ワンドロ17 涙・チューベローズ

 レヴン島の夜は空気が清浄なせいか星明かりがくっきりと見えて他の土地よりも心持ち夜道が明るいような気がする。その夜リンドウが向かったのはブーケガルニのキッチンカー……の側で木に止まるチューベローズの元だった。
「ホッホ、珍しい客人だの。はてさて、吾輩に何の用かの?」
 何分皆寝静まった夜のこと、足音を潜め息遣いも最小限にと気を使っているのかリンドウの顔は緊張で強張っていた。いや、それだけではないのかもしれない。リンドウはごくりと唾を飲むと、顔を上げチューベローズを見据えて口を開いた。
「実は、その……チューベローズ様に是非お願いしたい事が……お恥ずかしい話なのですが、ずっと悩んでいる事があって……」
 リンドウが話し始めてから十分ほど後、虫の声と風のそよぎが彩るばかりだった夜の静寂がけたたましい絶叫によって切り裂かれることとなった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」
 何事かとランチやシェフたちが総出で声の出所に向かう。一番近い場所にいたブーケガルニとディルが見たものは、チューベローズに見下され滂沱の涙を流し嗚咽するリンドウの姿だった。
「おっおいリンドウ、どうした~?」
「うぐっ、ぐっ……ひっぐ……うぐっ」
 ブーケガルニが問いかけたものの涙と鼻水で顔面がぐちゃぐちゃに濡れたリンドウは嗚咽するのがやっとの様子でまともな言葉を喋れない様子だった。
「……チューベローズ様? 何をしたんですか?」
「なんじゃー! ディルお主、そうやってすぐ吾輩を疑う癖があるようじゃが吾輩は悪くないぞ!」
「チューベローズ様が何かしたのでなければリンドウ殿がチューベローズ様の前でこのように泣いている理由の説明が付きませんが?」
 ディルがチューベローズに詰め寄る間に、ランチや他のシェフもその場に集まった。
「リンドウどうしたの? 何かつらい事でもあったの……? ごめんね気付けなくて」
 ランチの言葉にリンドウは泣き崩れながら必死に首を横に振る。どうやら悲しくて泣いているというわけではないようだった。
「大方意地悪な兄弟子さんにまたいじめられちゃったんじゃない? いくらリンドウでも我慢の限界ってやつもあるでしょ」
「あ!? オレぁ何もしてねぇよ! 大体オレぁ夕飯の後ずっと寝てたしこいつがいつの間にかキッチンカー抜け出してた事さえ知らなかったんだぜ?」
「それはそれで問題なんじゃないかな……」
「なんだオラ、喧嘩売ってんのか優男」
「まぁまぁ、喧嘩は良くないですよ~? 今はリンドウさんがどうして泣いてるのかが問題なんですから~」
 危うく一触即発の事態に陥りそうになるフェンネルとキキョウの間にユーカリが入って宥める。確かにユーカリの言う通り今直面している問題は何故リンドウがこんなにも大量の涙を流しながら泣き続けているのか、という事である。
「まさかとは思いますがチューベローズ様……」
 じとりとしたディルの目線を受けてチューベローズがむむむと唸る。
「魔法を失敗された、という事はないですよね?」
「失礼な事を言うでない! ディルお主この大魔法使いチューベローズ様が魔法を失敗するなどという失態を犯すと……」
「何度もしているから疑っているんです!」
 こちらはこちらで戦争が勃発しそうなチューベローズとディルを眺めながらマジョラムは溜息をついた。
「はぁ……そういう事……。でも失敗魔法ってんなら話は早いじゃん? オレガノお願い」
「オッケー姉貴」
 オレガノが前に進み出てリンドウの前に立ち右手を翳す。
「レマト・ヨダミナ!」
 オレガノの右手から発した光がリンドウを包み、その光が消えた頃にはリンドウの嗚咽は止んでいた。
「……止まった」
 鼻声のリンドウの呟きが響く。振り返ったリンドウの顔面はそれはもう酷い有様で、ユーカリが慌ててハンカチを取り出して駆け寄り、その様子を後ろの方から眺めていたキキョウは噛み殺しきれない笑い声を漏らしていた。
 結局ハンカチでは足りずにブーケガルニがキッチンカーからタオルを持ってきて顔面を拭き、リンドウが落ち着いた頃合いを見てランチが再び疑問を口にした。
「それでリンドウ、どうして泣いてたの……? というか魔法で泣いてたんだっけ……どういう魔法をかけられたの?」
「うむ……恥ずかしい話なんだが…………。その、俺は玉ねぎの下ごしらえが苦手だろう……? どうしても涙が出てしまって見苦しい姿を晒してしまうのが心苦しくてな……それでチューベローズ様に玉ねぎを切る時に涙が出ないようになる方法はないかと聞きに来たんだ……」
「ヒーッ、ハッハハハ……なんだおめぇ、玉ねぎもまともに切れねぇのかよ、腹痛ぇ……ヒヒヒヒ……」
「キキョウさん笑いすぎです、リンドウは真剣に悩んでるんですよ!? それに泣きはしますけどリンドウはちゃんと下ごしらえできますから!」
 ランチが怒ってみせてもキキョウの笑い声はやむことがない、全く効果がなかった。
「吾輩はちゃんと真面目に玉ねぎを切る時に泣かないようになる魔法をかけたのじゃぞ? ただちょーっと手元が……いや羽元が狂ってな」
「軽率に魔法で何でもかんでも解決しようとしないでください!」
「吾輩を頼ったのじゃから魔法目当てだと思ったんじゃ!」
「あの……自分は、長く生きておられるチューベローズ様なら何かいい知恵をご存知ではないかと思って……」
 ディルとチューベローズのやりとりの間に割って入ったリンドウの言葉にチューベローズも黙るしかなかった。遠巻きに様子を見守っていたネリネがリンドウの側に歩み寄ってくる。
「あの、ほらこれ、使いなよ」
 差し出したのは、ネリネが首にかけていたゴーグルだった。
「下ごしらえの時はこれを使えば涙は出ないだろ? 予備が二三個あるから気にしないで使ってくれよ」
「あ、ありがとう、ネリネ」
 ゴーグルを受け取ったリンドウがネリネに礼をし、今夜の騒動は終息を迎えた。ディルからたっぷりと叱言を貰ったチューベローズは翌日ずっと拗ねたままだったがリンドウは早速ゴーグルを装着し涙が出ない事に感激の声を上げたのだった。

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