ワンドロ18 ウェディングドレス

 ある日、テシカに暮らすフェンネルとバジルの元にランチからそれぞれ手紙が届いた。封を切って中を改めると内容はランチとリンドウの結婚式への招待状だった。
「あの二人ってそういう関係だったんすね、僕はてっきりフェンネルさんとランチさんが結ばれるって思ってたっす。ランチさんよくお見舞いにも来てくれましたし、二人はいい感じなのかな~って」
 すっかり青年に成長したバジルが驚いた様子で語りかけてくる。バジルを一瞥してフェンネルはふっと笑ってみせた。
「ランチは僕の事をそんな風には見てないよ。僕が何を言ったってからかってるとしか受け取らないんだから」
 フェンネルの言葉を聞いてバジルは不思議そうな顔をした。最近馴染みの客の女の子といい雰囲気になっているようだけれど、まだまだ恋愛の経験値は浅いバジルだから、数多いる女の子の中でも際立っているランチの鈍感さは当時のやりとりの記憶だけでは分からないのだろう。
「僕は、ランチさんもフェンネルさんの事好きだったように見えたっすよ」
「彼女は誰にでも優しいし、僕はマルシェの仲間だったから。実際問題結婚する相手はリンドウなわけだし」
「そうなんすけど……でも、ガラスのバラの事覚えてるっすか? 僕とランチさんが探しに行った」
「もちろん」
「僕も一生懸命探しましたけど、ランチさんだって僕以上にすごく必死だったっす。ただの仲間だからって感じじゃなかったっすよ」
「そういう人なんだよランチは。だからみんな、こんな僕でさえランチに心を許して一緒に頑張れたんだ。僕が特別な存在だったっていうことじゃないよ。例えばバジルが同じ風になっても、ランチは同じ事をしたと思うよ」
 フェンネルの言葉にバジルは不服そうに眉根を寄せたが、それ以上の反論の言葉はないようだった。もう一度にこりと微笑んで、フェンネルは椅子を立った。
「さて、そろそろお茶でもしながら返事を書かないとね。バジルももちろん行くだろう?」
「それは、もちろん行くっす……」
「お茶請けは何がいいかな。そういえばクミンさんから貰ったクッキーがあったっけ」
 多少力技ながら話を打ち切って、フェンネルはキッチンに立ち湯を沸かし始めた。
 突然届いた招待状について思うところがないわけではない。だがフェンネルは八年前に決めたのだ、先の短い命の自分に彼女を付き合わせて彼女のやりたい事を妨げるようなことはしたくないと。だから彼女がリンドウの誠実さや一途さに惹かれていくのを知りながら何もしなかった。何も思わなかったわけではない、今すぐ奪い去りたいと何度思ったか分からないし思いをはっきりと告げられぬ事にどれだけ苦悶して夜の闇の中幾度眠れなくなったか分からない。だがフェンネルは苦しくとも成し遂げた。それが彼女の為であると、自分がすべき事だと確信したが故に。
 テシカの清浄な空気はフェンネルの寿命を細々と繋いでくれている。それはもしかしたら、来たる日に彼女の幸せを祝福する為だったのかもしれない。神様とやらはあまりに非情だと思わず苦笑いが漏れる。リンドウならばきっと最後まで彼女を愛し続けるだろう、フェンネルよりもずっと長い時間を彼女と共にできるだろう。それはどれだけ彼女に幸せを与えるだろう。フェンネルではなし得ない事だ。だから、これでいい。
 ケトルの注ぎ口から蒸気が漏れ出しピーと笛が鳴る。火を止めて、ふうと一つフェンネルは息を吐いた。

 久し振りの王都は記憶の中と変わらない賑わいに包まれていた。往来を行く人の波は熱気と活気に溢れ、死の影を纏ったフェンネルには眩しい場所だった。テシカの死の静寂が自分には合っているのかもしれない、そんな事をバジルに手を引かれながら歩き考える。
 テシカからの往路はフェンネルを気遣ってかランチが馬車を手配してくれたので楽な移動だった。出発前日のバジルはお弁当を作るっすよと子供に戻ったようなはしゃぎようで、こちらにも気を遣われていると思うと自分の不甲斐なさが情けなくなった。
 宿で正装に着替えてから式場へと向かっているが、先を行くバジルの背中を見ていると改めて成長と時の流れの速さを感じずにはいられなかった。何もかもがフェンネルを置き去りにして過ぎ去っていく。フェンネルの抱きしめているものは過去の温かい思い出だけだ。もう自分が何かを成す未来はないから。そんな事を言ったらランチは怒り出してしまうだろうかと夢想するけれども、祝うべき日に相応しくない発言だ。控えなければいけない。
「おー、フェンネル! それとバジルか? でっかくなったなぁ~!」
 式場の近くで横の道から歩いてきたブーケガルニとディルがこちらに気付き、ブーケガルニが相変わらずの大きな声を張り上げた。あの頃の賑やかさの半分以上はブーケガルニが担っていて、彼のお陰で色々なトラブルが起こったりもしたけれどもそれ以上に楽しかったのが思い起こされる。昔の記憶に向かってフェンネルは微笑んだ。
「君も今来たのかい、スーツもなかなか似合ってるじゃないか」
「まぁな~! なんたって豪華客船の料理長だからよ、らぐじゅあり~? でゴージャスな雰囲気に馴染んじまったからな!」
「ふふ、そういう割にはあんまり変わってないみたいで安心したよ」
「ブーケガルニさんディルさん、お久し振りっす!」
「おー、バジルお前ほんとにでかくなったなぁ~! フェンネルと一緒でなかったら誰だか分かんなかったぞ!」
「お久し振りですフェンネル殿、バジル殿。お元気でしたか?」
 挨拶を交わしながら歩くとやがて式場にたどり着いた。受付を済ませ広間に入ると、懐かしい面々が顔を揃えていた。ユーカリ、ネリネ、マジョラム、オレガノ、チューベローズ、ミツバ。サフラン。シオンとキキョウは見当たらなかったが代わりにミツバの側には名家の令嬢らしく執事と思われる左目に傷のある黒いスーツの男が控えていた。席に着く前に挨拶を交わして近況や昔話に興じていると時間があっという間に過ぎていく。まるでこの空間だけが八年前に戻ってしまったかのような不思議な感覚だった。いつでもあの頃に戻れる仲間、何も持たなかったフェンネルにこんな繋がりをくれたのはランチだ。フェンネルはランチの特別な一人にはなれなかったけれども、両の腕から溢れるほどの沢山の愛を貰った。それだけで充分すぎるほどなのだと今なら思える。
 やがて司会者が登壇して各自席に着くように促され、会場の照明が落とされて暗くなるとBGMと共に入り口付近にスポットライトが当てられ、新郎新婦が入ってきた。
 ランチは純白のウェディングドレスを身に纏っていた。見事な仕立てのプリンセスラインで、過度に豪奢ではなく清楚さがある。裾のレース細工が歩く度に揺れて目を引き付ける。少しはにかんだ表情のランチにフェンネルは心ばかりか魂まで奪われたように見入ってしまった。
 気が付くと新郎新婦は席に着いていて式が進んでいく。だがフェンネルは料理の味が分からなくなってしまったし、誰が何を話しているのか内容も耳を右から左にすり抜けてしまって把握できなくなってしまっていた。どうして僕は彼女の隣にいられないのだろう。そればかりが胸を巡り重みを増して他の思いを押し潰す。
 こんな苦しみを、生きている限り味わい続けるのだろうか。耐えられない、もし神がいるなら今すぐこの生命を奪ってほしい、どうして生きているとは言えないこんな状態で生き続けれなければならないのだろう、彼女がいなかったら僕に生きている意味なんてないのに。
 肩を叩かれ、見上げるとユーカリが心配そうにフェンネルの顔を覗き込んでいた。
「外に出てみんなで写真を撮りますよ、フェンネルさん……大丈夫ですか? テシカの外だから体がどこか悪いんじゃ……」
「いや、大丈夫だよ。早く行こう」
 言い訳めいた微笑を浮かべて席を立つ。ユーカリは納得できない様子だったけれども、歩き出したフェンネルの後に続いた。
 式場の内庭に出ると果てない青空と眩しい陽光がフェンネルの目を刺した。この眩しさは、今日の白いドレス姿のランチによく似合っている。おめでとうという祝福の声に包まれて幸せそうに笑うランチの顔は、今まで見たどんな彼女の姿より美しかった。やっぱり天使だったんだ、僕の天使ではないけれど。祝福する振りをしてフェンネルは微笑みを浮かべた。
 写真撮影が終わり、ランチとリンドウは参列者に礼を言って回り始め、やがてフェンネルとバジルの前にやってきた。
「フェンネル、バジル君、今日は来てくれてありがとう。ほんとはテシカの外に出たらよくないかなって思ったんだけど、どうしても来てほしくて……」
「ちょっとくらいなら大丈夫だよ。おめでとうランチ。幸せにね」
 心にもないことがスラスラ口から出てくるのはスパイをしていた経験からか。そう思えばその過去も役に立っている、その皮肉さが内心を波立たせる。
「リンドウ、ランチを泣かせたら……いや、君ならそんな事はしないね。安心して任せられるよ」
「……その、フェンネル、俺は……」
「何も遠慮する事なんてないさ。僕は今二人の幸せを心から願ってるんだから」
「そ、そうか……ランチの事は責任を持って幸せにしてみせる、約束する」
 ほっとした様子のリンドウが軽く右手を添えていたランチの左手を強く握る。これでいい、頭では分かっているし言葉もそれに従っている。フェンネルの心だけが追い付かない。
 気のおけない仲間達の相変わらずの賑わいの中でフェンネルだけはただ孤独に微笑み続けた。どうしても欲しかったから諦めるべきだったものの重さを噛み締めながら、誰も不安にさせないようにと。

コメントを送る

コメントはサイト上には表示されず、管理者のみ確認できます。