ワンドロ05 マフラー・手を繋ぐ

 夕暮れ時、王都のマルシェも店じまいの時間となった。後片付けと明日の仕込みで忙しく立ち働けば、あっという間に日が落ちかけるほどの時刻となった。今日の夕食の賄いを作るのはブーケガルニだから何か魚料理(骨ごと煮込んだような豪快なものが多い)が出るのだろう。キッチンカーの裏に小麦粉を運び入れたリンドウは、一息付くと暮れなずむ空を見上げた。
 空は王宮の輪郭に紅く染まった光を残すのみで、そこからはやや白くなってから紺がグラデーションを描いて、濃紺の空にはもう星が瞬き始めていた。しばらく眺めてみるが、雲が思ったより出ているし風もそれなりにある。今日もまた約束は果たせそうにないな、と思うと意図せずふぅっと息が漏れた。
 オーロラを一緒に見よう。なんという事はない何気ない気持ちで、といよりは何も考えずに反射的に言ってしまったような言葉だったけれども、ふと気を緩めると何とはなしに思い出されてしまって消えない、そんな約束にいつの間にかなっていた。
 二人で見たい、と思った。そんな風に自分が思った事がリンドウにとっては不思議だった。ランチがあまりに見てみたいとはしゃいでいたからつい、というのもあるけれども、あの時リンドウは確かに、二人で並んでオーロラを見たいと思った。
 今までそんな風に誰かと二人で何かをしたいと思った事がなかったから、何故自分がそんな風に思ったのかが純粋に疑問だった。この気持はなんなのだろう。ランチと二人で歩く時、他愛のない話をする時、じわりと胸に滲んでいるこの気持は。
 すこしぼんやりと考え込みすぎてしまったか。気を取り直して小麦粉の袋から顔を上げると、こちらに近付いてくる足音がした。
「リンドウ、今大丈夫?」
 振り返ると、ランチが小走りに駆け寄ってきていた。胸には何やら紙包みを大切そうに抱えている。
「ああ、大丈夫だが、どうした? 何かトラブルでも起きたのか?」
「ううん、違うの。あのね」
 言いながらランチは胸に抱えた紙包みを開けて、がさごそと音を立てながら何か取り出しリンドウに差し出した。
 毛糸で編まれた、長方形の……これは、マフラーだった。
「はいこれ、リンドウにプレゼント!」
「ありがたいが……世界樹の国はまだマフラーが必要なほど寒い季節でもないのではないか?」
「あのね、実はわたしの分も買ってあるんだ。ほらこの前二人でオーロラが見えるの待ってた時結構寒かったでしょ? だからオーロラ見る時には必要だなーっって思って」
 戸惑いを見せつつリンドウがマフラーを受け取ると、ランチは包みからもう一つリンドウのものとは色違いの柄のマフラーを出してにっこりと実に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
 その笑顔を目にしてぽかんと頭の中が空っぽになってしまったかのように何も考えられなくなった自分が自覚されて、いかんと気を取り直してリンドウは表情を引き締めた。
「そういう事ならありがたく頂いておく。オーロラを見られそうな時には使わせてもらおう。その……ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして! 楽しみだなオーロラ、ねっ、今日は見られないかな?」
「今日は風もあるし雲も多い、見えない可能性の方が高いと思う」
「そっかぁ……」
 リンドウの見解を聞いたランチはしゅんとなって目線を下に向けてしまうが、何か思いついたのかぱっと顔を上げた。表情がこんなにコロコロと切り替わる女性を見るのはランチが初めてだが、付き合いが長くなってきているというのになかなか慣れることができない。次に何を言い出すのか分からないので少々身構えてしまう。
「足りないもの思いついたから今日見られなかったのはラッキーかも。次までに用意しなくちゃ」
「足りないもの……?」
 不思議に思って首を捻ったリンドウの手を唐突にとって、ランチはうんと頷いた。ランチはこんな風によく手や肩に触ってくるのだが、年頃の女性に免疫のないリンドウはこれも慣れることができない。
「なっ、なっ……」
「何か気になるよね? あのね、手袋もいるかな~って。この前も寒くて手がかじかんじゃったから」
「そっ、そうではなく……手、手が……」
 息も絶え絶えに漏らしたリンドウの抗議もランチには届かない。何のことだろうと少しの間考えたようでしばらく手を握られたままの沈黙が続く。
「こうやって手を繋いでるとあったかいから、手袋がなくても手を繋げばいいかなぁ……? でもそれだともう片方の手はかじかんじゃうし……やっぱり手袋必要かな、リンドウはどう思う?」
「てっ……て…………手を、離してくれないか……?」
 言われてようやくランチは何がいけなかったのかに気付いた様子でぱっと手を離した。何回か深く呼吸を繰り返し、ようやくリンドウの鼓動と呼吸も平静に戻る。
「……俺は、寒いのは慣れている。だがランチはしっかり防寒対策をした方がいいだろうな」
「慣れてても寒いものは寒いでしょ? やっぱりリンドウの分も手袋、買ってくるね」
「……どうしてもというなら、仕方ないが……」
 ランチの心遣いが嬉しいという気持ちとは裏腹に渋々といった感じで絞り出されたリンドウの返事に、それでもランチは、北国の短い春に花が一斉に咲きほころぶような華やいだ笑顔を見せた。
「うん! 頑張ってかわいいの選ぶから!」
「お、俺が可愛いものを身に着けても仕方なかろう……」
「そんなことないよ、リンドウは可愛いものが好きだから、好きなものを身に着けるとすごくウキウキするんだよ~?」
 遠くからおーいとブーケガルニがマルシェの面々を呼び集める声が聞こえた。夕食の準備が出来たのだろう。夕飯にしようと告げて声の方に歩き出すと、ランチも小走りで追いかけてくる。
「絶対二人で見ようね、オーロラ! すごく綺麗だよね、楽しみだな~!」
 後方から聞こえてくる明るい声に思わず口元が緩んでしまっていたことは、リンドウには全く自覚がなかった。

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