜かせた。
うねうねと入り口を掻き回す指の動きに、少しずつ、少しずつ、むず痒さによく似た疼きが生まれて、眩む熱がこもっていく。
声に甘い掠れが混じり始めると、彼は指先を徐々に奥へと進めてきた。
奥に行くに従って、薄皮一枚向こうから内臓を掴まれるような不快な感触があった。刺激を与え続けられて再び達してしまいそうなほど昂ぶった前から生まれる感覚と混ざり合って、何が何なのか訳が分からなくなる。
少しずつ侵入される。それは心地よい感覚ではなかった。体の中で何かが動き回っているのを、薄皮一枚向こうに感じる。外側から無理からに押し広げられるのは、予想以上の痛みがあった。
だが、熱すら、薄皮一枚の向こうに感じた。彼の指先は熱い。その熱さが、恐怖をすり抜けて、少しずつでも心を解きほぐしていくのを、感じた。
突然、彼が頭を上げた。先端がひやりとした夜気に触れ、震える。
「も……我慢、できない」
切なげな声はやはり高く掠れている。肩を忙しなく上下させて、ぜいはあと音を立てながら息をするその顔も、もう耐え切れぬように歪んでいる。
「うあ……っ」
指はするりと案外に滑らかに引き抜かれ、急激に圧迫感の消えた事と疼きの止まぬ事に、カミーユは一際高く鋭い声を上げた。
首の付け根が急にひやりとする。汗をずいぶんかいていた。額に軽く貼り付いた前髪を掻き上げて、一つ深い息を吐いてから、カミーユは何も言わずに一度小さく頷いた。
「無理、してない」
「それはそっちじゃ……ないのか……」
「……痛くて駄目なら、言ってよ」
誰が、と嘯いてはみても、引けた腰を掴まれて脚を肩に抱え上げられると、びくりと肩の辺りが震えた。
唾液で気持ち悪く湿った入り口にあてがわれた先端の感触は思っていたよりもずっと熱く硬い。
こんなものが本当に入るのだろうか。月並みな感想が浮かんで、カミーユは固く目を閉じ、肩を強張らせた。
二三度滑って窄まりを捕らえられなかった先端が、唐突にめり込んでくる。
急激に押し広げられ、広がったままの入り口には、指など比すべくもない圧迫感が生まれた。
「うあぁ、あ……っ」
抑える事も出来ずに大きな呻き声を上げるが、息を吸う事ができない。吐く一方の息はどんどん苦しくなっていく。
「力、抜いて……よ……」
右肩の下に手を回されて、彼の上体が降りてくる。体を二つに折り曲げた彼は、カミーユの肩口に短いキスをした。キスはどんどん上に登り、頬に湿った息がかかる。
当たった唇の感触に、ふ、と鼻から息が流れ込んだ。薄く目を開けると、うっとりと細められた彼の碧い眼は、潤んで滲んでいる。
左肩にも手を回され、彼の腰が少しずつ前へと進んできた。彼が入り込もうとしている部分は、それを拒むようにみしりと軋む。
一杯に押し広げられたと思うと、その後は一気にするりと、存外に抵抗もなく彼は入り込んできた。
熱も、硬さも、形も、全てが明確に感じられる。体の内側から無理矢理内臓を掻き回されるような圧迫感と不快感は相変わらずひどく強く鳩尾のあたりを締め付けたが、こんなにもはっきりと彼を感じるという事が、おかしいほどに胸を満たした。
「中……あったか……ん…」
深く息を吐いて吸い、軽く呼吸を整えてから、彼は軽く腰を引いて、ゆっくりと突き上げてきた。
「うあっ……あ、あぁ……は……」
動きに合わせ、短い叫びが漏れる。痛みはあったが、断続的に襲う圧迫感と開放感、熱く硬い彼の感触、体を不自然に折り曲げられた息苦しさ、色々なものが混ざり合って紛れてしまった。
「ん……うぅ……カミー……あ……」
「……ひ、ふ……うぁ、あ、あぁっ」
打ち付け引く動きは間隔を短く速くしていく。肩の下に回していた手を引き抜いて肩を上から押さえつけ、彼は上体を起こして動きを一層速くした。
名前を呼ばれても、返事など出来ない。
意識が熱く滲んでしまう。そこにはただ、入り込んできた彼しかいない。
突き上げられる感覚が、確かに頭のてっぺんの辺りまで突き抜け、滲んだ意識を高みに浮かせていく。
「カミーユ……うん……っ…ミーユ……」
馬鹿の一つ覚えのように、切れ切れに呼ばれる名前に、胸が震える。
これを、求めていたのだろうと思う。望んでいたのだろうと思う。
打ち寄せて引く波のような、激しさと熱を。それが、彼のものであるから。
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