その日の政務終了後、アインズは秘かにナザリックに戻り古代図書館アッシュールバニパルを訪れていた。
 図書の整理や様々な部署から依頼された各種調査などで忙しく立ち働いていた職員たち——アインズと同種族の死の支配者オーバーロード数名を中心としたリッチ系モンスターたちはアインズが図書館に足を一歩踏み入れるや、一斉に手を止め跪拝する。
「楽にせよ。司書長に話があって来ただけだ、各自作業を続けてくれ」
 鷹揚に手を振りアインズは拝礼に応える。
 目当ての司書長は奥の作業場でいつも通りにスクロール作成に精を出していた。スクロールが出来上がり次の作業に司書長が移ろうとするタイミングでアインズは声をかけた。
「司書長、頼んでいたものは出来ているだろうか」
「これはアインズ様、気づかずに大変なご無礼をいたしました」
「よい、作業に集中していたのであろう」
「ご高配、深く感謝すると共に恐懼に堪えません。ご依頼のものは出来上がっております、こちらに」
 言いながら司書長が差し出してきたのは三冊の本だった。
 一冊はザナックから借り受けた本、二冊はその写本で片方は日本語訳してある。
「ご依頼を受けた時も少し不思議に思ったのですが、アインズ様が読まれる為の翻訳のご依頼は分かるのですが、もう一冊王国語のまま写本を作成するのは何故なのでしょうか」
「ナザリック外の者でこの本を読みたがっている者がいてな。その者が読む為の写本のついでに私も勉強させてもらおうとお前に訳してもらったので、どちらかといえば翻訳の方がおまけだ」
「左様でございましたか。恐れ多くもアインズ様の尊き向学心がおまけなどということはありえませんが、それは兎も角として納得いたしました。ご説明いただきありがとうございます」
「今後も同じように翻訳と原語のままの写本を各一冊ずつ頼むことになると思うのでよろしく頼む」
「かしこまりました、いつでもお持ちくださいませ、最優先で作業させていただきます」
 本を受け取るとアインズは古代図書館アッシュールバニパルを後にし、原本をザナックに返却する為にデミウルゴスを訪ねようと第七階層へと向かった。
 キュクーは本当に都合の良い希望を出してくれた。この世界で書かれた帝王学に関する本は、アインズがずっと読みたいと強く思い続けていたものだ。それを不自然さなく借り受けて写本する機会に恵まれ、日本語で読んで勉強できる。
 してみれば、キュクーは学ぶのは本当に好きだがただただ外の世界に出ることに強い忌避感があっただけなのだろう。何百年も続けてきたリザードマンの生活様式なのだから、染み付いた考えをそう簡単に変えられないというのも理解できなくはない。旅人というシステムが出来たのにも恐らくは何らかの背景と理由があり、その伝統が守られ続けてきたのにもまた相応の理由があるのだろう。日本人という人種も伝統やルールから外れることを忌避する傾向が強いので気持ちは分からないでもない。リザードマンほど頑なではないが。
 外の世界に出てみれば、今まで知らなかった新しい知識や発見が溢れ返るほどにあって、小さな世界の中で視点や考え方が凝り固まっていたことなど馬鹿馬鹿しくなるだろうにな。そこまで考えて、お前が言うか、という感想をアインズは自分に対して抱いた。
 ナザリックから、アインズ・ウール・ゴウンからどうしても離れたくなくて取り戻したくてここにしがみつき続けていた自分に言えることではない。
 リザードマンが村の中の小さな世界しか知らないように、アインズ・ウール・ゴウンという五十人足らずの小さなコミュニティがモモンガの全てだった。リアルでブラック企業の営業職をしていたとはいえ、そことて小さな会社で、仕事にひたすら追われる日々でろくな人付き合いもしていなかった。常識があるのと世界が狭いのはまた別問題だ。鈴木悟だって人に何か言えるほど広い世界を知っているわけではない、家と会社の往復だけで過ぎていく日々で世界が広がるわけがないし、そこから脱出しようと考えるようなゆとりすらなかった。ゲームの中でもギルド外に人付き合いを広げようとするようなこともなかった。ギルドの中に入り込んで情報を収集しネットで金儲けの道具にするスパイを警戒していたのもあるし、鈴木悟は元々積極的に交友関係を広げる性格ではない。特にスパイに関しては、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーが引退しギルドとしての体裁を保つことが難しくなっていってもメンバーを補充できなかった最たる原因だ。
 周辺国家の情報収集の中でまだ見ぬ未踏の地の情報もそれなりに集まってきている。ナザリック強化と魔導国の発展が今は一番大切なのでその観点からしか各種情報は見ていなかったが、エルフの国があるというエイヴァーシャー大森林などは一度アウラとマーレを連れ行ってみるのも悪くないかもしれない。聖王国ではノープランだったというのに頑張って辻褄を合わせ状況に対応し続けそれなりの成果を上げたのだし、そのくらいの息抜きは許されるのではないだろうか。
 しかし、ナザリックとエ・ランテルを長期に渡り空けることをアルベドが許すかというと否だ。聖王国のように計画に関わっているならば内心はどうあれ黙っているかもしれないが、アウラとマーレの友達探し、などという名目でアルベドが首を縦に振るなど全く想像できない。
 また情けない相談をすることにはなるのだが、本を渡しに行くついでだしデミウルゴスの意見を聞いてみるか、という考えが浮かぶ。デミウルゴスはアルベドを意図した方向へ動かすのが何故だかだいぶ上手い。そもそも口が達者なのもあるだろうが、何をどう伝えれば相手がどう動くのかを恐ろしいほど正確な精度で予測しているから誰も御せないアルベドを動かすこともできるのだろう。ぷにっと萌えさんが話していた諸葛孔明が曹操軍と戦う為に単身呉を訪れ、当時居城にしていた新野を曹操軍に追い出されて流浪していた劉備軍を侮る並み居る呉の論客を全て論破して呉との同盟を勝ち取ったという逸話を何とはなしに思い出すが、フィクションの中の名軍師もかくやという知略ぶりが恐ろしい。
 三国志をアインズは読んだことはないのでぷにっと萌えさんが語っていた内容しか知らないが、呉の論客の中にもアインズ絡みのアルベドほど理屈も論理も通用せず人の話に耳を貸さない者もおるまい。普段のアルベドは過度にナザリック外の者を蔑視して侮る風がある以外は理屈も論理もアインズよりもきちんと分かっているし冷静な話もできるので本当に落差がひどい。デミウルゴスがどうやってアルベドを動かしているのかは怖くて聞けていないが、もしかしたらそのせいでアルベドの思い込みがますます激しくなっているという可能性もあるのでは、とは考えなくもない。それでもとにかくデミウルゴスがアルベドを動かさなければアインズはエ・ランテルへ出て冒険者として活動することすらできなかったのは確かだ。アルベドの思い込みが激しくなる分には跡継ぎを作ってほしそうなデミウルゴスとしては都合がいいのだろうから、そこまで配慮しろというのも虫がよすぎるというものだろう。
 それにしても不思議なのは、ナザリックのシモベたちがアインズは跡継ぎを作れると信じて疑っていなさそうなところだ。どう考えても無理なのは見れば分かるだろ! こっちは骨だぞ! と言ってやりたい気持ちは大いにあるのだが、大真面目に信じているらしきNPCたちに現実を突きつけるのがどうにも忍びなくて未だに言えていない。特に爺やになるのを何よりも心待ちに楽しみにしていると思しきコキュートスに事実を告げた時の落胆ぶりなど想像するだに恐ろしいというか哀れすぎて居た堪れない。コキュートスみたいないい奴にそんな可哀想なことはとてもではないが出来ない。
 第七階層へのゲートを通り階層に出ると、少し離れた所でデミウルゴスと配下の悪魔が跪きアインズを出迎えていた。
「これはアインズ様、ようこそいらっしゃいました。本日はどのようなご用件でしょうか」
「例の本を相手に返しておいてもらおうと持ってきた」
「一言お言い付けくだされば、わたくしが古代図書館アッシュールバニパルまで司書長から受け取りに赴きましたものを、御自ら足を運んでくださるとは光栄の至りにございます」
 デミウルゴスは本当に輝かんばかりの嬉しそうな笑顔で、尻尾をぶんぶんと左右に揺らしながらそう答えていた。うん、嬉しそうだな、確かに、というのはアインズにもさすがに分かる。例えば氷結牢獄や円形闘技場アンフィテアトルムのような頻繁に用事のある施設があるわけではないので第七階層は普段からあまり訪れることがないが、階層守護者たちは自分の守護階層にアインズが訪れるととても嬉しそうにする。
「忙しいお前をそのような些事で煩わせるのはナザリックのためにならんだろう。私は今日の仕事も終わったしどうせ今はすることのない時間だ、気にすることはない。それと、一つ相談したいことがあってな。お前にしか相談できん」
「かしこまりました、わたくしの私室でお伺いいたしますのでどうぞこちらへ」
 微笑んでデミウルゴスは立ち上がり、アインズを先導するべく歩き出した。従って歩き出したアインズの背後を守るように配下の悪魔たちが続いてくる。古びた崩れかけの神殿——赤熱神殿の入口に着くとデミウルゴスは一度立ち止まり、後に続いてきていた配下たちに人払いの徹底を厳命していた。悪魔たちの表情が表す感情など元人間のアインズにはよく分からないが、それでもデミウルゴスの命令を受けた瞬間周囲の空気がピキッと張り詰めたのは感じる。余程恐れられているのだろうな、とぼんやりと考えながらアインズはデミウルゴスの後に続いて赤熱神殿へと足を踏み入れた。
 ギルドメンバーがまだ共にユグドラシルで冒険をしていた頃、ウルベルトさんと特に仲の良かったモモンガは何度もここを訪れていた。作成途中のデミウルゴスを見せてもらったり、スキルなど能力について相談に乗って意見を出してみたり、下らない厨二談義に花を咲かせたり。様々な、本当に様々な話をした。
 だけど不思議と、ウルベルトさんのリアルの姿をモモンガはほぼ知らないし、鈴木悟のこともウルベルトさんにはほぼ話していない。話したくなるような楽しい話題が鈴木悟にはなかった、というのもあるし、何故かそういう話題にならなかったというのもある。リアルの生活について話すのが別に嫌だったわけではないけど、自分から進んでは話さなかった。ヘロヘロのように抑えきれない愚痴を言うこともなかった。ギルド長としての責任感から、モモンガはそういう愚痴の聞き役に徹していた。そしてウルベルトさんも、あまりリアルのことを話さないタイプだった。
 個人的にメールアドレス以外の連絡先も交換していたのに、鈴木悟は積極的に連絡を取ろうとしなかった。ウルベルトがユグドラシルにいた時はユグドラシルで会えばよかったし、ウルベルトがユグドラシルから去った後も、去るだけの理由があり忙しいだろうと思うと連絡を取るのは憚られた。だからウルベルトが今どこで何をしているのかを知るよすがはアインズにはない。どうやら似たような境遇のようだから、ブラックな労働環境の会社で心を削られながら働き続けているのかもしれない。
 特に懇意にして個人的に連絡先を交換していたウルベルトとペロロンチーノについては、鈴木悟さえ積極的に連絡していればもしかしたら今ここにいたかもしれない。そう考えるとデミウルゴスとシャルティアには申し訳ないことをした、という気持ちが強くなってくる。ユグドラシルをやっている時も去り際にも、別のゲームにモモンガを誘ってくれた人は何人もいたけれども、ユグドラシルに割く時間が減って足が遠のくのが嫌でモモンガは断り続けた。それだって、受けていたならもしかしたらギルメンのうち幾人かはここにいたかもしれない。アインズさえここにいなかったという可能性もあるけれども、初めて仲間と呼べる人たちができて心から大切な居場所だったナザリックが消えてしまう、ゲームが終わる瞬間にモモンガが立ち会わない、という選択肢はアインズには想像できない。
 神殿内部の一室をデミウルゴスは執務室にしているらしく、チーク材の机の上には書類が積み重なっている。アンティーク調の真鍮製のランプの橙色の火が暗い真紅の壁紙に投影された影を揺らす。暗い色調の凝った意匠のタイル張りの床。全体的に落ち着いた色合いの部屋だった。この神殿のデザインは、細かなもの一つ一つに至るまでウルベルトさんのこだわりが詰まっている。一つ一つに込めた思いを楽しそうに語ってくれたウルベルトさんの弾んだ声をアインズは懐かしく思い出す。
「ここに来たのは久し振りだが、ウルベルトさんは本当にセンスがいい。私にはこういう美的感覚はないから羨ましく思っていたものだ」
「我が創造主への最大の賛辞を頂き、感激の至りにございます」
「こんな部屋を普段使っていればエ・ランテルの建物があばら家に見えてしまうのも仕方ないかもしれんな。本当は逆で、ここが特別なのだが……アインザックはこんな美しい場所を見たこともないのだ、あまりいじめてやるな」
「はっ、今後は十分に留意いたします」
「お前もきっとウルベルトさんのセンスを受け継いでいるのだろうな。お前は大工仕事が趣味というが、作った作品も見てみたいものだ……あの椅子以外で」
「お目にかけるのに相応しい物が出来上がりましたら、是非ともアインズ様に献上したいと考えております」
「そうか、それは楽しみだ。そうだな……できれば、木! 木工作品がいいぞ! 骨ではなく!」
「かしこまりました、アインズ様は木の工芸を好まれておられるのですか」
「うむ、そうだな」
 骨よりはな、という言葉尻をアインズは飲み込んだ。アインズ自身骨なのだから骨差別というわけではない、逆にあの椅子に使用されていた種々の骨に同族意識が薄っすら湧いていた気すらしている。それに、どう見ても人間の頭蓋骨を美しいと思えるセンスはアインズには全く理解できない。
 屍体愛好者ネクロフィリアのシャルティアもよくアインズをこの世で最も美しいと褒めそやすが、美しい骨とそうでない骨の差などアインズには全く分からない。骨に美醜とかそういう感情を抱いたことが一度たりともない。
「それでアインズ様、ご相談とはどのようなお話なのでしょうか」
「うむ。聖王国での私の働きはお前から見てどうであった」
「さすが至高の御方と呼ばれるに相応しい、素晴らしいお働きでございました。ネイア・バラハを手懐け心酔させることによってわたくしの聖王国を魔導国へと併呑する計画は年単位で大幅に縮められました。これはまさにアインズ様のお働きなくては成し得なかったことでございます」
「そうか……それも、たまたま運が味方しただけに過ぎないのだがな……。ともかく、私はよく働いた、そうだな?」
「シモベとしては心からお恥ずかしい話ではございますが、アインズ様以上に働き成果を上げている者などこのナザリックには存在しません」
 大真面目な顔でアインズへの賛辞を述べるデミウルゴスの顔をアインズは凝視し観察していたが、嘘を言っている様子は一欠片も見当たらなかった。おべっか、というわけでもなさそうである。というかどうやら心底から言っている様子しか見当たらない。美辞麗句はやめるようにという釘は以前刺したので必要以上に賛美しているというわけでもないだろう。
「そうかそうか……うむ、それならばな? よく働いたならば多少休み息抜きをしたとしてもだ、咎められたりはせぬな?」
「アインズ様に誰よりも働いていただいている現状を恥じこそすれ、アインズ様がご休息なされて咎めるような不届き者などどこにもおりません」
「王族もたまに旅行し休息する保養地や別荘を各地に持っているものだと聞いたこともあるし、王としても問題はないと思うのだ……しかしな、私がナザリックやエ・ランテルを長期間空けることをアルベドが許してくれんのではないか?」
「……左様でございますね、その予測は的を射ているかと思われます」
「アルベドも連れて行けば文句を言わないどころか大喜びかもしれんが、私とアルベドが両方とも長期で不在にするわけにもいかんだろう。私はともかくアルベドがいなくなると様々な弊害が出そうでな」
「パンドラズ・アクターやわたくしでも代役は問題なく務められるかと存じますが、その分各自の仕事は滞ってしまいますので、アルベドには留守を守っていてほしいのが本音ではございますね」
「だろうな。シズの褒美としてネイア・バラハをナザリックでもてなした後に情勢に大きな動きがないようであれば遠出をしてしばらくのんびり過ごしたい、というのが私の希望なのだが、どうしたものかと思ってな、相談とはそのことだ」
 告げると、デミウルゴスは僅かに俯いてふむ、と小さく唸り考え込む姿勢を見せた。さすがに即答はできないらしい。それはそうだ、ずっと考えているというのにアインズなど解決の取っ掛かりさえさっぱり見えない。
「……アルベドを連れていかぬとすれば、供回りは誰にお任せになるおつもりなのでしょうか?」
「アウラとマーレだ。一度言ったことがあったが、あの二人には友達を探してやりたいから、エルフの国を共に見に行くのはどうかと思ってな」
「アウラとマーレであれば戦力としても万全、その点はアルベドも文句は付けられぬでしょうが、アインズ様が長期間不在にするのを許すとは……もしアインズ様がお嫌でなければ、なのですが」
「何だ?」
「何かしらの約束をアルベドに与えるわけにはいきませんでしょうか。アルベドは、不安なのではないでしょうか。不安だから、過度にアインズ様のお気持ちを独占しようとするのではないでしょうか。アインズ様はあくまでアルベドに己を愛するようお命じになられただけで、アインズ様が寵愛を与えると約束したわけではない、という道理がアルベドには……見えていないのか見ないようにしているのかは存じませんが、とにかくアインズ様に特別に愛される対象でなくてはアルベドは己を保てないのではないか、そう感じるのでございます」
「愛していないわけではない、だがそれは友人の遺してくれた大切な子供たちとしてだ。友人の遺児に手を出すなどという恥知らずはできん」
「それではアインズ様は外から妃を迎えることをお考えなのでしょうか?」
「不死者の王に妃は必要か? 完全にないとは言わぬがお前たちの考えるような異性への性的な欲求は私にはない、必要を感じないな。私には寿命もないのだから世継ぎの必要もないだろう。だから、私にはアルベドの望みを叶えてやることはできん」
「かしこまりました、差し出がましいことを申し上げてしまい申し訳ございませんでした」
「……言っておいてなんだが、私の言い分で納得するとは驚きだ」
「我らにとっては至高の御方々のお言葉こそ絶対、本来であればアルベドが特別な寵愛を望むのは僭越というのは前に申し上げた通りでございます。求める愛を得られぬアルベドを哀れに思わぬわけではないのですが、アインズ様のご意思こそ何をおいても優先されるものでございます」
「確かに、哀れに思っているからこそ約束をしてやれという提案も出てくるのだろうがな……そうすればアルベドも落ち着くだろうというのも分かるが、アルベドに約束してやれることなど私には何一つないのだ。もししてやれるとすれば……いや、これもアルベドに特別に、ということではないな」
 途中で口を閉ざしたアインズをデミウルゴスは不思議そうに見やっているが、続きを口にする気をアインズは失ってしまった。言うのも野暮、というか口幅ったいような気がしてしまったのだ。
「アルベドがここで待つ限り、私は必ず帰って来る。これは以前アルベドに約束したことだ。これで不満ということであればもうどうしようもない」
「女として愛されぬ限り何を言ったところでアルベドの不満は消えませんでしょうから、そういうことであれば捨て置いてよろしいかと存じます。お任せいただければ適当に言い包めて問題ないようにいたしますので」
 至極普通の表情で恐ろしいことをデミウルゴスは口にした。誰の言い分も聞かない状態のアルベドなどいつ起爆するか分からない核弾頭のようなものだ、それをこともなげに止めると言う。
「お前はよくあの状態のアルベドを適当に言い包められるものだな……私にはとても無理だ」
「多少の真実も巧妙に織り交ぜた、相手にとって都合の良い嘘というのがおおよその場合は一番有効でございます。完全に嘘というわけではなく、見方を変えればそう見えなくもない、というものをいかにも魅力的に真実味をもって提示してやるのが受け入れさせるコツでございます。暴走しているアルベドは確かに人の話を聞きませんが、彼女にとって魅力的な、アインズ様が自分に特別な愛を向けているという前提の話だけは別なのでございます。ただアインズ様がそれをご自身で口にされるのは様々な面で問題がございますでしょうから、お任せいただければと思います」
「うむ……そうだな」
 デミウルゴスの言うことは分からなくもない。営業職が相手に何かを売る時のノウハウに通じるものがある。魅力的な部分を相手がメリットを感じるように説明できなければ買ってはもらえない。そういうことならアインズも戦略さえ練ればできなくもないだろうが、それを試す相手がいきなり暴走状態のアルベドは相手が悪すぎるし失敗した時のデメリットが大きすぎるので避けた方が無難だろう。そしてその気がないのにアルベドを女として愛しているという前提での話をアインズが口にするべきではない。それは本当に正真正銘の嘘になってしまう。
 交際人数ゼロの童貞に愛は難しすぎる。鬼神は敬してこれを遠ざくるべし。愛など超常現象並によく分からない。
「しかし、いつまでも放っておくわけにもいかぬな、いつかは結論を出さなくてはならぬのだろうが……性的な欲求も湧かぬ相手を伴侶として愛する、というのはどうすればいいのか、未だに分からん」
「非常に難しい問題でございますね。アインズ様がどういう結論を出されたとしても、伴侶とされぬ限りアルベドは納得はしない、というのは見えておりますが……」
「そういうお前は伴侶を迎える気はないのか。ナザリックの内でも外からでも構わんが。私の世継ぎがナザリックの戦力増強に繋がるというのであれば、お前たちの子供とて戦力増強に繋がるであろう」
「その件に関しましてはかねてより実験を重ねてはいるのですが、未だに成功例が出ていない現状でございまして……十三英雄には人間と悪魔の混血児がいたという話もございますので、不可能ではないと考えられるのですが、更に様々な条件での試行錯誤が必要になり少々お時間をいただくことになるかと」
「じ、じっけ……?」
 デミウルゴスが平然と答えた内容にアインズは思わず絶句した。実験、実験って何の? 伴侶と子供の実験? いやこれ多分伴侶関係なく子供を作る実験の話だよね? 実験? 実験で子供作ろうとするとかさすが悪魔だな? というか相手はどうやって連れてきたの? それっていいの? 許されるの? 今まで何人犠牲になってるの? ただ子供を作るためだけに好きでもなんでもない相手とできるとか逆にすごくない? 様々な疑問がアインズの頭の中を奔流のように流れ、やがてアインズは考えるのがどうでもよくなっていった。考えたところで分からないし、もしナザリック所属の者が子供を作るのに必要な条件があるとして、それを解明できたならナザリックの利益に大いに繋がる。
「いや、あのな? そうではなく、伴侶の話だ」
「はぁ……恐れながら、わたくしは悪魔として創造していただきましたし、性格や性質もそれに相応しいものとなっております。人が伴侶を愛する気持ちというのは引き裂いて弄ぶのは至極楽しいですが、己がそれを誰かに感じるかというと……正直な所経験がございません」
「お前のナザリックの仲間への態度を見ていると、愛することができぬ、というわけでもなさそうなのだがな」
「確かに至高の御方々やナザリックの仲間に向ける気持ちは人間が伴侶に向ける気持ちに相通ずるところはあるかとは思いますが、例えば人間の中ではただ一人の伴侶を守る為に地位も身分も全てを擲つ者を称賛したりいたします。わたくしは全てをナザリックと至高の御方々に捧げておりますので、そのような気持ちをナザリックと至高の御方々以外に向けることなどありえません。たとえナザリックの仲間であっても、ナザリック全体やアインズ様の不利益となるならば戦うことも決して厭いはしません」
「……そうだろうな」
 その時アインズの脳裏を過ったのは、あまりに残酷に葬られた聖王女カルカ・ベサーレスの末路だった。アインズは死亡した体でアベリオン丘陵平定中だったので実際に見たわけではなく報告を聞いただけだが、あれ多分デミウルゴスは自分の趣味も多分に入れてめちゃくちゃ楽しんでやってるよね、やろうと思えばああいうのいくらでも思い付くんだろうな……と思うとぞっとしない。優れた発想力をそんな事に使わなくてもいい筈だ。アンデッドへの蔑視を丸出しにして隠そうともしないレメディオスの態度は最悪だったし今でもむかついているが、絶対の忠誠を誓った主人が目の前であんな殺され方をしては平常心でいられる方がおかしいし他人事とはいえさすがに気の毒だ。だからといってしてやれる事はアインズには何一つないしあんな態度の悪い女に何かしてやる義理などないが。
 あのデミウルゴスの残忍さがナザリックの仲間に向けられる状況というのは考えるだにない筈の胃が痛くなる。本当にやめてほしい、アインズにとっては誰一人として差を付けられない大切な存在なのだ。そうならないように一層気を引き締めていかねばならないだろう。
「まあ……お前がそういう相手を持つ気が今のところないことは、よく分かった。今後相手が見つかってその気になったら盛大に祝いたいので教えてくれ」
「お心遣い痛み入ります、もしそのような状況になりましたら、何を置いてもまずはアインズ様に報告させていただきます」
 気付けばまた話が本題から大きくずれていた。結論としてはいつも通り、アルベドの暴走をデミウルゴスがどうやってかは知らないが言い包める、ということなのだろう。想像通りそれがアルベドの暴走を更に助長している悪循環を生んでいるようだが、残念ながら他に目ぼしい解決策がない。
「ただ一つ、今日のお話の中で気がかりな点がございます。エルフの国に行かれるという話でしたが、彼の国は法国と長年戦争中、エルフ王は他と隔絶した強大な力を持ち法国も手を焼いて攻めあぐねている、という話を耳にしております。もし赴かれるならば事前に十分な調査が必要かと」
「ふむ、確かにな。エルフ王がプレイヤーまたはその関係者という可能性も除外はできんし、出来る限り情報を集めてくれるか」
「かしこまりました」
 結局、アルベドのことは根本的な解決策が未だに見えないまま話が終わってしまった。いや、根本的に解決する方法は分かっているが、それは無理なだけだ。
 王ならば正妃は愛とか恋とかではなく、国の利益を第一に選ぶだろう。だがそもそもアインズに妃は必要がない。生涯を添い遂げる伴侶として選びたい相手がいるならば別だが、残念ながらアルベドに今のところそういう気持ちを持っていない。アルベドを正妃に迎えて子供を作ることが国の利益になるならばそうするべきだろうが、子供はどう頑張っても出来ようがないし、既に宰相であるアルベドを妃にするデメリットはシャルティアの反応始めいくつか考えられてもメリットは残念ながら浮かばない。アルベドが暴走しなくなるだろう、という予測のもとそうしたとしても、暴走がもっとひどくなりアインズに特別に愛される地位を得て専横に変わる可能性だってなくはない。
 アインズに特別に愛される地位をアルベドに約束する、という解決策しか提案できないのだから、他の方法はデミウルゴスにも浮かんでいないのだろう。それはそうだ、それ以外の根本的な解決方法などない。
 本当にそうあるなど想像もしていなかったとしても、そうあれと設定を書き込んでしまったのは自分だ。責任を自分に求めるしかなく、アインズは憂鬱さから長い長い息を吐き出した。

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