シオンとミツバの話
全ての仕事が終わって後は寝るだけとなった夜更けに、シオンは毎日剣の素振りをしている。
ミツバを守る者として腕を鈍らせてはいけないという使命感もあるけれども、無心で剣を振っていると身体の動きが思考の主体となって、余計な雑念が振り払われていく感覚が好きだった。
金光寺家の問題、兄の事。胸を痛める問題はシオンの手には余るものばかりで、己の非力さに歯噛みするばかりで何も出来ない事もシオンの胸を一層曇らせた。
まんぷくマルシェに迎え入れられて同年代の友達も出来て、ミツバの手伝いをする日々はワクワクする楽しい事で溢れているけれども、このままこうしてこの暖かさに浸っていていいのかという焦りも心のどこかにあった。
そんな胸を曇らせる思いが一振り一振り、剣を振るごとに一緒に払われていく心地がする。まだ解決の糸口さえ見えない問題たちは勿論ふとした時にまた思い出して胸をざわつかせる事になるのだけれども、一時の間だけでも忘れていられるというのはシオンにとって救いにも思えた。
ひとしきり木刀を振るい汗をかき、今日はそろそろ終わりにしようとふと振り返ると、いつからいたのかそこにはミツバが立っていた。
「ミツバ様……? いかがなさいましたか? 早くお休みになられた方が……」
「あの、ミツバ、シオンちゃんにお願いがあります!」
「お願い、ですか?」
仄かな月明かりの下に覗くミツバの表情はいやに真剣で、思わずシオンはどんな願い事かと身構えてしまい、こくりと唾を飲み込んだ。
「ミツバにも剣術を教えてください!」
「……えっ?」
ミツバの口から出た願い事は思いもよらなかったもので、シオンは思わず口をぽかんと開け鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな顔をしたまま固まってしまった。
ミツバには剣術など必要ない。金光寺家の令嬢である彼女の身の安全を守るのはお付きの者の使命であるし、淑女としての立ち居振る舞いを身に着ける一環としての嗜みで薙刀などを習うというのであれば分かるが、シオンの剣術は実用一辺倒の無骨なもので、高貴な女性が習うのに向いているとは言い難い。
どうしてミツバ様はそんな事を突然言い出すのだろう。訳が分からずにいると、ミツバはぷぅっと頬を膨らませた。
「ミツバだって練習すれば剣くらい出来ます、自分の身は自分で守りたいんです!」
「しかしミツバ様……それではお付きのわたくしの仕事がなくなってしまいますし……このような無骨な剣はミツバ様にはお似合いになりませんから」
「オレガノくんとかバジルくんには教えているじゃないですか! ミツバは女の子だからダメなんですか? シオンちゃんだって女の子なのにそんなの変です!」
自分が女だてらに剣術を、と言われればシオンに返す言葉はない。シオンが剣を習うようになったのは男児として育てられていたからだが、ミツバにそれを今明かすことは出来ない。シオンが実は男であるという事は金光寺家の旦那様とランチ二人しか知らない秘密だし、もしその事実が広まれば何がどう巡って兄が自分を殺しに来るような事態になるとも限らなかった。ミツバやマルシェの仲間をそんな事に巻き込むわけにはいかなかった。
だが、それではミツバをどう納得させればいいのだろう。
「……ミツバ様、剣の道というのはミツバ様が思っておられる以上に厳しいものです。どうしてもというのであればお教えしますが、最初は基本の素振りをするだけでも手にマメが出来てそれが潰れてしまいますし、そんな手ではミツバ様のお仕事であるおにぎり作りに差し障りが出てしまいます」
「あひ……それは……困ります、けどでも……」
「オレガノもバジルも、もっと強くなりたいと思ってわたくしに剣を習っています。ミツバ様もお気持ちは同じなのは分かります。でも、何も相手を倒すだけが強さではないではないですか。人の上に立ち、皆の願いを纏める……旦那様のようなそんな強さを、わたくしはミツバ様に持っていただきたいのです」
「それは、強いということなんでしょうか……?」
「ええ。優しいから強いのです。わたくしを始め……多くの人を支え助けられる強さを旦那様はお持ちなのです」
そう告げて微笑んでみせると、ミツバはしばしためらった後に、こくりと一つ頷いてくれた。
「ミツバ……まだどうすればいいのか分かりませんけど、シオンちゃんにそう言ってもらえるお父様のようになりたいです……。優しくて強い人になりたい……です」
「ええ、ミツバ様ならなれます、きっと! さあ、夜も遅いですからもう寝ましょう」
そうミツバを促して二人はミツバのキッチンカーへと帰っていった。
ミツバ同様シオンにもまだ進むべき方向は見えない。それを探している。今歩む道が正しい方向なのかなどまるで分からないけれども、例え全てが丸く収まるような結果にはならなくても辿り着くべき未来がこの道の先にはあるのだろう。
その道を、出来うる限り長くミツバを見守って歩いていきたい。改めてそんな思いがこみ上げてきて、シオンはおやすみなさいとミツバに告げた。
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