永遠の都5

 アフリカ大陸北岸、地中海を臨むその街は、白い壁の欧風建築が建ち並んだ美しい街だった。
 アルジェの街に降り立ち、タクシーで予約した宿へと向かい荷物を預ける道すがら目にした光景に、カミーユはふと違和感を覚えた。
 整備された広い道の両脇には白い壁が立ち並び、翳る事のない陽光に晒され眩しく輝いている。雲のない抜けるような青空だった。
 美しい町並みを闊歩するのは、身なりのいい裕福そうな白人ばかりだった。
「どうかした?」
 声をかけられ振り向くと、ジュドーが不思議そうな顔をして、担いでいたバッグを足元に無造作に投げ出した。
 どさりと大きな音がして、敷かれた絨毯から舞い上がったのか、少々埃っぽい空気が立ち込めた。
「いや……ファは、本当にこの街にいたのかと思って。内戦とも病人怪我人とも縁遠そうじゃないか」
「安全だから旅行者が入れるんでしょう。それに、ここは本部のある拠点って話だから、ここから色々回ってたんじゃないの」
 事も無げに答えたジュドーの面には疑問の色はなかった。カミーユからふいと目を逸らすと窓際まで歩き、広く窓を開け放つ。風は無く、乾いた熱気がむわりと流れ込んでくる。
 それはそうだが、そういう答えを聞きたかったのではない。
 ファが、こんな所に居るのを善しとするだろうか。彼女のしたかった事は、もっと違うのではないだろうか。そう思ったが、だからこそファはいなくなったと言われてしまえばそこで仕舞いだった。
 疑問が漠然としすぎていたという自覚もあり、カミーユはそれ以上口を開くのを止めた。暫く外を眺めていたジュドーが振り返って、少々不愉快そうに軽い息を吐きながら口を開いた。
「アフリカってこういう所だし、連邦政府ってそういう所、そういう事でしょ」
 やはり彼の答えは事も無げだった。
 彼はカミーユの知らない事を知っている。
 広がる砂漠化を捨て置かれた見捨てられた地。カミーユの見たアフリカといえばキリマンジャロとダカールくらいのものだったが、キリマンジャロは基地だし、ダカールでは作戦で忙しく街の様子などに気をとられる暇はなかった。
 彼が何を見たのかは知らないし、彼が聞いてほしいと願うならば無理にでも聞き出そうともするだろうが、そうでない限りは聞きたいとも思わない。だが、彼の見たものはきっと正しいのだろうと思った。

 医療団が本部に使っているビルは、市街地の中心部にあった。
 十階建てほどのビルの立ち並ぶオフィス街、その中の黒光りする少々背の高いビルはすぐに見つかった。
 中に入り受付に名前と用件を告げる。事前にアポイントメントはとってあった。ジュドーの言うように医療団はいくつかの班に分けられていて、ファの所属していた班の責任者と会う手筈が整えられていた。
 狭いロビーのソファに腰掛けて待っていると、男は十分ほどで現れ、立ち上がったカミーユを胡散臭そうに見つめた。
「ファ・ユイリィのことでしたか。電話でも言いましたがね、辞めた人間の行く先にまで責任は持てませんよ」
 苦々しい声の第一声がその内容。あまり温和とは言い難い気性を隠し切れず、カミーユは眉を顰めた。
 アポイントをとったのはジュドーだった。彼はどんな顔でこの男と話したのだろう。この件だけではない。まるでカミーユが何かをするのを阻むかのように、ジュドーは全ての準備を受け持とうとした。今も、市内を移動する為に車を借りてきてカミーユを迎えに来る手筈になっている。
 いくらファが大事な人といったって、そんなに熱心なのは不自然だ。そう思ったが、口に出すのは憚られた。何かをしていなくては落ち着かないのだろうし、その原因は恐らくはカミーユにあった。分かってくれてもいい筈だとも思わないではなかったが、それは甘えすぎているように感じられたから、口も重くなった。
「ファと親しかった方の名前と所在を伺えれば、後はお手間は取らせません。友人として、ファがご迷惑をおかけした事、お詫びします」
 厳しい目線のまま、カミーユは平板な口調でそう告げた。
 自分の冷たい態度には、思いのほか力があるらしい。そう気づいたのは、落ち着きを取り戻して仕事を見つけ、あまり激する事もなくなってからだった。
 目の前の医師も、視線の冷たさにたじろいだように息を軽く呑んだ。分かりました、と返して、名前と現在の活動地域が表になった紙を差し出した。
「ファ・ユイリィと同じ班に所属した事のある者のリストです。後は彼女達から聞いてください」
 紙をカミーユに渡すと、それでは、と軽く礼をして、医師は背中を向けエレベーターへ歩いていった。
 カミーユも用の無くなったロビーを後にして、ビルの外へと出た。玄関ホールの短い階段を降りながら辺りを窺うと、道の脇に一時停車している古ぼけたジープの窓からジュドーが手を振っているのが見えた。
「随分古い車だな」
「つい癖で安いの頼んじゃって。でも単純な構造だから、砂が入ったりトラブルあっても直すのも楽だし、いいでしょ」
 カミーユがナビシートに乗り込むと、ジュドーはサイドブレーキを下ろし車を発進させた。ガソリン車の鼻をつくオイルの臭いが立ち込めた。


 こいつはこの街に似合っている、とカミーユは思った。
 白い壁を灼く鋭い日差し、雲一つ無く抜けるような深い深い青空。
 強い癖のある焦茶色の髪も、焼けた肌の色も、彫りの深い顔立ち、地中海の波打ち際を思い起こさせる、澄んだ碧色の、瞳も。コントラストの強いこの街の色合いによく映えていた。
 気がつけば、目で追っている。
 滲む碧の眼は、普段は驚く程ひやりとしている。人なつっこく、何でもないような事でよく笑うし、不愉快な事があれば感情を露わにする男だったけれども、言葉を途切らせ黙っている眼は、時折ぞっとするほど暗い。
 ただ、特別な何かを見る時だけ、優しく揺れる。
 そう、例えば、カミーユを見る時。
 例えば、リィナを見る時。
 例えば、暗い海を見る時。

 本当は、海なんて見られなくても良かった。
 本当に欲しいのは海ではない。それくらいは、カミーユにももう分かっていた。


 表を上から順番に。二人で手分けをして、ファの行方を知る同僚を捜した。
 カミーユにすら話さなかった事を、易々と他人に話しているとは考えてはいなかったが、詳しい事情を知る親しい同僚にはなかなか辿り着く事が出来なかった。
 中には、忙しい現場を捨て突然辞めたファを詰る者もいた。
 ようやく、ファがどうしているのかを知っている、という女性にカミーユが行き当たったのは、二日後だった。
 彼女は、直接会って話したいと申し出、落ち合う場所にカスバと呼ばれる旧市街の一角を指定してきた。
 そこで話した方が話が早い。彼女の言葉には妙な含みがあった。
 駅の前を南の方角へ、丘陵を登る形で進んでいくと、白い街並みに慣れた眼には違和感の強い、赤茶けた家々が丘の上に広がっている。
 丘に近付くにつれ、視界に入る通行人の中に、砂で黄色く薄汚れたディスターシャを纏った、色黒く彫りの深いイスラム教徒と思しき人々が増え始めた。
 突然ジュドーが車を路肩に寄せ、停車した。指定の場所まではまだ大分距離がある。不審そうに顔を見ると、ジュドーは面白くなさそうに息を一つついた。
「そろそろ、車だとやばいらしいんだよ。道も細くなるからこいつじゃ通れないだろうしね」
「やばいって、何が」
「カスバってどんな所だか、知らないの」
 イスラム教徒の住む、歴史の長い、路地の入り組んだ迷路のような街。一通りの知識は持ち合わせているつもりだった。
「どんなって、どんなだよ」
「スラムだよ。車なんかで乗り付けたら、あっという間に襲われて身ぐるみ剥がされて、車は分解されちゃうよ」
 俺も地球にそんな所があるなんて半信半疑だったけどね。続いた言葉は、どこかまだ信じ切れていないような歯切れの悪さを漂わせていた。
「ただでさえ目立つよ、俺達。そんな所で会おうなんて、その人女の人でしょ、気が知れないよ」
 ジュドーが育ったシャングリラというコロニーがどんな場所なのか、断片的ではあるが、話の端々から推測はされた。
 その彼の口調の苦々しさには、真実味があった。
 車から降り歩き始めると、すれ違う人誰もが二人に奇異の目線を向けた。
 淀んだ黒い眼から流れ込むのは、強い警戒と不審。
 貧しいとはいえ、生きる事にあまりに疲れすぎてはいないか。絶望と諦観と無気力ばかりが流れ込む。
 ジュドーがそっと、何も言わずに手をとってきた。繋いだ掌は、いやに冷たく汗ばんでいた。相変わらず雲もなく日射しは刺すように鋭く、汗はとめどもなく流れ落ちてくるというのに。
 大丈夫、何て事はない。
 まじないの言葉だ、とカミーユは思った。こうして彼は痛みを押し込めて。
 目を逸らさぬ事と、押し込める事は、どちらが辛いのだろう。どちらも同じ痛みであるのならば、差などつけられないのではないのか。
 叫ぶか、呻くか。それだけの差ではないか。
 彼が痛み続けている事を、誰が分からなくても、自分だけは分かっていたい。それは、愛しているという事に、なり得るのだろうか。

 くねくねと曲がり見通しの悪い、人二人がすれ違うのが精一杯かと思われるほど細い路地を大分歩くと、道幅が少しずつ広がり、小さな広場のようになっている場所へと出た。
 ここが指定の場所の筈だった。
 歩く隙間もないほどの人だかりが出来ている。爪先立ちになり人だかりの向こうにあるものを覗き込もうとするが、列は思いの外長いらしく、視界に入りきらなかった。
「食い物の匂い、しない?オートミールかな」
 言われてみれば、ミルクで煮たオートミールの匂いが辺りに強く立ちこめていた。
 しかしこの人だかりでは、目的の人物を捜す事など出来そうにない。後ろから行列に並ぼうとしていると思しき人々が次々にやってきて、列に並ばない二人が列の最後方に立っているのは明らかに邪魔だった。
 周囲を見渡すと、とりあえずと避けた道脇の向かいの民家から、女性が手招いているのが見えた。会う約束になっていた女性だった。
 ジュドーを目線で促すと、人波を掻き分け駆け寄った。
「ダイアナさん?カミーユ・ビダンです」
「よく来てくれたわ。とりあえず入って、暑かったでしょう」
 言われるままに家の中に入ってみたものの、室内は外よりも蒸し暑かった。何かを煮ているのか、大鍋を載せた竈で轟々と火を焚いている。
 たまらない、という顔を見せたジュドーを肘でひとつ小突くと、ばつが悪そうに唇を歪めたが何も言わずに首筋を手で扇ぐ仕草を見せた。
「外の人だかりね、炊き出しに並んでいるの」
「炊き出し……?」
「今年の冬よ。北アルジェリア地方一帯で、蝗が異常発生したの。蝗って凄いのよ。空が蝗の影で真っ黒になってね、食べられるものなら何もかも食べ尽くされてしまうの。草なんか勿論だし、木も丸裸。食べるものがなくなると共食いを始めて、通った後は蝗の死骸だらけで、水まで腐ってしまうの。農作物も壊滅で、ここの人達は食べるものも満足にないってわけ」
 亜麻色の髪を高く束ねた、ファと同じ年頃と思われるその女性は、穏やかに笑みながら、水に漬けてあった容器からコップに茶を注いで、促されテーブルに就いた二人の前にコップを置いた。
「それだけ酷い被害があったのなら、連邦が災害援助をするんじゃないんですか」
「あったけど、ここの人達には行き渡らないわ。食料援助は、下の街の生活を支えるだけで精一杯の量だった」
 答えは予想の範囲内のものだった。ジュドーが息をつく軽い音が聞こえた。
「ここは、砂漠は、見放されているのよ。連邦は、砂漠の人間なんて、飢え死んでくれたら地球上の人口が減ってくれるって、それくらいにしか思ってないんだわ。医療団もそう。普通の医院に比べれば安いけれどもね、報酬を取るの。連邦からの援助と寄付だけじゃやっていけないから。でも、本当に助けの必要な人は、結局助ける事が出来ない。肋骨の浮き出てる赤ん坊を、母親が、お金がないからって診せてくれないのよ。ファさん、本当に悩んでいたわ」
 そんなそぶりは、カミーユには見せてはくれなかった。カミーユには、察する事が出来なかった。
 俺は、ファの、何を見ていたのだろう。
 あたしだけを見てはくれない、もう遠かった筈の涙混じりのファの声が、鮮明に浮かんだ。
 笑っていた。大変だけれどもやりがいのある仕事だと、笑っていた。
 どうして、気付く事は出来なかったのだろう。ファはカミーユの事を分かってくれていたのに、どうしてファのことを、分かる事は出来なかったのだろう。分かりたいと願っている筈なのに。見ていた筈なのに。
「偶然、この炊き出しをしているボランティアの団体を知ってね。ファさん、止める間もなく、仕事を辞めてこっちに移ってしまった。あたしは仕事が休みの日だけ、お手伝いをしているの」
「それで、ファさん、今どこにいるの。ここにいるの?」
 もどかしそうなジュドーの質問に、ダイアナは首を横に振った。
「ここ、カトリックの団体が母体なの。信仰を押しつけはしないけれども、学んでみるのもいいことだってシスターに言われて、ファさんは、エルサレムにある本部の方で働く事になったから、今はそっちにいるわ」
 言ってダイアナは身に付けていたエプロンのポケットから紙切れを取り出し、カミーユに差し出した。
「連絡先が書いてあるわ。あたしの方からもお願いして、先方にカミーユさんが訪ねる事を伝えておきます」
「何から何まで、有り難うございます」
 笑顔など作れない程に気分は沈んでいたが、無理からに口の端を上げて、カミーユは礼の言葉を口にした。
 たいした事は出来ないけれども、と笑ったダイアナの好意に満ちた笑みすら、今は見るのが憂鬱だった。
「一つ、質問していいかな。俺、コロニー生まれだから、地球って殆ど金持ちしか住んでないと思ってたんだけど……」
 失礼に過ぎるジュドーの疑問にも、ダイアナは笑みを崩さなかった。
「お金持ちがいつまでもお金持ちだなんて保証はどこにもないわ。それにね、アフリカとアラブは、少し事情が特殊なのよ。宇宙への移民計画が決まった時に、反対する人達が勿論沢山居て、抵抗が激しくなりすぎて内戦になってしまった。それは世界中でだけれどもね。砂漠は、連邦も興味が薄かったのね、後回しにされて放置されたままで、それで今でも内戦が解決されないで沢山続いているの。その影響で、本当なら宇宙に送られていた筈の人達も沢山残っている、そんな感じかしら。あまり興味を向けられる事もない場所だから、知らないのも無理はないわ。あたしも、ここに来て初めて知ったもの」
「成程、有り難う」
 笑って礼を口にしたジュドーの眼は、どこか遠くを見ていた。
 カミーユの知らない砂漠の記憶。
 お前は、知っていたんじゃないか。見捨てられた人々を、忘れられずにいるんじゃないか。そう、思った。

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