夢への道行き
社長室に入ってきた秘書が、フェンネルの来訪をオニオンに告げた。事前の連絡もなく急な話なので何事だろうかと思いとりあえず業務が一段落するまで待たせておくようにと指示しておく。フェンネルの集めた情報の報告は基本的には書面で受け取っているし、事前の連絡なしに急に来訪してくるのは初めての事だった。何か余程重大な情報でも掴んだのだろうか。
書類仕事を終わらせ人払いをしてフェンネルの待つ応接室に入ると、ソファから立ち上がったフェンネルが一礼して出迎える。座りたまえと声をかけて自身も向かいのソファに腰掛けた。
「済まんが私も忙しい身なのでな、用件だけ聞きたい」
「はい。ヌサマリに近々ゴーマン商事の新支社がオープン予定ですよね。社長もオープン式典には出席なさるとか」
「その予定だが、それが何か?」
「その辺りを縄張りにしている情報屋から不穏な話を聞きました。式典に乗じて社長のお命を狙う一団がいるとか。確認の為その一団が行きつけにしている酒場を当たってみましたが、確かに計画の密談らしき会話を耳にしました。すぐにお耳に入れた方がいいかと思い、連絡もなしにお忙しいところ押しかけてしまいすいません」
フェンネルの言葉を聞き終わったオニオンはふっと笑みを浮かべ、いや、と短く返した。
「で、その計画とやらはどの程度判明しているのかね」
「招待状を数枚偽造済で、会場に入り込む手筈は整っているようです。招待客の照合と手荷物のチェックを徹底された方がいいかと」
「いや、それでは他の招待客にもいらぬ不安を与えてしまうだろう。晴れの式典にそのような空気では今後の取引にも影響が出る、できれば避けたいところだ。対策はこちらで練っておくとしよう、報告ご苦労だった」
「はい。それでは失礼します」
立ち上がりドアの前で一礼するフェンネルを見て、そうだ、と何か思い付いたようにオニオンが呟いた。
「……何か?」
「良ければ君もその式典に出席したまえ。招待状を用意しておこう」
「は……しかし……」
唐突なオニオンの提案にフェンネルは困惑を隠しきれずに歯切れの悪い返事を返した。
「こういう式典の場にも様々な情報が飛び交っている、これから潜り込む機会も幾度もあるだろう。場馴れしておくのも為になると思うがね?」
「はい……そういう事であれば、是非勉強させていただきます」
ゴーマン商事の諜報部員として働き始めてからまだ日も浅いフェンネルは、そういった式典への参加の経験は確かにまだない。式典ともなれば関係各社のトップが集まるのだから、何気ない雑談の形で様々な情報が飛び交うだろう。経験を積んでおいて損はない。式典の日までに招待状が手許に届くよう手配するというオニオンの言葉に礼を言い、フェンネルは本社の応接室を後にした。
ヌサマリのゴーマン商事支社オープン当日、式典出席の為正装したフェンネルは受付で招待状を見せ会場となっている支社内の広間へと入っていった。広い部屋の中は既に招待客で一杯で、大きく眩いシャンデリラの華やかな灯りの下で賑やかなざわめきが会場を包んでいた。先日の接待に礼を述べるどこかの会社の社長と思しき人物、その妻は他の会社の社長夫人と思われる女性と知り合いの奥様方の話題で盛り上がっている。成程、こういう場に慣れ人間関係を把握できるようになれば有益な情報も数多く手に入りそうだった。
しばらく周囲の会話に耳を澄ませながら歩き回っていると、出席者と挨拶を交わしているオニオンが視界に入った。向こうもすぐにフェンネルに気付き、軽く手招きしてきた。
「支社オープンおめでとうございます、本日はごお招きにあずかり恐縮です」
「フ、らしい挨拶だな。今日は君は私の側にいたまえ。君がいれば招待した御婦人方もさぞ喜んでくださるだろうからな」
「はい、ではそのように……本日は社長の後ろで勉強させていただきます」
「よろしい」
オニオンは満足げに頷き歩き出し、フェンネルはその後を追った。よくよく注意して周囲を見てみると、オニオンと一定の距離を保って何人かの屈強そうな男が人混みに紛れ付き従っていた。一応対策はとってあるらしい。だが一番側にいるのは護身術の一つも心得のないようなフェンネルだ、命を狙う者が会場内に紛れ込んでいるというのによく平気な顔で挨拶に回れるものだと秘かに感心する。その位でなければ、世界有数の企業のトップなど務まらないのかもしれない。
オニオンの目論見通りオニオンが挨拶をする相手と一緒にいる奥方は一様にフェンネルの美貌に目を奪われ後ろの方はとオニオンに尋ねてくる。社員ですと空々しい紹介をオニオンにされ、本日はご出席ありがとうございますとフェンネルが笑みを浮かべ軽く礼するとそれだけでうっとりとした眼差しで見つめられ、本日はどうぞ楽しんでいってくださいと付け加えれば満足気に首を振って答えた。奥方がゴーマン商事に好印象を抱けばその主人のゴーマン商事との取引にも影響を及ぼすだろう、自分の容貌はどうやら社のイメージアップにも使えるらしい、その事が朧気ながら見えてくる。
次々に挨拶に回るオニオンが、取引があるとはいえ地方の一都市の他企業の社長や重役の顔と名前を全て把握しているという事に驚かされる。普段から常に把握しているわけではなく事前に招待客の資料などで確認したのだとしても、それを全く感じさせない淀みのなさで挨拶を済ませていく。数百人の招待客が集まっているというのに取引相手の奥方の名前と顔まで一致させ把握している様子だった。さすがは世界有数の大企業のトップというべきか、それにしても普段から顔を合わせる機会の多い本社付近の取引相手ならばともかく新規にオープンさせた支社でこれから取引をしていく相手の事をこうも把握しているとは、超人的な記憶力だった。
一通り挨拶も済ませた辺りで、会場奥の壇上にライトが灯り司会者と思しき女性がマイクを手に舞台の袖から出てきた。皆様ご注目ください、という一言で会場内の視線は壇上に集まる。
「本日はお忙しい中、ゴーマン商事ヌサマリ支社オープン記念式典にお越しくださり誠にありがとうございます。式典の前に、弊社の社長オニオンから皆様へご挨拶させていただきたいと思います。オニオン社長、どうぞ壇上へ」
司会の言葉を聞いたオニオンの現在地から壇上までの道筋にいる者たちが脇へ寄り自然と道ができる。会場中程にいたオニオンは壇上に向かい悠然と歩を進め、少し遅れてフェンネルもその後を追った。その時だった。
「うおおおぉぉぉーっ!」
前方からオニオンめがけ雄叫びを上げつつ駆けてくる男は腹の辺りにしっかりと両手でナイフを抱えていた。下がりなさい、とオニオンが早口で告げたのでフェンネルは脇に下がる。あちこちから甲高い悲鳴が上がる中、あっという間に男とオニオンの距離が詰まるがオニオンは微動だにせず立ち尽くしていた。
ナイフがオニオンの腹部を抉りそうになり、危ない、と思ったその時、すっと横に逸れたオニオンが差し出した脚に引っ掛かり男はものの見事に顔から転んで地面に強かに身体を打ち付けた。護衛と思しき屈強そうな男たちが数人人混みから出てきて男の手から離れたナイフを押収し男を取り押さえ、場外へと連れ出していった。
「あの手の手合いは本当に愚かだな。叫び声を上げて自分が暴漢であると知らせてくるのだから。少し考えれば避けることなど容易いと分かるだろうに」
スーツの裾を軽く手で払いながら、そこらの虫を叩き落とした話でもするような口調でオニオンは言ってのけた。あまりにも場馴れしすぎている。フェンネルの耳にはあの雄叫びは怨嗟と憤慨のこもった恐ろしいものに聞こえたが、オニオンにとってはあんな声はどうという事もないものらしい。
「あの……どうして、あんな危険な避け方を? 一歩間違えれば社長の身に危害が及ぶのでは……」
フェンネルの質問に不思議そうな顔をしてオニオンは振り返り、しばらくの後ふっと笑って口を開いた。
「途中で取り押さえると暴れて周囲の方に危害が及ぶ危険性があるのでね。襲われるのが分かっている私が相手の動きを封じてそこを取り押さえるのが一番確実だという、ただそれだけの事だよ」
「随分慣れてらっしゃるんですね……」
「日常茶飯事だ。潰したライバル会社の者かはたまた土地開発の為に先祖代々の土地を追い出した者か知らんが……心当たりがありすぎて分からんな。そういう人間から恨みを買うのには慣れているのでね」
底の見えない暗い目は冷たい光を放ったままの微笑を向けてそう答え、オニオンは前に向き直って再び壇上へ歩き始めた。来賓の動揺もオニオンの挨拶で落ち着き、その後の式典は滞りなく終了した。
「今日はご苦労だった。君は本来の仕事に戻ってくれたまえ」
式典が終了し来賓が去りがらんとした会場で、オニオンがそうフェンネルに声をかけた。
「はい。その……一つ聞きたい事があるのですが」
「なんだね」
「ゴーマン商事はここ数年で急成長したと聞いています。成長の影には先程仰られたように社長を恨む者を生む出来事も多くあったのでしょうが……どうして、そんなに急がれるのですか?」
フェンネルの質問にオニオンは少しの間視線を巡らせてからふっと微笑み、フェンネルを見た。
「私にも夢があるのだよ。それを実現する為ならば手段は問わんし何を犠牲にしても構わない、他人の恨みを買う事などどうとも思わない。君には君の目的があってここにいるのだろう、それと同じ事だ」
「そう……ですか。分かりました、ありがとうございます」
世界有数の大企業の社長となりながら未だ果たされていないのであろう夢、何を犠牲にしても成し遂げたいオニオンの夢とは一体何なのだろう。気にはなったが確かにそれはフェンネルの目的とは何も関わりがない事だ。フェンネルはあくまで自分自身の為にここにいるし、これからもオニオンの下で働く。それ以外の余計な事など考えるような余裕はない。
「次は……そうだな、セレベス社が新しく開発しているというエンジンについて調べてほしい。分かり次第逐次報告書を送ってくれ」
「了解しました。それでは、また」
一礼し、フェンネルは支社を出て今日の宿へと向かった。明日はセレベス社の本社がある街へと向かわなくてはならない、また忙しい毎日が始まる。関係者とどう接触するかを頭の中で考えつつ、夜の雑踏の中に紛れ消えていった。
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