セレストブルー08

 昼の仕事が一段落し休憩していたリンドウの元に、ふらりとアキノが訪れてきた。
「ようリンドウ、調子はどうだ?」
「アキノ、丁度いい。こちらから訪ねようと思っていたところなんだ」
「おっ、例の会議の茶菓子の事か?」
「そうなんだ。ランチと二人で大体の案を纏めてみたから、一応目を通してくれ」
 そう言いながらリンドウはラフスケッチとレシピを纏めたメモの束をアキノに渡し、目を通したアキノが感心したり質問したりする。少し離れた所に椅子を置き茶を啜っていたキキョウは、見るともなしにその様子を眺めていた。
 工業の国の軍部と外交官の会議中の休憩中に出す菓子を作る。参加者はかなりの人数らしいし公的な場に供するものだからかなりの大仕事と言っていい。キキョウがほとんど働かないので一人でやっているも同然の状態のリンドウには少し荷の重い仕事かもしれない。毎日の仕事の後遅くまでランチと案を練って試作を重ねている様子も目にしている。生真面目な質のリンドウは重大な仕事を前にして肩に力が入りすぎるが、そこをランチが解きほぐす。そうして上手いこと回っている二人の関係を思うと、胸にもやりと不愉快さが湧き上がる。
 自分の所有物が誰かに掠め取られようとするのが面白くないだけだ。胸に湧き上がる不愉快さの理由をそう結論付けるが、どこか何かが違うような気もしていた。だがその違和感の正体は知りたくもないし知ってはいけない気もして、わざと見ない振りをする。
「しかしお前がこんな可愛らしい和菓子を作るなんてなぁ、学校に居た頃のお前からじゃ想像も付かなかったぞ」
「そうだな。俺も、修行して見聞を広めていく中で自分がこういうものが好きだと気が付いたんだ。あのまま外交官になっていたら、一生気付けなかったかもしれないな」
「堅物のお前さんが可愛いもの好きだなんて知ったら、案外女にモテるかもしれないぞ。女はそういうギャップに弱いからな」
「なっ……! そんな不純な動機ではなく俺は純粋に……!」
「分かった分かった。見聞を広めても女に免疫がないのは相変わらずだな、ハハハ」
 温くなった茶を飲み干すと椅子を立ちああだこうだと語り合うリンドウとアキノに背を向けふらりと歩き出す。ここにいても退屈なだけだ、そう思おうとしていた。本当は違う事は分かっていた。昨日外で犯した後キッチンカーに戻ってから、キキョウにベッドを譲りリンドウは毛布を持って作業場で眠った。それに対しいつものようにいいから隣に来いとはキキョウも言えなかった。どう接すればいいのか分からなくなっていた。嫌いだ、顔も見たくない、どちらも本当の気持ちの筈なのにどこか違う。その言い回しは正確ではない、それは分かるけれどもならばどう言えばしっくり来るのかも分からない。
 朝になれば仲間たちへの手前もあるのだろうリンドウはいつも通りの態度でキキョウに接してくる。自分の苛立ちも怒りもまるで届いていないような気持ちになり、リンドウの態度一つ一つが気に障った。どうしてあんな事をされて平気でいられるのだろう。どうして何もなかったような顔ができるのだろう。あんな屈辱的な方法で犯されて、歯牙にもかけないでいられるというのだろうか。それもきっと違う、心のどこかで分かっていた。
 知りたい、分かれなくても受け止めたい。リンドウが繰り返し口にしていた言葉の意味を考える。どうしてそんな事を言い出すのだろう。キキョウは知られたくないのに、リンドウは知りたいと言う。知ってどうするというのだろう、納得したいのだろうかそれとも同情でもしたいのだろうか。キキョウが苛立ちと怒りをぶつける理由を知れば安心できるからか。どれももっともらしい理由には思えたが、一つとしてしっくり来るものはない。
 販売スペースの前まで歩き着いて、焼けた肉の食欲をそそる匂いが鼻をくすぐる。並べられた肉DEキメ☆巻きとかいう妙ちきりんなネーミングの肉巻きを一つ摘み、店番をしていたマジョラムに貰ってくぜと一言言い置いて、後ろから響き渡るマジョラムの売り物に手を付けるんじゃないわよという罵声には耳を貸さずに肉巻きを頬張りながらまた歩き出す。
 肉に肉を巻くのだからどれだけ肉が好きなのか。だがそれは別として肉は美味い。マジョラムの料理人としての腕は確かで、肉の味を一番いい状態で味わえる焼き加減と味付けがされている。ゆっくりと咀嚼し飲み込んで指先に付いた脂を舐め取り、人混みの中を歩く。休憩スペースに誰もいなければそこで寝よう、そう思って来てみたが、ある意味一番顔を合わせたくない人物が休憩中の様子で紅茶を飲んでいた。
「どうしたの、座れば?」
 あからさまに顔を顰めたキキョウに、涼しい顔をしてフェンネルはそう告げた。他の場所を探そう、そう考え背を向けると後ろから声が追いかけてくる。
「君、昨日は何があったのか知らないけど、リンドウにあまり酷い事をしないでくれないかい?」
「……お得意の顔を見りゃ分かるってやつか?」
「そうだよ。朝なんか酷い顔色だった。前関係ないって言われて考えたんだけど、これでも僕はリンドウの友人のつもりなんでね、それなら充分関係はあるだろ?」
 思わず振り向いて厭味ったらしく言葉を返したが、微笑を湛えながら言ってのけるフェンネルにさすがに苛立ち、勝手に舌打ちが出る。
「考えないと出てこねぇ程度の関係のどこが友人だよ。大体あいつの顔色なんか一々知らねぇよ。作業場に毛布持ち込んで寝てたから大方寝不足なんだろ」
「前からリンドウは新レシピの開発の時とか大量発注の作業の時とかに作業場で仮眠で済ませてた事はあったけど、あんな酷い顔色は君が来るまでは一度も見た事ないよ。それでも普段なら僕でないと気付かないぐらいの変化なのに、今朝はさすがに何人か気付いてたくらい酷かったから、余程の事があったとしか思えないんだけど?」
 質問口調のフェンネルの言葉に答えを返さずキキョウは押し黙った。確かに昨日は手酷い抱き方はしたが、体力的にもっと無理を強いた事は今までいくらでもあった。それなのに何故リンドウは、異様に目敏いフェンネル以外の者にすら分かる程憔悴したのだろう。昼近くまで不貞寝をしていたキキョウはその酷い顔色とやらを知るべくもないが、リンドウが何を考えているのかが全く分からなかった。
 今更の事だ、何をそんなに打ちのめされる必要がある。
「そんなに知りたきゃ本人に聞きゃいいだろ。あいつが何考えてるかなんてオレが知るわけねぇだろ」
「……それもそうだね。君は、知るのが怖いんだろう」
「あぁん……? 何戯言抜かしてんだ?」
 微笑を崩さないままのフェンネルの瞳の光は鋭くキキョウを射る。こいつも見透かそうとしてきやがるのか、ただただ不愉快さが募った。
「怖いからそうやって他人を拒絶するんだろう。必死に自分の心の裡を覗かれまいとして」
「……下らねぇ。分かったような面して人の事ああだこうだ決め付けんなっつっただろ」
「自分が隠してるものを人に正確に分かれっていうのは無茶な事を言ってるって自覚はある? 君が分かってもらえないのは君が見せないからさ」
「いつおめぇに分かってほしいって頼んだよ。オレぁ自分の事を他人に分かってほしいなんて思った事ぁねぇよ、余計なお世話だ」
 こちらを鋭い目線で見つめ続けるフェンネルの眼を睨み返す。しばらくそのまま睨み合いが続くが、急に馬鹿馬鹿しく思えてきてキキョウはぷいと視線を逸らした。フェンネルの視線の強さに負けたような気もして癪だったが、睨み続けていたところで不愉快さが増すだけだ。
「僕は別にあんまり興味ないから知らなくていいけど、リンドウはきっと、君が何を考えてるのか知りたがってるんじゃない?」
「……」
 視線を逸らしたまま、フェンネルの顔を見ることはできなかった。知りたい、そう何度も必死な眼でリンドウは言っていた。知ってどうするというのだろう、ずっと知りたいと願い続けてきた師匠の本心を知ったところでキキョウはただ感情を持て余すことしかできなかった。それでも受け止めたいというのだろうか? 何の為に? どうしてそこまでする必要があるのだろう、受ける謂れのない苛立ちと怒りをぶつけ不当に辱め続けてきた相手に対してどうして。
 何を考えてやがんだ、あいつは。性欲を発散する為の道具でしかない相手の思惑などどうでもいいと思っている筈なのに、リンドウの言動はあまりにも理解し難くて疑問が頭を離れない。いつもと昨日で違った事といえば、最早悔しさからなのか悲しみからなのか分からない涙をキキョウが止められなかった事くらいだった。まさかそれが原因だとでもいうのだろうか? どうしてそれでリンドウが思い悩まなければならないだろう、増々訳が分からなかった。
「君の事なんか僕は別にどうだっていいけど、リンドウは違う。真っ直ぐ実直に向き合ってくれる。そういう奴なんだって、君にだってもう分かっているんじゃないの?」
「……余計なお世話だっつってんだよ。今ここにいるのも成り行きでしかねぇ、オレは独りでいい、理解なんざ端から求めちゃいねぇ」
「確かにその方が楽だけど、君はとても淋しくて哀しい人だね。求める事や与える事を、心底怖がってしまっているんだ」
 何が分かる。そう思おうとするけれども、フェンネルの言葉を否定しきれない自分がいるのは確かだった。過去や事情など何も知らない筈の赤の他人にすっかり見透かされてしまっている悔しさと、どうしてこんなにも誰を信じる事もできず独りでいる事しか選べないようになってしまったのかという事への痛みが胸を掻き乱す。お前に棄てられた者の痛みが分かるのか、叫び出したくなるけれども、もしかしたらこのフェンネルという男はそんな思いすらよく知っていて、全て分かっているようなしたり顔をするのかもしれない。これ以上分かられたくなどない。
「二人とも休憩? お疲れ様」
 突然後ろから声を掛けられ振り向くと、湯気の立ったマグカップとパンを持ったランチが歩いてきて椅子に座った。これから休憩を取るらしい。
「珍しい組み合わせだね。何か話してたの?」
「うん、ちょっとリンドウの話をね」
「……今は大丈夫そうだったけど、リンドウ朝ちょっと具合悪そうだったよね。キキョウさん、昨日リンドウに何か変わった事とかありました?」
 ランチに急に質問を振られ、キキョウは首を横に振った。さて、と呟きながら椅子を立ちカップを持ってフェンネルが歩き出す。
「じゃあ僕はそろそろ仕事に戻るよ。ランチは忙しいからって慌てないでちゃんと休憩するんだよ」
「うん分かった、また後でね」
 歩いていくフェンネルに手を振って見送ってから、ランチはキキョウへ向き直った。不思議そうな顔をしてキキョウを見つめる。
「……何だよ」
「えっ、あの、ずっと立ってるから。座らないのかなと思って」
「オレもそろそろ戻るとこなんだよ」
「そうなんですか……あっそうそう、リンドウっていえば、キキョウさんにはお礼を言わなきゃって思ってたんです」
「礼……? そんなもん言われる覚えはねぇよ」
 唐突な言葉にキキョウは訝しげにランチを見据えたが、ランチは微笑んで首を横に振った。
「キキョウさんの和菓子ってリンドウと全然タイプが違うし、それに仕事振りとか、和菓子の事ですごくいい刺激を受けてるのも勿論あるんですけど、キキョウさんが来てからリンドウすごく変わったんですよ。前は知らない人と話すのが苦手で、どうしても固くなっちゃって接客があんまり得意じゃなかったんですけど、キキョウさんの口の悪い乱暴な接客を見て、もっと肩の力を抜いてもいいのかもしれないって気付いてくれて、お客さんとも自然に話せるようになったし。ほんとにいい意味で肩の力が抜けたっていうか。前に相談されてどうにかしようと頑張って一緒に考えた事あったんですけど、私じゃこんな上手くいかなかったから」
「オレの接客に対する文句も入ってねえか今の……」
「あっ、いえ、文句じゃないですよ、キキョウさんはそのままでいいです。ただ、リンドウがキキョウさんからすごく色んないい影響を受けてるんだって言いたいだけなんです、だから、ありがとうございます」
 先程のフェンネルとの会話の内容を考えれば、直後にリンドウの事について礼を言われるのはとても面映ゆく妙な気分になり落ち着かない。
「別にあいつの為に何かした訳でもねぇのに礼なんざいらねぇよ、じゃあな」
 どうにも居たたまれなくなりそれだけ言い捨てるとランチに背を向けキキョウは歩き出した。行く宛てがあるわけでもない、どこか昼寝に丁度いい場所でもないだろうか。そう思いながら広場をフラフラしていると、マルシェの宣伝の為にディスプレイされた山車が目に止まった。あの中なら冷たい風もしのげるし格好の昼寝場所だろう。これはいい場所を見つけたとばかり、周囲に他のスタッフの目がない事を確認して中に潜り込んだ。大人には少々狭い山車の中で身体を丸め横たわりながら、脳裏を過ぎるのは知りたいというリンドウの懸命な言葉と真っ直ぐな目の光ばかりだった。
 どうしてそんなに知りたがるんだ? リンドウの思いを知りたいと思ってしまっている自分を自覚することもないままで一人で考えても永遠に答えは出ない問いが頭の中を巡り回り、その内に緩やかな微睡みの中へとキキョウの意識は沈んでいった。

 数日後、広場をうろついていたキキョウがキッチンカーに戻ると、リンドウとランチがなにやら慌てて作業をしていた。横にはおろおろした様子の小柄な男がいる。恐らく今日の会議に出す和菓子を取りに来た役人なのだろうが、どうもおかしい。ランチとリンドウは早朝から準備をしていて、とっくに規定の数の品物は出来上がっている筈の時間だった。
 この寒い中リンドウは額に薄っすら汗ばみながら一言も発さず、眉根を寄せ必死の形相でただひたすら手を動かしていた。この寒さの中早朝からずっと作業をしている事を思えば、指先の感覚もとうにないのではないか。会話の内容が聞こえるほどキキョウが近付いてきている事など全く気付いていない様子だった。その様子を眺めていると、どういう訳だか伝わる気迫のようなものに目が離せなくなり、正体の分からない妙な感覚が胸の内にに湧き上がってきた。
「リンドウ……あと十分……」
「ぐっ……ぐうううぅぅっ! あと十分!! ……このままでは全員分作りきれない!」
 リンドウの手が止まる。目には焦りが色濃く滲んでいて、明らかに平常心を保てていないようだった。切羽詰った時の咄嗟の判断が甘いと昔から言われてたとかなんとか言ってたな、とふと思い出す。どうやら追い詰められた状況のようだった。
「リ、リンドウ! しっかり!」
「しかし、一体どうしたら……」
「……なんだ、おめぇら、まだやってんのか?」
「あ、兄弟子!」
 兎にも角にも状況を把握しなければならないだろうと思い声を掛ける。リンドウもランチも役人もようやくキキョウの存在に気が付いた様子でこちらを見た。
「それが……作った和菓子が潰れちゃって……」
 ランチの言葉に役人が申し訳なさそうに身体を縮こまらせる。なるほどそれで。ようやく合点がいった。この慌てぶりと必死さ、あれだけの数を一から作り直しているからだというなら納得がいくが、なんて馬鹿馬鹿しいのだろう。潰したのは恐らく恐縮した役人なのだろう、リンドウに非はない筈だろうに、お人好しにも程がある。
「んで? 一から作り直してんのか?」
「……はい」
「はっ……ばかみたいに準備してた意味ねぇじゃねえか!」
「そ、そんなことないです! 準備してたからこそ、こうして一から作り直せてるんだし……」
 呆れ切った顔を見せたキキョウにランチが反論してくる。ランチの言い分にも理がないわけではない、充分な準備があったからこそいざという時作り直すだけの材料も揃っていたし、事前にしっかりと味と形のイメージを固め一度は最後まで作り終えたものなのだから作業のスピードも上がっているだろう。
「……で、間に合うわけ?」
「……そ、それは……」
 キキョウの問いにリンドウは言葉を詰まらせ俯いた。事前に耳にしていた予定だと受け取りは一時間程前だった筈だ、一時間であれだけの量をもう少しのところまでやり遂げられているならリンドウのキャリアと力量を考えれば充分な仕事と言える。それなのに俯いたリンドウの顔は悔しげで悲しげで、見ていると何とも言い難い気持ちにさせられる。
「…………ったく。おい、その材料……こっちにもよこせ」
「……あ、兄弟子!?」
 リンドウの請け負った仕事だから一切手出しはしないと公言して憚らなかったキキョウの突然の申し出に、リンドウは余程驚いたのか弾かれたように顔を上げぽかんと口を開けた間抜け面を晒した。
「勘違いすんなよ、てめぇを助けるわけじゃねぇ。桃栗堂の看板に傷をつけるわけにはいかねぇからな……」
「キキョウさん……」
 ランチは嬉しそうに微笑んでこちらを見てくるし、リンドウは間抜け面のまま固まっている。もう時間がないというのに随分と悠長な連中だと少しの苛立ちが湧き上がる。桃栗堂の名に傷を付けたくないというのは本心だが、どうもそれだけではなさそうだという自覚はキキョウにもある。だがそのもう一つの理由の正体は自分でもよく掴めなかった。
「おい! てめぇら、手を止めてんじゃねぇぞ!!」
「はっ、はい!!」
 ようやく我に返ったリンドウが材料を渡してくる。既に完成し並べられている和菓子の形を確認して同じものを作っていく。ただ、師匠の和菓子ならともかくリンドウの作るものを完璧に再現する気などキキョウには端からないから、自分がいいと思う形に作り上げていく。ランチが二人を補助し、今までの倍以上のスピードで和菓子が出来上がっていく様子に役人もこの一時は罪悪感を忘れすっかり気圧され見入ってしまっている様子だった。
「よし! これで!!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
 時間ぎりぎり、ようやく規定の数の菓子が揃い、ランチが最後の一個を箱に詰め、封をして受け取りに来た役人に手渡す。
「おい、今度はコケんなよ!!」
「は、はぃーーっ!!」
 何度も頭を下げ謝意を表して、役人は今度は滑らないよう足元に細心の注意を払いながら歩き去っていった。
「間に合ってよかったね!」
「あぁ! 本当に……。兄弟子も、ありがとうございます。見事な手さばきとアレンジ、勉強になりました!」
 何の裏もなく心底からの尊敬の念を込めた満面の笑顔で礼を述べてくるリンドウの顔を見て、どうしてこんな事をしてしまったのだろうという後悔とはよく似ているが少し違う、妙に照れ臭いような不思議な気持ちにさせられる。深く息をついて、胸の内を誤魔化すようにふいと目線を逸らす。
「あたりめぇだろ、はぁ……全く余計な労働させやがって……今日はもう休む。じゃあな」
 言い残してキキョウは居住スペースに入っていき、履物を脱ぐのもそこそこにベッドに身体を横たえた。大した労働をしたわけでもないし疲れてもいない、ただあの空気の中に居続けるのがどうにも耐えられなかっただけだ。
 真っ直ぐで裏がない。和菓子を作るキキョウに向けられるリンドウの視線はいつだって尊敬と羨望だけで満ちている。その視線に晒されると己の中の和菓子に対する鬱屈とした想いが刺激されるような心地がして、胸が苦しくなり居たたまれなくなる。
 視線に晒されみっともない己を暴かれるのが怖いのだ、そんな事はフェンネルに言われるまでもなく分かっている。臆病者で惨めな、破れた夢を捨てきれずに足掻き続けているこんなみっともない自分を、誰が進んで晒したいなどと思うだろう。まして弟弟子であるリンドウには。そんな事は人と比べても決して低くはないであろう自尊心が許さないし、もし同情でもされたらと思うとぞっとする。この間激情に任せて本心をついぶち撒けてしまった事すら悔やんでいるというのに。
 晴れ渡り澄んだ空などキキョウの心の中にありはしない、重苦しく厚い雲がいつも垂れ込め覆っている。すっきりと晴れた、どこまでも深い蒼をした美しい空を見たい、それはただのキキョウの願望だ。目を向ければ胸がきりきりと痛む、そんな美しい夢だ。
 眠くもないのに目を瞑る。空、花、蝶、せせらぎ、黄昏、キキョウの作る和菓子はどこにも存在しない美しい夢の形をしている。リンドウが愛らしい和菓子を志向するように、自分はその道を進めばいいのだろうか。まだはっきりとは確信が持てず、それが果たして桃栗堂の看板のもと売っていいものなのかも判断が付かず、堂々巡りの思考はいつまでも出口を見つけ出せずに頭の中を回り続けた。

 やっぱりリンドウにも言っておいた方がいいかなと思って。会議に出す和菓子を作り上げ一段落したところでやけに神妙な顔でランチがそう切り出し告げたのは、師匠の桃栗堂一号店が数日前このルエラニに居たという事だった。そういう事なら早く教えてくれればと言うと、ちょっと言いづらくて……と言葉を濁された。何にせよまだいるのであれば一言でも挨拶したいと思い、師匠のキッチンカーがあった場所をランチに聞きやって来ると、懐かしいキッチンカーが路肩に停められているのが見えた。
 このキッチンカーを初めて目にした日も、広場の路肩に寄せて停められていた。看板から何某かの店だという事は分かったので、何気ない好奇心から商品を覗いたリンドウはそこで人生を変えてしまうような衝撃と遭遇することとなった。まさか思いもよらなかったのだ、あんなに美しい細工が工芸品ではなく食べ物であるという事など。これは食べ物なのよと言われ特に気になったものを一つ買い口にした瞬間、世界の色が変わった。それまでの人生も自分なりに充実した時間を送ってはいたが、あの出会いがリンドウの眼に映る景色の彩りを瞬時に変えてしまった。和菓子を味わい飲み込んだ直後、リンドウは半ば無意識に近い状態で店主に向かい頭を下げて、どうか弟子入りさせてくれないでしょうかと頼み込んでいた。
 師匠の元を離れて三年程が経つがお元気だろうか。ランチの口振りでは老いも感じさせず凛としたあの頃のままの師匠のようだったが、早く会いたかった。足早に駆け寄り、店内を覗き込む。
「……来たね」
「ご無沙汰しております師匠。ランチ……うちの料理アドバイザーから師匠がこの街におられるという話を聞いたものですから一言ご挨拶だけでもと思い、突然押し掛けた無礼をお許しください。お変わりないようで安心いたしました」
 深々と礼をして言うと、師匠が苦笑いしたのであろう息の音が漏れ聞こえた。
「いいからとにかく顔をお上げ。お前は変わったね、背も伸びたしすっかり立派な男の顔付きになったものだ。送り出した時にはまだ頼りなさげな少年だったというのに、若い者の成長は本当に早いものだね。お前が世界樹のマルシェにいた頃から、お前の噂は時々風の便りに耳にしていたけど、ここでも評判はいいようだね。どうだい、手本通りなだけではないお前の和菓子を、見つけられたかい?」
「はい……世界に出て見聞を広め、それ以上に様々な出会いや出来事があったお蔭で、俺はようやく朧気ながら自分の道を見つけられたと思います。師匠の教えは正しかったのだと、強く実感しています」
 嬉しさを滲ませそう報告すると、師匠は何故だか寂しげに微笑んだ。不思議に思い師匠を見つめるが、口元の皺はどこか哀しげな笑みを深く縁取っている。
「人は、いくつになっても愚かしい過ちを犯すことがある。だけどそのお蔭で、リンドウ、お前には正しい道を示してあげられたんだね」
「師匠……?」
「……キキョウとはうまくやれているかい」
「それが……どうも、俺の気が利かないせいか嫌われてしまっていて……ただ仕事振りや時々作られる和菓子からはとても多くのものを学ばせていただいています」
 内容を濁したリンドウの言葉を聞いた師匠の顔が明らかに曇る。ふぅと一つ息をついて、訝しげなリンドウに向かい師匠は口を開いた。
「お前のせいではないんだよ、アタシのせいなんだ。お前が例え今と真逆の口上手の世渡り上手でもあの子は蛇蝎の如く嫌い憎んでいたはずさ。あの子にとっては、お前という存在自体がもう許せないものなんだよ。お前じゃなく別の人間が弟弟子だったとしても同じだから、自分のせいだと思う必要はないよ」
「……存在自体が許せないと、兄弟子にも同じような事を言われた事がありますが、一体それはどういう……」
「それは、アタシの口からは話せない。事情を知っておいた方がいいだろうと思い料理アドバイザーさんにはお話ししたが、キキョウの許しもなくお前に話せる事ではないんだ。お前には本当に済まないと思うけれども、どうかあの子を助けてやってくれないだろうか」
「助ける……? それは、どういう……」
 リンドウの質問に、師匠はやや俯いてそっと目を伏せた。いつも背筋をぴんと伸ばし凛と前を向いていた師匠のこんな姿は、三年の修業期間中にも一度も見た事がなかった。師匠がこの街にいる事についてランチが何やら言いづらそうにしていたのは師匠から聞いたという師匠とキキョウの過去についての話の故かと思い当たる。
「アタシのせいで、キキョウはずっと苦しみ続けているんだよ。特別な事をする必要はないんだ、お前は自分の和菓子を作って、アタシの教えたかった事をあの子に伝えてあげてほしい。キキョウは聡いから、お前のしている事がアタシが本当に教えたかった事なのだときっと気付いてくれるだろうから。そうすれば、あの子はもっともっと、高く羽ばたいていける筈なのだから……」
 胸の奥底から絞り出されたような師匠の声が耳に響き、その声がやけに哀しげな残響を残す。一体何があったのかは定かではないが、心から悔いている事が嫌という程伝わってくる師匠の言葉と声と眼差しに切なさがこみ上げる。
「あの……差し出がましいかもしれませんが、直接、お会いになってお話された方が良いのでは? すぐに兄弟子を呼んで参りますので」
「それには及ばないよ。キキョウはアタシに会う気はないだろうからね。それにお前のその素直さと和菓子に対する真っ直ぐさは、あの子にもきっといい影響を与えてくれる気がしているんだ。だから、お前には苦労をかけるけれども、どうかキキョウの力になってやってほしい。過去に縛られているキキョウの心が自由になって和菓子を作ることをまた心から楽しめるように……その手助けをしてやってほしい」
「……俺に、そんな力があるとは思えませんが……それが師匠の望みであるというなら、力の限り果たしたいと思います」
 キキョウの心は頑なで開く様子もない。割って入ってきた、とキキョウは言った。キキョウにとって恐らくリンドウは邪魔者なのだ。そんな自分にどれ程の事が出来るかは甚だ疑問だった。リンドウは口下手だから、言葉で想いを伝える事は不得手だ。言葉で伝える事ができないのならば、行動で示していくしかない。師匠の言う通り、師匠の教えを守って和菓子を作り続ける事だけが、リンドウに出来る事なのかもしれなかった。
 キキョウに何にも縛られず自由になってほしいと心から思う。もしその願いが叶うならば、何でもしたいと思う。解き放たれ自由になったキキョウの心は、きっと果てしなく高く深い蒼天の色をしている。そんな心のままに高く高く羽ばたいて伸びやかに笑えるようになったキキョウはきっと、一時も目を離せなくなる程美しいだろう。
 もしそんなキキョウを目にしたら、胸の内に深く封じ込めているこの想いは抑えきれなくなってしまいはしないだろうか。キキョウが自由になれば抱かれる理由も恐らくなくなる、二人は関係のない他人になる。でもそれでも、と思った。目に焼き付いた蒼の美しさを忘れられないから、どうかそんな心でいてほしい、それがリンドウの中で今最も強い願いだった。自分には何も出来ないのか、無力感に苛まれ冷たい板張りの床の上で眠れなかった日の事を思い起こす。過去に縛られ苦しみ痛み続け、あんな悲痛な涙を流すキキョウを二度と見たくなかった。

 師匠への挨拶ついでにマルシェで入り用の雑貨を買いリンドウが広場に戻ると、フェンネルが早足で公衆トイレの方へと向かうのが目に入った。どういう訳か口の辺りを手で押さえている。もしかしてどこか体調でもすぐれないのだろうか、心配になって後を追い公衆トイレの中に足を踏み入れる。
 耳に入ったのは個室の中から響いてくる激しく咳き込む声だった。他に人はおらず、閉じている個室は一つだけ。扉をノックして呼びかける。
「フェンネル、おいフェンネル、どうしたんだ、体調がすぐれないのか、それならマジョラムを呼んでくるから……」
「いらない……大丈夫だから……」
 荒い息の中から絞り出したような苦しそうな声でフェンネルが答える。これで大丈夫と言われたところで説得力はまるでない。
「待っていろ、すぐマジョラムを……いやさすがにここには入れないからチューベローズ様の方がいいか」
「いらないんだ……本当に……」
 個室の扉が静かに開き、フェンネルが姿を見せた。血の気のない青白い顔を彩るように口の周りがべっとりと血糊で汚れていた。あまりの光景にさすがにぎょっとしてリンドウの声は思わず大きくなっていた。
「……それはどうしたんだお前! いらないってそんな筈がないだろう、すぐ医者に……!」
「無駄なんだよ……どんな名医でもどんな薬でも治せない、もう分かっている事なんだ。それより……顔と手を、洗ってもいいかな?」
「……あ、ああ…………」
 呆然とするリンドウの前を横切ってふらりと覚束ない足取りでフェンネルは洗面台に向かい、水を出して掌に付いた血糊を洗い流しその後口の周りを洗った。買ってきた雑貨の中に丁度あったので、顔を洗い終え水を止めたフェンネルに真新しいタオルを差し出す。
「ありがとう」
「そんな事はいい、それよりどういう事なんだ、ちゃんと説明してくれ。何かの病気なのか」
「テシカ出身の者はね、テシカの外に出ると身体を壊して長く生きられない。テシカでしか生きられないんだ。僕は父が村の外の人間なお陰か割と長く保った方だけど……ついに来るべき時が来た、ただそれだけだよ」
「そんな……そんな身体で仕事を続けるつもりか、すぐ村へ戻れ!」
 思わず必死になりまるで怒声のような荒い声でリンドウは怒鳴ってしまったが、フェンネルは薄っすらと穏やかな笑みを浮かべるとゆっくりとかぶりを振った。
「このマルシェが終わるまでは……ここに居させてくれないか? 僕だって仲間の一人のつもりだ……仲間になれたんだって、必要とされてるんだって思えたから。だから、最後までやり遂げたいんだ」
「……それは、分かるが、確かにお前は必要な仲間だ、だが…………それでもしお前の身に何かあったらどうする。残された者は、ただ後悔するだけでは済まないんだぞ……俺や他の者もそうだが、ランチがどれだけ悲しむか、ちゃんと考えたのか」
「そうだね……我儘だよね、ごめん。でももしこのマルシェを最後までやり遂げられなかったら、もし少しだけ生命が延びたとしても僕はやり遂げられなかった後悔で心を一杯にしてその時間を過ごさなきゃいけないんだ。僕は、そんなのは、絶対に嫌なんだ……僕の生命だ、僕が使いたい事に使わせてほしい」
 リンドウを見つめるフェンネルの瞳は真っ直ぐで、一切の迷いはなかった。何を言おうがフェンネルは村に戻るつもりはないのだろう。だがそれでも言わずにはいられなかった。
「すぐ村に帰れ。もし亡くしてしまったら生命はもう取り返せない。それで悲しむランチを見るくらいなら、例え後悔をしてでもお前には生きていてほしい」
「ランチには君がいるだろう。頼りにしてるんだよ、僕がいなくなっても君が着いててくれれば安心だって」
「そうではないだろう! ランチは、俺ではなくお前の事を……!」
「そんなの分からないさ。本人に確かめた訳じゃないんだろう?」
「それは……そうだが……だが」
 言葉に詰まりリンドウは目を伏せた。ランチ本人になど確かめられる筈がない、怖くてそんな事はとても聞けはしない。それに。腹の底からどうにか絞り出したような低い声で、リンドウは言葉を吐き出した。
「それに、俺にはもう……ランチを想う資格などない」
「……君がキキョウに何をされてるのかは大体想像が付くよ。安心して、気付いてるのは多分僕だけだし誰にも言う気はないから。でもそんな事は元々関係ないんだよ、君は自分の気持ちを大事にすればいい。資格なら充分にある、僕は君に託したいんだ」
「……違う、違うんだ、フェンネル。俺にはもう自分の気持ちが、自分でもよく分からないんだ…………」
 そっと顔を上げフェンネルを見ると、さすがのフェンネルも虚を突かれたような驚いた顔をしていた。呆然と見つめられ、整理のつけようがない乱れきった己の心の内の様子に泣き出したいような胸苦しさが湧き上がる。
「まさか、君……キキョウの事を」
「分からないんだ……俺にも、自分で自分が分からない……。ランチへの気持ちが変わった訳ではないのに、兄弟子の事が……どうしても……」
「リンドウ……」
 気遣わしげに目を細めリンドウを見つめたフェンネルは、ふうと一つ諦めたような溜息をつくと口を開いた。
「リンドウ、君はきっと勘違いをしているんだ。それは錯覚だよ。身体を重ねて情が湧いてしまっただけで、それはきっと本当の愛じゃない。君は、誰と人生を共に歩みたいのかをしっかり考えればいい、自ずと答えはすぐ出てくる筈だ。今まで君と苦楽を共にして、君を支え変えてくれたのは誰か、君が本当に大切に思っている人は誰なのか、答えは一つだろう?」
 フェンネルの言う事は正しい、それは理解できる。だが、それでもこの気持ちが錯覚や嘘といった類のものとはとても思えなかった。泣き出したいような叫び出したいような正体の分からない激しい気持ちを堪えながらリンドウはゆっくりとかぶりを振った。
 愛しているというのが何なのか、その言葉の正体がまずリンドウには分からなかった。ランチの笑顔を目にすると胸を満たす暖かさ、繋いだ手の温もり、頬を撫ぜるキキョウの指先の感触、引き寄せられ抱きすくめられ触れ合う素肌の温度、どれかは嘘でどれかは本当だというのだろうか。どれも本当の事にしか思われなかった。例え自分を愛していなくても、そう思ってしまっているところまで一緒だ。違いなど見つけられなかった。
「……時間はあるんだ。ちゃんと、しっかり考えて。君と共に高め合って歩もうとしてくれる人と、君を傷付けるだけの人と、どちらと一緒にいるべきかなんて本当は考えるまでもないんだから」
「……」
「それから、僕の事は内緒にしておいてくれないかな。気を遣われて思うように仕事ができなくなるのは嫌なんだ。君とキキョウの事も内緒にしてるから、おあいこって事でどうだい」
「……無茶はしないと、約束してくれるなら」
「僕だって別に進んで死にたいわけじゃないからね、程々にやるさ。これありがとう、じゃあ僕は仕事に戻るよ」
 タオルをリンドウに返しフェンネルはトイレを出ていった。フェンネルから受け取った湿ったタオルを見つめながら、整理のつかないごちゃついた思考を持て余してリンドウは深く息をついた。

 その日の夜更け、様々な事が起こりすぎたが故の高揚感からか何となく落ち着かず、誰もいなくなった広場にリンドウは佇みそっと夜空を見上げていた。
 手出しはしないと宣言していたにも関わらず手助けをしてくれたキキョウ、師匠の思い、フェンネルの身体を蝕む病魔の事。一つだけでも手に余るような出来事が次々に起こって纏まらない思考で埋まった頭の中を落ち着けたいという気持ちもあった。極北に近いこの地では気温が下がり風がなく天気のいい夜には空にオーロラが出ることがある。まさに今日がそうで、見上げた夜空はいくつもの色が複雑にグラデーションを描いた光のカーテンに覆われていた。
「リンドウ……? まだ起きてたの?」
 振り向くとランチがいた。首に巻かれているマフラーにはよく見覚えがある。
「そのマフラー……まだ使ってくれていたのか」
「うん、リンドウから貸してもらったんだもん、大切にしてたよ。そういえばずっと返しそびれてたね」
「返さなくていい、気に入ったならお前が使ってくれ」
「うん、じゃあそうするね。ありがとう」
 にこりと笑うとランチはリンドウの隣まで歩いてきて空を見上げた。リンドウも再び空を見上げ、刻々と色が移ろいゆくオーロラの様子を眺める。
「これがオーロラなんだね……すごく綺麗」
「そうだな……お前に、これを見せたかった」
「王都では結局見られなかったけど……王都からだと遠くの方に小さくしか見えないんだよね?」
「ああ、そうだな」
「じゃあここで空一杯のオーロラを見る方がずっと綺麗だから、ラッキーだったかも! ようやく約束が叶ったね、二人でオーロラを見るっていう約束……」
 心から嬉しそうなランチの言葉にずきりと胸が居たんだ。不実を重ねるリンドウにはもう、こうしてランチと二人で美しい光景を眺め心踊らせるような資格はない。ずっと見せたいと思っていた景色を見せられた、叶えたいと思っていた約束が叶った。それなのに胸は痛むばかりで滲む涙を堪える。
「……こんな時間まで起きていたのか」
「うん、仕事してたら気付いたらこんな時間になっちゃってて……寝ようかなと思って何気なく空を見たらオーロラが出てたから、広場からならよく見えるかなと思って来てみたの。そしたらリンドウがいたから、本当にラッキーだね」
「そうだな……だが、仕事を頑張るのはいいがあまり無理をしすぎるな。こんな遅くまで毎日働いていては身体を壊すぞ」
「あはは……そうだね、程々にしとくよ」
 苦笑いを浮かべて、特に何の違和感も抱かせないような自然な動作でランチはリンドウの手を取った。
「うわっ、リンドウ、すっごく手が冷たいよ……もしかしてずっとここにいたの?」
 言いながらリンドウの左手をランチは両手で包む。冷えて強張っていた手に伝わってくる温もりと柔らかさに鼓動が速まり、またずきりと胸が痛む。
「色々、一人で考えたい事があったんだ……だがさすがに長居しすぎたな、もう戻る事にする。夜も遅いし身体を冷やすといけないから、お前も早く戻って寝るんだぞ」
「うん、分かった……また明日ね、おやすみリンドウ」
「おやすみ、ランチ」
 ランチが左手から手を離し、包む温もりを失った手は先程よりもずっと空気の冷たさをはっきりと感じ取ってしまう。温もりなど知らなければこんなに心が震え揺らめく事もなかったのに。どうしようもない心の内を悟られまいとリンドウは踵を返し振り返らないでキッチンカーへ真っ直ぐ歩いていった。
 キッチンカーに帰り着き居住スペースに入ると、もう寝ているだろうと思っていたキキョウは起きていて、ドアの開いた先にいたリンドウにベッドに寝転んだ体勢のまま目を向けた。
「どこ行ってたんだよ」
「え……いえ、特に用事があったわけではないのですが……広場で、星を見ていました」
「この寒いのにか? 酔狂な野郎だな」
 言いながらキキョウは身体を起こし、ベッドの上に座り込んでリンドウへと首を向けた。リンドウは二三歩前に進み、軽く頭を下げた。
「あの、改めて、今日はお力添え頂き本当にありがとうございました。兄弟子の助けがなければ間に合っていなかったと思います……本当に助かりました」
「別にお前の為じゃねぇっつったろ、桃栗堂の看板に傷さえ付かなきゃオレぁそれでいいんでね。まあでも今日はおめぇもよく頑張ったみたいだから、特別にご褒美が要るかもな」
「は……?」
 困惑するリンドウには構わずキキョウはベッドから立ち上がり、リンドウの上着に手をかけ脱がせ、大小を腰から抜いて刀掛台に収め、リンドウの正面にすぐに戻ると背中に手を回しそっと抱き寄せた。
「あぁあ、身体冷え切ってんじゃねぇか。すぐ暖めてやるよ」
「あの、兄弟子……一体……っ、ん、んんっ……」
 キキョウの思惑が分からず問おうとした口を唇で塞がれる。するりと滑り込んできた舌先が口腔内を隈なく舐め回し、逃げようとするリンドウの舌を絡め取る。あっという間に身体はじわりと熱を孕み息が上がって鼻から甘ったるい声が漏れる。
「言ったろ、ご褒美だ。今日は特別に、たっぷり優しくしてやるよ」
 そう告げたキキョウの口角が上がり、唇が美しい弧を描く。困惑と混乱で頭が一杯になり何を聞きたいのかさえ分からなかったがとりあえず開きかけた口をまた塞がれ、背中に回っていたキキョウの左腕が脇を伝って前面の作務衣の紐を解く。ゆっくりと舌を舐り絡み付いてくるキキョウの舌先にどんどん意識は蕩かされていき、冷えた身体をそっとなぞる掌が熱い。上衣を脱がされ前掛けを外されどちらも床に滑り落ちる。肩を撫ぜる手もまるで壊れ物を扱うような繊細さで、これではまるで、愛する人を壊さないようにそっと初めて抱くような触れ方だ。嫌だ、こんな触れ方をされるのは耐えられない、このまま進めば勘違いが増していって心の奥深く封じ込めていた言葉が溢れ出してしまう。それだけはどうしても嫌だった。必死に首を振り、キキョウの唇を引き剥がす。
「やめて……やめてください…………こんなのは、嫌です……」
「あぁ? 何が不満なんだよ。いつもみてぇに乱暴にされる方が好きって事か? 前々からその気はあるんじゃねぇかと思ってたけどよ……」
「違います! でも、これは……嫌なんです……」
「ふぅん、そうか。じゃあご褒美はやめだ」
 碌に理由も言わない内に思いの外あっさりとキキョウが引き下がり、やや拍子抜けしてリンドウはキキョウを見たが、やめると言ったにも関わらずキキョウは離れようとせずリンドウの首筋を柔らかな手付きで撫で下ろした。
「んっ、う……ぁ、やめる、のでは……」
「ご褒美はやめて嫌がらせにする事にしたんだよ」
「そんな、あぁっ、いや、だ……あっ!」
 下腹部に降りたキキョウの手が既に甘く勃ち熱を持ち始めていたものを撫で擦り、思わず高い声を上げてしまう。嫌だという思いと裏腹にもっと触れられたいという欲望が腰を揺らすが、キキョウの手はあっさりと離れ胸元へと戻っていった。
「身体は嫌がってねぇみたいだぜ? ほんと正直だよなぁ、おめぇの身体」
「ううっ……ふ、はぁっ……あ、や、いやだ……っ、あぁ……っ」
 脇腹をなぞり胸板をまさぐる指先が皮膚の薄い所を探り当て、硬くなり始めていた箇所をやわやわと揉み解すように緩やかな刺激を与えてくる。首筋を骨に沿って丁寧に舌先がなぞり、まるで恋人にするような柔らかく甘い口付けが落とされる。愛されているような錯覚がどんどん膨らんでいくのが恐ろしくてぎゅっと目を閉じるが、その行為はキキョウが触れる部分の触覚をより鋭敏にする働きしかもたらさなかった。
「そんなに嫌ならオレを捻じ伏せりゃいいだろ、どうしてしねぇんだよ」
「そんな事は、したく……ないんです……好きに抱かせるという約束ですし……それに、そんな事をしてやめさせても、何も、変えられないから……」
「変えるだ? 何をだよ?」
「あなたの、心を……」
 リンドウの答えを聞いたキキョウは、フンと鼻から嘲笑を漏らした。舌先がゆっくりと首筋を上って到達した耳朶を甘く食まれる。
「あぁっ、あっ……いやだ……っ、あ……」
「寝言は寝て言うもんだぜ。まあ今日は寝かせる気はねぇがな」
 耳許の声は低く硬い。軽く肩を押されると力の抜けた身体は呆気なく後ろのベッドに倒れ込み、屈んだキキョウが手早く靴紐を解いてブーツを両足とも脱がせて放る。ベッドに横たわったリンドウの上に伸し掛かってきたキキョウは、リンドウを見下ろし楽しげに微笑んだ。
「今日は処女でも抱くみてぇに優しくしてやるよ」
「嫌です…………やめて、ください、お願いですから……」
「やめるわけねぇだろ、これは嫌がらせなんだぜ?」
 投げ出した両手にキキョウの掌が重ね合わされ指が絡まり、苦しめる為に優しさを装う口付けが落とされる。幾度も柔らかく唇を食まれ、そこから染み渡る熱がじわりと身体を侵食していく。冷え切っていた筈の身体はいつしか熱を帯び汗ばみ、浅い息に混じって鼻にかかった甘い声が漏れる。舌先が唇をなぞり、思わず甘い吐息を漏らして薄く開いた口に厚みのある舌が侵入してくる。先程同様に丁寧に口内を舐り回され、狭い口腔内を逃れようと藻掻く舌も容易く捉えられ絡め取られてしまう。ねっとりと舌が絡み合い、そこから生まれる甘い疼きが身体を熱くしていく。
 こんなのは嫌だ。泣き出しそうになるのを堪えながら優しく蕩かして苦しめる為の口付けを甘んじて受け入れる。柔らかく優しい温もりと快感に身を浸していると、胸の奥底に閉じ込めた想いがどんどん膨張して壁を突き破りそうになる。
 好きだ、この人が好きだ。寂しげな瞳の色が、和菓子を作る真剣な横顔が、目を覚ますと絡み付いている腕と足の温もりが、リンドウがどれだけ努力しても出来ないものを何でもないことのようにさらりとやってのける鮮やかさが、心の色が、全てが触れると壊れてしまいそうな危うい美しさで成り立っていて、そこにどうしようもなく心を奪われ惹かれてしまっている。
 こんな風に愛されたい、その望みは嫌がらせという形でしか実現しない。優しく触れられるのは欠片も愛されていないという証左で、こんなに優しく触れられていても愛されてなどいないのだという現実に対する痛みと膨れ上がる己の気持ちを押さえつける苦しさが胸を切り裂き押し潰す。
 ようやく口が離れ、頬に鼻に瞼にそっと触れるだけの口付けが幾度も落とされる。苦しくて仕方がなかった。そんな心から愛する相手にするようなやり方はやめてほしかった。堪えきれない涙があっという間に滲み溢れ目尻から流れ出し垂れ落ちてこめかみを濡らす。
「やめて……ください…………こんなの……嫌なんです、本当に…………」
「何がそんなに嫌なのか知らねぇが、泣くほど嫌かよ。俄然やり甲斐が出てきたな」
 満足気に笑んで涙を流すリンドウの顔を眺めたキキョウは、右手をリンドウの手から外して顎を支え上げ、触れるだけの口付けを落としてきた。その間に手は首筋を伝って胸元に至り、胸板を柔らかな手付きで揉み解す。舌先は首筋に移り既に知られてしまっている感じる箇所をそっと舐め突かれる。緩やかで穏やかな刺激は少しずつしか身体を高めていかず、もっとはっきりしたものが欲しいという欲求が大きくなっていくものの、壊さないような慎重な手付きに宿る偽りの優しさに愛されているという錯覚はどんどん膨らんで、それが嘘だと分かっているから涙が止まらない。
「うっ……ぐ、く……あぁっ……いやだ……嫌です、もう……やめて……」
「やっぱり酷くされる方が好きな変態だからこんなんじゃ物足りねぇんだろ?」
「ちが……違い、ます……んっ、あ…………あぁ……っ」
「泣いてる顔、ゾクゾクすんな……もっとみっともなく泣かしてやりてぇ……」
 胸板を揉んでいた手は乳輪をそっとなぞり回してぴんと立ち上がった乳首をやわやわと押し潰し捏ねて弄ぶ。舌先は丹念に胸元を探りながら腹の辺りまで下りていって、腹筋の筋に沿って舌先が這い背筋が震える。唇を落とされ軽く吸われて、嫌悪感で一杯の心とは関係なく身体は反応して甘ったるい喘ぎ声が浅い息と共に喉から漏れる。優しい愛撫は徐々に脇腹へ移動していって、敏感で弱い部分への刺激が吐く息を一層荒くさせ、舌先でそっとなぞられるだけで身体がびくびくと跳ね震えた。そのまま念入りに舐め吸われ、これ以上感じたくなくて手の甲を口に当て指を噛み声を殺そうとする。それなのに甘ったれた喘ぎ声は間断なく鼻から漏れていって止まらない。嫌だ、こんな風に愛されているみたいにこれ以上感じたくない、そう強く願ってもキキョウの与えてくる愛撫による快感は強まっていく一方で、高まる身体に引っ張られて心までふわりと宙に浮いてしまう。実際は違うのは充分分かっているのに、丁寧に優しく愛されている身体の感覚が愛されているのだという錯覚の実感と歓びを心に与えてしまい、違うのだという事実との差異が強く胸を苛む。
「やだっ……もう……っ、やめて、やめてくださ……っ、あぁっ……ん、んぅっ……お願い、ですから……」
「いいぜ、そうやってもっと泣けよ、おめぇのそういう顔が見たかったんだよオレぁ」
 ようやく脇腹から頭を離したキキョウは、前に身を乗り出し止まらない涙を流し続けるリンドウの顔を愉快気に眺める。ゆるゆると乳首を責め立てていた手がふっと離れ下腹部に下り、もうすっかり熱くなりはっきりと硬く形を成した昂ぶりの輪郭をなぞる。
「ひ、あぁっ! あ、は……っ、あ……」
「こっちはやる気満々みたいだぜ? ほんとに嫌なのかも怪しいもんだな」
「本当に……嫌なんです…………もう、やめて……ください……」
「こんな中途半端なところでやめちまっていいのかよ? 正直に言えよ、もっと欲しいって」
 局部をなぞっていた手はすぐ離れ、下衣の留め紐に移って紐を解く。もっと触ってほしい、絶頂を迎え放つまで責め立ててほしい、強い欲求があられもなく腰を揺り動かさせる。下衣も下着もいつものような強引さはなくそっと脱がされ床下に放られ、身体を覆い隠すものは一つもなくなる。次にキキョウは自分の着物の帯を解き着物と下帯を脱ぎ捨て、裸身を晒して腰を寄せてくる。
「んっ……ん……あ……」
 昂ぶり高い熱を持った局部同士が重ね合わされ、一番感じやすい部分に感じる硬さと熱さと脈動に肩が跳ねる。やや息を荒くしたキキョウはリンドウの右手をとって脚の間へと導いていき、二本の昂ぶりを纏めて握らせる。
「イキてぇだろ? オレのも一緒に扱けよ」
「あぁっ……そんな、こと……こんなの……っ」
「早くしろよ……もう、待ち切れねぇ」
 急き立てるようにキキョウが前後に腰を揺らし、リンドウの手の中で強く脈打つ昂ぶり同士が軽く擦れ合う。それだけでもう抑えきれない程の快感が生み出され身体を支配して、もっと欲しい頂点まで上り詰めたいという欲望が勝手に手を動かす。それからはもう何も考えられなくなり真っ白い靄のかかったような頭の中は達したいという欲求で一杯に満たされ、その欲望の赴くままにただひたすらに手を上下させ二本の竿を扱く事に夢中になった。
「やっ、あ、あぁっ、だっ、だめですっ……こんなの……っ、すぐ、すぐ……出ちゃいそ、でっ……」
「ダメじゃねぇだろ、イイんだろ……? もっと先の方もちゃんといじれよ」
 両者のうねる腰の動きが重ね合わされた裏筋に予測のつかない刺激を与え、どくどくと血を送り込む脈動を更に強めていき、それが興奮を増々煽っていく。滴り垂れた二人分の先走りの汁が掌を汚しぬるつかせ手の動きをスムーズにし、むせ返るような雄の匂いを強く放つ。言われた通りに鈴口に指を這わせ円を描くようになぞり回し先端に指先を挿し入れると、キキョウの息が荒くなり軽く呻く声が漏れる。
「そうだ……扱くのも忘れんじゃねぇぞ……」
「ああっ……もう、もう……っ」
「まだだ、こんな程度じゃオレが満足できねぇよ」
 好きに抱かせるという約束だ、言われた事には従わなければならない。奥底からこみ上げ幾度も身体を苛む射精感を堪え続ける。リンドウの頭の横に手を付き身体を倒したキキョウに唇を奪われ、ほぼ本能の赴くままなのだろう動きで舌を絡め取られると、耐え難い程甘い疼きが身体を満たして、上からも下からも襲い来る快感の波に攫われ沈んでいく。長い口付けの間に少しずつキキョウの鼻から漏れる息は荒さを増していき、腰を揺り動かす速度も速まってきていた。早く解放されたい、解き放ち吐き出してしまいたい、頭の中は射精への欲求で一杯になり、他の事など何も考えられなくなる。ふと過ぎった夜空のオーロラの美しいグラデーションの色ももう遠い。それなのに捨て去れない、肉の欲に溺れ不実を積み重ね続けていく。先程見たばかりの筈の眩しい笑顔も、溢れる程の快感で白く霞んだ頭ではもう思い描けない。リンドウと共に高め合い共に歩もうとしてくれる人とリンドウを傷付けるだけの人、どちらを選ぶべきかなど考えるまでもない。フェンネルはそう言った。だがそうではない、選ぶような資格など今のリンドウにはありはしない。流されてこれだけの不実を重ねながら同時に二人に惹かれる、そんな情けない男が誰かに相応しい相手になどなれる筈がない。
 口を離したキキョウはリンドウの唇に鼻先に頬に口付けを落とす。まるで愛されているようなこの幸福感は、全て嘘だ。知っているのに心は騙されたがる。今この時だけでもいい、愛されているという幻想に浸りたいと訴えかけてくる。そっと頬を撫ぜたキキョウの手が汗に濡れたリンドウの前髪を梳き、額にも口付けが落とされる。快感の強さに一時は止まっていた涙がまた溢れてきて目尻からこめかみ、耳へと新しく筋を作って滴り落ちる。
 愛している。こんな気持ちに気付かなければ、もし憎めていたなら、きっともっと楽だったのに。そんな思いも、射精感の強まりにあっという間に掻き消され消えていく。
「も、もうっ、無理です……っ、だした、出したい……イかせてっ……くださ……あぁっ!」
「おめぇにしちゃ、まあまあ頑張ったじゃねぇか……いいぜ、イけよ……」
「ああぁっ、も、出る、出る、イク……っ!」
 堪えていたものを解き放った瞬間、意識がふわりと浮き上がって真っ白に霞み、三度四度と白濁を腹や胸の上に吐き出す度に身体が震えた。堪えに堪えた後の解放感は頭の芯をすっかり痺れさせ、しばらく余韻が引きそうになかった。
「じゃあ、オレもイかせてもらうぜ……ちゃんと、受け止めろよ……!」
 言いながらキキョウは自分で昂ぶりを扱き始め、しばらくの後に動きを止め肩を震わせて短く呻き、リンドウの腹目掛けて白濁を吐き出した。熱い粘液が飛び散り腹にかかる度にまだ絶頂の余韻の残る身体が震え、その熱さをどうしようもなく愛おしく感じてしまう。
「あーあ、ドロドロになっちまったな。こんなに出して、そんなに気持ち良かったのかよ」
「んっ……は…………」
 息を整えるのがやっとでまともな返事を返せないリンドウの様子を見て、キキョウは僅かに苦笑するとしょうがねえ奴だなと呟き、おもむろにリンドウの腹の上に撒き散らされた精液を舐め取り始めた。
「あっ……兄弟子! なにを……やめてください、そんなものを、舐めないでください!」
 その様子を見て慌てたリンドウが大声を上げると、キキョウはすっと顔を上げ、ふんと鼻で笑ってみせた。
「嫌なんだろ? じゃあやめねぇよ」
「嫌ですが、兄弟子だって嫌でしょうそんなものを舐めるのは!」
「まあ進んで舐めてぇ味じゃねぇが、こういうのは慣れてるんでね、心配してんなら無用だぜ。今日は嫌がらせに優しくしてやるんだから、きっちり全部綺麗にしてやるよ」
 にやりと笑いながらそう言うと、キキョウは再びリンドウの腹の上に舌先を伸ばし精液を舐め取っていく。ずず、と音を立てて啜られ、出所の分からない羞恥心が湧き上がってきて思わず身を捩りそうになるが、そうすれば腹や胸の上の大量の精液がシーツに垂れ落ちて汚れてしまう。どの道明日洗うのだからそれでいいといえばいいのだが、乾いた精液がこびり付いた汚れの落ちづらさを考えると躊躇せざるを得ない。
 それにしてもあの青臭くて生臭く苦みが口一杯に広がる上に粘度が高くて喉に引っ掛かり不快感がいつまでも残るものを、いくら嫌がらせの為とはいえよくこうも躊躇せずに自分から口にできるものだ。熱心に舐め取る様子を見ていると、それだけ愛されているのではないかという錯覚がまたぞろ湧き上がってきてそれだけはありえないのだと必死に否定しなければならなくなる。
「あっ……ん…………兄弟子っ……そこ……っ、ああっ……」
 舐め取られるのに気を取られている内に知らぬ間にキキョウの手は脚の間に下りていて、陰嚢をやわやわと揉みしだかれる。中の球を転がし弄ぶように刺激され、先程あれだけ放ったばかりだというのに陰茎に再び急速に血が流れ込んで大きく育っていくのを感じる。
「前々から思ってたんだけどよ、おめぇ、ここでもイけそうだよな」
 言葉と共にキキョウの手が陰嚢から離れ、更に奥の会陰部を指先がそっと撫ぜくるくると円を描くように少し力を入れて刺激される。
「ああっ……は、んんっ……」
 触れられると、腰の奥に響くような感覚が起こる。以前から指先で押し込まれる事があったが、その時からこの腰の奥底に響くような不思議な感覚は感じていた。そしてその感覚にははっきり何とは言えないのだがどこか覚えがあった。二本の指が探るように会陰部のあちらこちらを絶妙な力加減で押し込んできて、腰の奥に響く不可解な感覚にじわりと身体が熱を帯びてきて、甘い声が漏れ始める。
「う、あ……んんっ……や、あぁっ……あ」
「おいおい、もうここでそんなに感じてんのか? どんだけドスケベな身体してんだよ」
「ちがっ……変な、感じが……して……っ」
「それを感じてるっていうんだよ。これならそう時間かからねぇでここだけでイッちまえるかもな」
 リンドウの腹の辺りに撒き散らされた精液を舐め取り尽くしたキキョウが顔を上げ、どこか覚えがあるのに感じたことがないような妙な感覚に悶えるリンドウを興味深げに眺める。空いている方の手の人指し指で胸元に残った精液を一掬いすると、その指もリンドウの脚の間奥深くに忍ばせていく。会陰部の更に奥、まだ固く閉じた窄まりにぬめった粘液が塗り付けられ、緊張を解きほぐすように柔らかな指付きで撫で回される。
「は、ああぁっ……! あ、あぁっ……」
「こっちも欲しいんだろ? 今日はちゃんと痛くねぇようにしてやるよ」
「あっ、や、いやです……っ、そんなっ、そんなに、されたら……あぁっ!」
 優しく襞を解きほぐしてくる指先の感触にもっと激しく強く犯されあの圧倒的な圧迫感と快感に浸りたいという欲求と期待が高められ、同時に会陰部を押し込む指が身体の奥底に不思議な疼きを蓄積させていく。キキョウは再び上体を倒して胸に残った精液を舐め取り始め、焦らすような柔らかく優しい愛撫が続き翻弄されるままの時間が続きもどかしさがどんどん募っていく。
「あ……兄弟子……っ! も、もうっ……はやく……挿れて、くださ……あっ……」
「ちゃんと解さねぇと痛ぇだろ? こんなにひくつかせて、どんだけ欲しがりなんだよ」
 言われて羞恥に駆られリンドウは顔を横に逸らした。キキョウの指先が当たっている窄まりは、空洞を埋めるものを早く呑み込みたがって小刻みにひくつきわなないている。優しくされることに対する胸の痛みよりもキキョウが欲しいという欲望の方がいつの間にか勝ってしまっているという事実も己のあまりの浅ましさと淫らさを思い知らせ羞恥は強まるばかりだった。
「しょうがねぇな、まあそろそろ程良く解れてきた頃合いだろうしな」
 胸にかかった精液も舐め取り尽くしたキキョウが身体を起こし、つぼまりに当てた指先を押し込んでくる。
「あ、あぁっ……!」
 いとも容易くキキョウの指の先が呑み込まれ、その感触にリンドウは感極まった声を上げ首を巡らした。更に奥へと呑み込もうとつぼまりは収縮を繰り返すが、キキョウの指は先が入っただけでそれ以上押し入ってこようとはせず内側から穴を広げるように肉壁を押し解す。この動きには覚えがあった。今日は優しくするとは言っていたもののまさかと悪い予感が脳裏を一瞬過ぎり、もしそうだったらという当惑がつい顔に出てしまってキキョウに見咎められる。
「なんだその面、お望み通り挿れてやったんだからもう少し嬉しそうにしろよ」
「いえ、あの……以前も、こんな感じでそこを……解されたことが、あったと思って……」
「……ああ。なんだ、また使ってほしいのかよ、あれ」
「逆です! ああいうのは、あまり……好きではないです……」
「あんだけ善がってたくせによく言うぜ。今日は使わねぇから安心しな。つうか、別に道具使うから解すわけじゃなくて、普通は痛くねぇようにこうやって解すんだよ」
 そんな事は初耳だった。当惑した表情のままそうなのですかと返すと、呆れたようにキキョウは長い溜息を一つついた。
「女共に隠れてああいう本見てる位だから知ってるもんだと思ってたらそんな事も知らなかったのかよ……」
「男同士の、そういう事については……その、全然知りませんでした……痛いのが普通なのかと……」
 はぁ、と長い溜息がまた一つキキョウの口から漏れる。すっかり呆れ返っている様子だった。
「バカかおめぇは、おめぇが今まで痛い思いしてたのは、おめぇが痛かろうがそんな事ぁどうでもよかったからだよ。普通は一緒に気持ち良くなりてぇ相手としかしねぇんだから痛い思いなんざさせたかねぇだろ」
「確かに……」
 キキョウの言葉に深く納得したリンドウを見て、キキョウはもう呆れるのにも疲れた様子で脱力し肩を落とした。
「……ああ、悪ぃな、あんまり呆れて思わず手が止まってたぜ」
「んぁ……あ……っ」
 唐突にキキョウの指の動きが再開され、喋っている間に多少は落ち着いた呼吸が再び荒くなっていきじっとりと身体を汗ばませる熱がぶり返してくる。出入り口を押し広げようと蠢く指先も会陰部をあちこち押し込む指先も腰の奥底に蟠るような感覚を与えてくるばかりで、じれったさともどかしさがどんどん膨れ上がってくる。どんどん息が上がって漏れ出る甘い声も止められなくなっていくが、もっと強く確かな快感を求める欲求も高まっていく。
 欲しい、もっと奥深くを、滅茶苦茶に掻き回されたい。正体が分からないと思っていた筈の疼きはそんなはしたない欲望の成長をどんどん強く加速させていく。
「あっ、や……そこっ、もっ……やめて、くださ……っ、我慢、できなく、なる……から……っ」
 会陰部を弄ぶ腕に手をかけるが、訳の分からない快感に震える腕には大した力は入らずキキョウの指先は動きを止めなかった。むしろ感じる場所を探り当てた指先にかかる力は強くなって、与えられる感覚が腰の底に重く響いて腰がびくつく。
「あっ、あ……やっ、あ、あぁっ、あ、あっ! も、やめ……そこっ、へんに、なって……ああぁっ……」
「感じまくってる声出てるぜ、悦くなってきたんだろ」
「やっ、ほんとに、いや、なんです……っ、はっ、あ、あぁっ……やっ、やだっ、いや、ああぁっ、んっ、はぁっ、あぁ……っ」
 制止の言葉はまるで聞き入れられずに感じる箇所を責め立てられ続け、まるで後ろで絶頂させられる時のように全身に力が入って筋肉が緊張していく。堪えきれない快感を逃がそうと盛んに身を捩るが何の効果も得られない。その上に突然、後孔を犯す指が二本に増やされる。うねうねと別々に蠢き穴を広げようとする二本の指先が犯す後孔の感じる快感とと今はもうはっきり快感なのだと認識させられてしまった会陰部からの刺激がリンドウを急激に絶頂へと引き上げていく。
「やっ、ああっ、あっ、んっ、ああぁっ……!」
「イキそうなんだろ? いいぜ、イっても」
「やっ、だめ、だめっ、あっ、ああっ、もっ、やあぁっ、イッちゃ、イクっ……やだっ、く、あぁっ、あ、イクっ、イク……っ!」
 身体が一本の棒になったようにぴんと張り詰め、開いていた脚も自然に閉じてしまいキキョウの腕を太腿が強く挟み込む。それでもキキョウの指の動きは止まらず、身体全体を包み込み侵す絶頂感に果てもなく晒され続ける。
「やぁっ、やっ、あぁっ、もっ、やめ、やめっ、おねが……ひっ、ひあぁっ、あぐっ……んっ、んあぁっ、あ……っ!」
 ようやく会陰部からキキョウの指が離れ、全身が弛緩して五感は薄ぼんやりとしか感じ取れなくなり、乱れきった呼吸を整えようとする事だけにしか意識が向かない。その間も後孔を犯す二本の指は動きを止めず閉じようとする筋肉を押し広げ解し続ける。
 閉じたまま力を失った両脚を再び押し広げて身体を傾け顔を近付けてきたキキョウが啄むような口付けを繰り返す。強烈な絶頂の余韻がまだ残る身体にはその口付けが心地よく、今日幾度も繰り返してきた愛されているという錯覚を否定する思考をぼんやりした頭で必死に組み立てる。
 愛されてなどいない、嫌がらせに優しくするというのも恐らくはただの気紛れ。そんな事は分かり切っているのに、優しく触れられる度に胸の奥底が甘く疼いて歓びが身体を震わす。キキョウの背中に回ろうと動く腕を押し留め、シーツの上に無造作に転がす。愛しているのだと悟られてしまえば、キキョウはもうリンドウを抱かなくなるだろう。キキョウにとってはこの行為はリンドウを辱め傷付ける為のものなのだから。そうするべきだと頭では理解しているのに、例えどんな目的でもいいから抱かれたいと心が願ってしまう。
 優しい口付けを受けている内に徐々に身体の感覚が戻り始め、キキョウの指先が出入口を広げ解す動きによってもたらされるじわじわと身体の芯を火照らせていくような快楽にどうにか整えた息も再び浅く速くなっていく。
 もっと欲しい、奥まで、再びその欲求がどんどん強まって心を支配していく。フェンネルが勘違いだと言う様に、肉欲を愛情と錯覚してしまっているのかもしれない。だけどそれは本当に嘘なのだろうか。身体を重ねぶつけられた感情は、垣間見えた表情は、身体の奥深くに感じる熱は、嘘だというのだろうか。どれも、リンドウにとっては本当のものなのだとしか思えなかった。
 唇を離したキキョウの頭はそっと首筋と胸板に口付けながら下っていって熟れきった乳首に至り舐め回すと吸い上げ、感じやすい箇所への刺激にリンドウが甘い声を漏らす間に後孔にもう一本指が挿し挿れられる。だが依然指先は第一関節までしか挿し込まれておらず、奥底に感じる疼きは強まるばかりだった。
「は、あっ……あ、あぁっ、んんっ、あ、あっ、兄弟子……っ、もっと、奥まで、して、ください……っ」
「ちゃんと解れたらな」
「そんな……あぁっ、あっ、もうっ……奥っ、ほしくて……我慢、できない……のに……っ、んんっ、ふ、あぅっ……おくにっ、ほし……っ!」
 もっと深く激しく犯されたがって腰が揺れ動き、与えられないもどかしさで一杯になった身体から熱を逃がそうと汗が吹き出す。キキョウの肩に手をかけ縋り乞い願うが、願いは聞き届けられずキキョウの指先は浅いところを解すため動き回るばかりだった。
「さっきあんだけイったのにまだ欲しいのかよ」
「あ、兄弟子が……っ、そんなにっ……うしろっ、弄るから……あぁっ、んんっ……んぅっ……」
「痛くねぇようにと思ってしてやってんだろ、もうちょっと辛抱してろ」
「そんなにっ……うぅっ、じらさ、ないで……っ、くださ……、あ、あぁっ、ああぁ……っ!」
 今まで押し広げようとするだけだった指先の動きが抜け出ない程度に出し入れし内壁を擦るものに急に変わり、その感触にリンドウは身震いし甘ったるい嬌声を上げた。もっと欲しい、もっと奥まで掻き回されたい、その思考が身体の隅々までを支配してしまって、キキョウの腰に両足をかけ肩にかけた手を支点に身体を前後に揺する。キキョウが低く笑いを漏らす声が耳に入ったが、欲望のままに求める己の浅ましさを嘲笑われる事に対する羞恥心すら忘れてしまうほど欲求は強く夢中で身体を揺り動かす。
「そんなに我慢できねぇのか? 欲しくてたまんねぇって顔してしがみついて腰振ってよ」
「ああっ、はっ……もっと、奥まで……ほし……っ、おねがい、ですからぁっ……あぁっ、んっ」
「しょうがねぇ奴だな、やっぱ酷くされる方が好きなんじゃねぇのか?」
 堪えきれないらしき低い笑い声を漏らしながら、キキョウは指を一気に根元まで突き入れて指先を残してすぐに引き抜く動きを繰り返し始めた。闇雲に突き立てているようなその動きはしかしながら弱点を的確に責めてきて、弱い箇所を刺激される度にリンドウは肩を跳ねさせ抑え切れない高い声を漏らした。
「いっ、いいっ、あっ、ああぁっ、あ、そこっ、いい……っ、もっと、もっとほし……っ! あっ、ああっ、はっ、ああぁっ!」
「そんなにケツの穴掻き回されんのが好きかよ、ど淫乱。どうせ次は指じゃ足りねぇとか言い出すんだろ?」
「あっ、あ、兄弟子の……っ、ほしい……っ! もうっ、ほぐれてる、からっ……、挿れて、くださっ……あっ、あぁっ、んんっ」
「そう慌てなくてもちゃんと挿れてやるから、まずは指でイっとけよ」
 楽しげにこちらを眺めるキキョウの視線から逃れる事も叶わず、一定のリズムで内側を責め立てる指の動きに背筋が震えどんどん高みに追い立てられていく。指では足りない、もっと太く硬く熱いもので内側を穿ち抉られたい。キキョウの揶揄通りの願望が頭の中を埋め尽くして、これでは足りないという渇望が腹の奥底の疼きをどんどん熱く強めていく。愉快げなキキョウの視線に潜むぎらつき粘ついた欲情の光に興奮が掻き立てられ、今日起こった様々な出来事に対して渦巻いていた様々な思いや不安も、今この瞬間は全て白く塗り潰されてしまって消えてしまっていた。
 ふわりと浮き上がるような不思議な浮遊感が身体を包む。浅く荒い息から取り込める酸素は少なく、どんどん頭がぼうっとしていく。この気の狂いそうな快感と息苦しさから早く解放されたい気持ちと、いつまでも快楽に浸り漂い続けていたい気持ちが同時に存在して、いっそこのまま時が止まればと詮無い想いが胸を過ぎり儚く消える。
 例え愛されていなくてもいいから、でも愛されたい、どちらも本当の気持ちで、嘘などどこにもなかった。この胸の痛みが勘違いだというなら、本物の気持ちというのは一体どんなものなのだろう。何が本当で何が嘘なのかなどもう分からなかったが、胸が痛み疼いて湧き出す感情は、確かにここにあるもので、どこか子供じみた残酷さや意地の悪ささえキキョウを美しく縁取りリンドウを強く惹き付ける。こんな美しい人に、どうして惹かれずにいられるだろう。どれだけ悪意を向けられても傷付けられても惹かれずにはいられない、離れる事などもう思いもよらない。
「あっ、あぁっ、も、うんっ……う……、はぁ、あっ……だめです、もうっ……また……っ、また、イっちゃ……あぁっ、イク、イク……っ!」
 キキョウの肩にかけた手に力がこもる。体全体に力が入って強張り、限界が近い事を知らせてくる。感情も声もどんどん抑えきれなくなっていって、口にしてはならない言葉を思わず口走りそうになる。この胸を埋め尽くし溢れる感情は、一体何を勘違いしてしまっているものなのだろう。どう考えてもこの感情は本物なのだとしか思えなかった。散漫な思考は強く湧き上がる絶頂感に塗り潰され霧散していく。
「イクっ、イクっ! あ、ああっ、あ——……っ!」
 脚がぴんと張り背が撓って痺れによく似てそれとは違う快感の波が全身を覆い、数秒の間息もまともに吐き出せなくなって意識が白く灼き切れる。幾度か身体を震わせようやく薄っすらと目を開けるが、まだ視界はぼんやりとしてはっきりと外界を認識できない。弛緩した身体はまだ絶頂の余韻に酔いしれていて、甘い吐息が短い間隔で漏れる。
 長い間後孔を苛み続けた指がようやく引き抜かれ、その感触に甘い呻き声が喉から漏れ出す。キキョウは汚れていない方の手でリンドウの頬を包むと、ゆっくりと顔を近づけそっと口付けてきた。柔らかく舌を絡ませてきてそこから生まれる感覚が絶頂の余韻をより甘いものにする。輪郭のぼやけた思考でもこんな甘い触れられ方はかえって辛いのだという事は認識できるが、その事に対する胸の痛みすら甘く感じられた。
 キキョウの肩にかけた両手を首に回し引き寄せる。もっと深く繋がりたい、その願いはどんなに追い出そうとしても頑としてそこから動こうとはせず胸の内に居座り続ける。消せない願い、これも勘違いとは思えなかった。
「はっ……あ……ん」
「どうした? もしかして指でもう満足しちまったか?」
 キキョウの問い掛けにリンドウはゆっくりと首を横に振った。力の抜けた身体は確かに優しく触れられることによる幸福感と充足感に満たされているけれども、身体の奥の疼きは依然消えていない。圧倒的な存在感に蹂躙され掻き回されたいという欲望が、満たされているにも関わらず消えずに燻っている。
 例えそれがどんな結果をもたらすことになっても受け止め受け入れたい。強くそう思う。キキョウを縛る過去を断ち切る方法など分かりはしない、だから今出来る事は、憤りも怒りも全て受け止める事だけだ。そんな事くらいしか出来ないのだとしても、何でもいい、何かをしたかった。
「挿れて、ください……」
「そんなに欲しいのよかよ、ほんとしょうがねぇ奴だな」
「欲しいです……兄弟子が……」
 どうとでも取れる言葉に仮託した想いは届かないだろう、だがそれでもいい。満足そうに笑んだキキョウは肉茎を片手で支え持ち角度を調節して、わなないてひくつく後孔に先端を宛てがった。その感触だけでぶるりと身体が震え、腰がゆらめく。焦らす様子はなくつぷりと先端が入り込んできて、硬いものに出入り口を押し広げられる感覚が背筋をぞくりとさせる。
「ああっ……あっ……」
「痛かったら言えよ、今日は優しくしてやる日だからな」
「いたく……ないです、もっと……もっと、奥まで……ほしい……っ」
 内側に感じる熱さと硬さに身体を震わせながら更に奥に引き込もうとリンドウの腰は自然と前後に揺れるが、内壁を押し広げ進む肉茎はゆっくりとしか進んでこない。じれったさともどかしさが再び身体中を包んで、叫び出したくなるようなたまらない気持ちにさせられる。
「おねがいですから……っ、じらさ、ないで……あぁっ、もっと、奥まで、挿れて……っ」
「乱暴に挿れたら優しくねぇだろ? 思いっきり優しくしてやるよ」
「そんな……っ、ああっ、あ……」
 じわりじわりと時間をかけて進んだ肉茎が根元までようやく収まるが、馴染むのを待っているのかそこから動こうとしない。かといってキキョウが何もしないのかというとそんな事はなく、上体を倒し幾度も味わわされた絶頂の余韻で敏感になっていた乳首を舌先で嬲り唇で吸い甘く噛んでくる。
「はっ、あ……あぁっ、あっ……」
「ククッ、ちょっといじっただけですげぇな、後ろ、キュウキュウ吸い付いてきてよ……」
「あぁっ、はやく……っ、うごいて、くださ……っ、んんっ……」
「せっかちな野郎だな、もっとゆっくり楽しめよ」
 乳首を嬲り続けながらキキョウはゆっくりと腰を引き、また時間をかけて根元まで押し込んでいく。その動きは宣言通りにまるで初めて男を胎内に迎え入れる処女を気遣い優しく交わろうとする動きのようだったが、もっと激しく犯されたいリンドウにはもどかしさしかもたらさない。じりじりと内側を擦られる感覚はじれったい熱を生み身体の中を疼かせ、強く激しく奥底を突かれたいという欲求ばかりが高まっていく。
「おねがい、ですから……、もっとっ……つよく……して、くださ……ぁっ!」
「それじゃ優しくねぇだろ、今日はこのままじっくりたっぷり犯してやるよ」
「そんなっ、やだっ、いやです……っ、あぁっ、は、もっと……もっと、突いて……っ!」
 そちらが動かないならばと必死になって腰を揺り動かすが、それだけでは熱く激しく奥底を穿たれるあの強い快感は得られない。肘を突いて上体を起こして腰を浮かせ動かし少しでも出し入れの速度を上げようと試みるが、そんな事をキキョウが許す筈もなく強く肩を押さえ付けられて身体がベッドに沈みこむ。
「ああっ、兄弟子っ……おねがい、ですから……っ、もっと、はげしく、してくださっ……んんっ、んっ」
「どうしてもケツの穴滅茶苦茶に掻き回されねぇと満足できねぇのか? とんだ淫乱だな」
「ううっ……ん、も、がまん……できませ……っ、はやくっ、はやく、めちゃくちゃに、掻き回して、くださ……っ!」
「ドスケベなおめぇの身体に優しくするって意味ならそっちの方がいいかもな。なぁドスケベ野郎」
 嘲笑の入り混じった揶揄を投げつけてから、キキョウは急に腰の動きを速めリンドウの望み通りに何の躊躇も遠慮もなく激しく後ろを犯し始める。求めていた激しさと力強さと熱が与えられ、身体を貫き走る強烈な快感の波にリンドウはあっという間に呑まれ溺れてしまう。
「あっ、あぁっ、いいっ、あ、は、ああぁっ、いいっ、きもち、いいっ、はげし……っ、うぅっ、あっ、はぁっ、あっ、あぁっ!」
「そんなにチンポが美味ぇのか? 感じまくってる顔していい声で啼いてよ、ほんといやらしい穴だよな」
「や、ああぁっ、はっ、あっ、すごく……っ、あつくてっ、あぁっ、あっ、おかしくっ、なりそ……でっ、ああっ、ああぁっ!」
 激しく揺さぶられ内壁を強く抉られる快感が何もかもを塗り潰していく。もう何かを思い浮かべる事すらままならず短い間隔で次々に襲ってくる快楽の波に呑まれ続ける。意識も感覚も全てがキキョウから与えられる熱に支配されていて、悦楽の波に抗うことなどできる筈もなく隷属を余儀なくされる。
「もっと、奥まで欲しいだろ……横向け」
 促されるままに右肩を下にして横向きに横たわるとキキョウはリンドウの左脚を肩に抱え持ち激しい抽送を再開した。正常位の時より更に奥深くまでを突き穿たれ、その感覚が脳天までを突き抜けていって身体の震えが止まらなくなる。
「あっ、ああっ、そんなっ……おくっ、おくにっ、あぁっ、あたって……やっ、あぁっ、あ、あっ、ああぁっ!」
「奥まで男のモンを咥えこんで掻き回されるのが好きなんだろ、このドスケベな穴はよ」
「や、だめっ、おっ、おく、おくっ、きつくて……っ、あっ、んんっ、はあぁっ、あっ、あ、いいっ、そこ、いい……っ!」
 与えられる快楽を追い求めるので精一杯で、キキョウの揶揄ももうリンドウの耳には届いていなかった。熱く硬いものが内臓の内側を押し広げ奥底を抉る感触が腹の奥に重く響き全身を震わせ脳髄を灼く。指では得られない太さと硬さと熱量を持った圧倒的な存在感に一方的に蹂躙され翻弄され、再び絶頂の高みへとどんどん引き上げられていく。
「はっ、あ、も……や、あぁっ、またっ、イっちゃうっ、また、イクっ、や、あぁっ、もうっ、ああっ、イキそっ……んぁっ、ああっ!」
「なんだよ、もう、イっちまうのか? まあ、いいけどよ……!」
「あっ、あ、はげ、し……っ! そんなにっ、されたらぁ……っ、だめ、も、だめで……あぁっ、あっ、やっ、あぁっ、イク、イクっ……!」
 引いては進んで内壁を抉る動きは強さと速さを増し、もう五感も用をなさなくなるような真っ白な世界へ追い立てられていく。身体の奥が熱く滾って、もう少しで破裂してしまいそうなほど何かが張り詰めている。己の甘ったるい嬌声とキキョウの荒い息遣いが耳の中で混ざらずにそれぞれ響いて、キキョウの腰骨が臀部にぶつかる硬い感触だけがやけに生々しい。浅い息は空気を肺に送り込む役割をもうほぼ果たしていなかった。
「やだっ、やっ、あぁっ、もっ、もうっ、イクっ、イク、ああっ、は、あっ、だめ、だめっ、あっ、イクっ、イク……っ!」
 張り詰めていた何かがとうとう破裂してしまったのを感じ、直後意識は真っ白く飛んでぴんと張った身体を果てのない快感が包み流れていく。やがて緊張していた全身が弛緩して、止まっていた呼吸が再開しゆっくりと意識が外界を認知し始める。
「締めすぎ、だ……っ!」
 キキョウが呻く声はまだ少し遠く聞こえるが、身体の中で膨らみ跳ねた肉茎が爆ぜるのははっきり感じられ、内側に撒き散らされた白濁のあまりの熱さにまだ絶頂の余韻に浸っていた全身が震え、甘ったるい声が漏れる。
「あ、あっ、ああぁっ……は、あっ……!」
 肩に担ぎ上げたリンドウの脚を下ろすと、まるで恋人にでもするように甘え凭れかかってきたキキョウが触れるだけの口付けを幾度も繰り返す。ぼんやりとした視界に寂しげな色をしたキキョウの瞳が映る。まだ繋がったまま繰り返される優しい口付けは愛されているという錯覚をともすれば与えてくるのに、この人は自分を見ていないということが瞳の色で分かってしまう。
 どうしようもないほど胸が痛む。じくじくと血が滲むようなその痛みが目を潤ませ、涙が一筋滴り落ちる。
 このままでいいのだろうか。このまま言うなりに抱かれ続けていても、この人が心を開いてくれる事はないのではないだろうか。そんな思いがふっと浮かぶ。師匠の口振りからすると、リンドウの人格如何に関わらず弟弟子であるという時点でキキョウの憎しみの対象になってしまう、そんな人の心を開く方法などあるのだろうか。自分の和菓子を作り続けろと師匠は言った。どちらを選ぶべきか考えるまでもないとフェンネルは言った。でも今、この瞬間、リンドウの心はキキョウを求めているのに決して手が届くことはない。幾度も重ねられる柔らかな口付けが余韻を甘く溶かして、偽りでしかない所詮手には入らないものの重さを思って口付けに身を任せるようにリンドウは目を瞑った。

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