ワンドロ32 手を繋ぐ
ルエラニでキキョウがまんぷくマルシェの一員となってから数日が過ぎたある日のこと、フラフラと広場を歩き回っていたキキョウは前方の路地から二人で歩いてくるランチとリンドウを見かけた。リンドウは手に重そうな袋を提げているので買い出しにでも行ってきたのだろう。それはいいのだが、問題はもう片方のリンドウの手がランチの手と繋がれていることだった。
いい歳をした男女が手を繋いで歩いているとなれば理由は一つ。堅物の奥手に見えたが案外手は早いんじゃねぇかと少々感心しながら眺めていると、向こうもキキョウの視線に気付いたようだった。
「もーキキョウさん、またサボってるんですか? ちゃんと働いてください!」
「そんな事ぁどうでもいいんだよ。それよりお前らそういう関係だったのかよ」
「え? 関係って……何がですか?」
ニヤニヤと笑いながら冷やかしたつもりだったのだがランチはキキョウの意図を全く理解しておらずきょとんとした顔をしていた。隣のリンドウも軽く首を傾げている。
「あの……兄弟子、仰っている事の意味がよく分からないのですが……そういう関係とはどういう」
「あ? おめぇらこそ何言ってんだ唐変木どもが! おめぇらの歳で付き合ってもないのに手なんか繋ぐかよ!」
少々苛ついて言葉が荒くなるが、叱り付けてもランチとリンドウはまったくピンと来ていないらしく、二人して口を半開きにした間抜け面でぽかんとするばかりだった。
「キキョウさん……友達でも手くらいは繋ぎますよ?」
「繋がねぇよ! どこの国の話だよ!」
「キキョウさんは繋がないんですか? 繋ぎます?」
不思議そうな顔をしたランチがリンドウの手を解いて手を差し出して来たので、イラッときてつい持っていた扇でぺちりと叩いてしまう。
「痛っ! 扇で叩くことないじゃないですかー!」
「誰がおめぇみてぇな乳臭え女と手なんか繋ぐか! おい、さっきから黙ってるがおめぇは少しも変だとは思わなかったのかよ!」
話を振られたリンドウは目を伏せしばし考え込む。そんなに考えこむような問題ではなく明らかにおかしいのだがどうもそれが分かっていない様子だった。
「それは……最初は少し恥ずかしかったですが……そういうものだと思って。フェンネルやブーケガルニもよくランチとは手を繋いでいますし、それが普通なのかと」
「はぁ……?」
その答えを聞いて、キキョウの肩から一気に力が抜ける。この生真面目だけが取り柄のような朴念仁の弟弟子は女性との接触が少なすぎて何が当たり前で何がおかしいのかもよく分かっていない様子だった。
「私あちこちフラフラしちゃう癖があってよく迷子になっちゃうんですよね。だから一緒にいる人には手を繋いでもらってた方が安心っていうか」
「だからって男とホイホイ手を繋ぐのはちょっと警戒心が足りなさ過ぎるんじゃねぇか? まぁオレが心配するような筋合いはねぇけどよ」
「えっキキョウさん心配してくれてたんですか? 嬉しいです!」
「誰がするか! おめぇはそこらの男に襲われて手篭めになっちまえ!」
「リンドウもフェンネルもブーケガルニもそんな事しません、私だってちゃんと人は選んでますから!」
そう言い切って胸を張ったランチを見てキキョウの脱力はより強まる。暖簾に腕押し糠に釘、会話に手応えというものがまるでない。こいつは男を甘く見すぎている、(リンドウには確かにそんな度胸はないだろうが)男は狼なのだ。だがランチがどんな目に合おうとキキョウには関係のない事だし、これ以上手応えのない会話を続ける気にもなれなかった。
「そういう事にしといてやるよ……疲れた、オレぁもう寝る」
「だめですよキキョウさん、まだお昼ですしちゃんと仕事してください!」
「おめぇとの不毛な会話に給金を出してほしいぜこちとら……荷物片さなくていいのかよ、とっとと行きやがれ」
はぁと深く溜息をついてみせると、ランチとリンドウは戸惑いつつもその場から歩き始めた。二人にはこれから沢山の仕事が待っているのだからいつまでもキキョウに構っている暇もないだろう。ランチは途中で一度振り返り、ちゃんと仕事してくださいねともう一度言い置いていった。キキョウははぁともう一つ深い溜息をつき項垂れる。
「疲れるでしょ? その気持ち分かるな」
声に顔を上げるとフェンネルが立っていた。確か洋菓子職人だったか、怪訝な目で見つめても動じる様子なくにこりと微笑み返してくる。
「ほんと警戒心というものがないんだよね彼女。リンドウはまだいいんだけどブーケガルニなんてスキンシップがちょっと過剰でさ、見てる方の気持ちもちょっとは考えてほしいよ」
言われてみるとそういえばブーケガルニとかいうあの色黒の魚料理担当はよくランチに抱きついたり肩を組んだりしていた気がする。目の前の男は恐らくあの乳臭い女に惚れているのだろうから、そんなところを見せられては確かに気が気ではないだろう。
「苦労してんだなおめぇも……」
「まぁね。疲れたでしょ? ケーキとお茶でもどうだい?」
「頂くかな……」
フェンネルが歩き出したので一息入れたいキキョウは素直に提案に乗り後を着いて歩き出した。そうだ、とフェンネルが歩きながら口を開く。
「これ以上ライバルが増えるのは困るから、争奪戦への参加は遠慮してほしいんだけど?」
「しねぇよ!!」
食い気味に答えるとフェンネルは振り返って肚の底の見えない美しい微笑みを浮かべ、すぐに前に向き直って歩き出した。巻き込まれたら今以上に疲れることが目に見えているのにそんな所に飛び込む愚を犯す筈もない、絶対に巻き込まれねぇぞとキキョウは固く決意したのだった。
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