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 ザナックが朝ベッドで目を覚ますと、横にどういう訳か件の送迎悪魔がいた。
 心臓が止まりそう、などという生易しい驚愕ではない。どうせ誰にも話せず褒めてももらえないのだから、大声を上げなかった自分をザナックは自分で褒めてやりたい。それでもさすがに咄嗟に上体を起こし後退ってはしまった。
「日頃お忙しそうな割には随分とゆったりとした目覚めですね」
「え、は、あ……な、何用なのか……?」
「本日は講義の日ですが、夕食は控えめに済ませておいてください。何なら食べないでいてもらっても結構。魔導王陛下が感謝を伝えたいと講義前に殿下をもてなされたいそうなので」
「もてなし……? す、済まぬが、一体何の為に……」
「申し上げたでしょう、魔導王陛下の感謝の気持ちです」
「いや、全く分からん……魔導王陛下にそんなことをなさる理由があるとは思えない……」
 ザナックにしてみればされていることは脅迫と拉致だ。だがそれで行動の自由を何か制限されているわけでも害を受けているわけでもないし、自分の意志で受けたといえばそう言えなくもないから何も言わないだけだ。脅迫して拉致してきて言うことを聞かせている相手をもてなすという行動の意味がザナックには全く分からない。それを知ってか知らずか悪魔はこちらを侮蔑している感情丸出しの溜息をついてみせる。
「陛下は恩には恩で報いられる方、あなたから教えを受けていることを恩と感じておられる、ということです。非常に明快な理由かと思いますが、これ以上の説明が必要ですか?」
「いや……心情的に納得は全くしていないが、理由はよく理解した……」
「理解さえしてもらえれば結構。あなたが納得するかどうかなど些事に過ぎません。ああ、それとあと一つ確認がありました。魚料理が苦手で食べられない、ということはないですか」
「ものによるが、別に苦手ではない。あまり癖の強いものでなければ食べられる」
「それはようございました。それではまた後程お迎えに伺います」
 一方的に用件を終えると悪魔は掻き消えてしまった。いるのかいないのか分からないのは本当にやめてほしい。不可視の存在など剣技すら苦手な平凡以下の能力しか持たない人間に過ぎないザナックに察知することなどできない。
 学問を教えてもらっていることに感謝してもてなしの食事を用意する、実に普通の行動だ。だが相手はあの魔導王なのだ。言動が意外と普通、という印象を実際に見て持ったとはいえ、外見と伝え聞いていた話から作り上げられた先入観をそう簡単に全て捨て去れるわけではない。そもそもアンデッドが普通の人間のような応対をするというのが通常の常識の外だ。
 それにしても、あの悪魔と話をしていると、自分と血が繋がっているとはとても思われない、同じ人間であるという事実が不可解すぎる化け物じみた知能を持った妹のことをどことなく思い出してしまうのはどうしてなのだろうか。どこがどう、というわけではないのだが、人間の見下し方が似ている気がする。実際にラナーが考えていることを考えている通りに説明されたところで理解できるわけがないし、ラナーもそれを知っていて話が通じないと最初から思っているので、こちらのレベルに合わせた話し方を一応はするが、見下しつつも噛んで含めるように丁寧に説明してくれているような感じがあの悪魔からもする。
 ラナーみたいな化け物は一人でも充分すぎると思うが、本物の化け物である悪魔に対して言うことではないだろう。悪魔なのだから人間には理解できなくて当然だし、人間の筈なのに心が化け物であるラナーの方がどう考えても異常だ。
 そこでいうと、化け物でなければおかしいし実際の行動も化け物だからやったに違いないのに、いやに人間臭い魔導王のこともザナックにはまだよく分からない。そもそもザナックはただの普通の人間なので人間外のものへの理解は難しいが。
 魔導国は人だけでなく亜人も異形種も同じように暮らせる理想郷——眉唾だ、とザナックは思う。当然国家である以上武力を背景とした統治による平和、というのは普通の話だ。一体でも国が滅びかねない伝説級アンデッドが数百数千といて衛兵をやっているから異常に思えてしまうだけだ。実際に魔導国では亜人も異形種も等しく権利を保証され、(欲望のままに人間を殺せば犯罪になり伝説級アンデッドの衛兵に即座に殺される羽目となるので)大きな問題もなく人間と同様に暮らしているらしいのも聞いている。圧倒的な恐怖を背景としてはいるが理想は一応実現されてはいる。
 問題はそこではなく、この理想は誰の為のものなのか、ということだ。ザナックの目には魔導王は綺麗事の理想を本気で実現しようとするタイプには見えない。いくら綺麗事に思えても目指さなければ理想に近付くことは決してできない、と大真面目に言うタイプの人間を揶揄するつもりは全くないが、ザナック個人は綺麗事というのは耳当たりがいい分人を惑わすこともあるからその点は害だと思っている。もし万一、ありえない可能性が現実となって綺麗事が実現したとしても解決されない問題は残るだろうし綺麗事が現実になってしまったが故に新しく生まれる問題もあるだろう。この国をこう変えていきたい、という具体的な展望がなければ政策の方向性も決められないし、できる限り先の将来を見据えた思慮は大切だろうが、全てを見通すことなど不可能だ。魔導王はそういう点が分かっていない夢想家にはとても見えない、ではこの理想は何の為に掲げているのか、というのがさっぱり分からない。魔導王とその配下が人ではないから、ではないだろう。それなら自分たちを特権階級にする、たったそれだけで済む話だし、可能なだけの力も充分にあるだろう。人間が亜人や異形種を差別迫害するから、という理由も違和感が残る。力関係でいえば逆に人間の方が狩られる側だ。亜人や異形種を優遇するのではなく、弱い人間と平等に扱う、というのもよく分からない。その理想を実現することによって魔導王は何を得るというのだろう。
 平等などという言葉はザナックにとっては薄ら寒い。人間同士でも個々人でそれぞれ違いはある。生まれも育つ環境も持って生まれた能力も性向も考え方も違う。種族が違うなら尚更違いは大きくなるだろう。それぞれに応じた対応というのが本来あるべきで、一律に平等などというのは各自勝手にやれ、というのと大差ない。そうなれば当然能力的に劣った人間という種族は弱い立場に置かれるだろう。亜人種と戦いにもならず大陸の端に人間が追いやられ、絶滅寸前で辛うじて六大神に救われたという歴史からもそれは明らかだ。犯罪となってしまうのだから殺されはしないだろうが、ただ殺されないだけだ、とも思う。
 例えば法国は亜人国家の侵略から人類を守るための団結を説いているが、国の理念というのはそういう目的が見えやすいものの方がいい。綻びも拡がっているようだが、実際に法国はその理念によって六百年もの間団結し続けてきた。強力で残虐な亜人に人類を滅ぼされたくないから、実に分かりやすい、学のない農夫でも分かる理屈だ。目的そのものや実行方法の是非はともかく目的がはっきりとはしている。逆に魔導国の理念は目的が一切見えない、それが魔導王に感じる不可解さを一層強めている。
 あの悪魔のように人間には理解できない存在なのだろうと思わされる言動ならまだ分かるのだが、実際に対面した魔導王の言葉はザナックの理解が届きそうだったというのが逆に非常に不可解だ。実際に信じているとは思えない遠大な綺麗事の理想、人間の理解が届きそうな実際の会話、残酷極まる化け物らしい虐殺、それぞれがちぐはぐでまるで繋がらない。
 腹を割って魔導王と話してみる機会ができればいいのだがな、とザナックはぼんやりと考えた。無駄話をして機嫌を損ねたくもないし、今のところザナックは授業に必要なこと以外は極力話さないようにしている。距離を詰めたいのはやまやまだが、人にあまり好かれないザナックは当然人付き合いもそんなに上手くはない。余計な一言を言い過ぎるからだ、というのは分かってはいるが、王位継承を脅かす相手として正面切って兄と敵対しないように過ごすうちに捻じ曲がっていった性根で捉えるとどうしても一言二言皮肉を付け加えてしまう。もし王となるとしたら配下の機嫌を無駄に損ねるであろうこの悪癖は有害だな、とは考えてもそう簡単には治らない。現状ではザナックが王になるかどうかの前に王国が存続できるかどうか自体が非常に危ういが。
 掲げる理想というのは、案外個人的な経験や願望から生み出されるものだ。血統主義偏重を脱却して能力を正当に評価されるようにしたい、とザナックが考えていたのも、王国を強くする必要からそう思っていたのは確かににそうなのだが、王位を継ぐのを脅かすからと兄に攻撃されるのを恐れて何事も程々に手を抜いてきた為に正当な評価を父から受けられなかったから、というのも奥底にはあるだろう。それならば、魔導王があんな頓痴気な理想を掲げる理由は何なのだろう、やはり案外個人的な理由があるのだろうか。それが一体どのようなものなのかは皆目見当が付かないが。
 食事でもてなされるというのは距離を詰める好機だろう。授業以外の話をするいい機会なのは確かだ。どうして何の為にそんなことをするのかは未だに納得ができないが、ザナックにとっても都合がいいといえる。魔導王から感じるちぐはぐさが難易度を高めているが、友好的に接しどうにか誼みを結びたい。
 しくじれば即座に死、というのは意識的に考えの外に追いやり、ザナックは山積する問題に対処すべく着替えの為に小間使いを呼ぼうと立ち上がった。

***

 解せない、とアルベドは思った。
 以前話に出ていた情報機関の統括にデミウルゴス以外の者を据えることを検討するという件は、知らない内に撤回されていた。アインズ様は統括もそのままデミウルゴスに任せるおつもりになったらしい。どういう過程でそうなったのかは伺い知れないが厄介だとは思う。
 そしてどうも最近アインズ様はしばしばナザリックに一時帰還し、人払いをして誰かしらと何か話している。誰と何を話しているのかはさすがに簡単には分からないが、そんな事をしそうなのは階層守護者ならば一人しかいない。本当に目障りな男、不快さを抑えきれずアルベドは鼻からゆっくりと長く息を吐く。
 宰相たる自分の頭上を飛び越して密談が繰り広げられているというのも不愉快だし、アインズ様に頼られる立場に自分以外の者が立っているのも至極不愉快。
 本当はこんな国どうだっていい。この世界の者の王になどならず、アルベドだけの王でいてくれればそれでいいのに。もし手段があるのならば誰の手も届かぬ所に閉じ込めて、アルベドだけしか見なくていいようにしてしまいたい。「みんな」のことなんて考えないでほしい、アルベドただ一人のことだけを考えてほしい。他の事なんて全部何もかも忘れてしまえばいい。アインズ様、いやモモンガ様がアルベド以外の誰かを思考の端に浮かべると思っただけで、アルベドの心は嫉妬の熱で焼き切れてしまいそうになる。
 モモンガ様はお優しいから、他のつまらない者もお見捨てにはならない、考えてしまう。そのお優しい心をアルベドは誰よりも愛しているけれども、そのせいでアルベド以外にも目が向いてしまうならば、そんなものは不要だ、と思う。
 それならばいっそ世界もナザリックも、モモンガ様とアルベド以外のものを全て消し去ったなら、どれだけせいせいするだろう。本来ならば世界にはモモンガ様とアルベドの二人だけいればいい。創世の神話のように、そこからまた世界も始まっていくだろう。
 ただ、完全にアルベドの望むようにしてはモモンガ様を悲しませてしまう。宥めて慰めて差し上げればいいだけだけれども、アルベドとてモモンガ様を徒らに悲しませたいわけではない。だから出来る限り穏便に事を運ぼうと機会を伺い続けている。
 アルベドだけを見つめるようになればモモンガ様も必ず理解してくださる。モモンガ様にはアルベド以外必要なものなど何もなく、アルベドがいればただそれだけでいい。モモンガ様以外の、モモンガ様を捨て去り傷付けた憎むべき存在をモモンガ様よりも上位に置いて崇拝する者など、不要だ。ナザリックに君臨する至高はモモンガ様ただ一人だけでいい。
 その理想を実現する為の障害が多すぎるのが問題だった。障害は高い方が愛は更に燃え上がるとはいうけれども、思うように事が運ばないのには焦れてしまう。最大の障害は何かの切掛さえあればアルベドの思惑に勘付いてしまう可能性が高く、勘付いたらまず間違いなく阻止しようとしてくるデミウルゴスだけれども、どうすればモモンガ様が復活などとんでもないと考えるほどの罪を着せ抹殺し二度と復活が叶わないようにできるだろうか。他の者はどうとでも言い包められる、あの理屈臭い小利口な男だけがどうしようもなく目障りで仕方がない。
 ああそうだ、どうせモモンガ様以外の創造主など見つけ次第殺すのだから、デミウルゴスが殺したということにしてしまえばいいのではないか。何なら見つかってもいない創造主を殺したことにしてあいつをしてもいない創造主殺しの咎で誅殺してしまってもいい。パンドラズ・アクターを使えば現場をでっち上げることも可能だ。至高の存在だけが持つ気配はパンドラズ・アクターがいくら姿を真似ようとごまかしようがないが、屍体になっても尚その気配が感じられるかなど誰も知らない。
 モモンガ様は激怒してデミウルゴスを復活など絶対にさせないだろうし、あの男の普段の心の底を見せない上品ぶった立ち居振る舞いが二心あったという嘘に信憑性を与えてくれるだろう。他の創造主どもは押し並べてデミウルゴスよりも強者、相打ちということにしてしまえば真相は闇の中だ。そうなると、デミウルゴスが情報機関の統括に収まるのも逆に好都合に働くだろう。他の創造主がいたという情報をモモンガ様に渡す前に私的に利用して至高の御方を殺した、ということにできる。おびき寄せるのは簡単だ、アルベドが情報を掴み次第デミウルゴスにも秘かに流せばいい。口実はどうとでもなる、アインズ様にお伝えする前に真偽を確かめ確実な情報をお伝えする必要がある、そんなすぐ思い付くようなものですらデミウルゴスはきっとすぐに食い付くし、至高の御方の情報となれば真偽を確かめないことなどナザリックのシモベとしてありえない。さながら夜闇の灯りに吸い寄せられて燃やされる羽虫だ。
 ナザリック外の様子も概ね明らかになり、脅かせる者はゼロとまで断言はできないがナザリックに敵対しうる者などそうそういないことも判明している。頭など使うまでもなく捻り潰せる存在が大半で、そうなれば戦闘力にはそこまで期待できずその規格外の頭脳こそが最大の武器であるデミウルゴスはそこまで必要がない、ということになる。魔導国を発展させるつもりならばあの男の軍事や外交の手腕は必要になるから別だろうが、対外的な立場が必要だから作っただけのこんな国はアルベドにとってはどうでもいいし、アルベドの作りたいナザリックにはあの男は存在する必要がない。
 狡兎死して走狗らる、飛鳥尽きて良弓かくる。そう、あの男よりも御しやすい『代役』だって確保できているのだし、あんな男は必要がない。モモンガ様以外の創造主については未だ何も情報がないが、情報などないなら作ればいいし、その辺りも含め近い内にパンドラズ・アクターと細かい計画を詰める必要がある。
 強く信頼していた守護者に裏切られ傷付いたモモンガ様は、私が慰めて癒やして差し上げましょう。裏切りに深く傷付き嘆くモモンガ様が私以外の何も信じられなくなってしまうほど、優しく甘く。
 あの男があのよく回る口を利けないようになったなら、その様子はどれだけ胸のすくような愉快な光景でしょう。その様子を想像して、アルベドはうきうきとした様子で優しげに微笑んだ。

***

 ワゴンを押したデミウルゴスを引き連れてアインズが部屋に入ると、テーブルには既にザナックとキュクーが着座していた。給仕のような真似までさせてしまってデミウルゴスには申し訳ないが、ペストーニャを含めメイドに頼める用事でもないのでやむを得ず頼んだ。というか、最初はアインズ自身が一人でワゴンを押していくつもりだったのだが、どうしてもそれだけはおやめくださいとデミウルゴスに懇願され止められた。そこまで深刻な問題だろうかと思わなくもないが、デミウルゴスにとっては許容しがたいのだろう。
「お待たせした。本日は日頃の感謝を殿下に伝えたく、ささやかではあるが夕食の席を用意させていただいた。夕食というには少々遅い時間だが……」
「細やかなお心遣い痛み入ります陛下。何しろ食べることが唯一にして最大の生きる楽しみでございますので、本日は陛下のご自慢の料理を食べさせていただけるのを大変楽しみにしておりました」
「唯一……? 王族ともなれば他にいくらでも娯楽もあろうに、殿下には他に楽しみがないのか」
「嗜好の問題でございますな。酒は飲めはしますがたいして美味いと思いませんし、この見た目では女も寄ってきません。貴重な品の収集、狩猟、賭博……貴族や王族の娯楽というのは案外幅が狭いですし知る限りのものはことごとく試してはみたもののどれも続きませんで。剣の腕もからっきしでございますし、あまり得意なことというのがございませんので、熱中できることといえば食べることくらいでして。お恥ずかしい限りです」
「王子ともなればそれだけで女は寄ってきそうなものだが、そういうものでもないのか」
「確かに来ることは来るのですが、玉の輿を目当てに内心侮蔑しているのが丸分かりであれば陛下だってきっとお嫌になるでしょう。まともな娘は寄ってはきませんよ。そもそも貴族の娘などそういう腹芸がお家芸の者ばかりですし」
「それは確かに嫌だな……お前たち何を揉めている」
 ザナックと話している後ろで、デミウルゴスと席を立ったキュクーが何やら押し問答を繰り広げていた。
「はっ、お見苦しいところをお目にかけ誠に申し訳ございません。運んできた料理を配膳させていただこうとしたのですが、この者が本日はアインズ様の客人であるにも関わらず、わたくしにそんなことをさせられぬと聞きませんので。確かに普段の上下関係で言えばそうなるでしょうが、恐れ多くもアインズ様が客人として遇している相手に配膳などさせるわけには参りません」
 大真面目な顔でデミウルゴスが状況を説明したが、正直どっちでもいいとアインズは思った。アインズとしては(絶対に止められるだろうが)別にアインズが配膳したっていい。キュクーはキュクーで自分たちの支配者であるコキュートスと同格の地位にあるデミウルゴスに配膳などさせるわけにはいかないだろうし、デミウルゴスとしても客人を顎で使うようなことをしては忠誠を疑われるとか思ってそうだ。そんなどっちでもいいことで忠誠を疑ったりはしないのだが。
 それにしても支配の呪言を使えばキュクーを無理矢理着席させ動けなくさせて思い通りにやれるだろうに、デミウルゴスがそういう強引な手段を使わないのは一応アインズに気を使っているからなのだろうか。
 どっちにしろどちらが配膳してもどっちでもいい。譲るとすれば目上の者、この場合はデミウルゴスが譲る方が適切だろう。リザードマンに絶対的な上下関係を叩き込んだのはナザリック側なのだし、今日に限ってはアインズの客だから叩き込まれた上下関係を考えるなというのも理不尽だろう。
「双方の言い分ともそれぞれ理はあるが、今回はデミウルゴスが譲れ。目下の者が非礼に当たるのを承知で遠慮するより目上の者が譲ってやる方が心情的に容易いであろう。キュクー、配膳を頼んでよいか」
「承りましてございます」
「かしこまりました、アインズ様の仰せとあらば」
 アインズの言葉に従ってデミウルゴスは後ろに下がり控え、キュクーがワゴンに乗せられた皿を配膳する。デミウルゴスが本当に納得したかどうかはともかく、大岡裁きもかくやのなかなかの裁定だったのではないかと思わずアインズは上機嫌になった。忠誠心が高いのは助かるのだが、それが原因でこういうどっちでもいいことで揉めてしまうのは少し困る。そこらへんも上手いことやってほしいものだが、そこまで望むのは欲張りというものだろうか。
 運んできた皿が並べられ、キュクーが席に戻る。本来ならば順番に従って一皿ずつ出すべきなのだろうが、非公式の場のことでそこまで格式張った食事というわけでもないしアインズはそういう順番をどうすればいいのか知らないので許してほしい。デミウルゴスに任せていればうまいことやってくれたのかもしれないが、それはそれでキュクーが申し訳無さで身の置きどころがなくなり可哀想だろう。
 料理には〈保存プリザベイション〉の魔法がかけてあるので傷んだり冷めることはないため、マナー云々を抜きにすればその点で一度に出すことに問題はない。一度に皿を出しマナーを気にしなくていいことにすれば人間の食事の仕方を詳しく知っているとは思えないキュクーも安心だろう、という考えもあった。食事をしないとはいえ会話の中で食事に触れれば何かボロが出ないとも限らないのでアインズもその点では同席しても安心だ。
「今日のメインは魚料理にさせてもらった。リザードマンの主食が魚なのでその方がよいかと思ってな。銀雪鱒のポワレ、レモンバターソースと季節の野菜が添えてある。ご覧の通り私は飲食のできぬアンデッドだから味は知らぬが、銀雪鱒というのはニブルヘイムのごく辺境でしか獲れない希少な魚で、身質は肌理細かく滑らかな口当たり、良質な脂がたっぷり乗っていて甘みと旨味がぎっしりと詰まっているので柑橘のソースですっきりと食べられるようにした、とのことだ」
「このような趣向を凝らした見目美しい魚料理は初めて目にいたしました。大変美味しそうですな」
「味の方も期待に沿えるものと思う……多分。前菜には鱸とアボカドのタルタル、地産のものも使ってみようという試みで、スープはトブの大森林で採取できる茸の中で味の良いものを厳選し使用したポタージュだ。パンは沢山用意してあるので足りなければ言ってほしい。本日は非公式の食事会ゆえ略式にし皿を一度に出させてもらったので、食べる順番やマナーはあまり気にせずに食べていただきたい」
「承知しました、では早速戴くとしよう。あまりに食欲をそそる匂いなのでこれ以上待たされると品のない食べ方をしてしまいそうだ」
 待ち切れない様子でザナックは料理に手を付け始め、キュクーもそれを確認してからフォークとナイフを手に取る。前回の授業の後食事会を開くことを思い立ったアインズに話を聞いたデミウルゴスが、キュクーに一通りの人間の食事の作法を教えた報告は受けたが、報告通り問題も無作法もなく食器を使いこなしている。ゼンベルならこうはいかないだろうから、相当物覚えがいいのだろう。
 主目的はザナックへの感謝の表明だからザナックだけ呼ぶという形にすればそんな面倒をデミウルゴスにかける必要もなかっただろうが、キュクーを学友にというのはデミウルゴスの希望だったので、学友らしく親睦を深めるのもいいのではないか、というふんわりした考えからアインズはキュクーもこの食事会に呼ぶことを決めた。
 何せキュクー含むリザードマンのアインズへの認識は、蘇生すら行い生と死をも操る神、である。リザードマンの司祭たちは能力の高いクルシュですら第三位階程度の魔法しか使えないようなのでそう思われてもむべなるかなという感はあるが。舐めた口を利いたら天に唾するようなもの、とキュクーが尻込みしてしまうのは当たり前だろう。そして支配者たるコキュートスも多分、神をも超越した至高の存在とかなんとかアインズのことを褒め称えている筈である。
 違う、そうじゃない。言ってやりたいが言ったところで聞き流されるのは分かりきっている。アインズは考えた、それならば認識を修正するのではなく、アインズさえ許可すれば多少舐めた口を利いても問題ないということを示せばいいのではないか、と。学友なのに神扱いされるのは解せないし少々寂しいのでどうにかしたい。この帝王学の授業は既に数回行われているが、たまに控えめに質問するキュクーの質問内容はいつも的確で本質を理解しており、ザナックも内心感心しているような様子が見て取れた。知らないから教わっているのだし当然といえば当然だが、アインズの質問は我ながら的を射ないぼんやりしたものが多いので、その辺でアインズが神でもなんでもないことを察してくれないだろうかと薄っすら期待もしてしまうのだが、期待は無駄なようだった。先入観というのはげに恐ろしきものである。
「キュクーよ、お前もしばらく帰っていないのだろうが、村は変わりないのか」
「はっ、陛下の庇護のもと皆壮健に大過なく暮らしております。食料や生活に必要なものをここまで届けてくださる方が時々村の様子を教えてくださいますが、子どもが生まれたとか成人の儀式が行われたといっためでたいものばかりでございます」
「それは何よりだ。ところで、リザードマンの成人の儀式というのはどのようなものなのだ?」
「部族によっての違いが以前はあったのですが、現在は陛下のご威光のもと五つの部族が元緑の爪グリーン・クロー族のシャースーリューを長として一つに纏められましたので、やり方は概ね緑の爪グリーン・クロー族の様式に則っております。簡単に言うと度胸試しでございますが、その年成人した者たちが部隊を組み、湖に住まう魔獣を狩る、というものです。部隊長だけは成人した者の中から長が指名し、その他の役割分担や遠征に必要な物品の各種準備などは成人した者たちが自分で行います。以前は湖には我らにとって脅威となる魔獣が多数棲息しておりましたし、我らと同じく湖を棲息領域としていたトードマンとの諍いも絶えませんでしたから、戦士階級でなくとも実際の戦闘に即した訓練と経験は必要でございました」
「度胸試しというが、それだとせっかく成人したのに命を落としてしまう者もいるのではないか?」
「戦士階級の若者は成人前から実際の戦いにも参加して大人たちに戦いを叩き込まれて経験を積んでおりますので、成人の儀でも中心的な役割を担いますから大体の場合は命の危険はございません。それでも戦いですので大きな怪我もございますが、成人の儀を行う者たちからは場所が分からぬように司祭を含めた後方支援部隊が控えておりまして、治療を行ったり敗色濃厚な場合は助けに入ったりいたします。ごく稀に死者も出てしまいますが、それを乗り越えなくては成人として村を守っていくことはできぬ、というのが我らの認識でございました」
「ふむ、成程な……弱肉強食の自然の中生きていくのだから、その程度乗り越えられなくては生きていけぬということか。そういえば王国の貴族にも似たような成人の儀式を行っている者が以前いた……というのを、モモンから聞いたことがあるな」
 モモンの大きな業績の一つとして語られているギガントバジリスク討伐の際には、ゴブリンなり適当な亜人を狩って成人の証とするという成人の儀を行っている貴族が依頼主として同行していた。本来モモン達はゴブリン探しをしており、ギガントバジリスクとの邂逅は本当に偶然だった。あの貴族はナーベラルに懸想していたためモモンに対して非常に態度が悪かったのでよく覚えている。側仕えはできた男だったのに、と思い出すと溜息が漏れそうになる。若さと恋の盲目もあるのだろうがあんなにもモモンを目の敵にせずともよさそうなものだ。ナーベラルに気があるからあわよくばという下心で依頼してくる馬鹿者は他にも沢山いたが、あの貴族は特に態度が悪かった。
「領民を守るため戦いを知る必要が貴族にも本来はございますからな。王国は森や海にさえ近付かなければ強い魔物も少なく平和が長かったですので、儀式が残っていたとしても大体は形骸化しておりますでしょうが」
「アダマンタイト級冒険者を護衛に雇ったゴブリン討伐というのはまさに形骸化の表れであろうな。それでも戦いの現場に身を置くということに意味はあるだろうが」
「その点は私も人のことはあまり言えませぬが、それすら知らぬ者が大半ですからな。それにしても魔導王陛下……」
「何かな」
「この料理、どのように作っているのだろうか?」
「……どういうことだろうか? 何か味に問題でもあったろうか」
「逆です、美味しすぎるのです。私も苟くも王族、美食を嗜んでいる自負はあったのだが……王宮の料理とは次元が違いすぎる」
「そ、そこまでですかな……? ……キュクーはどうだ?」
「たいへん美味です陛下。焼いた魚などぱさついて美味くはないと思っておりましたが、この魚はどのように加熱してこのような瑞々しい舌触りを保っているのでしょうか」
「そこは火加減とか下処理とか色々……済まぬ、私も専門外ゆえ詳しくないのだ」
「加熱によって魚の旨味と風味が強く濃くなっておりますし、かかっている果実の味が付いた液も魚の味を引き立てていて、より美味しくしてくれます。リザードマンはこのように凝った料理などせず生のまま魚を食べておりますが、料理して様々な味を組み合わせた魚がここまで美味しいものだとは考えてもおりませんでした」
 二人共品を失わない食べ方が大変上手だった。和やかに談笑しながら食べ進めていたのでアインズは全く気付かなかったが、二人の前の皿は早くもほぼ空だった。言葉から感動の大きさは伝わってくるが、リアクションが薄すぎないか。
 しかしこの絶賛ぶり、さすがはナザリックの誇る料理長と褒め称えるべきだろう。NPC達曰く素材から外の世界のものは質が悪いという話だったが、トブの大森林の茸を使ったポタージュも入っていることを考えるとやはり料理長の腕がいい、というべきだろう。
「ええと……量が少なかっただろうか? パンならまだあるのだが……」
「この味でしたらまだいくらでも食べられますが、量は適正かと思います」
「わたくしも殿下と同じ意見でございます。まだまだ食べられますが、充分な量をいただきました」
「ああ、そのだな……食事をしながらリラックスした状態で様々な話をし、二人との親交を深めたいという気持ちもあったのだが、あっという間に食事が終わってしまったのでな……」
「そのようにお気遣いいただいていたのに、余りの美味に我を忘れて食べてしまった……申し訳ない」
 ばつが悪そうにザナックが言い、頬を掻く。穏やかに談笑しつつ食べ進める様子には我を忘れたという感じは全然なかったのだが、あれでもザナックは自分を制御できずにがっついていた、ということなのだろう。さすがナチュラルボーン王族、とても品が良い。
 アインズ、いや鈴木悟が知っている王族にあたる存在といえば日本の天皇家だ。あんな滅亡に瀕した黄昏の世界でも日本という国の形が辛うじて維持されていたのは天皇という中心が未だにあったからだろう。勿論実質的にはコングロマリットが権力を全て握り政治を動かしていたが、天皇に実権がないことは日本の歴史上珍しくもない。ああいう人たちが当たり前のように身に着けている品の良さや気遣いは日常生活も含めた教育の賜物なのだろう。周囲の人間が全員品が良ければそれを見て手本にする子供も品が良く育つだろうということは考えてみれば当たり前の道理だ。子は親の鏡か、と考えて、思わず自らの黒歴史を想起してしまいアインズはそれ以上考えるのをやめた。
 それはともかくとして、この開始即終了してしまった食事会では目的だった親睦を深める目的は果たせそうにない。料理など美味しければ美味しいほどいいと思っていたが、何事も程々が大切なのだな……としみじみとアインズが考えていると、全員の前にカップが置かれた。食器は知らない内に片付いている。いつの間にやらデミウルゴスがコーヒーを運んできていたようだった。
「食事が終わりましてもまだデザートがございますし、その前に飲み物で一息つかれてください。こちらはコーヒー、この辺りではミルクを多めに入れてカフェと呼ばれている飲み物でございます。苦味が強いですので、一緒に置かせていただいた砂糖とミルクを好きなだけ加えて添えているスプーンでよくかき混ぜ、味を調節してお楽しみください」
 コーヒーはブラックしか許さないこだわり派とか言い出しても違和感のないデミウルゴスは意外と寛容な説明をザナックにした。確かにデミウルゴスはこだわりは強いだろうが自分のこだわりを他人に押し付けるような様子は見たことがないので、このくらいの親切な説明はアインズの客にならばするのかもしれない。
 それにしても飲食できないアインズの前にもコーヒーが置かれているのは少々不思議だ。飲めずとも香りを楽しむのは好きだからエ・ランテルや宝物殿ではよくやるが、デミウルゴスの前でやったことあったっけなぁと記憶を辿る。だがそんな細かいことを覚えている筈がないので、考えるだけ無駄というものだった。
 調節するように言われてブラックのまま一口味を見たザナックはありえないほど渋い顔をし、山のように砂糖を加えていた。キュクーは不思議なことに一欠片の砂糖と少しのミルクを加えると普通に飲み始めた。リザードマンとコーヒー、全く縁遠そうなイメージしかないが、想像できないほど素早く適応している。
「カフェは知っておりますが、ミルクを加えないまま飲む飲み方もあるのですね」
「ミルクのコク深さが口の中でべとつくと感じる者もいるだろうし、その時の気分によって飲み方を変える者も多いだろうな。ミルクと砂糖は多め、というのが一般的なようだが、何も入れずに苦味と酸味と香りを楽しんだり、ミルクは入れずに蒸留酒を加えたりクリームを乗せたり、楽しみ方は様々だ。私は食べたことはないが、デザートに使ったものも香りが良く美味しいらしい」
「飲食されないにも関わらず陛下は博識でらっしゃいますな、よくご存知で。先程ご馳走いただいた料理の説明も非常に明快でしたし」
「博識、か。そのように褒めてもらったのは生まれて初めてだな。私はいつも博識な友人たちに様々教わる側だった」
 口にしてからしまったとアインズは思った。つい口をついて生まれて初めてと言ってしまったが、よくよく考えればNPCたちはアインズの知識をいつも褒め称えている。その賛辞はアインズの中で褒められた回数としてカウントされていなかったようだった。
 これはきっと、よくない態度だろう。NPCの知識は元はプログラムに過ぎないNPCであるが故に元人間のアインズとは前提が違う、ゲーム内の設定などに関しても捉え方が違う。だからNPCから見ればアインズは人間にとっては普通の常識を言っていたとしても博識に映ってしまう。アインズにとっては常識だから褒め言葉を褒め言葉と捉えられず結果的に無視してしまっている。それは、言葉を真剣に受け取る態度ではないだろう。NPCたちはきっと心からそう思っているに違いないのに、こんな事を言ってしまえば自分たちの言葉は届いていないのかと思われても仕方がない。ここにはデミウルゴスとているというのに。
 今だってアインズは聞き齧りの知識を口にしたに過ぎないのに、どうしてザナックの褒め言葉は素直に受け取れたのか。人間に言われたからだ、という恐ろしい結論が浮かんでくる。
 それはつまり、NPCを対等の個として誰よりもアインズが見ていないからではないのか? NPCは元はプログラムだから定型反応のように褒めているだけ、無意識の内にそう考えて所詮プログラムという前提でNPCが個であることを認めていなかったのは、アインズ自身に他ならないのではないか?
「私のような魔法の知識がない者から見ても陛下は比類ない魔法を操る偉大なお方に見えますがね、知識を褒められたのが初めてというのは意外です。魔法というのは知識がなくては操れぬのでは?」
「……それは、確かにそうだ」
「それであれば、魔法だけに限りませんがご自身の知識にもっと自信を持たれてもよろしいのでは。謙虚も過ぎれば害になりましょう」
 清々しいほどの正論だった。ぐうの音も出ない。パンドラズ・アクターだってナザリックの為にならないと座視できぬ状況でなければ正論で殴ってはこない。当たり前の事を当たり前に言われるというのは、これほど話しているという実感を得られるものだったのか、この世界に来る以前は当たり前だった筈の感覚が久し振りに蘇る。
 ザナックに対してはこれから先も魔導国の王として政治の場でも相対していく場面があるのだから多少偉大な支配者っぽいことも言っておかなくてはと思うものの、いつもならばどうにか捻り出せるそれっぽい台詞が今はこれっぽっちも出てはこなかった。頭がうまく回らない。
 知識を与えてくれた博識な友人たちがもし今この場にいたなら何をアインズに言うだろう。タブラさん、やまいこさん、ぷにっと萌えさん、死獣天朱雀さん、ギルドメンバーにはそれぞれに得意分野がありそれぞれ深い知識があった。全員がいれば、俺達なら世界の一つくらいは征服できるかもなんて冗談も言えた。全員がいれば、アインズ・ウール・ゴウンは確かに最強の一角だった。
 昂りきった名前を付けられない感情は沈静化され、胸を締め付ける痛みだけがじわじわと残る。
 誰も居ないから孤独なのではない、居ると認めていない自分が自分を孤独にしていただけなのではないか。ここにいてくれることだけで何よりも有り難いと、無条件にアインズの存在を肯定してくれる者たちの存在を、存在と認識しようとしていなかっただけではないのか。
 世界征服、それはただの悪役ロールから出た冗談で、夢の残骸だ。それでもそのただの冗談が気安く口にできた瞬間の煌めきが、何よりも胸を締め付けてしまう。二度とは戻らない時を巻き戻そうとする愚かしい己に対する苛立ちが、アインズの胸を一層締め付けた。

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