困惑と寄り道
プラートの冒険者組合から堕落の果実に呼び出しがかかったのはデミウルゴス達がプラートに来て五日目の事だった。
情報収集は順調に進み、複数の情報屋とも既に接触しているが、ナザリックの存在を感じさせるような情報は残念ながらまだない。例の如くセバスにもお節介のついでに情報収取させているがこちらもナザリックに関しては成果なしだ。
聖王国内の情勢等の情報は九色の構成、聖王国軍の構成と戦力、主要な貴族の力関係等々多岐に渡って集まっている。冒険者には不要な情報といえばそうだが、集められる情報はまずは集めてから有用かどうかを判断したいデミウルゴスは集められる限りの情報を集めていた。アダマンタイトのプレートを見るだけで支払いを心配しなくて済むと情報屋の口は軽くなったので大いに役に立っている。神官団の長、ケラルト・カストディオは公式には第四位階の信仰系魔法詠唱者ということになっているが実は第五位階を使えるらしいという不確実な噂も得られたがこれこそ使い所のない情報だろう。第五位階信仰系魔法〈死者復活〉によって有用な戦力や要人を蘇生可能かもしれないケラルトはもしこの国を攻め滅ぼすならば真っ先に潰すべき存在だが、今の所デミウルゴスの目的はこの国を滅ぼす事ではない。
デミウルゴスにとっては、ケラルトの姉である聖騎士団団長、レメディオス・カストディオの持つ聖剣サファルリシアの話こそ最も警戒すべきものだった。具体的な事については今ひとつはっきりしなかったのだが何でも滅多に出さない大技があり、邪悪なる者に対して大いなる力を揮うのだという。冒険者として活動している限りは聖騎士団と敵対する事はないと思われるが、警戒の度合いを強めるべきかと考える。何があるかは分からないのだし(そんなへまをするつもりは毛頭ないが)万一正体が露見すれば悪魔であるデミウルゴスは確実に聖騎士の敵だろう。
九色の中にはオルランドが勝てないと言われる相手がいる事も分かった。先述のレメディオス・カストディオ、オルランドと共に大城壁中央砦の防衛に当たっているパベル・バラハ、海兵隊副隊長エンリケ・ベルスエ、人魚であるラン・ツー・アン・リン。これらの者達は機会があれば実際に実力を見極めておくべきと思われた。カリンシャにいる内にパベル・バラハを実際に見られなかったのは残念だが、彼はどうやら夜間の警戒担当らしく人間に合わせて昼間活動しているデミウルゴス達では出会えないのは道理だったから仕方のない事だろう。オルランドと共にあの砦を守っているという事は、オルランドや十傑との力の差はデミウルゴスやセバスから見れば誤差の範囲内に収まっているだろうという予測も大体立つ。もしオルランドと圧倒的な力の差があるならば十傑を討ち果たし亜人の脅威をアベリオン丘陵から払い平定していてもおかしくはない。
情報収集をしている間にようやくプラートにも堕落の果実が亜人十傑を討ち滅ぼしアダマンタイト級へと昇格した話が広まり大きな話題となり、ただでさえ目立つ行動をしているセバスは否が応にも注目の的となっている。これならば早晩首都にも他国にも堕落の果実の評判は広まるだろう。
呼び出しを受けた時セバスは例の如く街に出ていて宿にいなかった。デミウルゴス一人で話を聞いてもいいのだが後からセバスに文句を言われるのも面倒なのでセバスが戻ってから冒険者組合まで出向く旨を使いの者に伝える。セバスはどこで何をしているものやら、大好きなお節介やら人助けに没頭できて実に気楽で羨ましいものだとデミウルゴスは深く息をついた。
***
セバス・チャンは困惑していた。この困惑はこの所ずっと抱き続けて解決できずにいるものだ。これまでなら晴れ晴れしい気持ちを抱けていた親切や人助けにも後ろめたさを少しばかりどこか感じてしまうし、それがまた己の中の戸惑いを強めていく。
デミウルゴスが破壊と殺戮に走り暴虐を働かないかというのは当初からのセバスの懸案事項だったが、それを自制している理由がまさか自分とやっていく為と言われるとは思っていなかった。セバスはデミウルゴスが嫌いだしデミウルゴスも同様にセバスが嫌いだろう、そんな相手がそんなにも自分に気を遣っているというのは今置かれている事態の深刻さを思わせて、同時に深刻であるという自覚が自分にはまだまだ足りなかったのだという事も知らせてくる。
デミウルゴスの指摘の通りにセバスは自分がデミウルゴスに合わせるなどという事は欠片も考えていなかった。その点は素直に反省したし、悪い事をしたと思った。だから自分も(例え相手がデミウルゴスであっても)上手くやっていく為に少しは気を遣わなければならないだろうし出来る限りの譲歩もしなければならないだろうと思ったのだが、デミウルゴスの言い出す事はセバスには到底受け入れ難く、まるでセバスが受け入れられない事をわざと選んで言っているのではないかと思わされる程だった。デミウルゴスのあのセバスに対する底意地の悪さを考えれば有り得ない話ではない。
だが、面白くはないがデミウルゴスの言う通りであるのは認めなければならない。今為すべきは二人揃って無事にナザリックに帰還する事であり、その為には譲れるところは譲るべきだ。もしシャルティアが「あの酔っ払いの方、少うし遊びたいでありんすからわっちにくれなんし」とでも言ったならば内心眉を顰めながらもセバスは酔っ払いを引き渡しただろう。遊ぶ相手を選んだ事にむしろ感心すら覚えるかもしれない。シャルティアの残虐さや残忍さ、嗜虐性は至高の御方によってそうあれと定められたものであるからセバスもそれを肯定している。それがデミウルゴス相手だと、どういう訳だかセバスは一歩も引けないような意地っ張りな心持ちになってしまい何も譲歩出来なくなる。デミウルゴスの嗜虐性とて至高の御方にそうあれと定められたものであるのは何も変わりがないというのに。それが何故なのかがセバスには全く分からない。分からないままにデミウルゴスに対して反発しているし、その感情の動きはセバスにとってごく自然に感じられるものだった。
同様のものをデミウルゴスもセバスに対して抱いているとセバスは思っていた。それなのにナザリックに帰還するという目的の為にデミウルゴスは己を抑え最大限の譲歩をしている。言われた通りデミウルゴスの本来の性質を考えればその譲歩がどれ程のものかはデミウルゴスに対してセバスがいくら意固地でもはっきりと分かる。だがそれでも、酔っ払って人を殴った程度の事で生きたまま腹を割かれ腸を引きずり出されて切り刻まれたり全身の生皮を剥がれたりして痛み藻掻く様を愉しまれるような目に合うのを許容しろと言われても出来なかった。多分気絶しないような力加減で相手が苦しむのを出来得る限り愉しむだろう。それ位はデミウルゴスなら平気でやるだろうし、それ以上のセバスでは考えも付かないような残忍な事だって恐らくはする。そういう点ではシャルティアの方がまだ幾分かは趣味は悪くない。
相手にだけ大きく譲歩させている今の状況は正しくはない、自分の側も譲歩も許容もすべきだと分かっている。だが何をどこまでどう譲歩すればいいのかそれを自分が許容出来るのか、妥協点が全く分からないというのがセバスを強く困惑させていた。どうして他の者には許せる事をデミウルゴスに対してだけはこんなにも心が狭くなってしまうのか、それすら分からないままにセバスの思考は出口を見失っていた。今は状況が状況なのだし同じナザリックの者としてもっと仲良くとは言わずともせめて協力すべきだ、頭ではそれを理解しているのに心の奥底深くの正体の知れぬ部分がそれを許さない。
考え事をしながら歩いていたらいつの間にやら街の反対側の門まで歩いて来てしまっていた。元々気の向くまま宛てもなく歩いていたのだが、さすがに宿から離れすぎてしまった。そろそろ戻らなくては夜になってしまうと思いセバスは踵を返し来た道を逆に戻り始めた。セバスが宿に居着かない理由は人助けや親切をしたいからではない、デミウルゴスと同じ空間に居たくないからだ。宿には居たくないが行く場所もないので適当に外を歩いていたら様々手助けが必要な人が見当たるので手を貸しているだけで、別に親切をしようと探している訳でも名声を高める目的でやっている訳でもないのだが、名声を高めるのには効果的だからとデミウルゴスが黙認するようになってくれたのは助かっている。ましてや今は答えの見えない問いに悩まされているので、それを気詰まりでない外で歩きながら考えてもいいというのは非常に助かる。
ふと前を見ると、乳飲み子を背中に背負い二人の幼子を連れた母親が重そうな籠を両手に持って歩いていた。あれでは一人で子供の面倒を見ながら荷物を運ぶのは大変だろう、手助けが必要だろうと思いセバスは早足に母子へと歩いていった。幸いアダマンタイトのプレートのお陰で不審者と思われる事もなくなりこんな偉い方にとかえって恐縮される事が多くなった。
声を掛けると冒険者プレートを見た母親に「堕落の果実の……」と言われたのは正直な話本当に勘弁して欲しいしパーティ名を勝手に決めたデミウルゴスに対して未だに腹が立つのだが、今更変更しては名声を広めるのにはマイナスにしか働かないと言われてしまえば反論できない。あの男は多分それすら計算ずくで最初から仕組んでいたのだ、そういう男だしあの男のそういう小狡い所が本当にセバスは嫌いだ。その狡智がナザリックの為に揮われるのであれば何も文句はないが、このパーティ名はセバスへの単なる嫌がらせとしか思えなかった。あの男なら冒険者のパーティ名としてもっと相応しいものなどいくらでも考え付くだろうにわざわざセバスが嫌がるようなものしか提案してこないのだ。これに関しては自分からこれといった案を出せないセバス自身にも非があるのでそう強くは言えないが、それでも面白くはない。
母子の家はそう遠くないというので帰り道のついでとばかりに両手の荷物を引き受け、子供達にマントの裾に纏わり付かれながら情報収集を兼ねた母親との世間話でセバスはデミウルゴスの不愉快な顔を忘れる事にした。
***
セバスが宿に戻ってきたのは夕闇が辺りを覆い始めてからだった。ようやく戻ってきたセバスの顔を見て少しばかり唇を歪めデミウルゴスは深く息をついてみせた。
「只今戻りました」
「帰ってきたばかりのところ悪いが、冒険者組合から呼び出しがかかっている。頼みたい依頼があるそうだ。君が戻ってきてからと思って詳細はまだ聞いていない、話を聞きにすぐに行こうと思うのだが問題は?」
「問題ございません、お待たせして申し訳ございませんでした」
「ああ、本当に待ったね。ナザリックの為に働けない時間は総じて無駄だが、今君を待っていた時間はその中でも取り分け無駄だったよ」
「あまり先方をお待たせしても良くないでしょうから、早速参りましょう」
デミウルゴスの愚痴を聞いていたセバスは特段の感情を見せず背中を向け部屋を出た。先方を待たせているのはセバスの帰りが遅かったからだしセバスが待たせていたのは冒険者組合だけではなくデミウルゴスも同様だったというのに馬の耳に念仏とはこの事だと苦り切った顔を隠しもしないでデミウルゴスも後に続き冒険者組合へと向かう。
冒険者組合で名乗るとすぐに応接室へと通された。少し待つと男が一人入ってきた。
「堕落の果実のお二人だね、よく来てくれた。私はダニール・モニア、このプラートの冒険者組合の組合長をしている」
「丁寧なご挨拶痛み入ります。デミウルゴスと申します」
「セバス・チャンと申します」
「とりあえず座ってくれ、今かなり厄介な件を抱えていてね、君達がこの街に来てくれたのは本当に幸運だった」
組合長の言葉に従いデミウルゴスとセバスはソファに腰掛ける。組合長も向かいに座り口を開く。
「早速君達に頼みたい依頼の話なのだが、依頼者は冒険者組合、我々だ。この街から北に五日程歩いた所にテメルという街があり、そこから東に海沿いに山脈が続いている。この山脈へモンスター討伐や鉱夫の護衛、薬草採取等に出向く依頼も時折あるのだが、薬草採取に向かった金級パーティが消息を断ったのが十五日程前。それを捜索する為にミスリル級パーティを送ったのだがこちらも現在音信不通だ。捜索隊のミスリル級パーティには万一の際の連絡手段として伝言の羊皮紙を渡しているし〈伝言〉を使える魔法詠唱者もいるのだが一切の連絡がない。君達にはこの二パーティの捜索と原因の究明を頼みたいのだが、引き受けて貰えるだろうか」
「……捜索、という事であれば修行僧と魔法詠唱者の構成の我々では不向きではないでしょうか? 野伏がいるパーティの方が適しているように思うのですが」
「ですが放ってはおけないでしょう、冒険者達の安否が気掛かりです。捜索もあなたので何とでもなるのでは?」
はっきり言ってまるで旨味のない依頼だと思い断る方向でデミウルゴスは話し始めたのだが、それをセバスが遮る。大好きな人助けの範疇の依頼だからお節介癖を出してやりたがるだろうと予測はできたが案の定だ。遠回りも損も承知の上で(デミウルゴスはしたくもない)人助けをして名声を高める方向で行くしかないかと心の中だけで盛大な溜息をデミウルゴスはついた。まるでマイナスという訳でもない、二パーティを救う事が出来れば堕落の果実の英雄としての名声はますます確固たるものになるだろう。二パーティがまだ生きていれば、の話だが。時間も大分経っている、デミウルゴスとしては装備が回収できれば御の字ではないかと思っている。
ナザリックの情報が未だ掴めない以上プラートはただの通過点に過ぎず近い内に首都に向かう事になるのだろうから、この地の冒険者組合に恩を売ったところで大して意味はない。そして生存者の見込みがないのだから名声を得るという目的に使える依頼でもない。正直なところデミウルゴスはそんな依頼に使う時間があるなら徹底的な情報収集に充てたい。だがこの人助け大好きのお人好しが受けたい空気を出してしまえば人類の守護者という名目のアダマンタイト級冒険者としては受けざるを得なくなる。迷惑この上ない。
「確かに通常であれば野伏や盗賊がいるパーティに頼む内容なのだが、何せミスリル級パーティまで行方不明とあっては生半な戦力を送ってもかえって損失が増すだけ、そこで君達に頼みたいのだ。希望であれば野伏が在籍しているミスリル級のパーティを随伴させよう」
足手纏い、と言ってしまえればいっそ楽なのだが。そんな内心は窺わせず至極冷静な表情と声のままデミウルゴスは口を開いた。
「いえ、その必要はありません。我々だけで何とかいたしましょう。ただ我々は二人とも〈伝言〉が使えませんので定時連絡用に巻物を必要数支給して頂けると助かります。現地に到着したら定期的に連絡を入れさせて頂きます」
「分かった、用意しよう。準備にはどれ程かかるだろうか?」
「最初に金級冒険者が薬草採取に向かった地点が分かる地図と〈伝言〉の巻物さえご用意頂ければ、こちらの準備は出来ておりますので明日にでも発てます。金級冒険者達が行方知れずとなってから大分経っておりますから、そうのんびりもしていられないでしょうしね」
「分かった、大至急用意させよう。明日の朝取りに来てくれるだろうか」
「了解いたしました」
話が纏まり明日の朝出発となる。行方不明になってからの期間を考えても冒険者達がまだ生きているとは考えづらい、骨折り損のくたびれ儲けになる予感しかしない依頼ではあるがそれを理解してくれないセバスがいる以上は断りづらい。こちらに何の利益もないので断りたいなどという言い方は名声を高めようとしている以上出来ないのだから婉曲に断るしかないというのに、空気を読まないセバスがいる。忌々しい事この上ない。
さすがに腹に据えかねて宿の部屋に戻るなりデミウルゴスは常の優雅さに似合わずどかりと背凭れに深く背中を預けて椅子に掛け長い溜息をついた。
「全く君ときたら、こんな何の得もない依頼をどうして受けたがるのかね。これだけ時間が経っているのだ、木っ端冒険者共など全滅しているに決まっているだろう」
「まだ探してもいない内から全滅と言い切る事は出来ないかと思いますが、知恵者らしからぬ乱暴な言い様ではないですか?」
「消息を断ってから半月も経過しているんだ、脆弱な人間がまだ生きているなどと楽観的に考えられる方がどうかしていると思うがね。助けられる者がいない以上名声も上がらない、我々に何ら利益を齎さない依頼だ」
「どのような依頼にも全力であたる事によって信頼と実績が培われていくのではないですか? あなたは目先の利益の話しかしていないように思います」
「信頼と実績はそれなりのリターンのある依頼で培えばいいのだよ、こんな移動時間ばかりかかって実のない依頼を受けたがるとはお人好しにも限度というものがあるだろう。ゴミ屑のような下級冒険者でも君よりは仕事を選ぶのではないかな」
「最上級の冒険者なのですから他の冒険者では出来ない依頼を果たす社会的な責任と義務というものが我々には発生いたします。今回の依頼はまさにそのような依頼でしょうし受ける事は義務とも言えるのではないかと考えます」
「それは人間共の理屈だろう。我々には人類の守護者たるべきよりも優先すべき事があるのではないかね?」
「冒険者達を救い名声を高める事はナザリックを探す上でもマイナスにはならないかと存じますが」
「マイナスにはならないのはあくまでも助けられればの話だ。君の憶測は希望的観測に基づいたもので何も根拠がない」
「全滅しているというあなたの仰りようにも根拠はないのではないでしょうか」
「劣弱な人間が半月も飲まず食わずでいたらどうなると思う? 死んでいると考える方が自然だと思うが」
「まだ生きている者もいるかもしれません探し出してみない事には分からないでしょう。全ての希望を捨ててしまう程絶望的な状況とも思えませんし、そもそも――」
その調子で決着点の見えない言い合いは出発時刻になる朝まで続いた。お互いに深い溜息をついてデミウルゴスとセバスは冒険者組合に向かい地図と巻物を受け取りその足でテメルへと向かうべく北に進路をとった。
三日程歩き続けてテメルへと到着する。二人とも休息は必要としないのでそのまま山へ向かおうとしたが、途中でセバスが立ち止まった。
「馬車を借りていった方が良いかと考えます」
「これから山道だ、馬に合わせる必要も出てくるし邪魔になるのではないかな?」
「冒険者を救い出した時に運ぶ手段がないのでは困ります」
「また君の希望的観測か。無駄になるとは思うが、まあいいだろう。死体なり回収した装備を運ぶにも足が必要だろうしね」
呆れたように息をつきつつもデミウルゴスの方が折れ馬車を一台借り、細い山道へと進んでいく。金級冒険者達が薬草を採取しに行ったと思しき地点の近くまで道を進んでそこで馬車を木に繋いでおき、デミウルゴスが斥候の悪魔を召喚して冒険者達(の死体)を探すよう命令して放つ。
しばらくそのまま悪魔の帰りを待っていたが、やがてデミウルゴスが訝しげに首を傾げた。
「どうされたのですか?」
「……どうも妙な事が起こっているようだ。悪魔の意識が途絶えた。殺されてはいないようだから意識を失って無力化されたと考えるのが妥当だろうが……無力化出来るなら何故殺さない?」
「どこなのか地点は分かるので?」
「それは問題ない、向かうとしよう」
デミウルゴスの言葉に即座にセバスは頷き、二人は森へと分け入っていった。
斥候の悪魔が無力化されたという事は何らかの脅威があるのは間違いないが、殺されてはいないという事は差し迫った命の危険は近付いてもすぐにはないという事だろう。デミウルゴスとセバスをも無力化する危険性はないではないが悪魔が帰還出来ない状況である以上はこちらから出向いて確かめるしかない。対応できない場合はすぐに撤退だが毒や麻痺、移動阻害などの各種耐性を種族特性や装備で得ているデミウルゴスとセバスの動きを封じられるような脅威はユグドラシルでさえそうそう考えられなかったというのにましてやこの世界ではほぼないだろう。無論可能性はゼロではないが見極めない事には話にならない。そのまま二十分程も進むと目的の地点へと到達する。
そこには、妙なものが幾つも転がっていた。白い綿のようなものに包まれた成人男性ほどの大きさの塊が十程もあるだろうか。召喚した悪魔もその只中に転がっており、意識を失っているようだった。その奥に異様なものがあった。
一抱え程もありそうな巨大な白い綿に似た物体の表面には血の色をした雫のような模様が滴り無数に散らされている。何とも毒々しい見た目だった。これは一体何なのか、考えていると視界を覆わんばかりの粉が巨大な物体から舞い散らされた。
「成程、これは茸か何かで、近付くと胞子を撒き散らすようになっていて、それに麻痺毒の効果でもあるのだろうね。各種耐性のある我々には効果がないようだが。一部は証拠兼サンプルとして冒険者組合に持ち帰るとして後は焼き払ってしまおう。セバス、どこかの部分を取っておいてくれるかい、胞子が散らないように厳重に包んだ方がいいだろう」
「承知いたしました」
デミウルゴスが渡したナイフを受け取ってセバスは茸らしきものへと近付いていき、その一部をナイフで抉って革袋へと入れ厳重に縛りそれを更に別の革袋に入れた。
「さて、さっさと始末してしまおうか。〈獄炎の壁〉」
念には念を入れて徹底的に焼き払おうとセバスが離れたところで尚も胞子を吐き続ける茸に向かいデミウルゴスは獄炎の魔法を放った。灼熱に焼かれた茸は瞬時に焼け溶け、後には燻る煙だけが残った。
「……ということは、この転がっているのが冒険者だろうね。苗床にされたという訳か」
もう息はないだろうと考えているのでデミウルゴスは興味なさげにそう呟いたが、セバスは転がっている内の一つの前に屈み込み菌糸の膜を破っていく。やがて若い男の顔が現れ、顔を近づけ口元に手を当てたセバスがデミウルゴスを振り向く。
「まだ息があります、仮死状態に近いようですが体温もあります、このままだと危ないでしょうが……」
「ほう、それは良かったね。そこから助かるかどうかは私達の領分ではないだろう、神殿の神官にでも任せたまえ」
そのデミウルゴスの言葉には答えずセバスは次々に菌糸を破り冒険者達の息があるかを確認していった。金級冒険者と思しき者達は時間が経っている為衰弱が激しい様子だったがまだ息はあった。どうやらあの茸の寄生形態は仮死状態に近い状態にしてじわじわと生命力を吸い取っていくものだったらしく、行方知れずになってからこれだけ時間が経っているというのに驚く事に全員生きていた。応急処置としてセバスが気功で体力を回復させ馬車に運ぶ。元より興味のないデミウルゴスは馬車まで移動してセバスが冒険者を運び終わるのを待っていた。
そこからテメルの神殿へと冒険者達を運び、神官に後は任せる事になる。原因も究明したし冒険者達も助けたのだからもうプラートへ帰ってもいいだろうとデミウルゴスは考えていたのだが、冒険者達の安否を見届けますとセバスが言い張るので結局付き合わされた。根を張った菌糸が治癒魔法で消えるものなのかは少しだけ興味があったが冒険者の命などどうでもいい、命が助かろうが助かるまいが救助したという事実は作ったのだから安否など見届ける必要はないというのにセバスにも困ったものである。
冒険者達は無事に助かった。治癒魔法を受けて意識も取り戻し後は衰弱した体力を回復させるだけとなったので療養はテメルの神殿で行う事になった。ここまで確認したのだからもう十分だろうといい加減ぶち切れてしまいそうな堪忍袋の緒をどうにか宥めつつデミウルゴスは半ば強引にプラートへと戻る事にした。
結論から言えば今回の依頼は受けて正解だった。単に運が良かっただけとしかデミウルゴスには思えないが結果として冒険者の命は救う事が出来たし、それによって貴重な高位冒険者の命を多く救った英雄に堕落の果実の名声は高められた。セバスの思惑通りに事が運んでしまったのは非常に面白くないのだが結果としては良かったと認めざるを得ない。
「情けは人の為ならずと申します。利益か不利益かだけで判断されるあなたには分からないかもしれませんが、巡り巡って己の為となる事もあるのです。急がば回れ、とも申しますね」
「君はつくづく一言多い男だね。今回はたまたま上手くいっただけでいつもこうとは限らない、出来る限り確実な方法を選んだ方が目的には早く到達出来ると思うのだが?」
「そのようなやり方では人々の信頼を勝ち得る事は出来ないでしょう、英雄は時に見返りのない危険にも人を思い身を投じるもの、英雄という評価を得ようとするならばこういった依頼も積極的に受けるべきではないでしょうか」
「人の心などすぐ移ろうもの、そんな不確実な要素を当てにするよりは確実に利益の出るやり方を選ぶべきだと言っているんだよ、君も分からない男だね。十分な根回しをした上で誰も文句の付けようがない数で実績を示す方が確実だとは思わないのかい」
「分かっていないのはあなたの方では? 心は移ろいますが不変のものもあります、人々が忘れられないだけの偉業を成せばあなたの言う確実さも担保されるのではないですか?」
「その偉業を成すのに毎回こんな不確定要素ばかりの依頼をやらされるのではたまったものではない。分かっていないのはどう考えても君だね、我々は一刻も早くナザリックへ帰還するという目的があるというのにそんな寄り道ばかりに時間を取られては困ると言っているんだ」
「人の心を掴もうとするならばこのような依頼は遠回りではなく近道であると考えます、それがあなたには分かっていないようですが軍略を考える上で人の心という不確定要素も重要なものでしょう、それでナザリックの防衛指揮官が務まるとはとても思えませんね」
「人の心を把握していないとは誰も言っていないだろう、そんな不確実なものを当てにするべきではないと言っているだけだ。今回はたまたま上手くいっただけの結果論でそこまで言われては私も黙っていられないが、君はそもそも自分が甘すぎるという自覚が足りないのではないかね? 今回だって助けて利益があるかどうかではなく下らない人間共を助けたいという甘さで引き受けたものだろう、ナザリックへ帰還する為に為すべき事についてもっと考えて貰わなくては困るのだが。そもそも今回は冒険者共が生きている可能性の方が少なかったというのに――」
セバスの甘さも役に立たない訳ではないし時には大きな結果を生むのだと思い知らされながらも、それでもそんな不確実な手法を認めることの出来ないデミウルゴスは結局その日も夜中ずっと実りのない言い合いに時間を費やす事となった。
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