建国式典騒動

 そしてやってきた建国記念式典の当日、ネイアは従者として参列していた。セバスは後方で警戒に当たっている。何かあればすぐに駆け付けますので、と微笑んでくれたセバスの声は穏やかで、これから従者としての務めを果たさなければならないというのにネイアの心はすっかり緩んでしまった。いけない、と思い直して前を向く。聖騎士の端くれにでも確かに名を連ねている従者として女王始め王族の方々をお守りするという大事な仕事がネイアにはある。これから女王が狙われると知っているのだから尚更気を抜いている場合ではない。
 ケラルト・カストディオならば然るべき手段を講じて暗殺を防ぐのだろうという事はネイアにも大体の想像は付いたが、それでも万一ということもある。ケラルト様の智謀は知れ渡っているけれども、人なのだから漏れだってあるかもしれない。それにデミウルゴスの動きが全く予想が付かない。セバスをネイアの護衛に付けたままでどうやって女王暗殺阻止に貢献するつもりなのだろう。
 普段は閲兵などを行う広場は本日限り入城を許された老若男女を問わない平民で溢れている。ローブルの至宝と名高い女王、カルカ・ベサーレスの玉容を一目見ようと会場の空気は期待に満ち溢れていた。女王はその美貌と慈愛に溢れた人柄から国民からの人気は高い。優しさからくる甘さ故に強い政策に出られない女王を八方美人と揶揄する声もないではないが、仲の悪い北と南の貴族を取り纏め大きな瑕疵もなく平穏に国を治めていらっしゃる立派な方だとネイアは思う。聖王国がこうして平和なのは、間違いなく女王の力あってのものだ。
 そんな女王を、長子を差し置いて女が王になるなど認められないとか権益の邪魔になるとかそんな理由で暗殺しようとしているならば許し難い事だとネイアは思った。暗殺の理由は分からないけれどもその行為は聖王国の平和を間違いなく乱すものだ。
 女王の警護は近衛兵団と聖騎士が固め万全の体制が取られているが、国民に顔を見せ語り掛ける為に広場で演台に立つ間はどうしても無防備になってしまう。無論レメディオスとイサンドロという聖騎士団の中でも選りすぐりの強者である九色を頂く二人がすぐ脇に控えているのだから並の暗殺者など不意すら付けず太刀打ちも出来ないだろうが、二人でも対応不能な方法で暗殺を仕掛けてくる可能性もある。これから先は何が起こるか分からない、大した力もない従者とはいえネイアも己の務めを十全に果たさなくてはならない。
 式典は滞りなく進んでいく。大貴族の挨拶、楽隊の演奏、この日の為に練習を積んできた子供達の舞踊など、昨日のリハーサル通りに何の問題もなく進行している。街では騎士団によるパレードが行われて城に入り切らなかった市民たちの目を楽しませている筈である。
 式典は進み、やがてレメディオスとイサンドロを従えた女王が城内から姿を現すと会場内は大いに沸いた。従者になる時の式でしかネイアは間近で見たことはないが遠目にも女王の天使の如き佳容は際立っていた。女性として勿論憧れるのだがそれよりも天から与えられた女王の美は女王になることを約束されていたが故のように思われてこの方こそがやはり聖王国を導くのに相応しいお方なのだとネイアは改めて思った。
 女王からの挨拶の段になり、女王が演台へと上がり両脇を二人の九色が固める。広場から歓声が上がったその時、異変が起こった。
 王城の周囲を囲むように、突然真紅の炎の壁のようなものが天高く噴き上がった。広場を包んだ歓声は瞬時に悲鳴へと変わり、そして時計台の方角から何かが飛来してくる。
 それは、翼持つ悪魔の群れだった。悪魔達は広場の上で止まり、その中でも取り分け巨大で燃え盛る翼とやはり燃え盛る尾を持つ筋骨隆々たる悪魔が眼下を睥睨する。
「我が名は大悪魔アモン! この国の女王を殺害せんとする愚かなる人間に召喚されたが、誇り高き大悪魔たる我が人間如き劣等種に膝を屈すると思ってか! 貴様等人間共には、甘美なる恐怖と絶望を与えてやろう。そう、抗いがたい死を! さあ悪魔達よ、行くがよい、獲物が山を成しておるわ!」
 号令に従い悪魔達は広場へ向かい滑空してくる。混乱と恐慌の坩堝と化した広場に一筋の檄が飛んだ。
「落ち着け! 聖騎士団、五番隊と従者は市民たちの避難誘導、四番隊は女王と王城の警護に回れ! 一番隊から三番隊は悪魔の迎撃に当たるぞ! イサンドロは四番隊と共に女王を安全な場所までお連れしろ!」
 聖剣サファルリシアを既に抜き放ち構えたレメディオスの鋭く通る声による指示で聖騎士団が一斉に動き出す。ネイアも指示に従い市民たちを安全に逃がすべく仲間達と共に門の方へと駆け出した。
 えっ、暗殺だよね? 何で悪魔がこんなに出てくるの? という疑問はとりあえず胸の内にしまっておくしかない。危機は目前に迫っている、罪もない市民達の命が危ないのだ。
「落ち着いて下さい、急がず押さないで、指示に従って! 門の方へと、ゆっくり移動して下さい!」
 聖騎士が市民を誘導し、従者がそれをサポートする。悪魔がこちらへと来ないか気を張りつつネイアも門へと市民を誘導するが、悪魔達はレメディオス率いる迎撃部隊へと一目散に向かっていき市民達へと迫ってくる様子はなかった。
 そんな中、誰の仕業か突然門が閉じた。逃げ場を失った市民達はパニック状態に陥り聖騎士や従者がどれだけ声を掛けても抑え難い混乱が生じる。ケケケケ、と耳触りな高い笑い声を上げながら門の向こうから悪魔がやって来て市民達の前へと降り立つ。この悪魔が門を閉じたのだろう。
 そんな混乱の中、目立たぬ木陰に転移してきた影があった。広場の混乱をフードの奥から冷たく見つめるデミウルゴスをセバスは苦々しげに見つめた。

***

 時は少し遡る。
 身支度を整えた暗殺者は棲家を出ようとしていた。今日は彼の人生でも一番大きいといえる仕事の日だ、準備は抜かりなく行った。後は狙撃地点に行き、女王が出てくるまで待機するだけだ。使う道具は使い捨てられるように新規に調達して狙撃地点に運び込んであるので手ぶらで行ける。既に前金は受け取ってあり、更に成功すれば成功報酬金貨五千枚の仕事だ。混乱に乗じて他国に逃げても一生遊んで暮らせる金額が手に入る。この仕事をこなせるのは聖王国広しといえども自分だけだろうという自負もある。やってやる、という意気込みが強く暗殺者の胸に湧き上がり、出入り口のドアへと足を踏み出したその時だった。
 眼前に突然ローブ姿の男が現れた。本当に突然、湧いて出たのだ。
「さあ、あなたの人生最後の舞台へご招待いたしましょう。〈上位転移グレーター・テレポーテーション〉」
 暗殺者の肩に手を置き、驚くほどするりと心に染み入ってくる、いつまでも聞いていたいような蠱惑的な声で男はそう告げた。瞬間、視界は薄暗く切り替わった。男と暗殺者は暗殺者の知らない場所へと転移していた。
 ここはどこかの部屋の中なのだろうか、暗殺者はすっかり混乱しきって目の前の光景から目が離せなくなっていた。肩から手を離した男がどけると、その向こうには巌の如き体躯に禍々しい顔を憤怒で染め、翼に焔を纏った――悪魔がいた。悪魔は何かの血で描かれたと思しき魔法陣の上に立っていた。
「やりなさい」
 男が告げると全てを心得たように悪魔は巨木のような太い腕を振り上げ、次の瞬間にはその拳は暗殺者の胴を突き破っていた。細かく千切れた臓物と血が辺りにぶち撒けられる。そんな状態になっても暗殺者はまだ死ねずにいた。悪魔の腕が抜かれ地面に放り出されても息のあるまま、一体何が起こって自分に何が起きたのかを把握しきれずに混乱から抜け出せずにいた。
「何が起こっているか不思議でしょうから教えてあげます。あなたにはここで悪魔召喚を行い召喚した悪魔に殺された事になってもらうのですよ。ああ、最高ですねその表情、その目。こんなにすんなりと死なせてやるのは勿体ないですが、回復手段がないですから仕方がありません。そう、あなたはこれから死にます。どんな気持ちですか? これから死ぬというのは」
 カヒューカヒューと浅く荒い息を繰り返していた暗殺者の喉からごふりと血の塊が吐き出され、床が血で染まる。痛いという感覚すらもう分からない、今はただ寒い。生きていくのに必要なものがごっそりと体から失われた感覚がする。首すら動かせず、どうにか眼球を動かして暗殺者はローブの男を見た。
 そこには、死に行く弱者の哀れな姿を愉悦をもって観察する「悪魔」がいた。
 俺は、魅入られていたのか、いつの間に――……。それが暗殺者の最後の思考になった。
 暗殺者の瞳から生命の光が失われたのを確認するとデミウルゴスは大して面白くもなさそうに息をつき、入手してあった密書を暗殺者の腰のポーチに紛れ込ませた。
「さて、仕込みはこれでいいでしょう。後はゲヘナの炎の発動と共にあなた方が派手に登場するだけです」
 時計台の中にある使われていない一室をデミウルゴスは悪魔召喚の舞台に選んだ。整備の為にしか人が訪れず、王宮に程近く高さもあり悪魔の登場には丁度いい。特殊技能スキルを目一杯まで使い召喚した悪魔達に向かいデミウルゴスは言葉を発する。
「作戦を確認します。あなた方は王宮の閲兵広場に赴き聖騎士と戦うこと。多少の怪我はやむを得ませんが死者を出すことは厳禁、既に指示を与えている一体を除き聖騎士以外の一般市民への手出しは無用です。あなたは……そうですね、大悪魔アモンとでも名乗りなさい。あなた方は女王暗殺の為にそこの暗殺者に召喚されたが人間如きには支配されずに逆に殺し王都を混乱の渦に陥れる為に来た、という設定です。そこのところを愚かな人間共にも分かるようによく説明するように。セバスの報告が正しければ鱗の悪魔スケイル・デーモンとレメディオス・カストディオはいい勝負になるでしょう。鱗の悪魔スケイル・デーモンが敗れたらあなたが出ていって力の差というものを少し見せてやりなさい。但し〈炎のオーラ〉は切っておくように、彼女や他の聖騎士に死なれたら困りますから。その後セバスが出てくる手筈になっています。セバスがあなたに負ける……という事はまず有り得ないでしょうが、魔法を使わないという制限以外は殺す気でやって構いません。手を抜いているように見えては困りますからね」
 憤怒の魔将イビルロード・ラースに向かいデミウルゴスはそう説明する。憤怒の魔将イビルロード・ラースが魔法まで使って本気で戦ったらこの王都ホバンスなどたちまち焦土と化してしまう、それはさすがにまずい。この国最強のレメディオス・カストディオでも到底太刀打ち出来ない強大な悪魔であると認識されればあくまでそれでいいのだ。
 この部屋が発見される準備も万端整っている。動物の血で描いた魔法陣、怪しげな魔術書、儀式に使うマジックアイテムの数々等を準備してある。暗殺者が元々使う予定だった狙撃地点に用意されていた弓矢等女王暗殺に結びつく一切の物も昨夜の内に処分済みだ。ケラルト・カストディオが狙撃地点になる筈だった場所を洗っても何も出てきはしない。
「では、行きますよ」
 そう告げると確認を取らずにデミウルゴスは歩き出した。確認など取らなくても召喚した悪魔はデミウルゴスに絶対服従、着いて来ない事など有り得ない。時計塔の最上部、王都を見渡せる場所にまで上がるとようやくデミウルゴスは立ち止まり後ろを顧みた。
「ゲヘナの炎を合図に侵攻を始めなさい、くれぐれも失敗のないように。〈上位転移グレーター・テレポーテーション〉」
 ローブを脱ぐとそう告げて返事も聞かずにデミウルゴスは再び転移で移動した。転移先は王宮上空、ここで式典の進行を観察しゲヘナの炎発動のタイミングを見計らう。皮膜の翼を展開し上空から眼下を見下ろす。さながら人が地を這いずる虫だ。死人を出してはいけないというのが返す返すも惜しい。
 さて、セバスは指示通りにきちんと動いてくれるものか。作戦の成否はそれのみに掛かっていると言っても過言ではない。デミウルゴスの策に乗るのはセバスにとっては面白くはないだろうがレメディオスを圧倒する悪魔、しかも魔将と戦わないでいる理由もないだろうから大丈夫と思いたいところだ。セバスはデミウルゴスを信用していない、レメディオスが殺されても不思議ではないと考える筈だ。そう思わせる為に全体の総数を減らしてまで圧倒的な力の差のある魔将をわざわざ召喚した、デミウルゴスが本気だとセバスには思って貰わなくては困るのだ。
 観客達が満足して拍手喝采してくれるような迫力のある戦闘が展開されるといいのですが。
 これでゲヘナの炎が発動すると同時に一天俄かに掻き曇る演出でも出来るよう〈天候操作コントロール・ウェザー〉が使える者がいれば完璧だったのだが、と手駒が不十分な事をデミウルゴスは実に残念に思った。

***

 この悪魔は強い、出会い頭の棍棒の一振りを躱してレメディオスは眼前の悪魔の実力を直感した。悪魔は山羊の頭蓋骨のような頭で鱗に覆われた体躯、長い尻尾と蝙蝠のような翼を持っている。この悪魔には生半な者が当たっても対抗できない、最低でもイサンドロクラスの実力が必要だろうが彼女は今女王を安全な場所に避難させている。ならば自分が一人で引き受けるしかない、というのがレメディオスの下した判断だった。
「この悪魔は強い、私一人で抑える! 集中するからグスターボ、指揮を任せる!」
「了解しました!」
 グスターボの返事を聞いてレメディオスは駆け出し、悪魔と一気に間合いを詰めた。下段から斬り上げたサファルリシアの白刃が煌めき光の尾を引く。その一閃は悪魔の鱗を僅かに裂くに留まるがそれで構わない、棍棒を持つ手首を狙い袈裟懸けに剣を振り抜く。その狙いは悪魔に読まれていたようで棍棒に阻まれるが、弾かれた剣を膂力で無理矢理振り抜いて空いた脇を狙い横薙ぎを放つ。
 悪魔達は数こそそう多くないものの、並の聖騎士が最低三人がかりでなくては対抗出来ない強さを持っていた。故に白熱する団長と悪魔の戦いを目に出来た者はそう多くはないのだが、指揮を執らねばならないグスターボは横で繰り広げられる超級の戦いについ目を奪われていた。
 そんな戦いなど目に入れる余裕の全くない者もいた。ネイアである。他の悪魔は何故か聖騎士にしか向かっていかないが、門を閉めた悪魔は狙いを市民達に定めたようだった。キキキ、と耳触りな笑い声を上げて人々が怯える様子を楽しんでいるようだった。ネイアも他の従者達も剣を抜き威嚇するが、聖騎士が三人がかりでようやく戦える相手だ、従者ではまともな戦いは覚束ない。市民を誘導していた聖騎士達はパニックになった市民達を抑えるのに手一杯でこちらに向かって来られない。
 じりじりと焦れるような時間が過ぎていき、ついに悪魔が腕を振り上げ市民を守る従者達に向かって一歩を踏み出そうとしたその時だった。
 風、としか認識できなかった。一陣の疾風が吹き抜け、次の刹那には拳を振り抜いたセバスと霧散する悪魔の姿があった。
「……セバスさん!」
 思わずネイアは叫んでいた。拳を下ろすとセバスはネイアを見やり、にこりと微笑んだ。
「バラハ嬢に危害が及ぶ危険がございましたので、余計かとは思いましたが加勢させて頂きました。罪のない市民の皆様方に被害が及ぶのもわたくしの望むところではございません。それに……」
「……それに?」
「わたくしの力が必要となる時が、もうじき来るかもしれませんので」
 静かにそう告げて、セバスは空を見上げ未だ降りてこない大悪魔アモン――を名乗る憤怒の魔将イビルロード・ラースを鋭い目付きで見据えた。
 正直な所憤怒したいのはこちらの方だ、とセバスは思った。デミウルゴスは一体何を考えているのか。憤怒の魔将イビルロード・ラースはレベル八十台の悪魔、レメディオスを始めとする聖騎士達の敵としてはどう考えても強すぎる。死者は出さないし怪我人についても出さないよう努力するという言質は取っているものの、デミウルゴスをセバスは信用していない。この場にいるデミウルゴスとセバス以外の全員を皆殺しにする事など憤怒の魔将イビルロード・ラースにとっては赤子の手を捻るより容易い。レメディオスが対抗できない以上セバスが出るしかないのだ。
 デミウルゴスがセバスをいくら嫌っているとはいえまさか憤怒の魔将イビルロード・ラースに全力を出させて戦わせたりはしないと信じたいところだがそれも分からない。〈隕石落下メテオフォール〉でも使われようものならセバスは大丈夫でも首都が滅ぶし、直接攻撃主体の能力構成とはいえ高位悪魔らしく高位階の魔法も使える憤怒の魔将イビルロード・ラースに〈上位転移グレーター・テレポーテーション〉を駆使した魔法攻撃中心の戦術を取られたら厄介だ、周囲への甚大な被害は避けられない。言質を取っているのだからそんな事はしてこないと信じたいがデミウルゴスを信じ切ることはセバスには出来ない。デミウルゴスならば嫌がらせ程度の軽い気持ちでやりかねないのが恐ろしいところだ。
 デミウルゴスにとって人の命など玩具に出来なければ利用価値があればいいところ盤上の駒、利用価値もなく悪くすればただの数字に過ぎない。ここに集まった民衆や聖騎士達はセバスの活躍を見て語り広げる生き証人、という利用価値はある、とは思うものの安心しきることがセバスには出来ない。
 苦戦しながらも聖騎士達はどうにか悪魔の群れを撃退しつつあった。そうなるように丁度いい強さの悪魔をデミウルゴスが用意したのだろう。ここまでは多少の怪我はあるようだがセバスの希望通り死者なく事態は推移している。
「てやーっ!」
 迅雷風裂、英雄の領域に達したレメディオスの繰り出した鋭い突きが鱗の悪魔スケイル・デーモンの胸に深々と突き刺さる。それが必殺の一撃となり鱗の悪魔スケイル・デーモンは黒い粒子となって霧散していった。
 うおおっ! と勝鬨の声が聖騎士団から上がる。だがレメディオスは構えを解かずに上空を鋭く睨み付けた。
「貴様の配下は片付けたぞ、降りてこい、大悪魔アモンとやら!」
「ほう、我に挑むか、命知らずなことよ。いいだろう、その顔が絶望に歪む様もまた良き供物となろう」
 ゆっくりと、時間をかけて大悪魔アモンは閲兵広場へと降り立った。こいつはやばい、という事が見ただけでレメディオスには分かるし他の者にだってはっきりと分かっているだろう。この悪魔は桁が違いすぎる。大悪魔を自称するだけの力は恐らく確実に持っている。出し惜しみなどしていられない、最初の一撃から全力のものを叩き込むことをレメディオスは決意した。
 駆け出し一気に距離を詰め。
「魔界に還れ、悪魔!」
 繰り出した突きに聖撃を流し込み、聖剣サファルリシアの一日に一度しか使えない切り札の能力を起動する。剣から伸びる光は刀身の二倍の長さにもなり、眩しい閃光を放つ。この光は属性が悪に傾いていればいるほど眩しく見える。思った通り大悪魔アモンも恐らくは眩しさのあまりに目の辺りを腕で覆った。がら空きになった胸に、聖なる力の流れ込んだ突きが突き立つ。
 筈だった。
 サファルリシアの刀身は悪魔の体表を覆う鱗に遮られ進もうとしない。聖なる光自体も属性が悪の者に対しては攻撃力を発揮する筈だが、目の前の悪魔は痛痒すら感じている様子はなかった。
「それで、終わりか?」
「……!」
 悪魔の言葉通りに己の顔が絶望で歪むのをはっきりとレメディオスは感じた。レメディオスが使える最強の攻撃は、この悪魔に何のダメージも与えなかった。聖なる力に弱い筈の悪魔が、聖剣の力による攻撃を受けても顧みる価値などないと言いたげに平気そうにしている。
 無造作にアモンは腕を振るった。それに吹き飛ばされレメディオスはごろごろと転がり、すぐ立ち上がったもののそこから動けなくなった。ただ斬りかかったとして攻撃が効くとはとても思えない。あの強大な力を持つ悪魔と戦える者などこの場には――
 その時、レメディオスとアモンの間に立つ者があった。あの白髪とマント姿にはレメディオスも見覚えがある。確か、アダマンタイト級冒険者の、セバスとか言っていた。従者ネイアの護衛でここにいたのだろう。いくらアダマンタイト級とはいえ自分の攻撃を楊枝で刺した程にも感じていなかったアモンと渡り合える力があるとは思えなかった。
「やめろ、死ぬぞ!」
「ご安心を。この程度の悪魔に敗れるわたくしではございません。業腹ですが、乗るしかないようですね!」
 前半はレメディオスを顧みてうっすらと笑みを浮かべ言葉を掛け、後半は前に向き直って心から不愉快そうにセバスは吐き捨てた。
 即座に間合いを詰め正拳突きを放つ。憤怒の魔将イビルロード・ラースは両腕でガードするがこじ開けるように拳を上に流し、空いた隙間に再度正拳突き、だがこれは浅い。左から襲い来た憤怒の魔将イビルロード・ラースの拳をいなし、更に間合いを詰めて脇腹に蹴りを叩き込もうとするが尾に阻まれる。尾を軸にして首に回し蹴りを叩き込み、即座に姿勢を戻して憤怒の魔将イビルロード・ラースの拳を受け流し、腹に重い一撃を喰らわせる。
 セバス優位の攻防を、大悪魔アモンの力の一端を身を以て感じたレメディオスはただ呆然と見つめ眺めていた。何も言葉が出てこない。己の想像を超えた領域で行われる戦いが眼前で繰り広げられていた。
「ご心配なさらずとも、あの程度の悪魔にセバスが敗れるような事は決してございませんからご安心下さい」
 声を掛けられ横を見ると、いつの間に立っていたのか眼鏡をかけた魔法詠唱者マジックキャスターが立っていた。
「……何者だ」
「失礼、自己紹介がまだでしたね。わたくしアダマンタイト級冒険者チーム堕落の果実のデミウルゴスと申します、セバスのチームメイトです」
「……お前は、戦わないのか?」
「残念ながらわたくし炎属性のエレメンタリストでして、あの悪魔にはわたくしの魔法は通用しないかと」
 それでもチームメイトならば少しでも何か助けようとするものではないか、とレメディオスは思ったが、詳しくは知らないもののエレメンタリストとはある属性の魔法に特化した魔法詠唱者マジックキャスターであるという事は一応知っていたので納得はしきれないながらも流すことにした。それよりも今は目の前の戦いを見逃したくない。
「一つお伺いしたいのですが、先程の非常に眩しい光、あれは聖剣の力ですか?」
「そうだ。聖剣サファルリシアに備わる一日に一度使える聖撃を強化する力だ。質問はそれだけか?」
「はい、ありがとうございます。お邪魔でしたか」
「そうだな、目の前の戦いを見ることに集中したい」
「それは失礼いたしました。もうお邪魔はいたしませんのでどうぞごゆっくり」
 にっこりと満足そうに微笑んでそれきりデミウルゴスは口を閉ざした。どうやら面白い見世物になっているようなので終わったら主演のセバスにはお疲れ様の一言くらいは掛けてもいいかもしれないと上機嫌に考える。聖剣サファルリシアの切り札が魔将相手にはまるで効かないのが確認できたのも上首尾だ。
 対称的にセバスは非常に不機嫌だった。デミウルゴスの書いた脚本にまんまと乗せられて戦わされている己も腹立たしいが、何より腹立たしいのは全ての元凶・デミウルゴスだ。内々に穏便に解決できるであったろう話をあの男がこんなに大事にして挙げ句の果てにこの出来試合である。憤怒の魔将イビルロード・ラースの攻撃が全て本気であるのは感じ取れるが魔法は使ってこないところをみると制限されているのだろう。魔法や特殊技能スキルを使われていたら人目がある為竜人形態を取れず力の制限されたセバスはもう少し苦戦している。
 そうして得られるのは、聖王国最強の聖騎士でも傷一つ付けられない悪魔をセバスが倒したという事実とそれによる名声だ。成程名声を高めるにはもってこいのいい手だろう。だがその手段が気に食わないと心からセバスは思った。自作自演、やらせのでっち上げだ。こんなやり方はセバスには到底許容できない。己も譲歩が必要だからと了承はしたが、正直こんな大掛かりな舞台で大事にするとは思っていなかったし魔将を呼ぶなど聞いてもいない。いつもこうだ、デミウルゴスは一つの了承を取り付ければ後から百は付け足してきて、君が了承したんだろうといけしゃあしゃあと言うのだ。
「こんな! 三文芝居に! 付き合うわたくしの! 気持ちが分かりますか! あなたに!」
 叫びに合わせて拳を叩き込む。憤怒の魔将イビルロード・ラースとて三文芝居に付き合わされているいわば仲間だが、激情を叩き付ける相手が今セバスの前にはこの悪魔しかいなかった。本当は元凶であるデミウルゴスに叩きつけられれば一番いいのだろうが、いくら嫌いとはいってもナザリックの仲間とナザリックの名を汚した訳でもないのに戦うのは憚られる。だが、もしデミウルゴスがナザリックの名を汚す行いをしたなら自分が討伐を買って出ようとセバスは固く決意した。智に優れ上手く立ち回り人一倍忠誠心の篤いあの男に限ってそんな事は有り得ないというのが悩みの種だが。
 最早趨勢は決していた。格闘戦で遅れを取るようなセバスではない、まして魔将相手に負ける筈がない。ならばせめてもの情けと、拳に気を込め渾身の一撃を叩き込む。拳は憤怒の魔将イビルロード・ラースの強固な鱗を突き破り、心臓を抉って潰していた。
「本気の……戦いが出来た事……嬉しく思うぞ、人間の冒険者……」
 最後まで憤怒の魔将イビルロード・ラースは役者を押し通した。満足気な声を残して身体は黒い塵へと還っていき、後には何も残らなかった。デミウルゴスが解除したのだろう、王城を中心に展開されていたゲヘナの炎も消え去る。
「セバス様!」
 陽光差し込む閲兵広場をネイアが駆けてくる。ネイアもこんな猿芝居に付き合わせてしまったと思うと申し訳なくなりセバスは笑えなかった。
「セバス様……セバス様が、正義だったんですね」
「はて、わたくしが正義、何故そのような事を?」
「どんな小さな事でも誰かが困っていればお助けになる誰よりも正しい心、そしてそれを為す強さ、どちらもお持ちのあなたが正義でなくて他の誰が正義でしょう」
 ネイアの言葉に寂寥感が去来してセバスはゆっくりと横に首を振った。ネイアが見ているものは影に過ぎない。今ではもう失われてしまったものの残滓に過ぎない。
「日々目指してはおりますが、わたくしなど正義を名乗るのも烏滸がましいことです。わたくしが知る限り完全なる正義を行っていた方はただ一人。わたくしの主人……だった方です」
 失われ、今はもう戻らないもの。それを思いセバスは微笑んだ。お元気で、と言い置いて歩き出し、高みの見物を決め込んでいたデミウルゴスの元へと向かう。
「このような猿芝居には今後一切関わりませんので重々ご承知おき下さい」
「散々な言い様だが、君の働きで我々の名声は否が応にも高まるのだよ? もう少し喜んでもいいと思うのだがね」
「手段が問題です。自作自演ではないですか」
「それの何が問題なのか分からないね。重要なのは結果だろう? それに何も火のない所に煙を起こした訳ではない」
「事態を大きくしすぎです」
「舞台は派手な方が宣伝効果が高まるだろう? 観客だって多い方がいい」
「そんな事をしなくても冒険者の依頼で名声は高められます。噂に聞く蒼の薔薇のように伝説の武具など探し当てればよいではないですか」
「それも悪くはないだろうが、今回はお誂え向きな好機を君が・・・・・・・・・・・・・・・・・・運んできてくれたのでね。情報を集めたら更に名声を高める手段についても検討するとしよう。勿論君が嫌がらないものを考えるつもりだ」
「……自作自演はもうやめて下さい」
「それは状況次第だ、約束はできかねるね」
 そうして堕落の果実は宿へと帰っていき、悪魔達がやって来た時計塔を調べた者達が怪しげな魔法陣と惨殺死体を発見して悪魔の発言の裏付けが取れひとまず王都を震撼させた悪魔騒動は決着が着いた。完全に裏をかかれたケラルト・カストディオが一人首を捻るが犯人の死体から発見された密書で首謀者も割れている。暗殺者は邪教の崇拝者などではなく長弓使いだし、仮にも女王を暗殺しようという者がそんな書状を持ち歩くだろうかというのもまたケラルトに不審を抱かせる一因ではあったのだが、証拠も不自然な程綺麗に揃っているし実際に悪魔が聖騎士団と戦っている。可哀想なのはしてもいない悪魔召喚の罪を被る羽目になった首謀者の貴族で、女王暗殺未遂と邪教崇拝と王都擾乱の罪によってケラルトによって三族皆殺しの目に合ったのだった。

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