セレストブルー13
食べる人、マルシェの皆の事を考えて作った和菓子みたいに、師匠さんにも和菓子を食べてもらいましょう。そうランチに言われて半ば無理矢理和菓子を作らされ、引きずられるようにして桃栗堂一号店の前へとキキョウはやって来た。
「……なぁ、やっぱやめねぇか? オレの作ったもんなんて、どうせ師匠は……」
「今のキキョウさんの和菓子なら大丈夫です、自信持ってください!」
店先で押し合いへし合いしながら言い争っていると、騒ぎを聞きつけたのか奥から師匠が出てきた。
「おや、久し振りだねお嬢さん……それに…………」
懐かしい声。その声の主を真っ直ぐ見ることができずにキキョウは顔を背ける。
「あのっ、突然すいません! 今日は、師匠さんにキキョウさんの和菓子をどうしても食べてもらいたくて来ました!」
「和菓子を……?」
「この前聞いたお話の事、あれからずっと考えてました。今のキキョウさんは、師匠さんにも認めてもらえる和菓子を作れるようになってる、私そう思うんです! だからお願いします、一口でもいいから食べてみてもらえませんか?」
ランチの言葉に師匠はすっと目を細めた。それから息を一つつき、おもむろに口を開く。
「頂こうかね。その箱だろう? こちらにおくれ」
声をかけられ、顔を背けたままキキョウは手に持った箱の包みを差し出した。受け取った師匠は包みを解き箱を開ける。中に入っていたのは以前キキョウが先日の夜中に試作しランチに食べさせた、不思議な色合いと形をしたどこか切ないような気持ちにさせられる味の、まだランチ以外の誰も食べたことのない和菓子だった。師匠の事を考えながら作っていたのはランチにはバレバレだったようで、あれを持っていきましょうと提案され作ったものだ。
ふむ、と呟いてじっくりと和菓子を眺めると、師匠は並べられた菓子を一つ手に取り一口大の菓子を口に入れ咀嚼する。その光景を目にしてキキョウは思わず驚きを隠せなくなってしまう。師匠が自分の作ったものを口に入れた、一体いつ振りのことだろう。弟子だった頃も、未熟な頃はよく味見をしてはここが甘いそこがなっていないと言われていたものだが、師匠の味を完璧に再現できるようになってからは師匠はキキョウの作った菓子を見て悲しげに目を伏せるだけで、手にも取ってもらえなくなっていた。その師匠が今、キキョウの作った菓子を食べている。
「……微かな塩気が甘みを引き立てていて、かといって甘すぎず、ほのかな酸味が味を引き締めている。不思議な味の菓子だね。だけど、完璧に計算し尽くされた味だ。この味に辿り着くまでのお前の試行錯誤と苦心が見えるような心地がするよ。本当に、美味しい……」
状況を今一つ飲み込みきれていないキキョウは、師匠の言葉をただ呆然と聞いていた。師匠のこの言葉は、キキョウの菓子を一人前の職人の作品として認めてくれている言葉だ。師匠が自分を認める事などある筈がない、実際に認めてもらいながらも信じきれずにそんな風に思ってしまう。
皺の寄った師匠の頬にはらりと一筋涙が零れた。はらはらと涙を零しながら、師匠はもう一個菓子を口に運んだ。飲み込んでから口を開く。
「キキョウ……お前には、本当に済まない事をした。許してもらえるとは思っちゃいないよ。アタシが妙な意地を張らなければ、お前が苦しむ事はなかったんだから……。お前は聡い子だから自分で気付けるだろうと、そんな思い込みであまりにも言葉が足りなさすぎた。アタシは師匠失格だ……」
「そんなの……そんなの、もういいんだよ……オレぁ、師匠にオレの菓子を食ってもらえれば……それだけでもう……」
零れそうになる涙を抑えるためさかんに瞬かせる眼を誰にも見せたくなくてキキョウは俯き、絞り出すような声でようやくそれだけの言葉を口にした。それ以上何か言うと涙を抑えられなくなりそうだった。師匠が自分に求めていたものがようやく理解できて、それを自分なりに形にしたものを認めてもらえた。その事でようやくこれで一人の職人として認められ独り立ちできた、そんな気がした。傷付きやさぐれ無為に過ごした日々を消し去ることはできないけれども、この先は今までの時間を取り戻すようなそんな時間を送れる、そんな気がした。
「オレも……まだ、やり直せるかな……師匠みたいな立派な職人に…………今からでも、なれるかな」
「お前はどこへだって好きな所へ飛んで行けるよキキョウ。その為の翼を、お前は元から持っているんだから」
穏やかで優しい師匠の声にもキキョウは顔を上げられなかった。今見てしまえば、みっともなく泣いてしまう。その確信があった。
「良ければ中に入っておくれ。ランチさんだったかね、お茶を淹れるから一緒に食べていってくれないかい。美味しい菓子は、誰かと食べるともっと美味しくなるものだからね」
「はい、是非! ご馳走になります!」
ランチは元気よく頷き、キッチンカーの中へと招き入れられていく。
「キキョウ、お前もおいで。アタシの菓子なんぞ食べ飽きてるかもしれないが、久し振りに振る舞いたいんだ」
「……そんな事ぁねぇよ、オレぁ、師匠の作った菓子が……世界中で一等、大好きなんだ」
あんなに美しくて美味しい菓子を自分も作れるようになりたい、強くそう思って憧れて、数多の誘いを蹴って師匠に弟子入りしたのだ。その思いはまるで昨日の事のようにまだ鮮明に深く心に刻まれている。答えた声は震えを隠し切れずほぼ涙声だった。情けない顔を見せたくなくて顔も上げられないし足を踏み出すこともできない。そんなキキョウの様子を見て師匠はそっと微笑んだ。
「ゆっくりでいいから、落ち着いたら入っておいで、待ってるからね」
そう言い残すと師匠は奥へと引っ込んでいった。キッチンカーの前でキキョウは嬉しさとも悲しみともつかない感情で胸を一杯にして、溢れ出しそうになるその思いを抑えながらしばらくの間そのまま立ち尽くしていた。だがキキョウを動けなくさせていたのは最早憤りや孤独ではなく、溢れ出す名状しがたい暖かい感情の波だった。
数日後、ゴーマンストアとの五回目のバトルが行われ、接戦の末にまんぷくマルシェは勝利を収めることができた。バトルの片付けも終わり、平常通りの販売業務が再開される。皆に礼を言って回っていたランチは、最後にリンドウとキキョウの元へと急いだ。
「二人共今日のバトルお疲れ様、ありがとう! それにしてもすっかり賑やかなマルシェになったね! 工業の国ってチューブ食が主流だったから、最初の頃は物珍しさとか怖いもの見たさで買ってくれる人しかいない感じだったけど……こんなに広場がファンで一杯になって本当に嬉しい!」
「そうだな! 感慨深いものがある……!」
「あー……そうかよ。どうでもいいけどな……。オレは寝直すわ……くぁ~」
ランチの言葉にリンドウも嬉しそうに頷いた。興味なさげに二人の言葉を聞き流していたキキョウは、欠伸を一つ漏らすと背中を向けた。その背中をキッと真っ直ぐにリンドウが見つめる。
「…………あの! 兄弟子、待ってください!」
「あ? なんだよ……?」
振り向くといかにも面倒臭そうに眉根を寄せてキキョウは呼び止めたリンドウを見た。ごくりと息を飲み、意を決してリンドウはゆっくり口を開く。
「この街での目標が達成できたら、俺、やりたいことがあったんです」
「へぇ~、頑張れよ……じゃあな」
「兄弟子! 俺に、今一度ご指導願えませんか!」
声を張り上げ礼をしながら頼むと、キキョウは顔だけではなく身体もリンドウの方へと向き直り、はぁと一つ大きな溜息をついた。身体を起こし、リンドウはキキョウの眼を真っ直ぐ見つめた。
「……はぁ? なんでオレが?」
「そこを何とか、お願いします! 両親へのプレゼントに、和菓子を贈りたいんです!」
「なら、ひとりでやれ」
ぴしゃりと鋭い声でキキョウに言われ一瞬怯みかけるが、ぐっと拳を握りしめるとリンドウは再び口を開いた。
「…………兄弟子がマルシェを手伝ってくれて……俺がまだ未熟だということを実感しました」
「……」
「作り手の想いを表現し、人の心を動かす力を持つ……それが、俺が目指したい桃栗堂の和菓子です。でも今の俺には、兄弟子のような技術もセンスも足りていない……」
事実を口にしているとはいえ胸は痛む。だが見つめなければならない現実だ。今のリンドウにはまだまだ足りていないもの、それを持っているのは今キキョウの他にはいない。
「だからご指導をお願いします! 兄弟子! 俺が選んだこの道の素晴らしさを、両親にも伝えたいんです!」
そこまで一息に言い切ると、リンドウは再び深く頭を下げた。そのままキキョウの言葉を待つが、長い沈黙の時間が続く。
「…………ったく」
やがて沈黙を破ったのは溜息混じりの呆れ声だった。どういう事かと頭を上げると、キキョウは手にした扇子でキッチンカーの方をぴしりと指し示した。
「……おい、火鉢持ってこい!」
「えっ……火鉢?」
「手が冷えてたら作れねぇだろ! 早くしろ!」
「……! はいっ! ありがとうございます!」
改めて一礼すると火鉢を取りにリンドウは駆け出した。前を通りしなにランチが嬉しげな声をかける。
「良かったね、リンドウ!」
「ああ……!」
足を止めないまま弾んだ声でリンドウは返事を返し駆けていった。思わず嬉しさが溢れた顔のままランチはキキョウの方を見てしまう。
「……んだよ、気持ち悪ぃ面でこっち見んじゃねぇよ」
「キキョウさん、ありがとうございます。あんなに嫌がってたのに、リンドウに和菓子の事教えてくれる気になって」
「気持ち悪ぃから礼なんて言うんじゃねぇよ! ったく……どいつもこいつも」
眉を顰め心底嫌そうな顔をしながらキキョウは顔を背けた。ランチにはもう分かっている、これは照れ隠しの動作だ。それが嬉しくて笑みを深めると、キキョウはふんと鼻から息を吐いた。
その日のマルシェの夕食にリンドウの姿はなかった。父母の帰宅時間に合わせて家を訪れるので夕食はいらないと言い何年か振りに生家に帰っていた。
「親には勘当されたって前に言ってましたけど、リンドウさん大丈夫でしょうか……ちゃんとお家に入れてもらえてるでしょうか……」
夕食の席でのミツバの一言に皆が心配気な面持ちになるが、大丈夫、とランチが元気な声で答える。
「あのね、リンドウのキッチンカーって戦車を改造してるじゃない? あれって和菓子職人になろうとしてお父さんと大喧嘩した日に元になる戦車をお母さんから譲って貰って、それで家を出る決心が付いたんだって前聞いたことがあるの。だからリンドウのお母さんは、内心ではリンドウの事をすごく応援してると思うんだ! だから大丈夫だよ、きっと」
ランチの言葉にブーケガルニが初耳だぜと少々驚いたような顔を見せる。
「へぇ~……結構苦労してんだなぁリンドウも……まっ俺様も島を出る時はすったもんだあったけどよ~」
「アタシもちょっと話してみたらすっごい反対されたわ……だから勝手に家飛び出しちゃったんだけど。でもまぁ、キッチンカーのシェフって危ない国境とか山賊のいるような山道も通ったりするし、親からしたらそんなの心配に決まってるもんね、反対するのも当然かも……ましてやリンドウさんは外交官のエリートコース進んでて親からもすっごい期待されてたんだろうし……」
マジョラムの言葉に、皆それぞれの両親や近しい人の事を思い出したのか沈黙が落ちる。国境間の移動が自由で小回りがきく反面、キッチンカーのシェフは確かにいつでも危険と隣り合わせの仕事でもある。長距離移動のリスクを避ける為に拠点を定めて周囲の村などを巡る業態のキッチンカーも多い。子供がそんな危険な職業を始めると聞いて止めない親はそうはいないだろう。
だが、その辺りの感覚はキキョウにはよく分からなかった。物心付いた頃に両親とは死に別れ、引き取られた親戚の家が和菓子屋で最初は置いてもらう代わりにと子供でもできる雑用をこなしていた。叔父も叔母も悪くはない人たちで、従兄弟たちと一緒に作ってみるかと誘われ饅頭を拵えたところ、一番美しく美味しく仕上がったのがキキョウのものだった。それからどんどん天性の才覚を認められ、コンクールにいくつも優勝し、その中で出会った師匠の和菓子の美しさと味に一目惚れして弟子入りした。叔父たちの和菓子屋が今どうなっているのかは知らない。血の縁に限らず人の縁は(執着心もなかったからか)薄いようで、キキョウが死んで悲しむ人もここにいるお人好したちと師匠と、それからリンドウくらいのものだろう。
死んだら泣いてくれそうな人間が一気に増えたな。そう思うと不思議な心地がした。一方的に憎しみ嫉妬すらした相手との偶然の出会いが、キキョウに奇妙な縁をもたらした。こういう人と人とを結ぶ不思議な力がランチにはあるような気がする。性格も趣味嗜好もバラバラの結束など取れそうにないメンバーが、ランチを中心にしっかりと団結している。
「でも……キッチンカーでしか経験できない事ってたくさんありますし、わたし、キッチンカーに乗ってて良かったな~ってよく思うんです。キッチンカーに乗って世界樹のマルシェに行かなければ皆さんとも出会えませんでしたし~」
ユーカリがぽつりぽつりと呟いた言葉に、シェフたちが深く頷く。
「そうですね……ミツバも、皆さんと出会えて良かったなって、すごく思います……!」
「それはモチ、アタシも思ってるよ! このメンバーじゃないマルシェなんて想像できないし……」
「そうだね、バジルたち新しいメンバーも含めて皆で一つのマルシェって感じだものね」
「おう、俺様たちは仲間だぜ! リンドウの父ちゃんと母ちゃんも、きっと分かってくれると思うぜ!」
ブーケガルニの明るい声に、沈んでいた空気も払われて夕食の団欒が戻ってくる。今のこの光景を考えると、一人で食べる食事は味気なかった。もうすぐ一人に戻るというのにこれでは先が思いやられてしまう。大して面白くもなさそうな顔でキキョウはパンを頬張りスープを一匙口に含んだ。
夕食の後片付けや明日の準備も終わりメンバーが眠りに就く頃、ようやくリンドウが帰ってきた。キキョウを起こさないようにとの配慮だろうか、キッチンカーの居住スペースのドアを音が立たないように開けそっと入ってきたリンドウは、ベッドの上からこちらを見つめるキキョウを見て少し驚いた様子だった。
「まだ起きてらっしゃったのですか? もう眠っているものとばかり」
「今日のてめぇの手土産は一応オレの仕込みだからよ、結果が気になんだろ」
「……そうですね。持っていった菓子は、父母に喜んで食べてもらえました。兄弟子のご指導のお陰です、ありがとうございます」
「フン、そうかよ……」
つまらなさそうに言うと、キキョウはリンドウから目線を外し頭の後ろで手を組んで上を見上げた。
「それにしても随分と帰りが遅かったじゃねぇか。何か揉めてたのか?」
「父と少し……外交官になる為の考えうる限りの最高の環境を整えてくれて大きな期待を寄せてくれていたのは父ですから、やはり納得できないところもあるようで……。でも心の奥ではとうの昔にもう諦めていたのでしょう、菓子の味も認めてくれましたし最後には好きなようにしろと言ってくれました」
少しばかり困ったような笑みを浮かべてそう言うと、リンドウはキキョウに背を向けて上着を脱ぎハンガーにかけた。
「両親に反対されたままなのがずっと心残りだったので……兄弟子のお陰です、本当にありがとうございます」
「まぁ……元からてめぇに何か教えてやるつもりなんざなかったけどよ、あんまり必死な顔してるもんだからこりゃ教えるって言うまで頼み込まれるだろうなと思って面倒臭くなっただけだ」
「それはそうかもしれませんね。別れ別れになる前にどうしても、一度だけでも教えていただきたかったので」
いやに真剣な色を帯びた声音で紡がれたその言葉を耳にしてキキョウは組んだ手を外し肘を突いて身体を起こしリンドウを見た。リンドウは静かな表情で真っ直ぐな視線をキキョウに向けていた。
「一つだけ残っていた心残りがなくなったら、兄弟子に伝えたいと思っていた事があるんです」
「……何だよ?」
「これは俺の勝手な気持ちなので……兄弟子に応えてもらおうという気持ちはありませんから、聞いていただくだけでいいので」
「だから何だよ、さっさと言え」
少々荒い口調で急かすとリンドウは決意を整えるようにやや俯いた。しばらくそのまま目線を下に落とし、ようやく顔を上げて口を開く。
「最近、避けるような素振りが多くて済みませんでした。でもあれは本当に嫌だとか怖いとかではなくて……その、困っていたんです」
「困るって何にだよ」
「気持ちを……抑え切れなくなりそうで……実際に抑え切れなくなった事も何回もありました……」
「……何の話してんだ、気持ちって何だよ」
「ずっと前から……あなたを、愛しているんです。もう抱いてもらえないのが辛くて……触れると欲しい気持ちが抑えられなくて……だから」
伏し目がちにやや目線を逸らして口にされたリンドウの言葉を、キキョウは曲がり角で出合い頭にぶつかって転んだ人のように素っ頓狂な顔でただ聞いていた。
「……何の冗談だ? そういう冗談おめぇにゃ似合わねぇぞ……?」
「本気です。でもただ、俺の気持ちを知ってほしかっただけなので……聞いてくださってありがとうございました」
「ちょっと待てよ、そういう事じゃねぇ、オレがお前に何したのか分かってんのか? あんな事されて普通好きになんてならねぇだろ? 大体お前が好きなのは……あの女だろ……?」
信じられないものを見るような目でまじまじとリンドウをキキョウは見つめ、呆然とした声で疑問を口にした。少しだけ悲しげに目を細めるとリンドウはゆっくりと二度首を横に振った。
「兄弟子が俺を傷付けようとしていた事は分かっています、実際最初の頃は傷付いてもいました。だけど、どうしても心から憎めなかった。あなたが、どうしようもなく淋しくて温もりを求めずにはいられなくて、それでも満たされない事が、分かってしまったから……ランチの事は真剣でした。でもそれと同時に、どうしようもなくあなたに惹かれていく自分を否定できなかった。二人を同時に愛してしまっている自分の不誠実さに腹も立ちましたが、自分では抑えることができませんでした」
「……嘘だ、そんな筈がねぇ、だっておかしいだろ……? そんな馬鹿げた話が、あってたまるかよ……」
「憎まれていても、嫌われていても構わない……でも俺は、あなたを愛しているんです、それは本当です…………。それだけ、伝えたかったんです」
ふっと寂しげに微笑むとリンドウは毛布を手に居住スペースを出ていこうと背中を向ける。その背中を、待てって言ってんだろ、という切羽詰まったようなキキョウの声が追いかける。リンドウが振り向くと、キキョウは怒っているような悲しげなような、何とも言いがたい表情でリンドウを見つめていた。
「てめぇの言いたいことだけベラベラベラベラ喋りやがって! オレの気持ちは無視かよ!」
「それは……無視するつもりはなかったのですが…………兄弟子にとっては俺は目障りな存在でしょう、それは分かっているので」
リンドウのその言葉を聞いた途端、キキョウの眉根が寄り目線が鋭くなった。弾かれたようにベッドからすっくと立ち上がり大股で歩み寄ってきてリンドウの襟首を掴み上げる。
「何勝手に決め付けてやがんだ! 確かにオレぁてめぇに前にそう言ったかもしれねぇよ、でも今は違うんじゃねぇかって少しも思わねぇのか!?」
「変わっているかもしれないとは、思いました、でも……何も変わってないのかもしれないと思うと、聞くのが、怖くて」
「……手放せなくなってんのは、オレの方なんだよ……。最初はクソ真面目なだけの愚図な野郎だと思ってた筈だったのに、どこまでも真っ直ぐに和菓子が好きなのが眩しくって……それに、オレの事を知りたいなんて言ってくれた奴は今までいなかった、おめぇだけなんだ……それがまた独りになっちまうのかって思うと、手放すんじゃなかったって後悔ばっかり浮かんできやがる……どうせ別れる事になるなら、最初から出会わない方が楽だったって……そんな風に思っちまって……」
キキョウの言葉を今度はリンドウが意外そうなきょとんとした顔で聞いていた。だが言葉が途切れキキョウが俯くと、キキョウの両肩にそっと手を置く。
「確かに、俺たちはもうすぐ離れ離れになります。でも家族や友人がそうであるように、離れていてもその存在と思いを胸に感じることはできるんです。それに永遠の別れではありません、連絡を取り合うことだってできるでしょう?」
穏やかなリンドウの声にキキョウはゆっくりと顔を上げた。呆然と、やはり信じられないものを見るような顔付きでリンドウを眺めている。
「……おめぇは、オレを、許すのか? ただの逆恨みと嫉妬であれだけ酷い事をしたオレを?」
「許すも何も……俺は、あなたになら何をされても構わないと、ずっと前から思っていたんです。だから何も、恨んではいません。ただ……愛されていないのに優しくされるのは、まるで愛されているような気にさせられて、それが辛かったんです」
「そんなつもりじゃなかったんだ…………済まなかった、本当に……もう嫌だ、二度とお前を、傷付けたくねぇ……だから、置いていかないでくれ……」
背中に腕を回したキキョウが縋り付くように固くきつくリンドウを抱きしめる。リンドウもキキョウの背中に腕を回しそっと抱き締め返した。手に持ったままだった毛布がぱさりと床に落ちる。強く強く求め続けながら、二度と与えられる事はないだろうと思っていた温もりが、愛情と共に腕の中にある。今のこの状況は夢なのだと言われてもあっさり納得してしまいそうだった。だがきつく身体を戒めるキキョウの腕の感触はこれが現実なのだと教えてくれる。
「どこにも、置いていきません。離れていてもいつもあなたの事を思っています、連絡を取り合って都合が合えば会いましょう、すぐに飛んで行きますから。俺の心には、いつもあなたがいます」
「本当か……オレをもう、独りにしねぇか……?」
「はい、約束します」
できるだけ穏やかな声でそう答えると、キキョウはリンドウの肩口に埋めていた顔をそっと上げて寄る辺のないような頼りなさげな顔でリンドウを見つめた。二度ともうキキョウがこんな顔をしなくてもいいようにしたい、その願いが胸を満たす。至近距離にある顔がどちらからともなく近付いて、震える唇がそっと触れて離れる。一度だけでは物足りず二度三度、幾度となく触れては離れてを繰り返す。
「ずっと……こうしたかったです」
「いくらでも、してやるよ……もっとしたい、お前が、欲しい……」
「もう、あなたのものです」
その言葉に嬉しげに目を細めたキキョウが深く唇を合わせてくる。今までの時間を埋めるように互いの口内と舌の感触と温度と味を味わい、貪りつくそうとひたすら舌を絡み合わせる。互いの温度を感じ合うのは、こんなにも幸福に心を満たす行為なのだという事を今までリンドウは知らなかった。全身を包む体温と熱い粘膜の温度がただ愛おしい。いつも感じていた胸を裂くような痛みやどうしようもない虚しさはもうリンドウの心にはなく、今はただいつまでもこの温度を感じ浸っていたいというふわりと浮いたような心地といつまでも溢れ出て止まらない愛しさがあるだけだ。
「ん……んんっ……あ、ん……っ」
息が荒くなり鼻にかかった高い声が漏れる。今までは己の浅ましさに羞恥が煽られるだけだったのに、今はそれが恥ずかしくはない。口付けだけでもこんなにも感じてしまっているのだという事を伝えたいし分かってもらいたかった。相手がキキョウだからこんなにも感じてしまう、それを知ってほしかった。
息が続かなくなったのか口を離したキキョウは息を整えながら、やや困惑した表情でリンドウを見つめた。どうしたのだろう、と疑問が浮かぶ。
「どうされたのですか……?」
「おめぇを……少しも傷付けたくねぇんだ。でも……それにはどうすればいいのか、分からなくなっちまって……こんな気持ちにさせられたのは、初めてなんだよ……」
照れ臭そうに目線を横に背けてキキョウが零す。キキョウにとっては大事な事なのだろうが、そんな事かと思いふっと笑みが浮かぶ。
「いつも通りにしてください。俺は、兄弟子にならなにをされても構いません、だから、好きなように抱いてください」
そう告げると目を背けていたキキョウは目線をリンドウに戻し、不服そうに唇を尖らせた。
「……その呼び方はやめろ」
「えっ……」
「こういう時は、ちゃんと、名前を呼ぶもんだ……」
ふくれっ面のままキキョウはリンドウの言葉を待っている。どうやら口に馴染んだいつもの呼び方が気に食わなかった様子だった。確かに、愛する人の呼び方としては相応しくないかもしれない。少しだけ照れ臭い気持ちを抑えながら、リンドウはゆっくりと口を開いた。
「キキョウ……さん」
「それでいい」
呼び慣れない呼び方で名前を呼ぶと、キキョウは満足げに目を細め微笑んだ。作務衣の紐が解かれ、腕がするりと抜き取られて床に滑り落ちる。キキョウは露わになった胸元に口付けると、そのまま上に登り鎖骨を掠めて首筋を舌先で舐め上げる。
「んっ……ふ…………あぁっ……」
「感じやすいよな……お前」
「はっ、あ……キキョウ、さん……だから……こんなになるんです」
リンドウの言葉への答えの代わりにキキョウは首筋の感じやすいところに痕が残りそうなほど強く吸い付いてきて、背筋が震え顎が上がる。
「ああっ……あっ…………そんなに、したら……痕っ……」
「構わねぇよ、オレのもんだって誰にでも分かるように、一杯付けてやるよ」
「気持ちは、嬉しいのですが……仕事に、差し障りますからっ……キキョウさ……あぁっ!」
感じる箇所は既に知り尽くされてしまっている。また新しく一箇所強く吸われて甘ったるい声が高く漏れてしまう。
「じゃあ二つで我慢しといてやるよ。虫刺されとでも何とでも誤魔化せんだろ?」
「ここは、ルエラニです……刺すような虫は、いません……」
「細けぇ事気にすんなよ。あぁ、お前の匂い、たまんねぇ……」
首筋に顔を埋めたキキョウが汗の滲んだ肌の匂いを嗅ぎ、舌先で緩やかに肌を舐める。穏やかな刺激にも身体は敏感に反応してぴくりと跳ねる。あれだけ強く求めながら二度と与えられないだろうと諦めていたものが今こうして与えられている。まるで嘘のようだった。
「ベッド……行こうぜ、一杯、感じさせてやるから……」
「はい……」
答えるとキキョウは軽く唇を合わせてきて、リンドウの眼鏡に手をかける。その手を遮ると、キキョウは不思議そうな顔をした。
「外すと、キキョウさんが……よく、見えなくなってしまうので……ずっと、見ていたいんです」
「分かったよ、怪我すんなよ」
「はい」
キキョウに手を引かれ数歩先のベッドに横たわらせられ、横合いからベッドの上に乗り上げてきたキキョウの首筋に腕を回し引き寄せる。
「キス、したいです……もっと」
「オレもだ……いくらしても、足りねぇ……」
ゆっくりとキキョウの頭が降りてきて緩く開いた口が塞がれる。ほしいまま嬲られる舌の感覚に集中したくてリンドウはそっと瞼を閉じた。キキョウの掌が両耳を塞ぎ、唾液の混じり合う淫猥な水音が頭の中により一層強く響き渡る。絡み合う舌の感触とそこから生み出される快感はあまりに甘やかで、鼻から漏れる甘ったるい喘ぎ声は止まらない。頭が熱に浮かされたようにくらくらと白んできて、勝手に腰が揺れて脚の間に割り込んできたキキョウの太腿に擦り付けられる昂ぶりはどんどん熱を増していく。ここまで来ればもう止めることは叶わない、あっという間に頂点まで達し、下着の中に幾度も放たれた精がどろりと下腹や陰嚢まで伝い落ちる。
「んんっ……! んっ……んあっ、んんっ……ん…………あぁっ、あ……」
「口付けだけで、イっちまったのか? そんなに悦かったか?」
「こんな……気持ちいい……の…………初めて、で……はっ、あ……あっ……」
口を離し至近距離からリンドウの顔を覗き込むキキョウの舌先がリンドウの唇をなぞる。粘り気を帯びた唾液が糸を引いて、やがてぷつりと切れて垂れ落ちる。射精後の虚脱感は感じておらず、むしろもっと欲しいという欲求がどんどん湧き出て溢れてくる。緩く抱きしめるようにキキョウの背中に腕を回すと、応じるようにキキョウは首筋に頭を埋め首筋の骨と鎖骨を唇と舌先でなぞり食み、時折痕が残らない程度に吸い付き歯を立てる。キキョウの手は肩口の辺りと脇を撫で、腕をなぞり胸板に辿り着く。以前嫌がらせだと言われこんな風に触れられた時には愛されていないのだという事実に引き裂かれそうに胸が痛んだが、今は壊れ物を扱うような優しい触れ方が愛情を伝えてきて胸を満たしてくれる。傷付けない為にはどうすればいいのか分からないと言っていた、きっと触れ方に迷っているのだ。そう思うと、あれだけ手慣れている筈なのに意外と不器用な人なのだなと少しおかしくなる。そしてその不器用な優しさが、どうしようもなく愛おしく嬉しかった。素肌の熱を感じたくて腕を伸ばしキキョウの着物の帯を解くと、キキョウは一度身体を起こして着物を脱ぎ捨てまた姿勢を戻す。布越しではなく直に感じる体温が暖かく胸を満たしていく。
胸板に辿り着いた方の指先がまだ柔らかい乳首をやわやわと揉み捏ねくる。あっという間に血が集まり硬くなり立ち上がった突起を、キキョウは舌先でぐるりと一周なぞってから口に含む。舌で転がされ甘く食まれて、感じやすい場所への刺激に呼吸が荒くなっていく。
「は、あっ、あ……あぁっ、や、あっ……いいっ、気持ち…………いい……っ」
産み出される快感が身体を火照らせ、じわりと汗が滲んでくる。脇腹をくすぐるように撫でていた手も胸板に移ってもう片方の乳首を刺激し始め、脚の間に割り込んだ太腿は陰部を擦り、白濁でぬめった下着越しに感じる刺激はぬるぬると滑らかで、手で扱くのとはまるで違う感覚に興奮が掻き立てられる。
苦しめる為ではなく愛するが故に、感じさせている。それだけの違いでこうも身体の感じ方も変わってしまうのだろうか。愛されていないという虚無感も罪悪感も痛みもなく、ただひたすら愛を受け高められていくのがこんなにも心地良く泣き出したくなるほど幸せなのだと、今まで知らなかった。
「だっ……だめっ、だめ、です……っ、またっ、また、イきそ……イっちゃう、から……っ!」
「そういやおめぇ、ここだけでイけんだもんな。それも悪くねぇが……今日はもっと悦くしてやるよ」
楽しげに笑んでキキョウはそう言うと身体を起こし、下衣の留め紐に手をかけ解く。下衣と白濁で汚れた下着を脱がされ、べとりと濡れた肌が夜気に当たりひやりとする。キキョウはリンドウの膝を割り脚の間に入り込むと躊躇なく頭を沈めていき、舌を出しリンドウの陰部を汚した白濁を舐め取り始めた。
「あっ、あぁっ……キキョ……さっ……! そんな、ところ……っ」
「まずは綺麗にしてやっから、大人しく待っとけ」
まず根元の辺り、下腹部や陰嚢の陰毛に絡みつき張り付いた粘液を丁寧に舐め取られ、竿部を螺旋を描くように舌先が昇って最後に先端が口内に含まれ舌先で綺麗にされる。大人しく待てと言われたものの初めて受ける他者の舌に舐められる感覚は鮮烈で、肉茎は刺激にびくりと跳ねるし思わず腰が浮き舌の動きに合わせて堪え切れない声が止めどなく漏れる。白濁を舐め取り終えるとキキョウは一旦口を離し、尿道口をちろちろと舌先で焦らすように刺激してくる。
「ああっ……あっ、そこ……っ、そんなに……したらっ…………だめ、だめです……っ、顔にっ……かけちゃいそうに、なる……っ!」
「いいぜ、かけても」
「そんなの、だめです、から……っ!」
「冗談だよ、ちゃんと全部飲んでやるから、好きなだけ出せよ」
そう告げるとキキョウは左手で顔にかかる髪を肩に流し、リンドウの肉茎の根元を右手で握って喉奥まで飲み込んでいき、根元を緩く扱きながら頭を引いて口から抜けかける間際でまた根元まで飲み込み、その繰り返しでリンドウ自身を高め始めた。窄めた唇によって適度に締め付けられている感覚が与えられ、雁首や竿に当たる頬肉と絡みつく舌が柔らかく熱く、初めて感じる強烈な悦楽をもたらす。快楽を求めて勝手に腰が前後に揺れ、急激に絶頂へと引き上げられていく。手で扱かれる妄想は幾度もしたがまさか口淫されるのが現実のものとなるとは夢にも思っていなかった。リンドウの快楽の為だけにキキョウが奉仕している、こんな状況は少し前までは想像もつかなかった。これまではまともに触ろうともしなかった部分を口に含み、必死に高めている。その事も愛されているのだという実感に現実味を帯びさせ強めていく。
「はっ、あ……飲まなくて…………いいです、から……っ!」
リンドウ自身キキョウのものを幾度も飲んできたが正直進んで飲みたい味ではない。快楽に溺れて思うように力の入らない手でキキョウの頭を引き剥がそうとするが、手が滑り思うようにいかない。そうこうしている内にもキキョウの口淫は激しさを増して、我慢の限界を越えてしまう。
「もっ、もうっ……出る、出る、からっ……! あっ、のまな、のまないで、くださ…………っ! あ、うっ、ううっ、く……んんっ…………」
結局引き剥がすことは叶わず、幾度かに分けての射精が止むまでキキョウは頭を動かさなかった。喉を鳴らして飲み干し、白濁に塗れた肉茎を舌でもう一度綺麗にしてから、ようやくキキョウは頭を上げた。
「……飲まないでくださいと、言ったのに…………」
多少拗ねて目線を逸らすと、困った奴だとでも言いたげな苦笑がキキョウの口から漏れる。それがリンドウにはますます面白くない。
「飲みたかったんだからいいだろ、おめぇは全部オレのもんなんだから、飲ませろよ」
「……それは、そうですが、でも…………」
「全部、欲しいんだよ。何もかも曝け出させて、全部見てみてぇんだ。だから、見せろよ……」
「んっ…………」
顎に手をかけられ上向かせられ、唇が重ね合わせられる。己の精液の味が残るキキョウの舌は少しばかり苦かったが、それなのに口付けはどこまでも甘い。背中に腕が回されて固く抱き締められ、応じるようにリンドウもキキョウの背中に腕を回す。この人を、どうしようもなく愛している。つい先程までどうすることもできないほど痛く辛かったその感情が、今はこんなにも暖かく幸せだ。体重をかけてきたキキョウに押されて再びベッドに横たわると、キキョウは口を離し穏やかな表情でしばらくリンドウの顔を見つめ、それからふいと立ち上がった。サイドテーブルの引き出しを開け目当ての物を見つけるとすぐに戻ってくる。手に持っていたのは、見覚えのある小瓶だった。
「誤解すんなよ、変な事するわけじゃねぇからな。普通はこういう油なり軟膏なり使って滑り良くしてするもんなんだからよ」
「はい、大丈夫です……ただ、今まであれだけしてきたのに普通にしてもらうのがこれが初めてだなんて、何だか少しおかしいというか……愉快というか」
「そう言うなよ……順番は変になっちまったけどよ、これからはおめぇの事は絶対に傷付けない、大切にするから、だから……」
「嬉しいです……」
肩に縋り甘えると軽い口付けが幾度か落とされる。求めれば応えてもらえる、その幸せを噛み締めながら温かく柔らかな唇の感触に浸る。小瓶を握りしめたままキキョウは腕をリンドウの背中に回し、胸板に顔を埋める。
「嘘みてぇだ……一度は手放しちまったお前が、こうしてまたオレの腕の中にいるなんてよ……」
「それはこちらの台詞です。嫌われているんだろうと思っていましたから」
「そうだな……オレぁ馬鹿だからよ、大切なもんをすぐ見落としちまうんだ。だからお前が、もう見落とさないように注意してくれよ」
どこか寂しげで悲しげな密やかな声色のキキョウの呟きに、返事の代わりにリンドウはそっとキキョウの後頭部の髪を梳いた。この下手に触れれば壊れそうなほど脆く傷付きやすい人を守りたい、支えになりたい、そんなどこか切なく胸を締め付ける気持ちが湧き上がる。しばらくそのまま時を過ごした後、おもむろにキキョウが腕を立て身体を起こす。
「駄目だ……お前と早くしたくて、たまんねぇ……」
「俺も、いっぱい……欲しいです……沢山、あなたを感じたい……」
頬を上気させ情欲の光でぎらついた瞳をしたキキョウに、リンドウはそっと微笑んだ。心から求められている、その事が嬉しくて仕方なかった。心が張り裂けそうになるほど求めて、それでも叶うことはないだろうと思っていた望みがこうして叶っている、今でも夢の中の出来事のようだった。本当の事なのか確かめたくて両手でそっとキキョウの頬を包むと、キキョウは愛おしげに目を細め微笑んだ。また涙が伝ったならいくらでもこの頬を拭おう、優しく抱き締め静かに胸に包み込もう。孤独ではない、独りではないと幾度でも語りかけ続けよう。決意は確かな形となって胸に宿る。
手を下ろすとキキョウは小瓶の蓋を開け中身を少量左手にとって蓋を閉め横に置く。
「膝曲げて抱えて、脚開け」
「こう……ですか?」
言われた通りに膝を曲げ胸に付けるように抱え、脚を開く。陰部を丸見えの状態で晒す体勢に羞恥が湧き起こるが、確かにこの体勢の方が油も塗り込みやすいだろう。いい子だ、と呟いてキキョウは左手の指先を後孔に宛てがい、少しずつ油を垂らしていく。油が垂れてひやりとぬめり濡れる感触にやや気持ち悪さを覚えるが、すぐにキキョウの指先が襞をなぞり解し始め、敏感な箇所を繊細に触れられることへの快感に取って代わる。
「はぁ……あっ、あ、あぁっ……」
「まだ指も入ってないぜ、こんな物欲しそうにひくつかせんじゃねぇよ」
「触られる……だけでっ……はっ、あ……気持ち、良くて……」
「ずっと我慢してたんだもんな、欲しくてたまんねぇんだろ?」
「…………はい……」
答えると、キキョウが顔を近づけ耳に口を寄せてくる。
「今までの分も取り戻すぐらい、一杯抱いてやるよ……だから、もうちょっとだけ待ってろ」
耳元で囁かれる密やかな低い声と共に吐き出された熱い息が耳をくすぐり、その感覚に身震いする。それに気を良くしたのか、キキョウの舌先が耳の骨をなぞり耳朶を甘く噛まれながら、油にぬめった指先が一本後孔にゆっくりと挿し込まれてくる。油を塗り込むように指先は円を描ききつく狭い孔を拡げるように動き回る。
「あっ、ああっ……は、あ……っ、んんっ……キ、キキョ、さ……っ! ふ、うぅっ……ああぁっ……」
「もっと……一杯感じさせてやるから……」
「キキョ……さっ……! あっ、おっ……おれも……っ、キキョウ、さんのっ……舐めたい……」
キキョウの指の動きがぴたりと止まる。顔を少し傾け横を見ると、キキョウがきょとんとした顔をしていた。
「いいのか……? 無理してねぇか?」
「してない、です……俺だって……キキョウさんに、気持ち良くなって……もらいたいです」
そう告げると、キキョウはおかしげにふっと微笑んで、後ろに挿し込んでいた指を一度引き抜いた。
「分かったよ。けどもうそろそろ我慢がきかねぇんだ、程々にしろよ」
言いながらキキョウは下帯を外し放り捨て、リンドウの脚の間から横へと移動して、腰の辺りに頭が来るように寝転ぶ。
「ほら、こっち向いて右脚立てろ」
「あ、はい」
キキョウの方を向き身体を横に倒すと顔の前に丁度キキョウの腰部があり、こういう体勢も決して初めてではないのに自分の意志で申し出たからかどきりと鼓動が少し速まるのを感じる。もう痛そうなほどに太く張り詰めた肉茎の根元を右手で支え持ちこちらに向けて先端を口に含むと、先走りの塩っぽい味が口の中に広がり雄の匂いが口と鼻の中を満たす。
「……っ、ん…………それこそ、顔にかけちまいそうだなこりゃ……」
堪えるようなキキョウの声が下の方から聞こえてくる。口の中でびくびくと跳ね脈打つものが胸を締め付けるほど愛おしくてたまらなくなり、夢中で舌を這わす。その間にキキョウの指先は再び後孔に忍び入ってきて押し拡げ慣らす動きを再開する。腿に余計な力がかかり意識がそちらに向いてしまいそうになるが、必死に己を叱咤し口の中のものを舐め上げ舌を絡め、頬を窄めて出し入れを繰り返す。ぐちゅぐちゅという淫猥な水音と熱く荒い息遣いの音、鼻から漏れる甘ったるい喘ぎ声だけがしばらく室内に響き続ける。口の中の唾液を飲み下せずに口の端から溢れてしまい筋を作って垂れ落ちていく。舌が感じる熱さと硬さに、今からこれを受け入れるのだという期待感が高まり続けていく。後ろを解すキキョウの指は二本に増え、ゆるりと内側を押し緩め拡げていく。微細に感じ取ってしまう指先の感触が疼きと熱をどんどん身体の奥底に籠もらせていく。そこに突然キキョウが陰嚢を口に含み吸い、思わず口を離して高い声で啼いてしまう。
「あっ! あぁっ……あっ、そこ……っ、だめっ、だめです……っ!」
制止の声も聞かずにキキョウは舌を巧みに使って睾丸を転がし弄び、前と後ろから同時に与えられる快感にリンドウは口を使うどころではなくなり少しでも気を逸らそうと首を振り続けるがそんな行為は何の役にも立ちはしなかった。そうこうする内に後ろにもう一本指がぬるりと入り込んできて、今までの緩やかな動きから一転して激しく内側を掻き回してくる。
「あ、あっ、あぁ……っ! やっ、また、またっ、イきそ……出る……っ、も、むり、ですからぁっ……!」
「まだまだいけんだろ、若いんだからよ。何遍イってもいいぜ」
口を離したキキョウが楽しげな声で告げてくる。嫌がらせでなくても元々好んでこういうやり方をするのではないかと常々感じてはいたがその通りのようだった。
「三回目、なんて……本当に、もう無理、ですから……!」
「無理も何も事実出そうなんだろ? じゃあ大丈夫じゃねぇか。おら、口がお留守になってるぜ?」
そう言われ、どうも納得できないながらもリンドウは口淫を再開するが、疼いて仕方ないものの自分で弄るのでは満足するような快感は得られなかった後ろを存分に掻き回され同時に陰嚢が暖かい口内の粘膜に包まれ弄ばれる強い快感に苛まれ、全く集中できずに口内を熱に冒されながら甘い嬌声を鼻から漏らし続けることになってしまう。とうに指では物足りなくなってしまっていて物欲しさに腰が上下に勝手に揺れ、口の中で脈打ち跳ねるものが身体の奥底をごりごりと抉り穿つたまらない感覚の記憶ばかりが頭の中を支配して、息苦しさも手伝って思考は朦朧としていき、止めどない快感と高まり続ける興奮がリンドウを頂上に押し上げていく。
「あぁっ、あっ、ほんとっ……ほんとに、でちゃっ……も、もうっ、イきそう、ですから……っ! だめっ、でる、でるっ…………んっ、う……んんっ……」
びくびくと小刻みに腰が跳ね、シーツやキキョウの腹を吐き出され飛び散った白濁が汚す。ようやく陰嚢から口を離し指を引き抜いて、上体を起こしたキキョウは自身の腹を垂れ落ちる白濁を指で掬いぺろりと舐めた。
「ほらな、イけんだろ? こんなに出んならまだまだいけそうじゃねぇか」
「……意地悪なのは、元からなんですね」
「嫌いになったか?」
「…………好き、です」
少々拗ねた気持ちを持て余し目線を逸らしながらもそう答えると、キキョウは片頬を上げて嬉しそうに笑み、起こした上体をリンドウの顔に向けて倒してきて頬に優しく口付ける。その間に脇に置いた小瓶から油を手に注ぎ足したキキョウはたっぷりと自身の滾りに塗りたくっていく。
「なぁ……もう、挿れていいか? 痛くねぇように……するから」
「早く、欲しいです……」
「後ろでも、一杯イかしてやるよ……」
耳元で囁いて、キキョウはリンドウの左脚を跨いで再び割り開いたリンドウの脚の間に身体を置き、腰を抱え上げる。だがそのままキキョウは動きを止めてしまい、何かに思い悩むように眉根を寄せ目を伏せる。
「キキョウさん……? どうしたんですか……?」
「……意気地がねぇ話だけどよ、あれだけ言っておいてまたお前を傷付けちまったらどうしようかって急に思ったら、なんだか怖くなってよ……」
「心配いりません、大丈夫ですから……言ったでしょう、キキョウさんになら何をされても構わないのだと。それに、キキョウさんの想いがちゃんと、伝わってきてそれを信じられるから……俺は傷付いたりしません」
「リンドウ……」
キキョウがそっと呟く。眼の前の人が初めて口にした自分の名前は、傷付ける事を恐れて密やかな低い声で発せられた。その事がたまらなく嬉しくてならず胸を熱くさせて、リンドウは目を細めそっと微笑んだ。傷付きはしない、大丈夫だと伝えたい精一杯の思いを込めて。
「来てください……あなたが、欲しい……あなたを、一杯感じたい……」
「リンドウ……」
キキョウは両手でリンドウの脚を抱え上げ膝の裏を肩で押し、身体を倒して唇を求めてくる。待ち受けるようにリンドウは口を緩く開き、熱い吐息を受け入れる。熱に溶け混ざりそうな口付けを交わしながら、上向いた後孔にキキョウの先端が宛てがわれ、油で滑りの良くなったものが焦れったささえ感じるほどゆっくりと時間をかけて入りこんでくる。久方ぶりに感じる圧倒的な質量と硬さと熱に身体の内側を満たされる感覚に、自然と腰がうねって高い声が漏れる。
「んんっ……ん…………あっ、あぁっ……は、ああぁ……っ」
「大丈夫か、痛くねぇか……?」
「ぜんぜん…………いたく……ないです…………すごくっ……きもち、よくて……っ」
「オレので感じてるおめぇの顔……ほんとやらしいな…………もっと、やらしく乱れた顔……見てぇな……」
そのままゆっくりと根元まで収められ腰が密着したままキキョウはもう一度口付けを求めてくる。もう二度とは与えてはもらえないだろうと思っていたものが、決して得ることはできないだろうと思っていたこんなにも暖かく優しい想いと共に与えられている。幸せを感じすぎるあまりに涙が零れそうになる。人に恋い焦がれるというのは耐え忍ぶ事だと思っていたが、一歩踏み出すことができたならこんな結果が待っていることもあるのだと今まで知らなかった。一人では叶えられなくて、相手が応えてくれて初めて叶うもの。数多の人々が暮らす世界で、ただ一人の人に出会い想いが通じるとしたら、それは奇跡と呼んでもいいのかもしれない。届かない想いもあれば、届く想いもある。届けたいものが届けたい人に受け取ってもらえるのは、どれほど幸せなことだろう。
傷付けたくないという優しさも傷付けてしまったらと恐れる脆さも受け止めたくて、そっと背を抱き締める。それに勇気付けられたようにキキョウはゆっくりと腰を引き、再び前へ進める。緩やかとはいえ内壁に引っかかり擦れ抉られ突かれる感触を久々に生々しく感じ取り、びくりと肩が揺れる。離れていったキキョウの口は首筋に吸い付き、肩口が甘く食まれる。緩やかな刺激だというのに過剰なほど身体は反応してしまっていて、キキョウの背中に回した腕に力がこもる。
「あっ、ああ……っ、キキョウさ……っ、キキョ……さっ……はっ、あ……あぁっ、いっ、きもちっ……いいっ……!」
「オレも……こんなの、初めてだ……、感じすぎて……てめぇを、抑えられなく……なっちまいそうだ……っ!」
「あぁっ、あっ、もっと……もっと、つよく…………してください……っ、おさえ、ないで……っ!」
リンドウの言葉に箍が外れたのか、キキョウは荒い息を吐きながらリンドウの両肩を鷲掴み、そこを支点に腰を強く打ち付け始めた。激しく内壁を抉り掻き回され奥底を幾度となく穿たれる悦楽に、目の前がチカチカ明滅して意識は白く染まり飛んでしまいそうになる。
「あっ、あぁっ、はっ……はげしっ……、いいっ、あっ、ああぁっ、もっと、もっと、くださ……っ!」
「止めろったって、止まんねぇよ……! 中っ……、熱くて、キツくてっ……溶けちまいそうだ……っ」
「やぁっ、ああっ、あっ、は、あっ、すき……っ、ああぁっ、あっ、キキョ……さっ……、ああっ、キキョウさ……っ、あっ、すき……すきです……っ!」
「そんな……可愛い事、言うんじゃねぇよ、ますます、加減できなくなっちまう……だろうが……!」
今まで必死に抑え込んできた想いが溢れ出して止まらなくなる。言葉などでは言い尽くせないほどの想いがそこにはあって、どうすればこの想いを全て伝えられるのだろうかと途方に暮れる。だから快感も熱も、言葉も想いも、片方だけでは足りなくて両方必要なのだ。こうして交わらなければ伝わらない想いは確かにあって、肌の温度を感じることでしか見えないことも存在している。どうしようもないほど欲しているということ、全てを曝け出し知ってほしいと願うこと。身体を重ねただけでは分からないことの方が多かったけれども、重ねたからこそ見えたこともあった。
何より、心も身体も目の前の人を強く求めてやまない。どこまでも高く澄み渡り広がる蒼い空のような心の色をした、ひどく脆くて寂しがりのこの人を。
激しく揺さぶられ頭の芯まで痺れてしまうような快感を絶え間なく味わわされながら、溢れ出る思いは途切れ途切れに拙く口から零れ落ちる。愛される為に抱かれることが、こんなにも身も心も狂わせてしまうような強く深い快感を与えてくるだなんて、今まで知りようもなかった。きっとそれは、今までは抱かれる度に空虚が広がっていた胸が、愛情で埋められているからなのだと思った。いつも余裕綽々でリンドウを弄んでいたキキョウが、こんなにもがつがつと余裕なく身体を求め快楽を貪ろうとする姿があまりにも意外で、どうしようもなく愛おしかった。
「あっ、あぁっ、もっ……あ、イきそ……イきたい……っ! は、あっ、キキョ……さ……っ、イかせて、くださ……あぁっ、キキョウ、さぁ……っ!」
「オレももう、限界だよ……中に、欲しいんだろ……?」
「あぁっ……ください、おく……おくにっ、いっぱい……だして、ほし……っ、あ、あぁっ、はあぁっ!」
「っ……く、そんな……締めんな……っ!」
キキョウは肩で支えていた膝裏を両手で抱え、速さと強さを増して上から下に突き入れてくる。汗が滴り湿った肌がぶつかり合う音が響き、休む間など与えられない激しい交合がリンドウを頂点へと追い詰めていく。
「ひ、あっ、あ、あぁっ、や、キキョ、さっ……も、もう……っ! あぁっ、イクっ……イク、イっちゃう、キキョウ、さ……っ!」
「いいぜ、リンドウ、イっても……一杯、出してやるから……リンドウ……っ」
「は、キキョ、さっ、ひっ、んんっ、うぁっ、キキョウ、さっ、もっ、もうっ、あっ、あ、ああぁっ…………——!」
「リンド……っ、く、ふ…………うぅっ」
奥深くまで捩じ込まれた肉茎が一層太く膨れてから爆ぜ、熱い迸りが腹の奥に飛び散り満たす。絶頂に震える身体は腹の奥底に受け止めた熱にも震え続け、長い射精が止むまで真っ白に塗りたくられた頭の中が快楽しか感じられず全身が張り詰めびくびくと痙攣する状態が続く。以前はこうして絶頂に至ることがとても悲しくて罪悪感を覚えていたのに、今はただ幸せしか感じない。愛し愛されることの充足感は他には引き換えようがないほど重みがあり深い。膝裏から手を離したキキョウが身体を倒してきてリンドウの背中に腕を回し、ただ与えるだけのような軽い口付けを幾度もまだ繋がったまま落とす。
「なぁ……一回だけじゃ、全然収まんねぇ…………もう一回、しようぜ」
切なさすら孕んだ甘い声でキキョウはそう聞いてくる。まだ味わい足りない、繋がっていたい、そんな気持ちが自然に沸き上がってきて、まだ絶頂の強すぎる快感の余韻でうまく動かない首を縦に動かし頷いた。その返答を見たキキョウはよしと呟きリンドウの上半身を背中に回した手で抱え上げて起き上がる。向き合って膝の上に抱えられた状態になり、至近距離にキキョウの情欲に上気した顔があった。
「んっ……う…………」
「奥まで、当たるだろ? これ……ほら、落ちんなよ、肩かどっか掴め」
「はい……」
言われた通りにキキョウの両肩に手をかけ身体を支えると、キキョウは鎖骨に舌を這わせると同時に下から腰を突き上げてきた。
「ひぁっ! あっ、あぁっ! は、あっ、あぁっ、あ、あっ、おくっ……おくに、あたって……っ!」
「ちゃんとおめぇも自分で腰動かせよ、それからあと、下向け」
言われなくても腰はもっと感じる箇所を探ろうと勝手に上下していた。キキョウの肩を掴み身体を支える手に力を込めて、より大胆に揺り動かしてみると突き上げてくるキキョウとの動きのリズムの違いが、予測できない快感をもたらす。その動きにある程度慣れてから下を向くと、待ち受けるように緩く口を開いたキキョウの快感に染められた顔があった。欲しいという気持ちが自然に湧き上がり、首を傾けて唇を合わせる。身体中を使って絡み合い交わり、悦楽を求めて二人が一つになったようにお互いを高め合う。決して溶け合う事はなく互いがそれぞれ別個に存在しているから高め合えるのにまるで一つになってしまったような不思議な感覚があった。
結合部の隙間から漏れ出した白濁が泡立つ淫靡な音と口の中で舌が絡み合い唾液が混ざり合う水音が耳を満たす。いつまでもこの少しずつ高められていく感覚に浸っていたい、だけど頂点まで登りつめて解放される快感を味わいたい、二つの相反する欲求が止めどなく湧き上がってくる。
「んっ……あっ、は、あぁっ……すき、すきです……キキョウさ…………ずっと、言いたかった……」
「どうして、言わなかったんだ?」
「だって……んんっ……ふ、言ったら、あなたは……は、あぁっ……俺を、苦しめる為に、抱くのを……やめると、思って…………だから」
「オレに、抱かれたかったからか……?」
「……はい」
やや躊躇いながら答えると、キキョウはすっと目を細め切なげな顔をして、それから腕をリンドウの背に回しきつく抱き締め胸に顔を埋めた。
「オレも、好きだ……お前のことが……好きだ、だから……これから、いくらでも満足するまで好きなだけ、抱いてやるから……だから」
「ありがとう、ございます……まさか、気持ちが……通じる日が、来るとは……思って、いなかったので……」
「オレだって、まさかお前がそんな事考えてたなんて思っちゃいなかったんだ……あんな事したんだ、怖がられて、嫌われてると……思って……ただ、お前を自由にしてやりたかったんだ、だから……お前がそんなに耐えてたなんて、知らなくて……」
「本当に、実際に聞いてみるまで、分からないものですね、人の心は……」
キキョウの肩にかけた手をそっと上げ、後ろ頭をできるだけ優しく包む。リンドウがどう思おうと、キキョウは己の行いを罪と感じるだろう。それをいくらでも何度でも赦したかった。赦されたとキキョウが感じられるまで繰り返し幾度でも。その気持ちを伝えたくて、頭頂部にそっと唇を落とす。幾度か口付けると、キキョウはそっと顔を上げ、泣き出しそうな顔をして甘え縋るようにリンドウの首に腕を巻き付け、唇を重ねてくる。
求められるだけいくらでも与えたい。キキョウの心が己を求めているのだという事がこんなにも嬉しさと暖かさで胸を満たす。貪るような激しいものではなくただ繋がっていたいという願いだけがあるような緩やかな口付けが交わされ、止んでいた突き上げも徐々に再開される。応えようと腰を使い絡む舌の甘さに溺れる。技巧も駆け引きも何もないただの交わりが、こんなにも目が霞むほどの快感を与えてきて胸の内を満たしていく。絡み合う舌や口の粘膜の柔らかさ熱さも重なり合った火照って熱く汗で湿った肌の温度も互いの荒い息遣いも背中から肩に回され身体を支える腕の力も内側を抉り擦り奥底を突いて絶え間なく快感を与えてくる太く硬く熱い滾りも、何もかもが興奮を掻き立て再びリンドウを高みへ追い立てていく。
「んっ、ふっ、はぁっ……あっ、あぁっ、いいっ、そこ……いいっ、あっ、キキョ、さ……っ!」
「ここか?」
「ひっ、いっ……あっ、あぁっ、そこっ、そこ……すごく、いいっ……あっ、キキョ、さ……っ、そこっ、かんじ、すぎて……っ! おかしく……うぅっ、なりそ……は、あぁっ、キキョウ、さ……っ!」
「おかしくなったお前も、見せろよ……全部、オレのもん、なんだろ……?」
下からの突き上げは激しさと強さを増す。ずり落ちないようにキキョウの肩に両手を戻し身体を支え、より一層懸命に腰を振る。
「またっ、あぁっ、また……イきそ……もうっ、イっちゃう……っ、やっ、あっ、あぁっ、あっ、キキョ、さっ……そんなに、したらぁっ!」
「オレも、イきそう、だから……また、一緒に……っ!」
どちらからともなく唇を重ね合わせ今度は激しく互いの口内を貪りながら、腰の動きを速めていく。今まで味わわされたどんな快楽よりも心を捉えて離さない快感が腰から背中、頭へ走り続け、他の余計な感情など吹き飛んでしまう。今ここには二人だけしかいなくて、心から気持ちいいと感じるだけの交わりがただ存在するだけだった。世界は悦楽に霞む頭で捉えうる相手の存在だけという極限まで狭まり、同時にそれが広い世界の全てでもあった。全身全霊で相手の存在を感じる、それがこんなにも心地良いものなのだと、今まで知る由もなかった。世界は点と言っていいほどまで狭まっていき、やがてそれすらも認知できなくなるほどの強烈な快感が頭を甘く痺れさせ真っ白に塗りつぶす。
「んっ……んんっ、ん…………んんんっ…………!」
「んんっ……ふ……うん…………っ!」
口付けを交わしたままでキキョウの膝の上でリンドウの身体は張り詰めて幾度も震え、身体は極限まで緊張し後孔にも意識せずとも過剰なほどの力がかかり、中のキキョウをきつく締め上げる。その刺激にたまらずキキョウも達し、どくどくと大きく脈打ち熱い精の迸りをリンドウの内側に放っていく。
「あ、あぁっ……あ、あつ、い……っ!」
内側を灼く熱の温度にたまらず口を離したリンドウは背を撓らせキキョウの腕に凭れ掛かり、浅い呼吸を繰り返しながらびくびくと幾度も身体を震わせる。荒い息を整えながらキキョウは露わになったリンドウの首筋に唇を落とす。まだ絶頂の強烈な快感に震える肌を優しく労るようなその口付けが、たまらなく愛おしかった。すっかり力の抜け切った身体をゆっくりとベッドに横たえられて、首筋から胸板にかけて触れるだけの口付けが幾度も落とされる。その行為には苦しめ悲しませようという意図はもうなく、ただ純粋な労りの意味しか持っていない。勘違いをしないようにと自分の心を戒める必要ももうない。好きだと素直にただそう言える、それだけの事がこんなにも嬉しい。
「好きです……キキョウさん…………好きです」
噛みしめるように一言一言をゆっくりと口にする。今までは愛することがあんなにも辛かったのに、今はただこの人を愛せて良かったという思いしかない。独りではないのだと、孤独ではないのだと少しでも思ってもらえたならば、ただそれだけでいい。それだけで満足だった。キキョウが顔を寄せてきて、頬や唇にそっと口付けてくる。
「おめぇはほんと、大馬鹿野郎だな。こんなオレみたいなしょうもない奴に惚れちまうなんざ」
「それを言うなら……お互い様です。こんな俺みたいな……融通のきかない、つまらない男を、好きになってしまうなんて」
「ハッ、確かに、そりゃ違いねぇや……でももう惚れちまったからなぁ、どうしようもねぇや」
そう言って微笑んだキキョウの目の光は今まで見たどんな表情のものよりも暖かく優しく、深い満足感と心地良い疲労感が体全体を覆っていく。
「もう眠いのか?」
「はい……キキョウさんが、温かくて……」
「ほんとは後始末した方がいいけどよ……まぁいいか。オレも、お前とこのまま離れねぇで、眠りてぇ」
至近距離で密やかで穏やかな声でそう漏らし、キキョウは柔らかくなったものをリンドウの中から引き抜いて、横に寝転び直しリンドウの首の後ろに手を回して肩を引き寄せる。リンドウもキキョウの背中に緩く腕を回し、向かい合って見つめ合う。
「もし……おめぇとあの日会えてなかったら……今もオレは独りだったんだろうな。オレぁな、師匠に破門同然に追い出されたんだ。オレぁ師匠の味を継ぐ事しか頭になくて師匠に気に入られるもんを作ろうとそれしか考えてなかったし、師匠は師匠でオレだけにしか作れない菓子を作ってほしいって、その一言を意地を張って言えなかった」
訥々と、キキョウは過去の話を始めた。まだ薄ぼんやりしたところもある意識で、リンドウはその言葉を一言も聞き逃すまいと聴覚に意識を向ける。
「理由も何も説明がねぇから、どうして追い出されたのか訳が分からなかった。一応暖簾分けはされた体にはなってたから和菓子は作り続けたけどよ、それからのオレは荒れちまって破れかぶれに遊びまくった。誰とでも寝たし、それでいて誰にも心を許さなかった。オレにはもう、自分が何を作ればいいのか長いこと分からなくなっちまってたんだ……だから、お前の妙ちくりんな和菓子を初めて見た時は心底驚いて呆れたぜ。これが本当にあの師匠の弟子の作ったもんかってよ」
「……もうご存知でしょうが、ランチのアイディアに沿って見た目も決めているので。俺も最初はこんな見た目でいいのかと戸惑ったものです」
「ハハッ、だろうな。だからよ、余計に面白くなかったんだ。碌に理由も言わずにオレを追い出しといて、こんな奴を弟子にしたのかよって……オレで失敗したんだから師匠はもう弟子は取らねぇだろうって、心のどこかにそういう期待もあったのかもしれねぇな」
自嘲気味にキキョウが苦く笑う。何も知らずおよそ桃栗堂のものを名乗るには見た目が奇抜すぎる和菓子を無邪気に作るリンドウを見て、どれだけの苦々しさを感じていたのだろう。あの強い憎しみと怒りの理由を知って、ようやくあの頃の事が腑に落ちる。
「でも、キキョウさんが変わるきっかけを作ったのは、ランチでしょう……俺にはいつも通りに和菓子を作り続ける以外に何もできなかったけれども、ランチがいたから……」
「あの女にゃ確かに感謝してるよ。あのお節介のお陰でこの間師匠とも久し振りに会ってちゃんと話ができたからな」
「そうだったんですね……良かったです」
「けどな、勘違いすんなよ。世話にゃなったしきっかけももらったが、オレを変えたのはあの女じゃねぇ、おめぇだよ。おめぇがあんまり訳が分かんねぇ事を言いやがるから……あれだけの事をされてまだ、オレの事を知りたいとか……そんな訳の分かんねぇ事を言うから、その内なんでそんな事を言いやがるんだって気になって仕方なくなってった。それと、前にも言ったけどよ、オレぁおめぇが真っ正直に和菓子が好きなところがどうしようもなく羨ましかった。何を作ればいいのかも分からなくなって、素直に好きだなんて言えなくなってたオレにゃあ、おめぇが眩しかったんだ……」
そう言うとキキョウは、本当に光を見るように眩しそうに目を細めた。どう答えようかと少し考えた後リンドウはそっと微笑んだ。
「これからはもう、素直に言えるでしょう。キキョウさんはもう、自分だけの和菓子を、作れるのですから……」
「そうだな……それも、お前があの時オレをここに引きずり込んで、オレを独りにしないでいてくれたからだ……ありがとな」
キキョウは返事を返して、心から嬉しそうな笑みを浮かべた。その事が嬉しくてリンドウも笑って、安らかな気持ちに包まれて瞼が重くなっていく。
「お前に話してぇ事、まだまだあるんだ……また、明日な……」
キキョウの低い声が辛うじて脳裏に滑り込み、その後リンドウの意識は深い眠りの中に落ちていった。
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