永遠の都4

 ファ・ユイリィと連絡が取れなくなったのは、夏の休暇のシーズンが始まり世間が浮き立ち始めた頃だった。

 カミーユにも夏季には一月程の休暇が予定されていた。
「休みは合わせるからさ、どっか行こうよ。行きたいところ、ある?」
 そう言われたのは年の初め頃。
 毎年夏の休暇はあったが、どこかに一緒に旅行に行くような人もいなかったし、特に出掛ける事もなく一人で過ごしてきた。
 ファと暮らしていた頃も遠出はしなかった。それは、あの頃恐れていたものの為だったのだろうか。
「どこでもいいからさ、海が綺麗な所がいい」
 ひどく抽象的でぼんやりとした物言いだったのに、全てを心得たようにジュドーは笑って頷いた。
 次の日には、旅行会社のパンフレットを大量に持ち帰ってきて、一つ一つ目を丸くして読んでいた。
「世の中には、こんな所もあるんだなぁ……」
 カンヌ、ニース、モナコ、マルセイユ、アンティーブ、アレキサンドリア。地中海沿岸のリゾート地が中心だった。
 昔から高級リゾート地であったし、旅行などする余裕のある人は決して多くはない今のご時世ではその傾向は尚更だった。
 多くのリゾート地ではホテルなどの施設も新規オープンや建て替えが進んでいるそうで、もう戦時の痕跡はパンフレットの写真からは見当たらない。
「大丈夫なのか、こんな所」
「ん、何が?」
「高そうだ」
「ああ、それは大丈夫。俺、結構金持ちなんだから」
 お前一人で行くのか、口にしかけると、ジュドーが静かに笑った。
「いざお金なんて持ってみても、どうやって使えばいいのかよく分かんなくて。貧乏性っていうか小市民っていうか、染みついちゃったのかな。不思議だよね、昔は金さえあったらってそればっかり考えてたのにさ」
 彼は持ち物を意識して少なくしているのではなくて、どう増やせばいいのか分からないのだ。
 彼の身軽さとはそういう事だった。
 だから、こういう所でパーっと使うのもいいじゃない。白い砂浜に立つ日を思っているのだろうか、楽しげに呟いたジュドーの笑顔は曇りもなく明るかった。

 海が見たい。
 明るく澄んだ、美しい海が見たい。
 暗く重くうねるこの海ではなくて。

 リィナに会いたくないのか。
 友達に、会いには行かないのか。
 言おうとして、やめた。


 航空機や宿の予約は二月中には済ませてしまっていた。八月に入り、航空機のチケットを受け取りに行った日だった。
 カミーユは月に一度はファに連絡を入れていた。彼女は今、主に北アフリカの沿岸地域で活動している医療団に所属していた。
 長く家を空けるのでそれも告げなければならないと、押し慣れた番号を押した。
 だが、応対に出た女性にいつものようにファの名前を告げると、呼び出しに行ったのか暫く席を空けた後、辞めた、という答えが返ってきた。
 何処に行ったのか、執拗に食い下がったが応対に出た女性の答えは要領を得なかった。無理もなかった。医療団は連邦政府の肝煎りで組織された百人単位の大きなものらしかったから、看護士一人が辞めて何処に行ったのかなど一人一人が一々把握出来る筈もなかった。
 ファがイングランドにいた時に友人だった看護士や医師、思い付く限りのファの知り合いに次々に連絡を取り尋ねてみたものの、皆一様に、カミーユにファが突然北アフリカの医療団を辞めた事を知らされて驚くばかりだった。
 誰にも話さずに、突然何処へ行ってしまったのだろう。
 夏の日は長いが、もう部屋の中は随分と薄暗くなっていた。照明を点けようと椅子を立つと、玄関のドアが開いて小さな買い物袋を手に提げたジュドーが入ってきた。
「ただいま……どうしたの、何かあった?」
 そんなに切羽詰まった顔をしていたのだろうか。答えずにカミーユは照明のスイッチを入れた。
 買い物袋をテーブルの上に置き、ジュドーは椅子にどかりと腰を下ろした。
「ファと連絡がとれない」
 そう告げると、ひどく驚いた様子でジュドーは目を見開いてカミーユを見つめた。
「辞めたらしいんだけど、俺は何も聞いてない。お前も、その様子だと聞いてないよな」
「聞いてないよ。そんな事聞いたら、真っ先にカミーユに話すよ」
「悪いけど、旅行はキャンセルだ。俺はファを探しに行く」
 ジュドーは返事をせずに、目を伏せて暫く考え込んだ様子だったが、やがて首をゆっくり横に振った。
「どうして」
 口調が硬く刺々しいものになるのが意識された。
 何ヶ月も前から立てていた予定をキャンセルして、昔の女を捜しに行く。確かに不愉快な出来事ではあるのかもしれなかったが、ファとカミーユの関係の特殊性や細かい事情もジュドーは知っている筈だった。
 だが、ジュドーの答えは予測しない、意外なものだった。
「俺も一緒に行く。旅行、じゃないけど、予定がちょっと変わっただけでしょ、それなら」
「何で……」
「俺だって、ファさんの事は心配だもの。まさか、心配するななんて言わないよね」
 その問いにカミーユは力無く頷いた。
 考えてみれば当然の答えだった。ファはカミーユの所有物ではない。カミーユだけが気にかけ心配している訳ではない。
 ジュドーには、カミーユが覚えてはいないファの記憶がある。
「分かったよ。じゃあ、一緒に行こう」
 それだけを答えるのが精一杯だった。
 ファは離れがたい人、それは今でも変わらない事実だった。その意味合いを理解して貰える事に甘え、それをいつの間にか当然のものとしていた。
 きっと、同じだ。
 リィナに、友達に会いにはいかないのかと思うカミーユと、一緒なのだろうと思った。それなのに。
 好きなのは、お前だよ。
 口に出すのを躊躇っている間に、ジュドーはにこりと笑みを見せたかと思うと、立ち上がって据え付けのネットワーク端末の前に座った。チケットや宿の手配、急に決めたのだから行動は早い方が良かった。だがそんな彼の切り替えの速さにもやはり、救われているのだと思った。

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