5
翌日、日中の政務時間が終了した後アインズはナザリックへと戻った。
エ・ランテルで面会する予定を立てかけてナザリックに自分が戻ることにしたのは、アルベドがもし入ってきたら話がややこしくなりそうだ、とふと思ったからだった。通常の政務は終了しているが、何か用件があるなら夜間の面会も特に制限はしていない。下の者の手本となるようしっかり休むように事あるごとに言っているためかアルベドはよほどの用件でなければ夜間にアインズに会いにくるようなことはないが、もしデミウルゴスへの対抗心からの提案だったとしたならアルベドが話を聞けば確実にややこしくなる。あくまで意向の確認をして検討材料とするのがアインズの今回の目的なので今の段階でややこしい話はしたくない。元々アルベドとデミウルゴスの間では基本的な考え方の違いは最初からあったが、最近意見の大きな相違が度々見られてあわや一触即発でたまたま居合わせたルプスレギナが生きた心地がしていないような顔をする事態にまでなっている。アインズだって相当ヒヤヒヤさせられた。一歩間違えばあの二人は間違いなく殺し合いをしていた気がする位には険悪だった。あの二人の殺し合いに巻き込まれたらルプスレギナはほぼ確実に死ぬしかないのだから生きた心地がしないのは当然だろう。
ああいう時って古式ゆかしい少女漫画の台詞ではないが、「やめて、私の為に喧嘩しないで!」とか言えばよかったのかな、とか馬鹿な考えが浮かぶが、それではどう考えても解決しなかった気もする。そもそもそういう台詞が登場する少女漫画でも多分喧嘩しなかった例などないだろう。
実際に死ぬわけでもないのにアインズが死んだり負けたりという形を取るだけでも異様なほどの拒否反応を見せるアルベドには正直アインズは困り果てている。アインズ自身は実際に死ぬのではなく、敵の情報を得られるとか今回の聖王国のように偽装をする目的や必要があるなど、何かリターンが得られるならば負けることなど何とも思わない。悔しく思わないと言い切れば嘘にはなるかもしれないが、最終的に勝てばそれでいい。その辺りはデミウルゴスも(同一ではないだろうが)近い考えを持っているような感じを受けている。
だからあの時アルベドがウルベルトさんの名前を出してまでデミウルゴスの忠誠心に疑いをかけて喧嘩を売った理由がアインズには本当に分からない。自らの創造主を引き合いに出されてアインズへの忠誠心を疑うなんて事をされればナザリックのNPCならデミウルゴスでなくても誰でも怒るだろう。微妙な気持ちを抱かざるを得ないが、現在忠誠を誓っているアインズよりも自身の創造主の方により強い気持ちを抱いているようだというのはどうやら事実だし無理からぬことでもある。だがだからといって創造主以外のギルドメンバーに対するNPCの敬意や忠誠も嘘というわけではない。NPCが創造主を優先順位の一番上に置くことについてアインズはそれが当然だと思うし何か介入する気は一切ないのだ。
あの状況でアルベドとデミウルゴスが決裂して殺し合いを始めたとして、誰が一体得をするというのだろう。アルベド自身を含めて得をする者など誰も存在しない。どこまでも無意味な諍いとしか言いようがない。アルベドがアインズに関して極端なのはまず間違いなく設定改竄のせいなのだろうからアインズの責任といえばそうなのだが、正直な話もっと冷静になってほしい。アルベドのあのアインズに関する思い込みの激しさは本来の彼女の知性が順当に発揮されるのを多くの場面で妨げている気しかしていない。恋は盲目とはいうけれども、必要な時は冷静になってくれないとアインズは困るのだし、アルベドだってアインズが困ることを望んではいないと思うのだが一体どうすればいいのか。
どうせアインズよりタブラさんの方が上だと思ってるんだろう、とか指摘されたらアルベドだって否定しきれなくて嫌な気持ちになるだろうになぁ、と思うもののアルベドはそもそも最上位NPCの守護者統括として上からものを言う傾向がある。それが必要な場合もあるし守護者統括としての威厳を守る為に必要な部分もあるだろうが、だからといって言っていい事と悪い事は考えてくれないかなぁと思わなくもない。いやアルベドであればアインズ以上に様々な事を考えていそうなのだが、あれはどうもわざわざ自分から地雷を踏みに行ってナザリックにとっては何ら利益のないどこまでも無意味な諍いを引き起こそうとしていた気がしなくもない。相手がデミウルゴスではなく例えば血の気の多いシャルティアなら確実に即殺し合い開始だ。簡単に想像できてない筈の胃が痛んでくる気がする。
正妃争いのようなじゃれ合いの喧嘩であれば多少は構わないがあんな致命的な事をわざと言わなくてもよかろうに、思い出すだけで溜息が漏れる。ギルドメンバーと彼らと共に作り上げたアインズ・ウール・ゴウンおよびナザリックを侮辱されることがアインズにとって一番許せないことであるのと同様に、NPCたちにとってはナザリック及び至高の四十一人への己の忠誠を侮辱されるのが一番耐え難いだろう。
つらつらと思い出し沈んだ思考がノックの音で引き戻される。メイドとして控えていたエントマが来訪者の確認の為にドアへと向かう。
「デミウルゴス様が面会に見えられました」
「通せ。それから極秘の相談ゆえ、お前は退室しているように。話が終わったら呼ぶ」
「かしこまりました」
エントマが退室し、入れ違いでデミウルゴスが入ってくる。
「お召しにより参上いたしました」
「忙しいところ呼び立てて済まんな。話というのは、現在お前が設立に動いている情報機関のことだ」
「は、今しばらくお時間を頂くことになるかとは存じますが、その分より完璧なものを用意したいと考えておりますのでしばしの猶予を頂ければと」
「いや違う、急かしたいわけではない。お前が納得できるまで完璧にしてくれればいい、時間がかかっても構わない。私が心配しているのはお前の仕事量のことだ。情報機関が設立されお前がその統括として働き始めれば、今でも山のような案件を抱えているお前の仕事量は爆発的に増えるのではないか、それを案じている」
「はあ……わたくしとしては問題ない量だと考えておりますが、御身の為に働くのが当然のシモベを恐れ多くもそこまで気遣っていただけるとは、アインズ様の底知れぬ慈悲深さには胸を打たれるばかりです」
俺は実はこの悪魔に何も告白していなかったのではないだろうか。これが夢オチってやつか? そう錯覚させられるほど、デミウルゴスの受け答えは内容も態度も基本スタンスも今までと一切何も変わっていなかった。見限られても仕方がないと、結構な覚悟で己の凡庸さを告白したというのに、あまりにもあまりではなかろうか。
だからどうしてほしいという希望をアインズが具体的に述べたわけではないのだからデミウルゴスは逆に気を使って今まで通りにしているのかもしれない、という可能性を認知しつつも理不尽さに対する憤りがアインズの胸を去来する。
「いや、あのな……? そうではなく……お前とはどうも見解の相違が大きいような気がしてならんのだ。繰り返し発言している筈だが、私にとってお前たちは大切な友人の子供のような存在、私のために働くのが当然などとは少しも思っていない。慈悲とかそういうことではないのだ。勿論協力してナザリックを守ってくれなくては困るのだが、出来ることならばお前たちそれぞれにも自らが望むものを見つけてほしい、そして自らの望みの為に生きるようになってほしいと、そう強く願っている。ナザリックとアインズ・ウール・ゴウンの為に働くよう生まれながらに定められたお前たちにそれを望むのがどれだけ難しいことなのかも私なりに今まで理解してきたつもりではあるのだが、それでも願うことをやめられん。己が心から望んだものを己の手で得ることこそが、それこそが幸せというものではないかと私は考えているし、友人たちが残してくれた大切な子供たちであるお前たちを幸せにすることこそ私の最も重要な責務だと思っているからだ」
まるで独りごちるようにつらつらとアインズは考えを口にした。こういう話をしたところでNPCの理解を簡単に得られるとは思っていないのだが、それでも願うことをやめられない。幸せにすると一口に言っても何をどうやって。何が幸せなのかなど人によって違うのだし、現状のナザリックのNPCたちにとってはナザリックと至高の四十一人の役に立つことこそが存在意義の全てであり幸せなのだろうという結論も出ているのに、ゲームの設定に縛られたままのその状態をアインズがそんなものは幸せではないと己の価値観で断じてゴネ続けているだけだ。それでも願う、自我があり学ぶことや知ることができるのであれば、もっと沢山のものの多様な価値に気付いてほしいと。そして自らの意思で望みを見つけ出し選び取ってほしい。それこそが、生きている、ということではないのか。
真剣な表情でアインズの言葉を聞いていたデミウルゴスは、ふっと目線を下げて俯いた。常であれば限りないご温情がとか海よりも深い慈悲の心がとか言い出すタイミングで沈黙するのでデミウルゴスが今何を考えているのかがアインズには全く分からない。しばらく待つとデミウルゴスは控えめに目線を上げた。
「恐れながらアインズ様、わたくしの中には既に存在するのでございます。ナザリックおよび至高の御方々に尽くしそのお役に立つという己の使命とは全く別の、己の望み、というものが。他の者がどう考えているのかは存じませんが、例えばアルベドにとってアインズ様の為に働くことは己の使命と密接に関係しているにしてもやはり彼女自身の望みという面が第一なのではないでしょうか。そして私もまた、使命とは別の己の望みを叶える為に邁進しております。故に、アインズ様の願いは既に叶えられているのでございます」
デミウルゴスの答えた内容にアインズが強く驚いたのは勿論なのだが、アルベドのことについては微妙さが先に立つ。その望みは己が設定改竄で捻じ曲げたものであり、ゲームの設定の強い影響下にアルベドが依然として置かれている証左でもある。だが例えば、ナザリックにとっての利益とまでは言えないのに戦士としての輝きに心を打たれリザードマンの殲滅をやめるよう乞うたコキュートスや、アインズへの報告を怠ってまで弱者を助けたいという願いを優先しようとしたセバスや、ナザリックの利益を度外視して無辜の命の助命を願ったペストーニャやニグレドもいる。それもまた創造主に定められた性格設定や創造主自身の人格に強く影響されたが故、つまりゲームの設定の影響下ではあるのだが、彼ら彼女たちが既に自我を持ち自己の思考と判断で動いている以上、創造主の命令を別にすれば第一に優先すべきと定められているであろうナザリックと至高の四十一人への忠誠すら時に上回るその願いは、既に彼ら彼女たち自身のものと言ってしまってもいいのかもしれなかった。NPCが真に望んでいるかどうかなど、それこそこれは正しいこれは違うとアインズが判断すべきものではないだろう。
それならばアルベドの思いも受け入れ……いやそれは無理だ。アインズは浮かびかけた考えを即座に否定した。受け入れてやりたい気持ちはあってもアルベドの望むものなど何も与えてやれないのだし、何よりなんかがっついていて怖い。頭からバリバリいかれそうだ。
「その、お前の望みというのは何だ?」
問いかけると、デミウルゴスは困ったように薄く笑みを浮かべた。
「お命じとあらば答えさせていただきますが、できればその、ご容赦いただけないかと……個人的な話でございますし、大変その、気恥ずかしいので、あまり口にはしたくないのでございます」
「嫌なら無理にとは言わんが、珍しいな? お前がそのように恥ずかしがるところなど今まで見た記憶がない」
「身の程を弁えぬ大それた望みでございますし、わたくしらしくもないような大変に夢見がちな内容ですので、ともすると羞恥が先に立ってしまうのかもしれません」
「ううむ、そう言われるとますます気になるが……お前が聞かれたくないものを無理に聞き出すのも良くはないな」
「深きご配慮に感謝いたします」
頬に普段の優雅な笑みが戻ったデミウルゴスが深く頭を下げる。だいぶ話が逸れてしまったのでそろそろ本題に戻さなくてはならないだろう。
「それで、お前としては情報機関の統括を受け持ったとしても仕事量的には問題ないと考えている、という認識で間違いないのだな?」
「左様でございます」
「そう言うのであればお前を信じることにしよう。実は、お前ならば無理な量の仕事を抱えて余らせるような要領の悪いことはしないだろうと指摘されてな。言われてみればそれもそうだと納得したのだ。私が自分の能力を物差しにして深く考えずにお前の仕事量を判断していたが故の誤りだ。私は神の如き智謀の持ち主でもなんでもないとお前には説明したが、この一点だけで凡庸さは伝わるであろう」
「は……それは、その……」
返答に困ったのか口ごもったデミウルゴスを見てアインズは一つ息を漏らした。当意即妙、常に適切な応答をして立て板に水を流したように話すこの悪魔にもさすがに口にできない言葉というのはあるのだろう。
「済まんな、答えづらければ流してくれていい。ただ、私の言うことは必ずしも正しくはないし、勘違いも間違いもする。その間違いを正して間違った行動を私が取らないように指摘してほしいのだ。本来アルベドやお前にはそういう働きも期待していた」
「アインズ様のご期待に添う働きができず、己の不甲斐なさにただただ恥じ入るばかりでございます……」
「誤解を与えてしまう言い方をして済まなかった、お前を責めたいのではない。元はといえば何でも見通しているような完璧な支配者を演じていた私に責があるだろう。ただ、もしお前が私の言を聞いて深く考えていないのではないかと感じることがあったなら、その時はおそらく本当に私は深く考えていない。数手先を見据えた深い意図など何もないのだ。だから間違った方向に進みそうな発言であれば、それを正してほしい。今まで上手くいっていたのはあくまでたまたま幸運が重なったからだ、幸運などという不確定要素を前提に行動することの愚かさが分からぬお前でもないだろう」
「は、仰る通りでございます。しかしながら、これだけの運を味方に付けられるというのもアインズ様の並々ならぬ偉大さを示しているようにわたくしには思われます」
ものは言いよう、俺のいいとこ探しでもしてるのかお前は。思わずそうツッコみたくなるほど呆れるくらいに好意的な解釈すぎる。そっと心の中だけでアインズは頭を抱えた。
「確かに我ながら運には恵まれていた。だがそれと私の偉大さは関係あるまい……そもそも運などいつそっぽを向くのか分からんのだ」
「運も実力の内、という言葉もございますし、そのように卑下なさることはないかと存じます。機を見るに敏、決断すべき時に即決果断であればこそアインズ様は運を逃されないのではないでしょうか。それは間違いなく王者の資質として求められるものの一つでございます。アインズ様は話をすれば自分の頭脳の程度など私が容易く見抜いてしまう、と仰られましたが、こうしてお話させていただいても、配慮に優れた思慮深き方であられるという印象は何ら変わるものではございません。ただ、アインズ様が万年先を見通されている稀代の智者であるという勝手な思い込みから繰り返してしまったこれまでの的外れな推測については、要らざるご負担をおかけしてしまい誠に申し訳なく思っております」
「いや……結果としてお前の推測から生まれた成果はナザリックに大きく利益を与えているのだし、お前が申し訳なく思うことはない。そもそも自分を大きく見せようとした私が悪いしな……分からないことを分からないと率直に言わないのは実に害が大きい。事ここに至ると修正も容易ではないだろうしな」
「本来であればアインズ様に心安らかに過ごしていただくのが我らシモベの役目であるというのに、偉大な支配者として君臨してほしいという我らの希望を叶える為にそのようなご心労をおかけしてしまい、シモベとしての務めを果たせぬこの身をただただ恥じるばかりでございます」
「よせ、それはお前が気に病むことではない。お前たちがどうもその方が嬉しいようだから希望を叶えてやりたいと私が勝手にやっていることだ。それに最初の内はもっと他の理由もあった」
「他の理由、でございますか?」
思い当たるものがないのか不思議そうな声色で問うてきたデミウルゴスをちらと見て、躊躇が生まれてアインズはしばし口ごもった。これを口にしてしまっていいのか、という躊躇。だが匂わせておいて明かさないというのもよろしい行動ではないし、そもそもここまで事態がこじれた原因でもあるのだから腹を割ると決めた以上は話すべきだろう。知られてしまったデミウルゴスには、アインズがどの程度凡庸で情けないのかを正確に把握してもらわなければ困る、幻想を抱かれたままでは困るのだ。更に一拍を置いて決意を固めてアインズは再度口を開いた。
「今となっては恥ずかしい話だがな。少し話しづらくもあるが……この世界に来てお前たちが自分の意志で動き話し始めて、私は万一お前たちに裏切られることを警戒したのだ。上に立つ者として絶対者たる振る舞いをして威厳を保っていればお前たちの裏切りを防げるのではないかと思った。そんなことなどしなくても、きっとお前たちが裏切ることなど有り得なかったのだろうから、今となっては杞憂と言う他ないな。本当に馬鹿な話だ。ただ最初は、お前たちのナザリックと至高の四十一人への忠誠がこんなにも絶対的で揺るがないものなのだと、理解していなかったのだ」
早口に言い終えてアインズは深く息をついた。色々と分かってみれば本当に馬鹿馬鹿しい話だ。だが知らなかったアインズに選択できる道は他になかったのも事実だし、結果としてNPCたちがそうあってほしいと望んでいたアインズの姿と一致してしまったのも事実だ。馬鹿だといくら後悔したところで、前提が同じだとしたら他に取りうる道など恐らくは存在しなかったのだ。
「我々は至高の御方々によって生み出され、至高の御方々とナザリックの為に己の全てを捧げて尽くすべく定められた者でございます。その使命に背くことは、己の存在を己で否定することと同義でございますので、忠誠を捨て御身を裏切ることなどありえません。疑われていたと知るのは確かに無念さは感じますが、今はご信頼いただけているのであれば、我らの忠義が行動と結果を通してアインズ様のお心に届いたという証でございますので、心より誇らしく思います。それに……」
「それに、何だ?」
「他の者に明確に確認したわけではございませんので推測を含んでしまうのですが、わたくしも含め、皆アインズ様には表現しきれないほどの感謝と崇敬を抱いているのでございます。決して定められたからというそれだけではなく、アインズ様の与えてくださっている大いなる慈悲とご恩に僅かばかりでも報いたい、その思いから皆忠節を尽くそうと精一杯務めさせていただいております」
忠義者、といえば聞こえはいい。だがナザリックのNPCに対して素直に感心する気持ちをアインズは持てない。それはきっとその忠義がゲームの設定故のものであるからということを知ってしまっているからだ。それが設定されているからというそれだけではないとこうして説明されてもなお、納得することはできない。
バイアスをかけないでありのままの姿を見てほしい、つまりは対等の目線に立ってほしい。それだけのことに過ぎないのに、それがどうしようもなく困難で、不可能なのではないかとすら思える。NPCはアインズを見上げることしかせず、アインズは見下ろす以外の手段を持たない。
「お前たちはよくそういうことを言うが、私には今ひとつ分かっていないのだ。私がお前たちに与えられている、感謝に値するものなどあるのか?」
「ただアインズ様がそこにいらしてくださる、それだけで我らには何よりも有り難いことなのでございます。それなのにその上、我らの願いを叶える為に偉大なる支配者として我らの上に君臨してシモベの誰よりも率先してナザリックを守る為に働いてくださっておられます。これほどの恩が他にございましょうか」
「……やはり、お前とは大きな見解の相違を感じるな。私はただ自分が死にたくないから、お前たちに呆れられ見限られないように自分を大きく見せていただけだ。その自己保身に対して恩を感じられるのは後ろめたい」
「アインズ様の真意がどうであれ、我らにとっては返しきれぬほどの大恩なのでございます。至高の御方々の誰の為にも働けないのであれば、我らは生きる意義というものを見失ってしまうのですから」
「そうならない為に、お前たちには己の望みを見つけてほしいのだ。人……ではないが、生きる者は使命の為だけに生きているのではない。己の使命に誇りを持つお前たちの在り方を否定したいのではないが、だからといってお前たちの生きる場所がナザリックに限定される理由も必要もないのではないかと、そう思うのだ。例えばアウラとマーレにはできれば同族の友達を作ってやり、ゆくゆくは相応しい若者と出会い結ばれてほしいと思っている。ナザリックがお前たちにとって一番大事な場所であってほしいのは勿論そうなのだが、子は巣立つものだし、独立したとしても実家は子にとって大切な場所であろう。勘違いしないでほしいのだが、追い出すつもりで言っているわけではない。残りたいという望みでも、巣立ちたいという望みでもいい、とにかくお前達自身の何かを見つけてほしいのだ。お前は既に持っているという話だからお前に言い聞かせることにさしたる意味はないかもしれないが……その自分自身の望みの為に生きられるのであれば、たとえ使命を見失ってもお前たちの生に意味がなくなることはないであろう?」
「……アインズ様は、やはりいずれ他の御方々と同じところへお隠れになることを、お考えなのでしょうか」
控えめに発せられたデミウルゴスの声色には明らかな翳りがあった。アインズの言葉を聞いていたときの真剣な表情のままで顔色も変わってはいないが、悪い想像をしているのだろうということはいくらアインズが凡庸でも容易に推測できる。
子が親を慕うようなもの、とは理解しているが、そんな思慕を向けられるほどのことをした覚えがアインズにはない。パンドラズ・アクター以外のNPCについて、ユグドラシル時代のまだモモンガと名乗っていた頃のアインズはせいぜいが創造主であるギルドメンバーの自分のNPC自慢に相槌を打ったり、その過程で褒めたりといった程度の関わりしかない。
自分が製作したNPCであるパンドラズ・アクターにそれなりの思い入れがあるのは事実だが、それとてゲーム内のキャラメイク以上の意味はこの世界に来るまでは持ち得なかった。こんな強い想いを向けられるような何かをモモンガは何一つしていないのだ。
徒労感にも似た虚しさからアインズが深く息をつくとデミウルゴスは何かを諦めたように目線を僅かに伏せた。違う、そうではない。それをどう言い表せばこの誰より賢い筈の悪魔にきちんと伝わるのかがまだアインズには分からない。
「違う、というよりは、それは不可能だ。私はあそこへ戻ることは恐らくもうできないだろうし、あまり戻る気もない。ここでお前たちと生き続けていくことをもう決めている。お前は失敗すれば私がお前たちを見捨てると考えているようだが、お前たちに見限られるのを恐れているのは私の方だ」
「恐れながら、それこそ有り得ない話でございます。今までのようにアインズ様に一番働いていただいている状況こそ我らにとっては恥ずべきもの、本来であればアインズ様の手足となって我らが働き御身を煩わせることがないようにせねばならぬのです」
「……何もかもやってもらって自分がすべきことがなくなるのは、少し困るな。出来れば今くらい働ける状況が私にとっても気が楽なのだが」
「アインズ様の望まれるままに。御身の意思こそ一番優先されるべきものですので、我らはただ御身の意思を実現する為に粛々と実行するのみです」
慇懃に告げ礼をするデミウルゴスを見つめながら、やっぱそういう感じになるか……とアインズは微妙な思いを僅かに浮かべた。本音を聞かれた時点であれがそもそも相当情けない内容だから、これ以上情けないと思われたところで大きな問題はないかと、だいぶ開き直って色々胸の内を明かしてみたものの、この距離はどうしても埋まらないのかも知れない。
アインズの幸せなど、せめてNPCたちが幸せになってくれること位しかもうないというのに。NPCたちはアインズ様のお役に立ちたい、ナザリックの為に働きたいという希望しか述べない。本当に全員が同じ判を使い回して押しているかのように。自分自身の幸せなど、そもそも探そうとする発想自体がない。
「私はただ、このナザリックを守っていくことと、お前たちの希望を叶えてやりたいということ、今は本当にその二つしか望んでいないのだ。それなのにお前たちは叶えたい希望を、己の望みを持っていない。お前とアルベドはそうでもないようだが、アルベドの望みは私には叶えてやることができん。至高の御方などと崇められても配下の望み一つ叶えてやれないとは無力なものだ」
「ナザリックの将来を考えればお世継ぎの件をご再考いただきたくは存じますが、そもそもアルベドのアインズ様と結ばれたいという望みは本来ならば分不相応で、非常に僭越なものでございます。自分を愛するようにとアインズ様直々に定められたのですから他の者が口を出すのはそれはそれで分を弁えぬ所業ではございますが、アインズ様からのご寵愛を賜りたいが余りの場を弁えぬ暴走ぶりは少々目に余るものもございますし……アインズ様が望まれぬということであれば捨て置いてよろしいかと存じます」
押し倒されたアインズから押し倒したアルベドを引き剥がすのに他の守護者よりも非力なデミウルゴスは相当に苦労していたが、少々目に余ると控えめに表現しているのは一体誰に気を使っているのだろう。
「……お前は、分不相応と考えているのに、シャルティアについては特に何も言わないのだな」
「シャルティアがアインズ様にご寵愛を賜りたいのも彼女の嗜好が理由、つまりは至高の御方であられるペロロンチーノ様がお決めになったことですので、他の者が口を出すような事ではございません。アインズ様が望まれれば、という大前提がまずございますが、そういう希望を持つことを咎め立てするのもそれはそれで不敬でございます」
「ふむ、複雑、というか考慮することが多くて大変なのだな、お前たちも」
「至高の御方皆様方に最大限の敬意を払うのはシモベとして当然でございます。シャルティアは力にあかせて御身を押し倒して手籠めにしようとしたりはいたしませんので、部外者が外から何か言う必要がないだけ、ということもございます」
「……それは、まあ、確かに、そうだな」
淡々といつもの調子で話しているが、デミウルゴスはアルベドの愛情表現(?)に実は相当キレているのではないかとアインズには思われた。完全に面白く思っていないのが言葉選びから明白だ。アルベドの愛情表現があんなに苛烈で極端になってしまったのは恐らく設定改変の影響だからアインズの自業自得といえばそうだから、アルベドが少々気の毒な気もしてしまう。
気付けばまた話が大幅に本題から逸れていた。どうも噛み合わない気もしているし今一つ伝わっていない気がするのも事実なのだが、アインズが智者ではない、という点は一応デミウルゴスは理解してくれているようなので今までよりもずっと話せることが多くなり、その為色々と今まで話していなかったようなことを話してしまっていた。
「今日は情報機関の仕事を引き受けられる状態なのかどうかについてのお前の考えを聞くのが目的だったので、一応本題は終わったのだが、他に一つ頼みたいことがある」
「は、何なりとお申し付けくださいませ」
「本当は私は智者ではない、まずこれはいいな?」
「心得ております」
「実はな、智者を装ってしまったことによって引き起こされた困り事があるのだ。私は智者だから理解できるという前提で書かれたお前たちの報告書を、難しすぎてきちんと理解できていない。アウラやマーレのものはまだいいのだが、お前やアルベドの書いたものとなると知らない国の言葉を読んでいる気分なのだ」
「……わたくしの思い込みと勘違いからアインズ様にそのようなご苦労をおかけしていたこと、誠に申し開きのしようもございません」
「それはいいのだ、私が智者を装ったことによる弊害なのだからお前たちに責任はない。だが、お前は私が智者ではないということを知った。だから、お前に手間をかけることになるのは申し訳ないのだが……もう少し平易な言葉で分かりやすく書いてはもらえないだろうか……できればその、数値の推移は図表を使ったり、見やすく読みやすくしてもらえるととても助かる」
「かしこまりました。成果や現状や問題点がアインズ様に伝わらぬ報告書など何の意味もございません、徹頭徹尾ご理解いただけるよう完璧に仕上げさせていただきます」
「お、おう……頼む」
「つきましては、どの程度の文章であれば理解が容易かが知りたいのですが、何か参考になる文書などはございますでしょうか」
参考になる文書、少し考えてアインズはアイテムボックスの中に入れたままになっていた本を思い出した。朝まで読んでいたビジネス本を取り出してデミウルゴスに渡す。
「この程度の文章だと読みやすいし理解もできる、と思う」
「『リーダーの仮面——いちプレーヤーからマネジャーに頭を切り替える思考法』でございますか……既に偉大な支配者でありながらこのような書物で研鑽を怠らぬそのお心と姿勢、切に感服いたします」
「……いや、そういえばそれも困りごとだな。何でもできるように見せていたが、私は智者ではないし上に立つことにも慣れていない。そんな勉強もしていない。王として振る舞う参考になればと思いそういった本を読んではいるが、統治について書かれた本などないし、この世界の王家に相応しい振る舞いについて書かれた本など古代図書館に置いてあるはずがない。帝王学やこの世界の王家の儀礼などについても学びたいのだが、お前たちにはもう既に知っているような顔をしていた手前誰にも相談できなくてな……」
「帝王学や貴族王家の儀礼作法でしたら恐怖公にお尋ねになればよろしいかと存じますが。ゴキブリの貴族社会のものだそうですが、非常に博識ですので」
ゴキブリの貴族社会ってなんだよ! とツッコみたくなる気持ちをアインズは必死に抑えた。というかゴキブリの社会って封建制なのか。身分制度があるのか。貴族ゴキブリと平民ゴキブリの違いは一体何だ、貴族ゴキブリは高貴な血筋なのか、高貴な血筋でも一匹見たら三十匹いると思わなければいけないくらいわんさか増えるのにその血統に本当に意味はあるのか。恐怖公は公爵らしいがあくまでゴキブリ社会での地位ということらしい。以前名前が貴族や王っぽいから恐怖公か餓食狐蟲王に帝王学について聞こうか考えたことがあったが当てずっぽうも意外と当たっていたらしい。
「それは……ゴキブリの社会のことだと人とは大分違うのではないか?」
「体の造りも生態も人とは異なりますので細かい部分となると差異が多いようですが、アインズ様が主にお知りになられたいのは統治の方法や考え方かと存じますので、それでしたらゴキブリのものでも人間社会にも通じる部分が大半かと」
「そ、そうか……? いやだがな……できれば恐怖公は最後の手段にしたいと思っている。恐怖公とて私の偉大さと智謀を疑いなく信じてくれている忠誠心篤き配下だしな、あまり情けない姿は見せられん」
「左様でございましたか。仁慈に溢れたそのお心遣い、できれば恐怖公にも聞かせてやりたいところではございますが、わたくしの胸の内に留め置きます。」
「無理にいい部分を探して褒めるのはよせ。巧言令色を使い人を堕落させる悪魔、というお前の設定は理解しているがお前は私を堕落させたいのか?」
「恐れ多くも他ならぬアインズ様に対して心にもない賛辞を口にするなどということは決してございません、全て間違いなく敬愛から出た本音でございますが、飾り立てているようにお感じになられたのであればわたくしの至らなさという他ございません。今後はなるべく控えるよう心がけます」
「よろしく頼む。それで、恐怖公の他に心当たりはないか? できればナザリック外で口の固い者が望ましいのだが」
「他には……そうですね、召喚した傭兵モンスターですので一応ナザリック内の者にはなってしまうのですが、聖王国でカスポンドを演じている上位・二重の影は王家の教育を受けたカスポンドの表層意識を読み取ってありますので、そういった心得もあるかと思われます。完全に外部ということであれば、アルベドが既にこちら側に引き込んでいる王国の貴族内にも教育を受けている者はいるかと思われます。少々お時間を頂ければ、適切な者を選抜してアインズ様の教師としてご用意することも可能でございます」
「王国の貴族か……私に教養がないことを知った結果侮られて翻意される、という結果になっても困る、この事を明かすのは最低限の人数に留めたいのだが」
「ご安心ください。まずはアインズ様のお名前を出さずに知識の程だけを調べ、選ばれた者のみにアインズ様に教えを与える栄誉が与えられたことを明かします。わたくしも恥ずかしながら浅学の身ゆえ、対象の知識の精査には恐怖公に協力を仰ぎたいのですが、恐怖公にもアインズ様のご事情は明かしません。調査自体についても一切漏れることがないよう万全を期します」
「そのような形ならば事情を明かす者は最低限に留められそうだな。そのように計らってくれ」
「かしこまりました、万事お任せくださいませ。つきましては、この件に関して一つアインズ様にお願いしたき儀がございます」
「何だ? 言ってみよ」
「一人、ご学友としてアインズ様と共に学ぶ栄誉に浴することを許していただきたい者がおります。お一人で学ばれたいというご希望がもしなければ、ご許可いただけないでしょうか」
「それは構わんが、お前が学ばせたいと思うとは、一体誰なのだ?」
「リザードマンの部族の、キュクー・ズーズーなる者です」
キュクー・ズーズー、って……誰? 名前を聞いても思い当たる者が記憶の中には全くいない。というかリザードマンはザリュースとゼンベルとクルシュ以外見た目と名前がアインズの中で一致していない。クルシュは激レアのアルビノだし、ザリュースとゼンベルは胸に旅人の刻印があるから多少覚えやすいのだが、基本的にリザードマンの個体識別がアインズには難易度が高すぎる。
誰なのか聞いたはいいが名前を聞いたところで誰なのかが分かるとは限らない、という基本的な事を失念していたアインズは、アインズの次の言葉を待つデミウルゴスを前に困惑に沈んでいった。
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