病院に運び込まれた津上は検査を受けたが、差し当たって異常は見受けられないというのが診断結果だった。後頭部の傷も浅く、出血もすぐに止まった。
 頭を強く打っているため、念の為に精密検査も受けたほうがいいという事になり、大事をとって入院、という運びにはなったものの、当の津上は目覚めるとすっかり元気になり、ベッドの上にいるのも落ち着かない様子で寝転んだり寝返りを打ってみたり、起き上がってみたり、忙しなく体勢を変えていた。
 一晩を津上の横で椅子に腰掛け過ごしていた芦河は、その様子をずっと見ていたが、いつものように苛ついてやめろと怒鳴るでもなく、目を伏せて何かを考えこんでいた。
「……おい、聞きたい事がある」
「何ですか?」
 津上が丁度体を起こした所で、芦河は目を伏せたまま口を開いた。津上は気軽な様子で返事を返し、微笑んで芦河を見た。
「あれは、何だ、あの青いのは」
「……何、って改めて聞かれると困っちゃいますけど。名前とかあるのかなあ」
「つまり…………お前もよく分かってないのか」
「あ、バレました? へへへ」
 へへへ、と笑われて、芦河は口を曲げて顔を顰め、津上を睨みつけた。吐きたくもない溜息が漏れる。
「全く……いい加減だな。お前のそういう所はどうも好かん」
「俺は、芦河さんの事結構好きですけどね」
「気持ちの悪い事を言うな」
 軽く言われて芦河は、実に嫌そうに眉を寄せ目を細めて呻いた。
「そうですか? だって芦河さん、何だかんだいってお願いしたら聞いてくれるし、いい人だし優しいんだなーって。それに、何かその……そこまで頑張らなくてもいいのに何でもどこまでも真面目なとことか、何か俺の知り合いの事思い出しちゃって、親近感湧くっていうか」
「……お前の親近感なんぞいらん」
「だって、床拭いてくださいってお願いしたら、ホントにあんなにピッカピカにしちゃうなんて。びっくりしちゃいましたよ」
「綺麗な方がいいだろう、何か文句があるのか」
「まさか、ありませんよそんなの。ほら俺結構いい加減だし、そういうの凄いなって思って」
 にっと笑われると、それ以上反論出来なくなる。芦河は顔を思い切り顰めたままで、また一つやや長い息を吐いた。
「お前は、怖いとか不安だとか、そう思う事はないのか」
「うーん……確かに、今も不安だしちょっと寂しいんですけど。俺、結構今も楽しいですよ。芦河さん家が凄く掃除のし甲斐があって、綺麗になってくの楽しいし、明日のお弁当のおかず何にしようかなーとか、全然知らない所に来ちゃったのに、そういうの考えられるの嬉しいなあって」
「……そんな事が、楽しいのか?」
「えっ、楽しくありません? じゃあ芦河さんは何が楽しいんですか」
 問われて芦河は、答えに詰まって口を閉ざし、やや俯いた。
 何が楽しいというのだろう。芦河は自分が楽しいかどうかなどどうでも良かったし、今まで意識して考えた事もなかった。
 考えてみれば妙な話だった。
 芦河が警察官になったのは、普通の人達が笑っている日々がとてもいいものだと思えて、それを守るために少しでも力を尽くしたいからだというのが主な理由だった。そういうものが、理不尽に踏みにじられて罵声や悲鳴が上がるような事は、出来る限りなくならなければならない。
 いいものだ、とは思うけれども、母親が死んで以来、芦河自身はそういう気持ちをあまり感じた事も思い出した事もない。日々は楽しくないのが普通だったし、何か楽しい事があったとすれば、律し鍛えられた自分の成長を感じた時だったのかもしれない。
 ましてアギトに変じてからは、己の変貌に怯え、意志の届かぬ変化に怯え、己を狙い襲うアンノウンに怯え、誰かを巻き込む事に怯えた。何かを楽しむなどとそんな余裕はなかった。
 思い出した。何がおかしかったのかは忘れたけれども、八代が何かがおかしくて笑ったのを初めて見た時の事。
 普段は同僚が冗談を言っても眉一つ動かさない、このきつい女でもこんな風に笑う事もあるのだと思い、それが何だかおかしくて、とてもいい、と思った。
 笑顔は愛嬌があってかわいいのだから、怖い顔ばかりしていないでもっと笑えばいい。そんな風にふと思っただけで、すぐ忘れてしまった。そんなつまらない出来事だった。
 正義とか、本当はそういう事ではない。芦河がいいと思ったものは、どこにでも転がっているありふれた、どうでもいいようなもので、八代が何かおかしくて笑った顔だとか、ベビーカーを押して歩いている母親だとか、ゴミ袋を持って出勤するサラリーマンだとか、小銭を握りしめて駄菓子を買う子供とか、そんなものだ。
 まるでゲームのように人間を殺していく未確認生命体を許し難いと思ったから、G3の装着員の話があった時には二つ返事で引き受けたし、人が自らの意思でなるわけではないアギトだというそれだけで、惨い殺し方をするアンノウンを許し難いと思う。
 自分では持てなくて、手が届かないから、憧れて守りたくなったのだろうか。分からなかった。だけれども芦河は、八代の笑顔をとてもいいと感じて、とても好きだと、思った。
「……別に、楽しい事なんかない」
「ええっ、それじゃつまんないじゃないですか」
「面白くなきゃいかんのか」
「いけないって事はないですけど……俺は、楽しい方がいいなぁ」
 芦河に楽しい事がないからといって、それが何だというだろう。それなのに津上は、実に不服そうに口を尖らせた。
「……お前は、何で、そんな風に楽しいだとか言いながら、笑っていられるんだ」
 低く漏れた呟きは、それでも津上の耳に届いた。津上は不思議そうに芦河を見て、やや首を傾げた。
「うーん……何で、って聞かれてもなあ。悩んでたってしょうがないじゃないですか」
「しょうがないって、それはそうかもしれないが、お前だってなりたくてなったわけじゃないんだろう、何でとかどうしてとか思わないのか」
「思いましたけど、分かんなかったんで考えるのやめました。別にアギトだからってどうにかなるわけじゃないし、普通なんだから、まあいいかなって」
 ふっと、津上は芦河から目線を外し、前に向き直った。やや細めて、夢でも語るような遠くを見る目をしていたけれども、何かの痛みを堪えるように光が揺れた。
「……人が、沢山、死にました。誰も死ぬことなんかなかったのに。アギトだからって、死ななきゃいけないなんておかしいです。アギトになったって、毎日楽しい事とか嬉しい事とか一杯あって、俺は何も変わってなくて、生きていけてるのに……アギトだから居ちゃいけないとか、アギトだから生きていけないとか、そんなの絶対、おかしいです」
 やや眩しそうに、少しだけ目を細めて、津上は悲しそうに、遠くを見るように芦河を見た。
「俺は、嫌です、もう嫌です、誰もアギトのせいでなんて、死ぬことなんかないんです。怖いです、怖いけど、大丈夫だから……別のものになるわけじゃなくって、俺はちゃんと俺だから、大丈夫なんです」
 訥々と語られた言葉は、決して上手くはなかった、美しくもなかった。辿々しくつっかえて、詰まる息で言葉は時折途切れた。
 だけれども芦河は、返す言葉を失ってしまった。津上はまるで今にも泣き出しそうな目をして、泣くのをこらえているように見えた。彼は肩を震わせているわけではない、呼吸は静かなものだったし、時折目の光が揺れるだけで、穏やかに芦河を眺めているだけだったのに。
「お前は……怖がってるようには、見えない。お前は平気かもしれないが、普通はそうじゃない」
「酷いなあ、俺だって怖かったですって。でも、大丈夫だって言ってくれる人がいました。だから大丈夫だったんです。芦河さんにだって、いるじゃないですか」
 口元に浮かんだ笑みはふわりと滲んで、芦河は見透かされたような不愉快さをまた覚えて、目線を外して横を向いた。

***

 ノックの音がして、芦河と津上の返事を待たずに引き戸が開いた。ひょこりと顔を覗かせたのは、ミショウの当麻だった。
「こんにちはー」
「何の用だ」
 芦河に睨まれるがまるで相手にしていない様子で、当麻はそのまま中へと入ってきた。後ろに瀬文が続く。
「用って、お見舞いですよお見舞い。津上さんが入院したと伺ったので。他にどんな用事があるっていうんですか。あ、これ、つまらないものですが」
 当麻は興味なさそうに芦河から目を逸らすと、左手に提げたフルーツの籠を津上に手渡した。
「わっ、ありがとうございます、すいませんわざわざ。俺剥きますね、何食べます?」
「うーん……じゃあ夕張メロンで」
「遠慮というものはないのか、お前には」
「じゃあ瀬文さんは食べないんですね?」
「食べる」
 受け取ると津上はベッドの上で正座して、フルーツを覆ったビニールを剥がし、横に置いた台の上からナイフやら紙皿を手にとって、食事をする為の収納式の台を広げてメロンを切り始めた。入院している当の津上がメロンを切っているのも妙な光景だったが、誰も彼からその役目を奪おうとはしなかった。
 メロンが行き渡ると当麻と瀬文は黙々と無心で淡い橙色の果肉を貪り始めた。充満する甘い香りにやや胸を悪くして、芦河は機嫌悪そうに鼻白んだ。
「何しに来たのかは知らんが……丁度いい、お前達に聞きたい事があった。あの黒スーツ、あいつらは一体何なんだ」
「私達も知りませんよ」
 しれっと答えた当麻を、芦河はぎろりと睨みつけた。当麻は視線を受けてやや眉を上げたが、軽く息を吐いただけで首を横に軽く振った。
「そんな訳はないだろう、あいつらはお前らの管轄じゃないのか」
「うちは別にあの人達専門の部署じゃありません。結果的に多く関わってるっていうだけです」
「そんなお前らの事情はどうでもいい、奴らは何なのか教えろ」
「お答えできるような情報は残念ながら持ってません」
 芦河も当麻もそれ以上の応酬を止め、暫し睨み合う。津上が思わず体を起こすが、芦河に横目で一睨みされると、口出し出来ぬまま黙って芦河と当麻を交互に見つめた。
「……と、言っていても話が始まらないから困ったものです。奴らについてあたしが話せる事は三つ。まず、奴らはスペックホルダー、俗にいう超能力者の集団です。次に、奴らは多分アンノウンを軽く捻る津上さんのアギトの力に興味を示して、それを手に入れようとしている。最後に、それにしても二日連続で襲撃されるなんて、何故かは知りませんが、どうも何か焦っているような感じを受けます。申し訳ないんですけど、本当にこれ以上はお話できるような事は何も知らないんですよ」
 滔々と、途切れなく当麻に告げられて、芦河は返事をする代わりに一つ息を吐いた。何にしても、当麻に話せる事は(知っているいないに関わらず)もうない、または話す気がないのだろう。
「……で、私の方の質問にも、答えてもらいたいんですけどいいですか?」
「そら見ろ、やっぱり用事があるんだろうが」
「いいじゃないですか細かい事は。それよりも芦河ショウイチさん、あなたのお父さんについて伺いたいんですけど」
 告げられて芦河は、驚いたのか目を見張って当麻を見た。当麻はやはり悪怯れず、芦河の視線を受け止め、まっすぐ見つめ返した。
「お父さんが何を研究されてたか、ご存知ですか?」
「……知るわけないだろう。もう二十年以上前に死んでるし、その何年か前に離婚して俺は離れて暮らしてた。興味もない。何でそんな事を聞かれるのか意味も分からない」
「お父さんの専門は比較宗教学です。でも亡くなる直前は、ご自身の専門とまるで関係がないように思えるものを研究していました。切っ掛けの一つは、文献調査の為に訪れたシリアで、ある古文書を見つけた事です」
「何の話がしたいんだ、回りくどい喋り方はやめて要点をはっきり言え!」
 当麻の外堀を埋めるような話し方が余程不愉快だったのか、芦河は声を荒らげた。当麻はつまらなさそうに息を吐くと、意外と短気なんですね、と淡々と呟いて、言葉を続けた。
「お父さんがしていたのは、超能力の研究です。契機となったのは二つの出来事。一つ目がさっき言った、シリアで古文書を見つけた事。もう一つが、離婚してお父さんに引き取られたあなたのお姉さんが、恐らく超能力に目覚めた事」
「何だと? 何を証拠にそんな事を……」
「お父さんの論文を読ませて頂いたんですけど、まるで本物の超能力者が側にいるみたいに、超能力について詳細な記述が沢山あるんですよ。調べたんですけど、お父さんは離婚の少し前に、それまで勤めていた大学を辞めて、それからは学会の機関誌に直接論文を発表している。お父さんとお姉さんが亡くなったとされている火事の調書も見ましたが、お父さんは生活必需品を買う以外は外に出る事がなかったし、来客もほぼなかった。お父さんが詳細に観察出来たのは、お姉さんだけ、という事になります」
「だから何なんだ、親父と姉さんは、もう随分昔に死んだんだ、今更そんな話を俺から聞き出して何がしたいんだ!」
「もし、二人が生きているとしたら? 火事の記録では、遺体は何故か複数見つかっていますがどれも完全に炭化していて、歯型も一致するものは見つからず身元は特定できていません。もし瀬文さんと津上さんとあなたが見た女性が、あなたのお姉さんだったら?」
「有り得ない、俺の姉だぞ、あんな十五、六な訳がないだろう!」
「津上さんの力も、アンノウンも未確認生命体も、今まで想像も出来なかったものです、説明も出来ません。でも存在している」
 いつの間にか椅子を立って声を張り上げる芦河を、当麻は座ったまま、不思議そうに見上げた。
 芦河は自分がいつの間にか腰を浮かせ立ち上がっていた事にやっと気付いたのか、はっとした様子で息を飲み、再び椅子に腰を下ろした。
「……そんな事は有り得ないがもし、あれが俺の姉だとして、それが何だっていうんだ」
「アンノウンの正体、っていう奴が、少し分かるんじゃないかと思いまして」
「正体だと……?」
 怪訝そうな声に、当麻は答えないで、口の右端を釣り上げてにやりと笑ってみせただけだった。
 津上も瀬文も不思議そうに当麻を見るが、意に介した様子もなく、再びメロンをスプーンで掬い口に運び始めた。
「ああそうそう、津上さん、経験から言うと、病院もあまり安全じゃありません。というか安全な場所というものが存在しないので、怪我が大丈夫ならさっさと退院しちゃった方が身動き取り易いと思いますよ」
 メロンを口に運びながら、当麻が淡々と語り、津上はやや困惑して芦河を見た。先程語った通り、不安や恐怖がないというわけではなく、命の危険ともあれば不安にはなるらしい。
 芦河は、スペックホルダー、というものが何なのか知らないが、昨日の黒スーツのような輩が徒党を組んでいるのであれば、確かに安全な場所などどこにも存在しないのかもしれない。芦河は予知能力者ではない、前触れ無く現れられれば昨日のように対処が遅れ、津上を守りきれない事態も十二分に有り得る。
 どうすればいいのかなど分かる筈もないが、一度八代と相談すべきか。
 津上の視線は無視して思案していると、ポケットの中に入れたまま電源を切り忘れていた携帯電話が振動を始めた。
 電話だ、と告げて席を立ち、付いて来るよう津上を目で促す。慌てて電話コーナーへと駆け込む。
「はい、芦河ですが」
「ショウイチ、大変な事になったわ。今すぐ戻ってこられる?」
 電話に出ると、八代の常よりはやや高い声が早口で流れた。少し慌てているか、興奮しているらしかった。
「何があった?」
「未確認の死体が見つかったわ。十体以上、有り得ない場所で」
「……何、未確認?」
 思わず声が高くなる。追いついてきた津上の表情も、驚愕した芦河の声を耳にして硬くなった。

***

 未確認生命体十数体の遺体が発見されたのは、武蔵村山市にある自然公園だった。
 公園に自生する木の頂点に、一本に一体、胴を串刺しに突き刺されている。
 人間が未確認生命体に対抗するには、神経断裂弾やG3‐Xなどの兵器が必要となる。それらは管理されていて、使われた形跡はない。そして、未確認を絶命せしめたのは人間の兵器ではないようだった。
 いずれの遺体にも、矢に刺し貫かれたと思しき傷がいくつか空いていた。
「何故、未確認が全く姿を見せなくなったのか……ずっと、考えていたけど」
「人知れず、アンノウンに狩られていた、という事か……」
 ヘリコプターやクレーン車を動員しての遺体回収作業は難航していた。現場に到着した八代と芦河、半ば無理矢理退院した津上は、遺体を包んだシートを捲り上げ、悪鬼の如き形相で絶命した未確認の遺体を確認した。
 まるで百舌の早贄。惨い殺し方だった。
「まるで、見せしめだな」
 シートを戻しながら、芦河が低く呟いた。八代はちらと芦河を見たが、返事は返さなかった。
「あの……そういえば、第四号って、いないんですか?」
 津上の疑問に、芦河と八代は不思議そうに津上を見た。八代が一つ息を吐いて口を開く。
「いたわ。だけど、ある時を境に姿を消した。君の知っている四号はどうなの」
「未確認は、四号と警察が協力して全部やっつけて……いなくなったって聞いてました。その後四号がどうなったのかは知らないです」
「そう。やっぱり私達の知っている四号とはちょっと違うみたいね。私達の知ってる四号は、未確認とも警察とも、戦っていたわ」
 八代の答えに、津上は不思議そうに首を傾げた。
「……未確認は分かるんですけど、何で警察と?」
「警察が四号を未確認として扱っていたからよ。捕獲または射殺しようとしていたから、彼は身を守ろうとしていた」
「えっ、だって四号って未確認と戦ってくれてたんですよね? 何で警察はその邪魔をするんです」
「四号も未確認だったから。正体も知れず、未確認と似た様な姿をしている四号も、警察は未確認と同様に扱ったの。ある時、恐ろしい力を持った未確認が市街地に現れて、死者は数百名にのぼったわ。四号が現れてその未確認と戦ったけど……何があったのかは分からない。その現場には、未確認と、現場を包囲していた数十名の警察官の死体が残されていて、四号の姿はなかった。それ以来、四号は姿を現さなくなった。未確認の活動もぐっと大人しくなって、丁度その頃完成した神経断裂弾を使って、警察が何とか対抗出来るような奴しか現れないようになった。警官の装備じゃ身は守れなくて、被害者はどうしても出るから、G3の開発計画が持ち上がったんだけど」
 淡々と言葉を継いで、八代はまた一つ息を吐いて、口を閉ざした。
 芦河の記憶が確かなら、八代はその頃装備開発の部署にいて、神経断裂弾の開発にも関わっていた。四号とは対話すべしという少数派の意見を主張する変わり者、という評判だった筈だ。
 津上は今一つ納得がいかない様子で、黙って八代の言葉を聞いていた。
 こんな事をするのは恐らくアンノウンの他にないだろう。彼らは未確認を敵視していた。だが何故、十数体もの未確認の死体を、何かの見せしめのように無残に晒す必要があるのだろう。アンノウンの活動は今までどちらかといえば痕跡を残さず静かに為されていた。それが何故。

「アンノウンは、誰にこれを見せたかったんでしょうね」
「知るか」
 興味本位の様子で当麻が現場に行くと言い出し、流れで瀬文も武蔵村山市へと来ていた。帰りは電車で帰るという約束で、猪俣の車に同乗させてもらった。
 作業の邪魔にはならない芝生から現場を見上げる。アンノウンはアギトに覚醒したために能力をも得てしまった人々と同様に未確認を敵視しているという話だけは聞いていたが、実際に殺害されたと思しき現場は初めてだった。
 未確認は化物だが、アンノウンにとってはアギトになろうとする人間も未確認も同じなのだろうか。そこが瀬文には分からなかった。
 何をもって「同じ」とするのだろう。
 当麻は都こんぶの箱を開けて、昆布をくちゃくちゃと音を立てて咀嚼しながら上空を見上げていた。昆布が一枚差し出されるが、瀬文は謹んで辞退した。
 封鎖されている地帯の外側のため、周囲には何人かの野次馬がいた。何となく目を滑らせて、瀬文はある一点で目を留めると、驚愕に息を呑んだ。
「おい……」
 言葉が出ない。当麻が瀬文の様子に気付いたのか向き直り、瀬文が凝視する方向を見やった。
「…………どう、して?」
 ぽとりと、都こんぶの箱が芝生に落ちた。当麻もまた、驚きに言葉を失ったようだった。
 やや離れた木の下、佇んでいるのは黒のタートルネックに黒いパンツの青年。
 ニノマエ、と呼ばれていた青年に他ならなかった。
――その左手は、いずれ返してもらいます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 突然、頭の中に声が響いた。そちらに意識が向き、駆け出そうとするともう、ニノマエの姿はなかった。
 滲むのは既に夏を感じさせる黄色く鋭い日差しと野次馬のざわめき、流れてくる重機の駆動音。日差しに熱された芝生から、緩く陽炎が立ち上っていた。

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