ワンドロ09 跳ぶ

 世界樹のマルシェで使うための食材集めは昼だけの仕事ではない。夜のデビルビーチにたむろするぷにょんは、イカやたらこ、パイナップルに西瓜と昼のものとは違う食材を集めてくるため、マルシェの営業が終わった後残業のような形でこうして出向いて来る事も少なくない。
 その日も、ランチとブーケガルニはいつものように夜の砂浜に降りる道を進んでいた。夜道は暗くて足元が危ねーからなと、ブーケガルニはいつもランチの手を握って少し前を進んでくれる。普段は無邪気でまるで弟のようだと思う事の多いブーケガルニだが、ふとした時の気遣いに年長らしさを感じさせてくるので、結構頼りがいもあるのだという事をランチは知っている。
 だが、特にこの夜のデビルビーチを歩いている時に困ってしまうある癖がブーケガルニをどうしても頼りがいのある年長者というイメージには押し上げてくれない。ガサガサと近くの低木の茂みが揺れたが、多分いつものあれだ。いつの間にか繋いでいた手も離してブーケガルニは音のした方向に夢中になっている。
 やがて、音を上げた主が静かに道に進み出てきた。恐らくこの辺りに住み着いているのだろう、いつも見かける茶トラの猫だった。そしてそれを見たブーケガルニの反応もいつも変わらない。
「猫ーっ!!」
 大声で呼ぶので猫は当然びっくりして逃げ出す。そして猫に触りたいブーケガルニは同行者の存在を忘れて猫を追いかけ走り出す。つまりランチは猫が出てくる度置いてけぼりを食う。
 しょうがないなと苦笑しながらランチは茂みに消えていったブーケガルニの姿を見送った。毎回ではないが結構な頻度で起こることだ、今に始まったことではない。いつもしばらく経つと猫に撒かれてちぇ~と唇を尖らせて不満そうに唸りながら帰ってくる。夜道で一人にされるのはさすがにランチでもあまり気持ちのいいことではないが、少し待つだけだと分かっているから大した不安もなかった。
 のだが。どういう訳か今日はブーケガルニは待てども待てども一向に帰ってはこなかった。月の光はあるものの、しんと静まり返って波が寄せて返す音しかしない浜辺の暗い夜道は不安しか煽らない。このまま一人残されてしまったらどうしようとどんどん悪い方へと思考が傾いていってしまう。一人でブーケガルニのキッチンカーまで戻ったところでランチは運転できないのだ。他のシェフが誰か気付いて迎えに来てくれるまでマルシェに帰れないようになってしまうが、デビルビーチはブーケガルニの担当なので恐らく他のシェフは道をよく知らない。このまま帰れなくなったらどうしよう、そうなる可能性が低い事は分かっているのだが万一何が起こるかもしれない、心細さがどんどん心の中で膨らんでくる。
「おーい、ランチ~っ!」
 突然足元からブーケガルニの声がした。今歩いている浜辺に降りる道は浜辺より二メートルほど高くなっていて、上から砂浜を覗き込むと猫を追いかけて逆方向に走っていったブーケガルニがいつの間にか眼下の砂浜に立っていた。
「えっ!? ブーケガルニどうしてそんなところにいるの?」
「よく分かんねえんだけどさー、猫追っかけてたらいつの間にか浜まで降りちまってて、待たせて悪ぃな」
「う……うん、とにかく何もなくて良かったよ。待ってて今そっちに行くから……」
「おっ、ちょい待ち」
 何にしろブーケガルニが無事に顔を見せてくれて良かった。一安心したランチが道を先に進もうとすると、ブーケガルニの声がそれを遮った。
「そっちから来たら時間かかっちまうし、一人で暗い道歩くの危ないだろ~? ほら」
 言ってブーケガルニが両腕を広げ、ランチを待ち受ける体勢を取る。
「……えっ? どういうこと?」
「チョチョイっとそっからジャンプしてくれば、あれだ、ボブ……? じゃねえな、なんだっけ短い髪型になるだろ」
「ショートカット……近道ってこと?」
「そうそうそれそれ! ほれ早く!」
 満面の笑みでブーケガルニはランチを促すのだが、ちょっと待ってほしい。ランチの立っている地点からブーケガルニの立っている砂浜まで、結構な高さがある。ランチは高い所が苦手というわけではないが特別得意なわけでもないから飛び降りろと言われたら普通に怖い。下は砂だから万一ブーケガルニが受け止められなくて落ちてもそんなに痛くはなさそうだが、だからといって進んで落ちたいとは思わない。
「い、いいよ、私重いよ?」
「そんなことねーよ、俺様の腕力ならランチなんて軽々受け止められるぜ~? 何せ魔王だからな!」
「……分かった、正直に言うね。結構高いから飛び降りるの怖い! 普通に道通ってそっち行くからちょっと待ってて!」
「大丈夫だってランチ、俺様を信じろ。絶対お前を受け止めてやる、落としたりなんかしねえ」
 不意に、ふっと表情を引き締めて真剣な顔をしたブーケガルニに静かな声でそう告げられてしまうと、ランチもこれ以上断りようがなくなってしまった。怖い。怖いけれども、真剣なブーケガルニを信じられないのは、もっと怖いような気がした。
「わ、分かった……じゃあ、行くね?」
「おう、いつでも来い!」
 意を決したものの、やはり怖さが買ってしまってランチは眼を固くつぶりながら両脚に力を込め思い切ってジャンプした。
 ふわりと浮いたのが分かる。地面に足を着けていない感覚が恐怖と不安を呼び起こす。だけどそれも一瞬の事で、次の瞬間には脇の下から腕を回したブーケガルニに受け止められていた。
 ぱちりと目を開けると、至近距離にブーケガルニのまっすぐな視線があった。すぐにブーケガルニは満面に笑みを湛える。
「ほら、大丈夫だっただろ? 俺様に任しとけば軽くこんなもんだって」
「うん、そうだね、ありがと……あと、早く、下ろしてほしい、かな」
「おうっ!」
 元気よく応じたブーケガルニは、壊れ物でも扱うようにそっと静かにランチを地面に下ろした。多分カーチャンや姉妹から女の子は大事に扱うように言われたのだろう。いい教育だと思うけれども、少しどきどきしてしまうのはなんでだろう。
「は、早く食材集めて帰ろ! 寝る時間なくなっちゃうし」
「そうだな~ちゃんと仕事すっか~! よっしやるぞ~!」
 両腕を高く上げて伸びをするとブーケガルニはランチの手を取り握って、砂浜を歩き出した。女の子として扱われている感覚に対する何とも言えない居たたまれなさのようなものと、微かなドキドキと、残り大半を占めるブーケガルニはしょうがないなぁと苦笑をこぼしてしまう感情が混ざり合って、ブーケガルニはやっぱり変わってるなぁと心密かにランチは思いながらブーケガルニの斜め後ろを進んでいった。

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