ワンドロ25 魔法使い・鏡・リンドウ

 ユーカリとリンドウは二人連れだってウリロベの街中を歩いていた。マルシェに必要な雑貨などの買い出し中だった。大通りの両脇には大小様々の店が立ち並び、露天商も数多く店を出していた。美味しそうな匂いがする度にユーカリは立ち止まってしまうので、早く行くぞと促すのが自然とリンドウの役割になってしまっていた。
 必要な物も概ね買い揃え終わり、広場へと戻る道を行く途中の事だった。
「お嬢さん、鏡はいらんかね、安くしとくよ」
 声の方を見やると黒いローブを目深に被った老婆が路面に広げた布の上にアクセサリーなどを並べていた。露天商を営んでいるのだろう、見た目からするとウィッチのようだった。
「鏡ですか~? すいません、もう持っているので」
「これはただの鏡じゃないんだよ、人の心を映し出す事ができる不思議な魔法の鏡なのさ」
 老婆にそう返され、ユーカリは首を傾げた。眉唾ものだというのがリンドウの偽らざる感想だったが、そうして魔法を全否定してしまうのは工業の国の者の良くない癖だと思い直す。しかし、こんな道端でそんな大層な品を通りがかりの大して裕福そうにも見えないであろうユーカリとリンドウに勧めるということは、値段も手頃なものなのだろう、魔法の力があるとしても人の心を映し出すなどという強い力を発揮できるのかは疑問だった。
「おや、お兄さん、疑っておいでだね? そんな大層な品をこんな露天なんぞで貧相な老婆が売るはずがないと」
「えっ……いや、その」
「いいさ、みぃんな最初はそう思うんだよ。この鏡をこんな粗末な露天で売っている、それにはちゃんと理由があるんだ」
 思わずその理由が気になり、リンドウは続きの言葉を待った。その様子に老婆はにやりと口元を上げた。
「この鏡にかけられた魔力はあまりに強い。器であるこの鏡が魔力に耐えられるのは精々一回が限度。だからこれは、一度きりだけ人の心を見せてくれる鏡なのさ。勿論一回使えば壊れてしまうからそんなに高くはないよ。どうだい、あんたも心を覗いてみたい人の一人や二人おいでだろう?」
 老婆の質問にリンドウは口を閉ざして答えなかった。老婆に向かって一礼すると、行こうとユーカリに声をかけ歩き出す。歩き去る二人の後ろ姿を老婆は口元をにやりと上げたまま見送った。

「確かにそういう魔法の品があっても不思議ではないの。但しそんな魔法は恐らくとうの昔に失われておるじゃろうがの。そして器となるものが余程魔力を容れ蓄えられるだけの質がない限りは、其奴の言うように一度きりで壊れてしまうであろうな」
 帰ってきてからも老婆の言葉が頭から離れずにいたリンドウは、チューベローズに先程聞いた話を話してみた。
「そういうものなのですか」
「機械もよい鉄がなければ設計通りのものを組み上げるのがまず難しいし、組み上がったとしても数回使えば壊れてしまうじゃろう、そういう事じゃよ」
「成程……」
 チューベローズの説明にリンドウは納得し頷いた。工業の国で機械文明が発達したのは、鉱石資源が豊富にあり製鉄技術が発達していた事が背景にある。
「してお主、そんな事を聞くということは、誰か心を覗きたい相手でもおるという事か?」
「それは、その……一度や二度くらいは、相手の考えている事を知りたいと思った事がチューベローズ様もおありでしょう?」
「ワシはないの。他人なんぞに興味を持つ暇があったら魔法の修練をしておったわ」
 当然の事のようにチューベローズは答えて胸を張ってみせた。確かに自らを大魔法使いと自称する梟となればそれだけで変わり者には違いなく、リンドウのような凡百の悩みとは遠い所にいるのかもしれない。

 自分が相手の考えている事を察するのがあまり得意ではない事がリンドウには分かっていた。時折物陰に隠れて長く咳き込んだ後何事もなかったかのようにファンの前に戻るフェンネル、いつも機嫌が悪く暇を見つけては寝てばかりいて何も語ってはくれないキキョウ。金光寺家の不穏な空気を知ってから時折塞ぎ込んでいる事が増えたミツバ。ぼんやりと何かを考え込んでいる事が増えたユーカリ。察する事は自分には難しいし、質問してもはぐらかされたり答えては貰えなかったり。そしてランチの気持ち。これは、どんな答えが返ってくるのかと怖くて聞く事ができないもの。
 一つだけ知ることができるなら自分は何を知ろうと願うだろう。洗い終わった皿を拭きながらぼんやりとそんな事を思い耽る。
「リンドウさん」
 振り向くとマジョラムが立っていた。今日の皿洗い当番はリンドウなので、マジョラムは水場には用事はないはずだがどうしたのだろうかと疑問を抱く。
「どうしたんだマジョラム、何か用か?」
「ユーから聞いたんだけど、人の心が見える鏡だっけ? 売ってたんだって?」
「ああ。本当にそんな力があるのかは分からないが、チューベローズ様に聞いたらあっても不思議ではないと言われたな」
「もし本当に見えても……そんなの、見ない方がいいよ」
 心配げなマジョラムの視線を感じて、自分はそんなに思い悩んでしまっていただろうかと改めて気付かされる。知ることができたらどんなにいいだろう、その憧れは心のどこかに確かにあって、そんな物に頼っても仕方ないと言い聞かせても消えはしなかった。
「あたしもね、昔そういうの魔法でできたらって憧れた事あるけどさ、結局心理魔法苦手だから全然出来なかったんだけど……でもね、ちょっと気まずくなってた学校の友達と仲直りできた時思ったんだ。ちゃんと話して分かり合えて良かったなぁって。本当はどう思ってたのかなんて覗き見たりしてたらさ、なんかズルした気持ちになるっていうか……なんて言ったらいいか分かんないけど。それに、気持ちってどんどん変わるじゃない? もし魔法の力で本当に見られたとしてもその時見たものが全てじゃないっていうか……」
 懸命に紡がれるマジョラムの言葉を、リンドウは皿を静かに置いて耳を傾けた。確かにそうだろう。鏡が映し出すのはその人がその時抱いている心の内だけだ。それはいくらでも変化していく。
「あたしはさ、リンドウさんのこと最初は工業の国の人だからやっぱ嫌な奴なのかなって思ってたら全然そんな事なくて……リンドウさんはあたしが魔法の国のウィッチだからってバカにしなかったじゃん、だからちゃんと話せば分かるんだなってリンドウさんに教えてもらったんだ。だから、そんなもの必要ないよ」
「……ああ、そうだな、ありがとうマジョラム」
 リンドウが微笑んで答えると、マジョラムも嬉しそうな笑顔を返してくれた。
 マジョラムはリンドウに教えてもらったというが、今はマジョラムがこうしてリンドウに教えてくれた。言葉で伝えるというのはとても難しいけれども、そこに事実以上の真実を込める事もできるのだということ。それこそが人の心を動かすものなのだろう、きっと。
 鏡の映し出すものに興味がないと言えば嘘になってしまうけれども、自分には必要がないもののようだった。ついでだから皿拭きを手伝うと申し出たマジョラムと並んで皿を拭きながら、リンドウの心はいつになく穏やかだった。

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