亜人十傑
亜人の情報と並行して、聖王国内の政情や周辺国家についてなどもデミウルゴスは情報を集めていた。
まず聖王国の政情はそれほど安定しているとは言い難く、火種が燻っている状態である事が知れた。女王カルカ・ベサーレスの政治には大きな瑕疵はないものの然程の成果も上げてはいない。また兄がいるのに聖王国初の女王となった事も主に南方の貴族からは面白く思われていない様子で、その不満は女王の側近であるケラルト・カストディオの策謀によって専ら封じ込まれているらしいというのが真偽の程は知れぬ噂として流れている。今すぐ使える情報ではないが今後聖王国内にナザリックの探索範囲を広げていく際には使えるかもしれないと記憶に留め置く事にする。
周辺国家については人類の生息圏の事しか分からなかった。北のリ・エスティーゼ王国と北東のバハルス帝国が睨み合い、帝国の北東にはカルサナス都市国家連合が存在する。東のスレイン法国の隣には竜王国、リ・エスティーゼ王国の北西には亜人中心だが人間も暮らすアーグランド評議国。それらの外側は亜人の領域の為脆弱な人間は踏み入れない領域のようだった。予想外に狭い範囲の状況しか分からなかったが、冒険者としての地盤が固まり聖王国内を探索し終えたら次はこれらの国々を巡りナザリックを探すべきかと大まかな方針が定まる。
兎にも角にもまずは冒険者としての名声を得る事から始めなくてはならない。アダマンタイト級ともなれば人類の生息圏ならばどこへ行っても通用するだけの顔となれるし、情報を得るのにも有利な事が多いだろう。実際アダマンタイト級冒険者の業績は他国の冒険者のものであってもカリンシャにおいて広く流布し、酒場では噂話が絶えず吟遊詩人が酒場や広場で冒険譚を披露している事もある。白金にランクが上がったので(食事の酷さに耐え兼ねていたのもあり)宿を変えたが、銅級の時とは宿屋の親父の態度が明らかに違った。食事の酷さは結局(デミウルゴスから見て)大して改善されていないのだが、付けているプレートによって相手の態度が明らかに変わるというのは事実である。
名声を得るという意味ではセバスのお節介も悪くはない手なので口うるさく言う事もないかと考え直しデミウルゴスは最近は放置している。実際この短期間で心優しい親切と気遣いの紳士としてカリンシャではセバスはちょっとした有名人になっている。次第に広まり始めた堕落の果実の業績の噂と合わさりセバスの名声は中々のものだ。相手の信頼を得て情報を得やすくなるという意味でも役に立っている。「今日も堕落の果実のセバスさんですかと聞かれたのですがいい加減パーティ名を変更しませんか」と毎日のようにセバスに言われるのは鬱陶しいが、それに対するデミウルゴスの答えは決まっている。既に広まっているパーティ名を変更するのは名声を高めるという目的にはマイナスにしかならない為不可、である。それに反論する材料はセバスにはない。登録の段階で阻止できなかった時点で、いや読み書きをデミウルゴスのみが習得した時点でセバスの敗北は確定していたのだ。
アベリオン丘陵の探索も順調に進んでいる。主に悪魔を放って各部族の位置や強さ、力関係や同盟関係等を情報収集させているが、デミウルゴス自身も転移で赴き各地に転移ポイントを作ってあるので、必要な情報が集まり仕込みが完了すればセバスを連れて目的地にすぐに転移できるようにしてある。セバスとの転移は心から嫌だが目的の為には我慢するしかない。計画が思惑通りに進めばアダマンタイトに相応しいと誰もが認めざるを得ないだけの功績を手に入れられる事は間違いない。聖王国にはアダマンタイト級冒険者はいないそうなので政治的配慮でオリハルコンに留まる事も考えられなくはないがそれでもオリハルコンへの昇格は確実だし、実質アダマンタイトの力がある事は誰にでも分かる事実になるだろう。
仕込みの為に今日もデミウルゴスはアベリオン丘陵に転移し目的の部族を回っていた。集落の付近に転移し最近よく使っているシェイプシフターという悪魔を召喚する。シェイプシフターは普段は悪魔の像に近い姿をしたゲル状のスライムのような見た目をしているが擬態能力があり、好きな姿を取ることができる。誰でもない誰かの姿をとる悪魔である。またゲル状で自在に形を変化させられるので潜入にも向いている。知能はそこまで高くないので高度な自己判断を要するような重要な仕事は任せられないが、情報収集と噂の操作や扇動程度の事はきちんと命令を与えれば問題なくこなしてくれる。
はてさて、亜人共は狙い通りに動いてくれますかね。
命令を与えてシェイプシフターを集落へと送り出してから、顎に手をかけデミウルゴスはしばし黙考する。相手の戦力は今までの情報収集でほぼ把握しきったし全てが狙い通りに進まなくてもそれなりの成果を得られる案ではある。だが中には救いようのない愚者がいてデミウルゴスの読みきれないとんでもない行動に出て計画を破綻させるという可能性もないではない。今の所は計画通りに事は推移しているが気は抜けない。幾通りもの事態を想定した修正案も頭の中には用意済みだが想定外の事は起こると考えておいた方がいい。
その為にも更なる扇動による誘導が必要か、とこれから他の集落で与える予定の命令案に多少の修正を加える。次の集落に向かうべくデミウルゴスは転移し、誰もいなくなった丘を一陣の風が吹き抜けていった。
***
堕落の果実のミスリル級への昇級試験の話が持ち上がったのは、死者の大魔法使いの依頼の後三つほど依頼をこなしてからだった。どれもつまらない依頼で特筆に値しない下らない仕事だった。正直セバス一人いれば十分片付くのだがパーティを組んでいる手前デミウルゴスも出向かない訳にはいかないし、セバスを一人にするのも不安といえば不安なので結局益体もない仕事にデミウルゴスも付き合わされる羽目になった。人助けが好きなセバスにとっては人を脅かすモンスター退治の仕事はやり甲斐があるだろうがデミウルゴスにとっては何ら価値を感じられないので正直苦痛である。
恐らく堕落の果実のスピード出世に対する他の冒険者からの反発を組合側は危惧して仕事をしたという実績を積ませようとしているのだとは思うが、能力のあるものが上に行くのは当然というデミウルゴスの価値観からすると依頼をこなした数を重視するその姿勢自体が理解に苦しむ。
だが時間があったお陰で丘陵の方の準備も万端整った、後は導火線に着火するだけだ。タイミングは良いと言っていいだろう。
組合から呼び出しを受けたデミウルゴスとセバスは組合へと足を運んだ。ドアを開け中に入って他の冒険者達から向けられる視線は初回のような困惑と奇異の眼差しではない。羨望、嫉妬、憧憬、様々な物が錯綜している。そんな様々な感情をつまらぬものと意識の端にもかけず涼しい顔をしてデミウルゴスは真っ直ぐにカウンターへと向かった。
「おはようございます、昇格試験についてお話があると伺い参りました」
「堕落の果実のお二人ですね。ミスリル級の資格があると判断され昇級試験を受ける権利が与えられましたが、如何なさいますか?」
「試験の内容を伺ってから判断したいのですが、お教え下さいますでしょうか」
「はい。今回の試験の内容はアベリオン丘陵での亜人討伐です。討伐対象や数の指定は特にございません。お二人は既にミスリル級の実力が十分あると組合側でも考えておりますので、試験という形式ではありますが実質行って帰ってきて頂けるだけで合格出来ると考えて頂いてよろしいです」
受付嬢の言葉に、デミウルゴスは機嫌良さげな笑みをにこりと返した。アベリオン丘陵での亜人討伐をデミウルゴスが試験内容として希望するだろう事を組合側が先読みする事が前提での作戦だったが上手くいった。無論他の内容が指定されたなら丘陵での亜人討伐に変更させる予定だったが。これで大手を振って計画を進められる。
行って帰ってくるだけでいいというのは蛇身人約二百体のような事をしないでほしいと釘を刺しているのかもしれないが、そんな事はデミウルゴスの知ったことではない。今回はあの時の比ではない戦果が上がる予定である。組合が蜂の巣を突付いたような騒ぎになるのが容易に想像できる。
「その内容でしたら特に問題ございませんね、是非お受けしたいと思います」
「試験の期限は十日、期限内に組合に報告に来て頂けない場合は不合格となります。何かご質問はございますか?」
「いえ、大丈夫です。では早速向かうとしましょう、失礼」
受付嬢に軽く一礼してデミウルゴスは出入り口へと向かった。セバスもそれに続く。今回も歩きで丘陵へと向かうが、東門に向かう道すがらデミウルゴスは袋を買い込み馬車を借りた。デミウルゴスの今回の計画の説明をまだ受けていないセバスが訝しげな顔をする。
「馬車など邪魔になるだけではないでしょうか、一体何に使うのですか?」
「今回は鹵獲品が大量になる予定なのでね。アイテムボックスで持ち運べばいいのだから本来は不要だが、これも人間に合わせてのことさ」
「……まさか、何か良からぬ事を企んでいるのでは?」
鋭いセバスの目線がデミウルゴスに向けられる。その視線に応えデミウルゴスは口の端を上げた。
「人聞きの悪い事を言わないでほしいものだね。効率的に名声を高める為の計画を進めていただけだよ」
「特例は二度とないと言われましたが」
「そんなつまらない事は組合長も口が裂けても言えない程の成果を上げる予定だよ。準備は整っているから、後は我々が現地に向かうだけだ」
「非道な事をするのであればわたくしは協力できません」
「正々堂々と君には戦ってもらうから安心したまえ、非道な事を君に強要しようなどとはいくら私でも思っていないよ」
笑みを崩さぬままデミウルゴスは言い切った。セバスは尚も疑いの眼差しでデミウルゴスを見やるが、ならばいいでしょうとやがて呟き目線を前方に戻した。セバスには非道な真似などさせない。させようとしてもセバスはしないだろう事は自明の理、そんな無駄な労力をかける気はデミウルゴスにはない。そう、セバスは戦うだけで、そこが重要だ。されても困るし出来ないような状況にもっていくが。
街を出て街道を進む。今回は馬がいるため歩みの速さは人間のもの程、夜も休憩を取る事になる。街から離れたところでデミウルゴスはようやく今回の計画をセバスにも説明する事にする。
「今回は、亜人の十傑と呼ばれる強者を一箇所に集め一度に倒す予定だ。後は各部族の同盟者からの使者を装った悪魔を送り込むだけで集まる手筈は既に整っている」
「いくら同盟者の使者が来たからといって、そんなに簡単に集まるものなのでしょうか?」
「準備は万端、抜かりはない。各部族には既に噂をばらまいて扇動し不和の種を撒き散らしている。一触即発の状態だよ。同盟者から敵対部族と交戦中で劣勢と知らせが来れば確実に動き出す程度には仕込んである。集まったところに我々が乗り込み、君が一網打尽にするというわけさ」
「十傑というからには亜人の中でも強い者でしょう、どの程度の強さなのか調べはついているのですか?」
「勿論だ。どれもオルランド・カンパーノよりは多少強い程度、という調べはついている。君にとっては誤差の範囲だろう」
ほう、とセバスは感嘆の声を漏らしてから僅かに目線を伏せた。
「援軍というからには軍勢が来るのでは?」
「雑魚は私に任せたまえ、君は十傑を片付けてくれるだけでいい」
「……どのような方法で処理されるつもりなのか聞いてもよろしいですか」
「支配の呪言を使えば何万だろうが声の届く限りは手を下すまでもなく始末できる。君はあまり好まないやり方かもしれないが、雑魚を一人一人潰すなど蟻の列を一匹ずつ潰すようなものだよ、あまりに非効率だ」
「十傑を倒せば戦意を喪失するかもしれないでしょう、戦いを挑んできたわけでもない者を殺すのはどうかと思いますが」
「いいだろう、では、軍勢が撤退の意思を見せたら私は何もしない。撤退しない場合は支配の呪言を使う、これでいいね」
「分かりました」
セバスが了承を返してきたので、デミウルゴスは頷き前に向き直る。こんな簡単な答えにも行き着けないのだからセバスにも困ったものだ。こんな馬鹿正直なお人好しだからこそ人間などという愚昧な種族に愚かにも肩入れするのだろうが。デミウルゴスも人間は決して嫌いではないが、それは玩具として面白いからだ。自分が人間などと同列の存在であるかのように振る舞うセバスの気が知れない、誇りあるナザリックの一員として恥ずかしくはないのかというのが正直な感想だ。
だが、例えばペストーニャが人間に肩入れしたとしてもデミウルゴスはこうは思わなかっただろう。博愛の精神は彼女の特質であり、それをデミウルゴスは受け入れている。セバスの行動を理解できないのと同様にデミウルゴスの価値観からは外れる行いかもしれなくても、至高の御方にそうあれと定められた特質による行動なのだからそれはそうあるべきだからだ。それはユリ・アルファでも同じ事だ。セバスのお節介だけがデミウルゴスの神経に障り気持ちを苛立たせてくる。こんな妙な執着じみたものを隣のこの男に抱きたくないとは思うものの、どうすればこの敵意にすら似た反感が消えてくれるのかがデミウルゴスの頭脳をもってしても全く分からなかった。何故受け入れられないのか、その原因が全くもって不明だからだ。
そうあれと定められていないこの執着のような強い感情に、デミウルゴスは内心当惑している。ナザリックの同胞であり今現在唯一仲間と呼べる存在である筈のセバスを、ウルベルト様がそうあれと望まれた訳でもない忌々しいという感情を抱いて忌避してしまう事に罪悪感すら覚える。至高の御方に望まれた訳ではない不純物ともいえるこの感情は邪魔だし、美しくない。デミウルゴスという至高の御方の最高の作品の見栄えを損なっている。不要なものなのに捨てようとしても次から次から湧いてくる、きりがない。
セバスと顔を合わせずにいられればこんなにもこの感情と向き合う必要もなかった筈なのだが、何せ今は四六時中一緒だ。嫌でも顔を突き合わせなければならない。見たくもないものを目の前に突き付けられているような不快感が常にある。いっそ考えずに嫌いなものは嫌いで済ませられれば楽かもしれないが、それはデミウルゴスの強い理性が許さない。どうにか原因を究明して解決したい、そう考えているのは確かだ。だが話をしたところで不愉快な言い合いになるだけで原因に近付く事など出来ないのは目に見えている。原因の究明方法すら皆目浮かばない。
だからデミウルゴスは、隣の男を心底苦手だと感じているし距離を測り兼ねている。埒の明かない言い合いなど元よりしたい訳ではない、どうしてもそうなってしまうだけだ。原因も分からないまま苛立つなどという感情的な心の動きはまるで愚かな人間のようで己に相応しくないと思うものの、それをデミウルゴスは止められない。理性で己を制御できないその事実にまた苛立つという負のスパイラルがセバスに対しては出来上がっていて、抜け出す道はどこにも見当たらなかった。
三日かけてゆっくりと進み大城壁の砦へと到達する。門の衛兵は今日もまた以前デミウルゴスを哀れんできた男だった。
「亜人共の動きが活発になっていて不穏という報告が上がっている、悪い事は言わんから引き返した方がいいと思うぞ」
「ご心配痛み入ります。ですが我々も昇級がかかっておりますので退くという選択肢はございません。もし丘陵に生命散ったとしてもそれが冒険者としての我々の運命だったのでしょう」
引き止められたら面倒臭いので今回も自殺願望をデミウルゴスは装う事にした。衛兵はやはり死に行く者を悼み憐れむような哀惜の情を込めた眼差しを送ってきた。
「そうまで言うならもう止めんが……知らんからな?」
「待てっ! 待ってくれっ! セバス殿ーっ!」
門を開ける為動こうとした衛兵とセバスを呼び止める大声が響いた。向こうから駆け込んできたオルランド・カンパーノは、走る勢いを殺さずに膝を折りセバスとデミウルゴスの眼前でぴたりと止まり深く頭を下げて土下座した。見事なスライディング土下座である。
「何卒頼みます! セバス殿、俺を弟子にしてください!」
頭を上げないままオルランドはセバスにそう懇願した。セバスは明らかに戸惑い困り果てている。
「弟子といっても、わたくしは修行僧ですので剣士のあなたに教えて差し上げられることはございませんが……」
「その強さの秘密を! 少しでも掴めればいいんです! 何も教えてくれなくたって構いません、荷物持ちでも何でもいたします、雑用だってこなします! だからお側に置いて頂けませんか!」
「申し訳ないですがお断りいたします。弟子も雑用係も求めておりませんし、我々には旅の目的がございますので」
「どこまでだって着いていきます! いいお返事がもらえるまでこの頭は上げません!」
頭を下げたまま必死さの滲む声でそうがなるオルランドの様子に、セバスは眉根を寄せて目を細めどうしたものかと考えているようだった。デミウルゴスとしてもこんな弱い人間に着いてこられてもメリットが何一つないし足手纏いになって困るだけだから本当ならばセバスに助け舟でも出してやるべきなのだろうが、自分でどうにかしなさいという気分になってしまったので困り果てたセバスを口を出さずに見守っていた。
「……あなたは、話によると聖王国でも九色という強者だとか。軍を辞めては何かと不都合があるのでは?」
「俺は軍士じゃないですから、辞める事自体に問題はありません!」
「そういう事ではなく、自らの仕事を責任を持って果たすべきという事です」
「国にはこれまで十分奉公したと思います! 俺は、自分の強さを求めたい、ずっとそう思ってたんです!」
ああ言えばこう言う。オルランドの決意は固いようで、生真面目なだけのセバスでは言い包められそうになかった。このまま眺めていてもいいのだがそれも時間の無駄かと思いようやくデミウルゴスは助け船を出す事にした。
「申し訳ないのですが、あなたのような方に着いてこられても邪魔なだけなのですよ」
「だから強くなりたい、そう思ってるんです!」
「強くなれると、本当にそう思っているんですか?」
人間如きが、という部分は口に出さずにオルランドにだけ分かるように向けた殺気を一瞬だけデミウルゴスは放った。効果は覿面で、勢い良く頭を上げたオルランドはそのまま後ろにひっくり返り腰を抜かした。これ以上纏わり付くようなら鬱陶しいから本当に殺してもいいとデミウルゴスは本気で思っている。セバスが苦い顔をして見てくるが助けてやったのだから少し位は感謝してほしいものだとデミウルゴスはこれ見よがしなため息をついた。
「先を急ぎますので、失礼」
優雅に礼をしてデミウルゴスは門を開けるよう衛兵に頼んだ。何が起こったのか分からない衛兵は呆気に取られていたが、デミウルゴスの言葉に仕事を思い出し門を開けた。呆然としたオルランドは座り込んだままでセバスが去るのをもう止めようとはしなかった。止めれば死ぬ、というのがいくら何でも本能で分かってしまったのだろう。
「少しやり方が強引では?」
「ああでもしなければ我々は門の前で今も立ち往生していたと思うが、その方が良かったかい」
「そうではないですが……納得するまで話し合うという方法もあったでしょう」
「君では彼を納得させられなかったと私は思うがね。どうやら彼は君に心酔してしまっていたようだから、どんな手段を使ってでも着いてこようとしたと思うよ。君に心酔など気が知れないが、正気ではなかったのだろうね」
「そのよく回る口を使ってあなたが納得させればよかったのではないですか?」
「何故私がそんな手間を掛けなければならないんだい、君の為に」
「本を正せばあなたが手合わせを受けろと余計な口を出したからこういう結果になったのでしょう」
「あれはこの砦を守る九色の実力を見るという重要な目的があった、必要な事だったのだがね。あそこでオルランドの実力を見られたから丘陵の亜人の程度も知れた」
「ならば少し位はわたくしを助けて下さってもいいのでは?」
「それとこれとは話が別だ。大体にして私が君を助けるなど気持ちが悪くないかい」
「それは……全くもって同感ですが、本当に困っておりましたので」
そう呟くとセバスは憮然とした顔をして黙った。本当に困っていたのだろう。ならば手段はどうあれ助けたデミウルゴスにもう少し感謝を向けてもいいと思うのだが、そういう心持ちにはなれないようだった。(有り得ない話だが)もし逆の立場だったらデミウルゴスもそう思うだろうからその気持ちは分からないでもない。
前回同様大城壁の砦からの監視の目が届かないと確信できるまで一日程度進み、その場で馬車とセバスに待機させてデミウルゴスは目的の集落付近へと次々転移して回り、最後の仕上げである同盟者の使者を装うシェイプシフターを召喚して命令を与え送り出していった。これで準備は完了である。シェイプシフターが十傑を呼び寄せてくる予定の地点まで転移し、上空で待機し集まってくるのを監視する。
さて、亜人の皆さん。あなた方はどの位愉快に私の掌の上で踊って私を楽しませてくれますかね。
これから幕を開けるであろう饗宴を思い、デミウルゴスの頬には嗜虐の喜びに満ちた酷薄な笑みが浮かんだ。
***
”魔爪”ヴィジャー・ラージャンダラーからの救援要請を受け、ヘクトワイゼス・ア・ラーガラーは兵を率い使者の先導に従って軍を進めていた。最近この丘陵を覆う、決戦が近いという予感を抱かせる不穏な空気はいかにも不自然なもので、ヘクトワイゼスとしては本来ならば今は兵を出さずに静観したいところだったが、ヴィジャーの種族・獣身四足獣に恭順を誓う半人半獣の一族を率いる身としては正当な理由なくして救援要請を断る事は出来ない。それに部族内も戦うべしとの声が不自然な程に強く、それにもヘクトワイゼスは更なる不審を強めているのだが、ここで兵を出さないという決断をして血気盛んな者共を抑えきれるか、という事情もあった。
何者かが意図してこの空気を操作して作り出しているのではないか、そんな正体のはっきりしない不安がヘクトワイゼスにはあったのだがそれを作り出しているのが誰なのかと問われれば全く分からない。丘陵の亜人に今までそんな事を仕掛けようとする者はいなかったしそういう手段を取ると考えられる者もヘクトワイゼスの知る限りではいない。ならば丘陵の外部の者か、と考えるしかないのだが、人間が外部からやって来て亜人に対し情報操作を仕掛けるなど不可能である。人間など見つかれば餌として生きたまま即喰われる事になるのだし、人間の齎した情報などに左右される者はいない。そもそもアベリオン丘陵を無事に歩ける人間などいる筈がない。急に丘陵の空気を「変えられた」としか思えない不自然さが付き纏うのにその正体は杳として知れない。不気味さだけが強まっていって悪い予感を抑え切れない。この決断は間違いだったのではないか、その不安をヘクトワイゼスは振り払う事が出来ぬままでひたすら駆けていた。
だがこの不安も根拠のないものだ、何も証拠はない。確証が無くては誰も説得する事は出来ない。ヘクトワイゼスの中では今の状況が不自然過ぎるという事は既に確信であるというのに、論拠となるものが状況証拠しかないのだ。
丘を越えると、多くの軍勢が集まっていた。戦っている様子はない。何事か、と問おうとして前方を走っていた筈の使者の姿が消えているのにヘクトワイゼスは気付いた。蛇王、魔現人、獣身四足獣、石喰猿、山羊人等々……集まっているのはヘクトワイゼスの推測が正しければ十傑の率いる軍勢だ。引き返したいのは山々だが向こうからも既にこちらの姿は確認されているだろう、今背中を見せては後背から襲い掛かられる危険もある。それならば睨み合いの中に加わり現状を確認した方が賢明か、と考えヘクトワイゼスはそのまま進む事にした。
率いている兵を他の兵と睨み合う形で留めヘクトワイゼスのみが中心へと歩いていく。そこには推測通りに十傑が集結していた。
「……これで、十傑が集結した事になる訳だが、一体これはどういう状況なのだ」
ロケシュの言葉はヘクトワイゼスの疑問でもあった。敵対関係の者もいれば同盟関係の者もいるし、ヘクトワイゼスの様に他種族に恭順している者もいる。十人全員が揃うなど有り得ない状況である。やはりこの状況は不自然だ、後背を取られる危険を無視してでも逃げた方がいい、そうヘクトワイゼスが考えた時だった。
十傑が睨み合う円の中に突如として現れた者があった。魔法か? と考え一番魔法に長けているであろうナスレネをヘクトワイゼスは見やるが彼女の顔もまた驚愕に歪んでいた。アベリオン丘陵の亜人の中でも屈指の魔法の使い手であるナスレネですら驚愕させる魔法という事なのだろうか、だがそこに現れたのは人間らしき者二人だった。
「ようこそ皆さん、わたくしの招待に応じて頂き感謝いたします」
人間の魔法詠唱者と思しき風体の男が優雅に礼をして口を開いた。やけに耳当たりのいい、思わず聞き入ってしまいたくなるような声をしている。
「招待とはどういう事だ、人間如きが我等を招待して一体何をしようというのだ」
「皆さんにはこれから、我々の名声を高める為の踏み台になって頂くのですよ。セバス、どうやら十傑の皆さんの装備はマジックアイテムの様子、この世界ではマジックアイテムは貴重品のようですからね、組合に見せれば十傑を倒したという証拠になるでしょう。壊さないよう注意して下さい」
「承知いたしました」
返事をして一歩前へ進み出たのは白髪の男、やけに鋭い眼光と鋼の剣の切っ先の如き真っ直ぐに鋭く通った姿勢が強く印象を残す。一見すればただの人間だが、違う、とヘクトワイゼスの本能が告げていた。見たことはないが竜を前にすればこのような圧を恐らく感じるのではないか、とヘクトワイゼスの脳裏に浮かぶ。最強の種族である竜と人間如きを並べる事をおかしいと理性は断じようとするが、本能は警鐘を鳴らし続けていた。「あれ」に近付いてはいけないし近付かせてもいけない、今すぐ逃げるべきだと。「あれ」だけではない、隣の魔法詠唱者もだ。あの二人には、この場の者を簡単に殺し尽くす力がある、そう獣の本能が告げる。
「ひっ……しっ、死ねぇっ! 〈白銀騎士槍〉!」
白髪の男に眼光を向けられたナスレネが魔法を放つ。鋭く男を穿とうとする魔力の槍は――正面から男の拳に砕かれた。
何が起こったのかがヘクトワイゼスにも分からなかった。あの白髪の男は、魔法を、拳で砕いた? そんな事が可能なのか? 考えている間にもナスレネとの距離をまるでなかったものであるかのように男は瞬時に詰め、その拳がナスレネの胸を抉る。後ろから放たれたハリシャの石を男は振り向きもせずに後ろ回し蹴りで蹴り返し、それがハリシャの頭を砕いた。バザーの武器破壊も肉体を武器とする男の前では何の意味も持たない、ロケシュの竜にも匹敵すると言われる鱗も男の拳の前では無意味だった。瞬きする間に十傑が倒れ伏し、逃げ出す間もなくヘクトワイゼスの眼前に男が現れ、次の瞬間には。
手袋をしただけの素手とは思えぬ鋭さを持った手刀がヘクトワイゼスの首を落としていた。首を失った自分の身体を眺めながら逆さまに頭が落ちていき、やはり引き返すべきだったのだと強い後悔の中でヘクトワイゼスはその生を閉じた。
***
十傑とやらもセバスの前では赤子同然、大した抵抗も出来ずに殺し尽くされてしまった。これは事前に集めていた情報の正しさを立証するものであるからデミウルゴスにとっては何ら驚くに当たらない、当然の結果である。
それにしても十人全員集まってくれるとはデミウルゴスも思っていなかった。誰か慎重な者が来ない可能性も考えていたし、その可能性は高いだろうと思っていたのだ。勿論十人全員集まってくれるのが最良の結果であるから喜ばしい事だ、亜人にはそこまで慎重な者がいなかったという事かもしれないし、もしいたとしても来ざるを得ない状況にデミウルゴスが追い込んだというのもある。
十傑は倒されたがそれを見守っていた周囲の軍勢は誰一人動こうとしなかった。当然だろう、信じられないような光景を目の当たりにして指揮官を失い正気を保っていられる方がどうかしている。恐慌状態に陥り秩序を失って逃げ出す展開も考えていたし、それならそれで十傑を倒したという功績だけでもアダマンタイト昇級には十分だろうから構わなかったのだが、動かないというならばセバスの了承を得た通り今度はデミウルゴスが楽しむ番が回ってきたという事だ。
『最後の一人になるまで殺し合いたまえ』
「デミウルゴス!」
セバスの制止は遅い。デミウルゴスのその声は、張り上げた大声ではないというのに丘陵の中の平野部に布陣した兵全てに行き渡った。そして始まるのは酸鼻を極める阿鼻叫喚の地獄絵図だ。何せ殺し合う対象はまず近くの者、つまり同胞である。友を、家族を意に反して攻撃し殺し合う地獄。その悲嘆と絶望に満ちた声はデミウルゴスを恍惚とさせ愉しませるのに十分なものだった。
「何故そのような事を命じるのです! 戦う意思もなかった者達に!」
「言った筈だよ、退かなければ支配の呪言を使う、と。内容については……すまないね、君の道楽に付き合っていたらストレスが溜まってね、ついやってしまったよ。今後気を付けよう」
同胞同士が殺し合う惨憺な声に平野部は包まれている。その声はデミウルゴスにとっては妙なる調べだ。デミウルゴスもたまにはこういう気晴らしをさせてもらえなければ不公平というものである。
「……デミウルゴス、後でじっくりと話し合う必要があります、とにかく今すぐ辞めさせて下さい」
「何故だね? 手間を省くための支配の呪言だよ。話なら後で聞くから今は邪魔しないでくれないか」
「どうしてこのような残忍非道な事をするのです!」
「どうしてと問われれば私が悪魔だからだろうね。それにこの際だ、聞いておきたいのだが、君は同じ質問をシャルティアやニューロニストにもするのかね?」
「……!」
デミウルゴスの質問にセバスは答えずに拳を強く握りしめて俯いた。思った通りと言えばいいのか、セバスの側でも許容できないのはデミウルゴスだけらしい。そして反論がない事から見て恐らくは、デミウルゴス同様その理由はセバスにも分からないのだろう。
デミウルゴスと顔を合わせていたくないのだろう、セバスは十傑の装備品と部位の回収を始めた。デミウルゴスも今はセバスの事を忘れ、今もまだ続く饗宴が奏でる至妙なる旋律にしばし身を浸す事にする。
ボロボロの状態で残った最後の一人はデミウルゴスが止めを刺し、低位悪魔を大量に召喚して亜人の軍勢の死体の部位回収にかかる。特殊技能で呼べる限界まで大量に召喚したので大量の部位回収もじきに終わり、デミウルゴスとセバスは無言のまま馬車まで転移して戻り帰路についた。
***
冒険者組合に戻るまで結局デミウルゴスはセバスと一言も口をきかなかった。元々好んで話したい相手ではないし今は話す用事もない。組合の前に鹵獲品を載せた馬車を停め出入り口を開け、カウンターまで進む。
「昇級試験のアベリオン丘陵での亜人討伐を行って参りました。十傑を倒してきたのですが、装備品や部位などがかなり数が多いのです。今は馬車に積んでいるのですがどういたしましょう?」
「じゅっ……けつ…………十傑、ですか?」
「はい、十傑です」
「あの、十傑の、誰を……」
「全員です」
微笑んで答えたデミウルゴスの前で受付嬢の血の気がどんどん引いていく。ふらついて隣の嬢に支えられた受付嬢は、慌てて立ち上がりふらつきながら階段を登っていく。
降りてきた組合長は、またお前達か、という顔をしていた。
「十傑を全員倒したと聞いたのだが……」
「ええ、そうです」
「証拠は」
「装備品を剥ぎ取ってきました。組合の前に停めた馬車に積んであります」
組合長の顔色も見る見る青褪めていった。わなわなと震え、しばらく思う様震えてから組合長はやけになったように叫び出した。
「魔術師組合から鑑定魔法が使える魔法詠唱者を呼んでこい! それから冒険者を総浚いして十傑の装備確認を出来る者を探せ! 大城壁の砦にも使いを出して確認できる者を探せ! すぐにだ! 今すぐ動け!」
「結果が出るまで時間がかかりそうですね、我々は宿で待機していた方がよろしいでしょうか」
「…………そうだな、そうお願いする」
最早やけくそとしか言い様のない渋い顔をした組合長は、デミウルゴスの問いに力なく答えた。
堕落の果実がアダマンタイト級に昇進したのは、それから一週間後の事だった。
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