その日はアウラを再度招集してアルベドとデミウルゴスを交え、アベリオン丘陵付近の国境の広域警戒網をどう構築するかについての話し合いをやり直すことになっていた。朝の政務が一区切りしたタイミングでアルベドは一旦退室しアウラが到着するまで自分の仕事に集中することになり、早めに到着していたデミウルゴスがアインズの脇に控えていた。先程耳にした街の噂話を思い出して思わずアインズは長い長い溜息をついた。
「どうかなさいましたかアインズ様、何か気がかりな事でもございましたか」
「いやな……お前が到着する前に今日の分の政務を行っていたのだが……どうもエ・ランテル内で妙な話が出回っているらしくてな」
「妙な話、でございますか」
「うむ……お前に亜人国家との交易を提案されたのでアルベドと具体的な計画の草案を少しずつ考えてはいたのだが、まだ検討の段階で草案も全然固まってもいない。それなのにだ、エ・ランテルの街中の噂ではどういう訳か、何故か私が交易を通じて亜人に小麦食を広めて人間を食べないように仕向けて救うつもりだ、という意味不明な話が広まっている。これは一体どういうことだ……? 何故そうなる……? 身に覚えがなさすぎる……アルベドなど、アインズ様のご意思を歪曲捏造するとは愚かな下等生物共がと人間を虐殺しに街に行きそうだったので止めるのが大変だった」
 アインズは頭を抱えた。何をどうすればそうなるのか。というか元々穀物も食べる種類の亜人ならばともかく完全に肉食の者が多い亜人が小麦を買うわけがない。確かに小麦ならば大量生産が見込めるから売る先があれば主力の輸出品たり得るだろうが、売らないなら売らないでエクスチェンジ・ボックスでユグドラシル金貨に変えて貯蓄しておいても別にいいのだ。沢山あって困るものでもない。そして亜人の国で人間が食料になっていようが奴隷になっていようがアインズには一切関係がないし、どうしようというつもりも微塵もない。一体どこをどうしてどこからこんな突拍子もない話が出てきたのか。
 すると、アインズの独白を聞いたデミウルゴスがくすりと苦笑する。
「成程、話の出所は大体見当が付きました。なんともまあ愚劣極まる」
「誰なのだ、この出鱈目を流しているのは……」
「その前にアインズ様に早急に進めるべき事案を一つ具申させていただきたく存じます。これも以前軽くお話しさせていただいたのですが、食肉用の家畜の飼育方法の研究や品種改良を行う試験牧場を作りましょう。わたくしも本日の会議が終わりましたら一度自分の牧場へと戻り、牛と豚と食用の羊を集めて飼育研究を始めます。それから食用に適しそうな可食部の多そうな魔獣も探した方がよろしいでしょう。生産できる肉の品質を上げる為に多少試行錯誤が必要ですし、なるべく急いだ方がよろしいかと存じます」
「……何故だ?」
 デミウルゴスの提案の意図がさっぱり分からずにアインズはデミウルゴスの機嫌良さげな笑顔を怪訝そうに眺めた。
「亜人に小麦を売って亜人の食生活を変えるなどという発想は愚劣千万。亜人には亜人が食べるものを、肉を売ればよいのです。そして質のいい食肉の生産には質の良い飼料が欠かせません、つまり麦を大量に使います。まずは国内市場向けに質の高い食肉を生産することを目標とし、輸出向けに大規模にするのは亜人国家との交易が本格的に始まってからで十分かと思われますが、世代を重ねて品種改良することなども考え合わせるとなるべく早くお始めになられた方がよろしいかと。亜人が魔導国産の肉の味の良さに驚いて自分たちでも育てようとして飼育に小麦が必要なことを知って、そこで初めて亜人が小麦を買う道筋が立つのですがね。まあ亜人国家での人間種の扱いなど魔導国が関知するものではございませんが、魔導国産の肉の需要が高まれば食用の人間の需要が下がる可能性はございます。家畜を大量に飼育するには大量の飼料が必要ですので小麦の使い道も売る先も増えますし、そうして結果として人間種が救われればアインズ様の慈悲深さは世界中の知るところとなる、という意味で悪い案ではございませんが、我らが魔導国はアインズ様の絶対的な権威のもと全ての種が等しく共存する国家であるという大義をしっかりと理解していない、人間を救いたくて仕方のない愚か者がアインズ様の意を曲げてしまったようで」
 この噂を流していると思しき者について、デミウルゴスは見当が付いているようだが先程から妙に引っかかるというか悪意のちらつく物言いをする。ナザリックの仲間に対しては非常に紳士的で思いやりの強いデミウルゴスが悪意を隠しきれないほど嫌っているといえばそれはもう、一人しか該当者がいない。
「セバスか……あいつ……」
 成程納得である。何がどうしてそうなったのかは分からないが、今後王国の作戦が終了した後は小麦は輸出に回したいという話と亜人国家との交易を開始する可能性を模索している話がセバスの中でそのように合体してしまったらしい。成程セバスならばアインズに慈悲をもって人間を救ってほしいと考えても不思議はないし、噂を流して世間からそう見られているということにしてしまえば真意はどうあれアインズはそうせざるを得ない、という効果を見込んでいるのかもしれない。デミウルゴスが深読みをやめたと思ったら今度はお前かセバス、アインズは再度頭を抱えた。
「食肉の品質を上げるのにはそれなりに時間がかかりますので、いい機会ですから着手してしまうのは悪い選択ではないでしょう。わたくしの牧場でも飼育方法や飼料の研究はいたしますが、ちょうど本日アウラも参りますし、正式な試験牧場は彼女に任せてしまってもよろしいのでは? セバスは……浅はかではありますが、セバスはセバスなりにアインズ様の意を汲もうとはしたのでしょうね」
「ここまで大幅に私の考えから外れるのならばいらぬ憶測をしないで私に意図を聞くべきではないか……?」
「仰られることはごもっともでございますが、アインズ様を煩わせることなく命じられずともその意を汲んで自ら動くことこそ我々シモベの目指すところなのです。そのせいでかえってアインズ様にいらぬご苦労をおかけしていたのはわたくしも同様でございますのであまり人の事は言えませんが、アインズ様の意をより正しく汲むためにも今後はまずはそのお考えを正しく知る努力をする、分からないならば聞く、という姿勢を周知し徹底させることとします。意を汲むためにまずはアインズ様がどのようにお考えの道筋を立てるのかを知る必要はございますので」
「そう頼みたい……いや、違うな。報告・連絡・相談こそ全ての基本だ、分からないことを質問するのを恐れ恥じるその姿勢こそ恥ずべきものと周知せよ。ナザリック外の存在ならいざ知らず、ナザリックに所属する大事なお前たちの問いを煩わしがったりはせぬ」
 そこまで言ってあるアイディアがふとアインズの中に浮かんだ。あまり深く考えていない時のアインズが説明を曖昧にしてそれをシモベが察しようとするあまり正しい解釈を確認しないのが恐らく全ての原因だ。そのようなズレを定期的に修正しすり合わせる場は必要ではないだろうか。現在多くの守護者他NPCはそれぞれの場所でバラバラに働いているが、月一度でも一堂に集めて疑問点などを出させ都度修正しすり合わせていけばよいのではないだろうか。バラバラにやってしまえば他の者に伝達する手間もかかるし伝わらない可能性も出てくるから、おそらくはまとめてやった方が効率も都合もいい。
「これから毎月一度、ナザリック外で働く階層・領域守護者とプレアデスを集めて定期的に報告会を開こう。その場で自由な質疑応答を行い疑問は全て審らかにし、私の意図とお前達の意識のズレを修正したい。あまりにも議題から逸脱しない限り、どのような愚にもつかぬ質問でも咎めることは一切禁止だ。私も出来る限り質問に答えるが、お前たちもお互いに意見を交換し合えば相互理解が深まりより有益な会になるだろう」
「素晴らしいお考えです。皆がより深くアインズ様のお考えに触れさせていただける機会ですので、喜ばぬ者はいないでしょう」
「お前には大分頼ることになると思うが、頼めるか」
「万事お任せくださいませ」
 何せデミウルゴスはアインズが智者ではなくあまり深く考えないこともあることを既に知っている。大っぴらに頼ってもいいし、智者である事を前提に意図を深読みされることも恐らくはもうない。神算鬼謀の化けの皮を上乗せされることを恐れることなく頼れるというのはこんなにも心が楽になり軽いのかとアインズは感動すら覚えていた。
 こんなことなら、もっと早く打ち明けるべきだった。
 後悔など無意味だけれども、ただ愚かしかった。己を開示するのを恐れ躊躇っていたアインズの愚かしさだ。受け入れてもらえないのが、拒絶されるのが怖いから、恐らくはただそれだけでアインズは色々と理由を付けて万能の支配者を演じていた。好かれたいというよりは嫌われたくないから。受け入れてもらえなければ傷付くから。
 並大抵の攻撃など無効化してしまうアンデッドとなり傷付きやすく容易く血の流れる皮膚を失って尚、何よりも拒絶されることを恐れる臆病な鈴木悟の本質をアインズは失っていない。鈴木悟などとうの昔にこびり付いた残滓となり果て消えかけているというのに。だから至高の支配者という分厚い鎧を着込んで己を飾り隠さないとNPCたちと相対せなかった。
 飾らない己自身の価値をこそ見てほしいと思っているくせに、己自身を見せることを恐れている。矛盾だった。飾った己しか見てもらえないのは、アインズがそれしか見せていないからだ。見ることができないものをどうやって知れるだろう、察しろというのが無茶な話だ。
 それなのに、こんなにも臆病で不甲斐ないアインズに、アウラはどんなアインズでも大好きだと言い、考えていたような智謀の主ではなくてもデミウルゴスは依然として変わらぬ忠誠を誓ってくれている。その好意に見合う何かをアインズが与えられているわけでもないのに、アインズがただここにいるそれだけで何よりも有り難いと言う。
 感じているのは恐らく、身の置きどころがないような落ち着かなさだろう。
 存在するだけでいいなどと言われるのは慣れていないから、据わりが悪い。
 働いて実績を上げ歯車としての価値を提供できなければすぐに切り捨てられて生きていけなくなる、そんな価値観しか鈴木悟は知らなかった。今まではずっといつでも替えのきく歯車、いつ抛たれても不思議ではないようなつまらない存在だったしそれを受け入れて生きていたのに、突然誰よりも尊くてただいるだけで全てを肯定されてしまう存在になっても戸惑うしかできない。
 向けられる敬意に見合うだけの価値を提供できないから、据わりが悪い。
「セバスに注意は……せねばならぬがどうするかな。私が直接言うと罪悪感を与えすぎるのではないか」
 アインズは困ってはいるがそこまで怒ってはいないのに、アインズが注意するとナザリックのシモベはすぐに命で償おうとする。余程の事でなければアインズの口から直接注意するのは避けたかった。全てを許す儀式をいちいちやりたくない。
「ペストーニャ辺りにお任せになられてはいかがですか。わたくしではいらぬ事を言い過ぎてしまいますしセバスもわたくしの言葉を素直には聞きませんでしょうが、ペストーニャであればセバスを気遣いながら伝えるべきところはしっかりと伝えられるでしょう。というか本来アルベドの役目ではありますが……」
「アルベドが知ったら激怒して注意どころではないだろうからな……さすがにセバスを処刑、はせぬにしても氷結牢獄に投獄などと言い出されては執務が滞るしセバスの代わりもいない。お前たちもアルベドには決して言うなよ」
 告げると、後ろに控えたアインズ番メイドと警備の八肢刀の暗殺蟲エイトエッジ・アサシンたちが頷く気配がした。
「ペストーニャにはアインズ様の命としてわたくしから説明しておきましょう」
「うむ、頼んだ」
 そこまで話したところでアウラが到着し、アウラの到着を聞きつけたアルベドも執務室へと戻って来る。謎が一つ解けたと思ったらこれからまた難題に取り組まねばならない。みんなにヘーコラされて全部やってもらって王様なんて気楽だよなと思っていた平民だった頃の鈴木悟を正座させて説教してやりたい憤懣遣る方ない気持ちを胸の底に沈めて、アインズは三人の配下に向き直った。

***

 何でこんなことになっているんだろうな、という以外の感想が浮かばない。本当にわけが分からないからだ。
 目の前には一人用の机と椅子が二組置かれ、魔導王とリザードマンがそれぞれ座っている。この絵面がまず意味が分からない。
 ある日突然現れた悪魔の提案を、危険は大きいが確かに利益も大きいかと受けることにした。危険の話をするならば、あらゆる警護など無意味に王宮内の自室にいるザナックの目の前に現れられるあの悪魔はザナックを殺そうと思えばいつでも殺せるだろう、安全か危険かなど相手の胸三寸次第という他はなく、考えても無意味というものだ。魂を代価に悪魔と取引でもしなければ最早どうしようもない状況だというのも確かだ。
 この目の前の魔導王の大魔法によって軍を壊滅させられ最も信頼する戦士長を失って心労から体調を著しく崩した父である老王に代わってザナックは現在王国の政務をほぼ全て執り行っているが、簡単に言えば王国の現状は完全に詰んでいる。長年続く帝国との戦争という名の小競り合いで毎年多大な歳費が消費され国力が甚だしく削られており、このまま削られ続ければあと何年保つかもそもそも怪しい状態だった。そこにヤルダバオトの王都襲撃が突如起こって万の民と倉庫の財が消え、王都は著しい損害を被った。その立て直しも終わらない内に帝国との例年の戦争にアインズ・ウール・ゴウンが参入、大魔法で十数万の王国兵をあっという間に殺戮し、王国はエ・ランテル近郊を割譲せねばならなくなりもはや回復不能のダメージを受けた。頼りにしていたレエブン侯も先の戦争で軍師や私的に抱えていた冒険者など替えのきかない人材を数多く失い、心が折れたのか領地に引きこもったきり出てこない。貴族も大多数が死に、同時に戦功を立てるべく参陣していた跡取り連中もほぼ死んだので経験の浅い能力にも品位にも欠ける急拵えの跡取りだらけ。王国が失ったものはあまりにも多すぎた。
 だがそれでも、ここからでも王国をどうにか立て直すためには、魔導国との平和的な共存の道をどうにか模索しなければならない。だが王国は領地を直接統治している各貴族の力が強く、王と王族に然程の力はない。これだけの圧倒的な敗北を突き付けられても貴族は魔導国とまだ戦えるつもりでいる。そして愛する戦士長と多くの民を魔導王により殺戮された王も魔導国との共存など決して了承しないだろう。もともと人望がなくレエブン侯くらいしか目ぼしい味方がいなかったザナックにはあまりにも頼れる者がいないし、魔導国と関係を深めたくても絶対に許されないのは目に見えている。八方塞がりの中でなんとか事態を打開しようと藻掻くストレスで過食に拍車がかかり体重が相当増えてしまっている。
 故に、貴族に知られずに直接魔導王と話ができ、関係改善の端緒を掴めるかもしれないこの機会はザナックにとってはまさに千載一遇と言ってよかった。魔導王は帝王学を学びたいという話だが、帝王学というのは様々な分野の学問から国の長として振る舞う為に必要な知識を集めたものであり、学び続けようとすればどこまでも限りなく学ぶこともできる。一度で終わるものではない。ザナックが教師をする期間は今のところ定められていないが、関係改善の機会が何度もあるのは大変結構だ。同じだけ失敗の可能性があることは今は考えないでおく。
 貴族に知られることがないのは、王宮の自室からここまで悪魔の転移で連れられてきているからだ。どこか立派な建物の中にいる、ということは分かるが、今現在自分がどこにいるのか正確なところはザナックには分からない。今日の分の授業が終わったら再び転移で帰してくれるらしい、至れり尽くせりだ。王国の王族貴族の大多数の例に漏れずザナックも魔法の知識はほぼないが、あの転移は恐らく恐ろしいほど高位の魔法なのだろうなという察しはなんとなくは付く。そしてこの状況を普通は拉致と呼ぶ、ということについては極力考えないことにする。
「本日から帝王学を教授させていただくことになった、ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフである。これからよろしくお願いする、魔導王陛下と……ええと、そちらは?」
「キュクー・ズーズーと申します殿下。野蛮な未開の民ゆえ、わたくしのことはどうかいないものとして捨て置いていただければ幸いです……出来る限りお邪魔にならないようにいたしますので」
「そうか……まあ、折角参加されるのだ、分からない点などあれば気軽に質問してほしい。私も一応王族ではあるが、非公式の場だ、堅苦しい儀礼は気にしなくて結構。折角の学びの機会であるし、存分に生かされるがよかろう」
「ありがとうございます」
 言ってはみたものの魔導王への無礼は論外、自分への無礼も国際問題に発展しかねないのだから、この謎のリザードマンはどのような経緯でここにいるのかは知らないが気の毒と言う他なかった。この状況で伸び伸びと学ぶのはどう考えても不可能だろう。
「キュクーよ、お前は私の学友という設定……いや設定というのもおかしいか? とにかく学友なのだからもっと砕けた態度で接してくれなくてはおかしいのではないか?」
 突然隣の魔導王が言葉を発し、キュクーは飛び上がらんばかりに驚いた様子を見せてからゆっくりと口を開いた。
「も、申し訳ございません、このように同席させていただいているだけでも本来ならばありえない事、その上そのような天に唾するような行いはできかねます……」
「お前は自分のことを未開の蛮族というが、それにしては意外と語彙が豊富だな。どうやって学んだのだ?」
「はっ、村の司祭や長老は知識に長けた者も多いですし、ごく稀に部族の旅人が外から人間の本を持ち帰ることもございます。人間の文字の読み書きも旅人から教わりました」
「学ぶことが好きか」
「はい」
「以前村を訪れた時にお前たちが外に出る必要性も説いたのだが、デミウルゴスの話ではお前は外で学ぶことを今までずっと渋っていたそうだな。それは何故だ?」
「……わたくしは、幼い頃から部族の長になることが決まっておりましたし、ずっと長として生きて参りました。旅人になり自由に外で学ぶというのはわたくしには縁のない生き方でございました。リザードマンが魔導王陛下の庇護下に入り長でもなくなった今そうすることに何ら不都合はございませんが、長い間続けてきた、己の部族を守ることが全てという己の生き方を急には変えられぬのでございます」
「まあ、確かにそうだな、急に変われと言われてもなかなか難しいであろう。だがデミウルゴスはお前に随分と期待をかけているようだから、応えてやってくれると嬉しいのだがな。あいつの働きは多大すぎて、私だけではなかなか十分に報いてやれぬのだ……ところで」
「何でございましょうか」
「リザードマンは長を決める戦いで最後まで勝ち残った者を選んで部族の長にする、と聞いた記憶があるのだが、幼い頃から長になるのが決まっていたというのは、お前はそれほど強かったのか……?」
「何事にも例外はございます。以前陛下にお供したゼンベルが長を務めていた竜の牙ドラゴン・タスク族も、本来ならば村の運営に関われない旅人でも他の部族出身であっても、部族内で一番強ければ出自や身分に関係なく誰でも長になれる、という例外が認められております。わたくしが幼くして長と定められたのは今まで使える者のなかったリザードマンの宝である鎧を使えたからでございます。本来ならば我が部族も決闘によって長を決めておりましたが、わたくしが長になってからは長に成り代わろうとする者が他に現れなかったのです。ですので幼い頃から腕自慢の大人に勝てるほど強かった、というわけではございません。勿論長として相応しいだけの強さを身に着けられるよう努力はしておりましたが、鎧の力も借りておりましたし、他の部族の長や戦士長と比べれば多少見劣りはしてしまうかと存じます」
 授業とは関係ない話が魔導王とリザードマンの間で続くが、ザナックもこの謎のリザードマンには些かの興味があったので黙って聞いていた。魔導王はなかなか好奇心旺盛で、知らぬことを知るのが好きなのだろうということが短い会話でも窺い知れる。そして応対するリザードマンの方も、自分を野蛮という割には非常に理知的で高い知性を感じさせる受け答えをしている。部族の長だったらしいがリザードマンというのは意外と文化レベルが高い種族なのだろうか。
「失礼、お話が盛り上がっているところ申し訳ないが、授業を始めてもよろしいか?」
「あっ、す、すまん……つい夢中になった。失礼したザナック殿下、どうぞ始めてくれ」
 ザナックの言葉に魔導王は申し訳なさそうに答えて居住まいを正した。半ばヤケクソで死んでも仕方ないくらいの覚悟で横から口を挟んだザナックにとっては意外な反応だった。だいぶ、普通だ。
 勿論十数万の人間の命を一瞬で奪う事に何の躊躇もない化け物ではあるのだろう。戦場から帰ってきたクライムから直接話も聞いたが、魔導王は大魔法を行使した後ガゼフと一騎打ちする際も常に余裕と風格に溢れた立ち居振る舞いだったという。だが逆に、人の命をどうとも思っていない以外は意外と普通なようにしかザナックには思われなかった。言動にあまり化け物感がない。
「リザードマンの部族の話は大変興味深かったので私も是非もっと詳しく聞きたいところではありますが、魔導王陛下にしっかりと帝王学を身に着けていただかねば私があの悪魔に殺されてしまいますのでご容赦を」
「うん、まあ……そうなるだろうな、それは私も望むところではない」
「一口に帝王学といってもその内容は非常に多岐に亘っておりまして、様々な学問が複合しております。陛下はどのような印象を持たれておりますか?」
「王族の心得的な学問かと思っていたが、そういうわけではないのか」
「勿論そのような内容も含まれております。王族としてどのように人心を掴み国の行く末を導くか、ということに関わる全ての知識——哲学、歴史、地政学、兵法、法学、経済学、統治論、その他諸々、ですな。また書物で学ぶだけでなく実践も大切にしている学問であり、国によってやり方は異なりますが、民草の営みの中に身を置き実際に知ってその中で俯瞰し大局的に物事を見るような訓練も行われる場合もございます。魔導王陛下も私も共に一国の政務を司る身ゆえ多忙ですので、全てやっているわけにはいきませんから大切な部分だけを掻い摘んでお伝えする形になってしまうことは予めご了承ください」
「そうだな、細かい部分も大事ではあるのだろうがまずは要点を押さえたいと思っているので、その点は問題ない」
「ご理解いただき感謝いたします。では本日はまず最も大切な原理原則についてお伝えしたいと思います。魔導王陛下とは思想が多少異なるかもしれませんが、我が国で教えられている帝王学においては、徳をもって民心を得ることと法でもって民を律すること、この二つがまず大綱として挙げられております。徳とは様々に説明されておりますが、ざっくり言えば民草が大過なく平和に楽しく日々を暮らせるよう思いやる心でございます。決して人気取りの甘やかしというわけではないのです。衣食足りて礼節を知るとも申しますが、犯罪を犯す者も余程の悪人ならいざ知らず大抵は魔が差して罪を犯してしまうような者が大半、魔が差す原因は大体は満足に食べられないほど困窮していることです。過去の争いの歴史においても、神話に謳われるような六大神や八欲王が引き起こした戦乱、十三英雄の魔神たちとの戦いなどは別ですが、人間種の国家間の争いは原因を辿ってみれば根本は食料の問題が大きな原因であることがほとんどです。民衆も食うに困らない状況であれば戦を望みません。例えば傭兵を見る限り、純粋に戦いが好きな者も勿論おりましょうが、概ね農村で食い詰めて都市に流れても碌な仕事がなく、兵隊として戦えば飯が食えるからと野盗まがいの傭兵の仲間になる、という流れがあります。人口の大半を占める農民にとっては、家族を養える食い扶持が賄えているならば他者から奪う必要がない、ということですな。実際に状況を調べても、農業生産が安定している領地は治安が良いというのははっきりしております。国のもといは人であり、人がいなければ税収も得られず国体も維持できない。ですので人民を養う基盤である農業をしっかりと整備することの重要性……というのは農業の振興に人一倍力を入れておられる様子の魔導王陛下には神官に神を説くようなものでしょうが」
「いや、正直な話をすると、農業の振興は速やかな税収の確保の必要性と別のとある目的からやっていた。実際の施策も全て配下の提案によるものだ。結果としては正解だったようだが殿下の今の話のように明確な思想に基づいた原理から行っていたわけではない。非常に興味深い話だ」
「ありがとうございます、ご納得いただいたように原理原則を知ることは非常に重要です。どのように判断すれば的確か、ということが論理で説明できるよう纏められたものが原理原則ですので。原理原則を教える師を持つこと、直言してくれる配下を持つこと、己が持たぬ知識や新たな視点を持ち込み的確な助言を行える良き幕僚を持つこと、この三者を得ることが王には重要、ということも説かれておりますな」
「直言……そうか、直言…………」
 呟くと魔導王はやや俯き何事かを考え込んだ。
「キュクーよ」
「はっ……」
「コキュートスは武を重んじ公明正大な男、直言したとて内容さえ正しければ理不尽に罰せられはせぬ。だが、得意とする武力のみで全てを片付けようとしてしまうところがままあり、諸々の判断はまだ未熟なこともあるのだ……偉大だから何でもできるだろうと忖度し直言を避けるようなことだけは……それだけはしないでやってくれ! 頼む!」
「は、はぁ……承りましてございます」
 何故だか切々とキュクーに訴える魔導王の声色は少々の必死さが滲んでおり、言われた方のキュクーも困惑を隠せない様子だった。恐らく部下の話をしているのだろうが、部下思いなだけでこんな切実な声を出すものだろうか。不思議には思ったが事情を知る由はザナックにはない。
 やはり魔導王にはどうも妙に人間臭いところがある、というザナックの印象は強まっていく。想像していたような残酷無比なアンデッドという印象はまるでない。見た目については目にしただけでその場から全速力で逃げ出したくなるほど恐ろしいアンデッドそのものなのだが、口にする言葉はあまりにも普通で、ザナックにも理解の届くものだった。好奇心旺盛で理知的、王としての重責に悩んでいる様子も窺える。圧倒的な邪悪でも何でもなかった。

***

「それでは本日の授業はここまで、ご清聴感謝する」
「殿下、一つお願いがございます」
 本日する予定だった内容を全て話し終え、挨拶をして退室しようとしたザナックを呼び止めたのはキュクーだった。
「何か?」
「本日のお話大変興味深く聞かせていただきました、ありがとうございます。実はわたくし今村を出てここで生活しておりまして、生活に必要なものも衣食住全て魔導国に用意していただいているのですが、授業以外の時間は近くの小川で漁をするくらいしかすることがございません……出来ましたら、殿下のお話についてより深く知ることのできる書物などあればご紹介いただけないでしょうか。後日探し求めて、個人的により深く学ぶ参考にしたいと思います」
「そういうことであれば、私の蔵書をお貸しする。私を送り迎えしている悪魔に預ければ君に渡してもらえるのだろう?」
「おそらくそれで大丈夫かと思いますが……しかしながら殿下の本をお貸しいただくというのは万一破損したり紛失でもしたら弁償もできませんので申し訳なく思います、本の題と著者と概要を教えていただければそれで結構ですので」
「ああ、待てキュクー、ならば私が殿下から本を借りよう。原本を写させてもらい写しをお前に渡す。写本が終わったら問題が起こる前に速やかに殿下に返却するので、それならばお前も安心であろう」
 膨大に余った暇な時間をどうにか有効活用したいものの人間の貨幣経済から隔絶したリザードマン社会でずっと生きていて通貨の持ち合わせなどほぼないキュクーが困っているところに横合いから魔導王が言葉をかける。意外な申し出にキュクーは勿論ザナックも驚きを隠せずにそちらを見やる。
「このような学びの機会を与えていただいた上にここでの生活の面倒も見ていただいておりますのに、これ以上陛下にそこまでのご面倒をおかけするわけにはまいりません」
「構わぬ。貴殿を送り迎えしている悪魔に預ければ私に渡るので、そのように取り計らっていただけるだろうか、殿下」
「お二人がそれでよろしいならそのようにいたしますが……稀覯本というわけでもなく今でも買える本しか持っておりませんので、私としては買い直すことになったとしてもそんなに気にはしませんがね」
「快く了承していただき感謝する。相応の謝礼も授業代に上乗せして支払おう」
「いえ、こちらこそ熱心に話を聞いて興味を持って勉強してもらえるのは有り難い事ですので」
 答えながらも、ここに入って最初から抱いていた違和感がますます強まっているのをザナックは感じざるをえなかった。ありえない絵面、ありえない状況。邪悪なアンデッドの王の想像もしていなかった普通の対応。
 逆鱗に触れて殺されることを強く覚悟してきた自分の決意は何だったのか、という理不尽さも若干感じつつ、ザナックは再度別れの挨拶をして教室に使っている部屋を辞した。

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