ワンドロ10 スーツ・ウインク・フェンネル
時刻は王都のマルシェ開店直後、王都広場の一角に若い女性ばかりの人だかりが出来上がっていた。
仕事を他のシェフ達に任せたランチはその黄色い声が絶え間なく上がる人だかりへと歩いていった。その中心に目指す人物がいることは間違いないからだった。
「あぁ~んフェンネル様、いつもと違うお姿も素敵ですぅ~!」
「ふふ、ありがとう」
「今日もフェンネル様のお菓子を買いに来たのにいらっしゃらないんですかぁ~?」
「ごめんね、ちょっと用事があってね。僕がいなくても他の料理もおいしいから買っていってね」
輪の中心に立つフェンネルがウインクしてみせると黄色い声が束ねられ歓声となって響き渡った。
輪の外にいるランチは中で何が起こっているのかなど窺い知れないし、人混みの密度が高すぎて割って入っていくこともできなさそうだった。右往左往していると、やがて歓声が段々と近付いてきて人だかりが左右に分かれ中心をゆったりとフェンネルが歩いてきた。
見慣れないダークグレーのシックなスーツ姿。こんな服持ってたんだ、何を着ても似合ってしまうフェンネルだがスーツ姿も様になっていて、いつもよりもぐんと大人っぽい雰囲気で、普段通りの格好のランチはどことなく気後れしてしまう。
「お待たせランチ。さあ行こうか」
にこりと軽やかに微笑んだフェンネルに頷くと、フェンネルはさっさと城門へ向かって歩いていくので、ランチもやや早足でそれを追う。
今日は王子に王都のマルシェの成果について中間報告を行うことになっていて、王子のたっての希望でシェフも誰か呼ぶように言われ、全員の協議でそういう場ならフェンネルが一番場慣れもしていて失礼もないだろうということになって選ばれこうして二人で城に向かう事になったのだった。
「フェンネル、スーツなんか持ってたんだね」
「まあね。一着あると色々便利なんだよ。どこかに潜り込む時とかに」
「えっ、まさか……」
まさかまだゴーマン商事のスパイをやめてはいなかったのだろうか? とどきりとすると、前を歩いていたフェンネルが肩越しに振り返って薄く笑った。
「フフッ、冗談冗談。昔はそうだったっていうだけだよ。捨てる理由もないでしょ?」
「な、なーんだ……びっくりした……もうフェンネル脅かさないでよー!」
「ハハハ、ごめんごめん」
後ろから肩を拳で軽く叩くと、なんとも楽しそうな笑い声をフェンネルは上げた。
「君も王宮勤務なんだからもっとちゃんとした制服じゃなくていいの? サフランさんみたいな」
「うーん……ああいうのって堅苦しくて苦手で……けっこう無理言って王宮の制服をアレンジしたんだ」
「まあその服も君に似合ってるしかわいいけどね」
「……フェンネル、もしかしてまたからかってる?」
「そんなことないよ」
静かな声で答えるとフェンネルは立ち止まって、ランチの目を見下ろした。
「ただ、もっと色んな服を着た君が見てみたいなと思って」
「えっ、なんで?」
「なんでって……分からないかなもう」
今度は困ったように眉尻を下げて微笑み一つ息をつくと、再びフェンネルは歩き出したのでランチもそれに続く。
どうしてフェンネルは色んな服を着てほしいなんて言うのだろう。真意を測りかねてしまうし、サフランに王宮の美観を損ねると言われて私服を全部処分されたほどランチは服選びに関するセンスがないのだ。他の服を選んで着てみたところでフェンネルは面白がって大笑いするだけだろう。
そう思うと、ただでさえ女性を魅了してやまない美しい容貌の上にピシッと決まったスーツ姿のフェンネルの隣を歩くのは気後れしてしまってためらわれて、ランチの歩様は段々と遅くなっていった。
だがフェンネルはその気配にすぐに気付くと立ち止まって振り返った。
「ランチ、どうしたの? 謁見の時間に遅れちゃうよ」
「えっと……フェンネルは、わたしみたいなおしゃれじゃない子が隣を歩いてても、恥ずかしくないの?」
消え入りそうな声でランチが訊ねると、フェンネルはきょとんと目を丸くしたあと、優しく微笑んだ。
「君は僕がそういう事気にすると思う?」
「けっこう、こだわる方かなって、思ってます……」
「まあ、センスはいいに越したことはないけどね。実はあんまり気にしないんだ」
ぽん、とランチの頭の上に手のひらを乗せてフェンネルは続けた。
「それとも今度、僕の選んだ僕の好きな服を着てくれる? 最高に素敵な服を選んであげるけど」
言うとフェンネルは右目をぱちりと閉じて、ランチに向けてウインクしてみせた。
ぼっと、まるで顔に火が着いてしまったように熱くなる。どう言葉を返せばいいものやら頭が真っ白になって分からなくなってしまい、ランチはその場に硬直してしまった。だが。
「子豚ちゃんにはやっぱり白いフリルが似合うかな?」
次のフェンネルの一言で我に返ったランチは、わなわなと肩を震わせて今度は怒りで顔を赤くする。
「も~! フェンネル~!! またからかって~!!」
「そんな事してる場合かな? 急がないと謁見時間に遅れちゃうってば」
胸や肩を狙ったランチの拳から逃げるようにフェンネルは駆け出して、逃すまいとランチはフェンネルの背を追いかけて二人は道の先に消えていった。
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