その17

「翔太郎くん、翔太郎くん、事件よ事件! 金よ、金の匂いよ!」
 けたたましくドアを開けて駆け込んできたのは、所長・鳴海亜樹子。奥のデスクで新聞に目を通していた翔太郎は、思い切り顔を顰めて騒音の主を見やった。
「何だ亜樹子、うるせぇぞ。事件なのは分かったからもうちょっと落ち着いて話せねぇのか」
「何おぅ、それもこれもあんたがちゃんと仕事探してこないからでしょ、何呑気に新聞なんか読んでんのよ!」
「あのセンスの欠片もねぇビラなら毎日頑張って撒いてんだろ。寧ろ問題はあのビラのクォリティじゃねえのか? 十年前のパソコン教室じゃねえんだぞ、ハートなんか飛ばしてないでもっとハードボイルドにだな……」
「二人とも少し落ち着きたまえ、おちおち本も読めやしない。亜樹ちゃん、事件って何だい?」
 果てしなく広がっていきそうな応酬を、奥のベッドに寝そべって白紙の頁を繰っていたフィリップが嗜める。勢いを削がれて翔太郎は肩を竦めて口を閉ざして、フィリップに目線を移した亜樹子が口を開き始めた。
「うん、あのね、最近急に増えたって話なんだけど、この近くで、妖怪が出るらしいの」
「…………は?」
 妖怪。そんな単語を突然口にされても、反応に困る。翔太郎は、それこそぬらりひょんでも見たような不審げな表情で亜樹子を見たが、フィリップに話し掛けている亜樹子には無視される。
「あっ、信じらんないよね、そんなのいるなんて。でも、見たっていう人がもう十人以上いんのよ。何かねえ、河童だって河童」
「……それで、それを俺らにも信じろってか? 河童に胡瓜でもやりゃあいいのか?」
 一欠片も信じていない事がありありと伝わる目線を向けて、翔太郎がまた横から口を出すと、亜樹子は業を煮やしたのか、憤然と翔太郎へと向き直った。
「うっさいわね、あたしはフィリップくんに話してんのよ。河童みたいなアホ面でポカーンとしてる暇があるなら、ビラでも撒いて依頼の一件も持ってきなさいよ」
「か……おいコラ亜樹子、俺のこのファニーでありながらハードな男の厳しさも併せ持った渋いフェイスのどこが河童だってんだ!」
「何が渋いよ、自分で言ってりゃ世話ないわ。あんたのそのアヒル口とか超河童っぽい。一緒に胡瓜でも齧ってればいいんじゃない、味噌位はつけてあげるわよ」
「んだとこの、黙って聞いてりゃ好き勝手抜かしやがって! お前だってどことなくアルパカとかサバンナの草食動物っぽいと思ってんのに口に出さない俺の優しさが通じねえのかお前には!」
「んなもん通じるか、っていうか言ってんじゃん! 河童の分際で!」
「にゃにおう!」
 又も際限のない応酬が始まろうとする。フィリップは仕方がないと言いたげに深く息を吐くと、開いた本をばたりと音を立てて、強く閉じた。
「二人ともストップだ。鳴海探偵事務所始まって以来の危機に、肝心の所長と探偵がそれじゃどうしようもない」
 大きな音で意識がフィリップに向いた二人は、続いた一言にはっとして項垂れた。
 確かに今は、鳴海探偵事務所が始まって以来(正確には鳴海荘吉を失った直後以来二度目)の経済的危機だった。
 地道な広報活動は行っているものの、探偵の仕事は信用が命。腕や依頼に対する誠実な対応が積み重なって、実績が出来ていく。彼等は今まで彼等の庭たる風都で築いた信頼や情報網を全て失っていた。一から築くのは、そう容易ではない。故に、ペット探しや浮気調査の仕事すらそうそう舞い込んではこない、非常に厳しい状況に置かれていた。
「で、亜樹ちゃん。河童を探しても、直接探偵の仕事に結び付くとは思えないんだが、君の狙いは一体何だい?」
「えっ、だって河童よ河童。見つけたら大騒ぎよ。もしかしたらマスコミとかが情報を高く買ってくれるかもしれないし、テレビとか雑誌とかの取材が来てあたしは有名人、事務所の知名度だって鰻登りだよ。あたしは美貌に目を付けられてスカウトされちゃったりしてさ」
「それは有り得ないから安心しろ、それだけは断言できる」
「ぬぁんですって! ……まあいいわ、お父さんが遺してくれた事務所の危機なんだから、河童もどきの妄言は放っておいて」
「おい、お前あんまり調子乗り過ぎんなよ亜樹子!」
 摘んでも摘んでも応酬の芽は尽きない。睨み合う翔太郎と亜樹子を眺めて、フィリップは軽く笑いを漏らした。
「いつもの事だが騒々しいな。まあいい、亜樹ちゃんの案、中々面白そうじゃないか。僕も河童なる生物が実在するかについては、大いに興味がある」
「フィリップ……お前まで」
「まあそうむくれないで。もしかしたらライダー絡みかもしれないし、どうせ他にする事なんてビラ配り位だろう? それに、気になる事がある」
「気になる事?」
「最近この近辺で、行方不明事件が増えている。もしかすると、何か関係があるかも」
 フィリップの言葉にやや冷静さを取り戻して、翔太郎は顎に人差し指を当てると、ふむと軽く唸った。確かに行方不明は相次いでいる。まさか妖怪に関係があるとは考えなかったが、ライダー絡みなら有り得ない話でもない。ドーパントだって、妖怪みたいなものと言えなくもない。
「とにかく、河童というだけではキーワードが足りなすぎるから、しっかり情報を集めてくれたまえ、探偵さん」
 フィリップに諭されて、探偵事務所の大黒柱は、河童に似ていると評判の口を尖らせ突き出して、不平不満を面に浮かべつつも、不承不承頷いたのだった。

* * *

 河童の目撃情報は、事務所近くを流れる川の近辺に集中していた。
 河童なのだから、当然といえば当然だったが、河童に関係があるのかないのか判断のつかない情報もあった。
 烏帽子に着物、裾を絞った袴姿の、室町時代からこんにちはしたような男女も、河童と共によく目撃されていた。奇怪な事に、声は男女逆で、河童に腹が減ったか満腹かを問い掛ける。
「うーん、やっぱりミステリーゾーンの気配ね、あたしの勘は当たる」
「何となく、それはお前の台詞じゃねえって気がするが……まあいいや」
 川沿いに上流へと進むと、徐々に細くなった川は公園内を走り始めた。うっかり支流を選んで進んでしまったのかもしれない。
 なかなか広々とした、清々しい空気に満ちた公園内には遊歩道が続いていて、所々にベンチが設置されている。一面は芝生に覆われていて、まばらに広葉樹が植えられている。遊具の類は見当たらない。ジャージ姿の初老の男が、ジョギングなのか軽快な脚捌きで、後ろから翔太郎と亜樹子を追い越し抜き去っていった。
 何気なく辺りを見回しながら歩くと、昼下りののんびりとした空気を切り裂くように、高く鋭い音が上がった。
 金管楽器の音だった。公園でギターを練習するというのはよく見掛けるが、トランペットやトロンボーンの練習風景というのはなかなか見ない。音の方を見ると、若い男がトランペットと言われてみればそう見えない事もないが何か違和感の拭いきれない金管楽器と推測される楽器を、やや天に向けて構え、旋律を奏でていた。
 何かむず痒いような甘酸っぱいような、不思議な感覚を呼び起こすフォルムをした楽器だった。あれは、そうだ。子供の頃、意味も訳もなくむしょうに欲しがった、電池で動かすおもちゃのトランペットに、似てはいないか。
 音は本格派、玩具とは比較にならない澄んだ音が響く。
 とりあえず今すべき事は情報収集。翔太郎は河童に関する情報がないかを聞き出そうと、彼に向かい歩きだして、亜樹子もそれに続いた。
 近付いてきた翔太郎と亜樹子に気付いて、男は演奏の手を止めて二人に目線を向けた。
「……何か?」
「ああ、邪魔して悪い。一つ聞きたいんだが。この辺で最近、河童を見たって噂があって、俺達はそれを調べてるんだが、何か見たとか聞いたとか、知ってる事はないか?」
「河童……ですか? 君達は?」
 青年は翔太郎に怪しげな目線を向けた。答えようとすると、脇から凄まじい力で亜樹子に押し退けられる。
「探偵、探偵です! 私が所長でこっちは部下です! 決して怪しい者じゃないですから、ほら、ここにあるんです!」
 そう早口に言い切って、携行していたビラを無理矢理青年に渡して持たせる。
 これが漫画なら、亜樹子の目の中には大きくハートマークが浮かんでいるだろう。目の前の青年は品良く優しげで整った風貌、だからといって頼りなさげというわけでもなく、すらりと均整のとれた鍛えられた体付きをしている。男の翔太郎から見ても、(翔太郎の理想とは方向性が逆だが)女性が好みそうな事が頷ける堂々たる美形ぶりだった。王子タイプとでもいうのか、育ちの良さが外見に滲み出ている。
「……照井にバラしてやんぞ」
「なっ、何よ! 竜くんは今関係ないでしょ!」
 ぼそりと呟くと、小声で慌てた反論が返ってくるが、いつものキレはない。
 青年は翔太郎と亜樹子のじゃれ合いには興味を向けず、持たされたチラシを眺めていた。
「バッティングセンターのとこの探偵さんですか。河童探しが依頼なんですか?」
「んっ……ん、まぁな……。何か知ってるか? 和服の変なカップルの事でもいいんだけどよ」
 翔太郎が何気なく口にすると、青年は頬を強張らせ、厳しい顔付きをした。
 何か知っているのは間違いない。だが青年は、首をはっきりと横に振った。
「いえ、聞いたことがありませんね。悪いけど用事があるので。失礼します」
 告げると青年は、翔太郎と亜樹子の返事も待たずに踵を返し、早足に大股で立ち去っていった。
「あーん……名前位聞き出したかったなぁ」
「馬鹿ばっか言ってんな。おい亜樹子、追うぞ」
「……えっ? 何で? 知らないって言ってたじゃない」
「色ボケしすぎなんだよお前は。和服のカップルで顔色変えてたぞ、あいつの顔凝視してたじゃねえか、何見てたんだよ」
 距離は十分開いた。万一見失った時の用心にバットショットを飛び立たせると、翔太郎は青年が歩き去っていった方向に歩き始めた。亜樹子も慌ててその後を追った。

* * *

「……で、彼が入っていったのが、甘味処たちばな、っていう店かい」
「そうだよ。きびだんごが人気なの。あと、普通ああいう店って女性客中心の筈なのに、やたら逞しい男の人が何人も入ってく事でも有名なんだよね……餡蜜とかお汁粉とか、結び付かないよねぇ」
 戻ってきた翔太郎と亜樹子の報告を聞いて、フィリップは首を捻り考え込んだ。河童、甘味処、筋骨隆々の男たち。ちぐはぐで、まるで結び付かない。
「顔色変えた事といい、怪しい甘味処といい、あいつ怪しいな」
「何バカな事言ってんのよ、滅茶苦茶いい人そうだったじゃない!」
「顔で何かする訳じゃねえだろ、外見に惑わされるのもここまでくりゃ天晴れだな」
 ミーハー精神は自覚があるのだろう。亜樹子は言葉を詰まらせてそっぽを向いた。
 顎に左手を当て俯いて黙考していたフィリップが、軽く顔を上げる。
「翔太郎、甘味処たちばなについて他に何かないのかい」
「言うと思ってたぜ相棒。老舗だが、当主ってのが、来歴がまるで分からない、謎の人物なんだよ。温和で評判はいいが、店を始める前の事がいくら調べても分からねえ。あの店、何もかもが怪しすぎる」
「よし、検索してみよう。河童の居場所を検索で掴むのは無理だが、その店に本当に何かあるなら、河童の尻尾を掴めるかもしれないしね」
 言うとフィリップは、立ち上がって腕を広げ、やや俯いて瞼を閉じた。
「さあ、検索を始めよう。キーワードは?」
「甘味処たちばな、男性客、妖怪……ってとこか?」
 沈黙が流れ、ややあって、俯いて目を閉じたままのフィリップがおもむろに口を開き始める。
「……キーワードが抽象的すぎる、絞り切れないな。他に何か、気になったキーワードは?」
「うーん……あと気になったのは……。そうだな、公園で会った優男は、変なトランペットを吹いてた」
「変な?」
「何か玩具っぽい寸詰まりの形してんだけどよ、いい音出してんだよ。ハードボイルドにはトランペットとサックスは欠かせないからな」
「どこの世界のハードボイルドよ、それ」
 亜樹子が鋭くツッこむが、翔太郎には軽くスルーされる。目を閉じたままのフィリップは、ふむ、と軽く唸った。
「キーワードを追加、楽器……驚いたな、絞れた」
 呟いて何度か頷いてから、フィリップは目を開いて頭を上げた。
「残念だが、君の予想は外れていたようだよ、翔太郎」
「何?」
「あの店に出入りする男性客は、猛士たけしというNPO法人のメンバー、たちばなの店主は関東支部長だ。よって、あの店に男性客が多い事自体は怪しくはない。だが、その、猛士という団体の方が変わってる。実に興味深い」
 説明しながらフィリップは楽しそうに笑んで、一人で納得して何度も頷いた。いつもの事とはいえ、じれったい。
「何がそんなに変わってるってんだ?」
「猛士は、表向きはアウトドア活動を支援する団体だが、実態は、妖怪と戦う組織のようなんだ」
「……は?」
 妖怪と戦う組織。漫画やアニメの設定ではあるまいし。
 反応に困って、翔太郎はぽかんと開いた口を閉じられないまま、わくわくとした表情で一人納得し頷くフィリップをまじまじと見つめた。
 妖怪ですら実在が怪しいのに、その妖怪と戦う組織の実在を信じられる筈もない。翔太郎の中ではまだ両者は、非実在妖怪と非実在組織だ。
「仮面ライダーも変わってるが、組織を結成して妖怪退治なんてそれ以上だよ! 残念ながら今の検索では概要しか分からなかったが、猛士に所属した戦士は、各々得意とする楽器を武器にして妖怪と戦うというんだ、エキサイティングじゃないか!」
「いや……俺は正直、着いていけてない」
 一人顔を輝かせるフィリップに置いていかれ、ぐったりと押し寄せた疲労にやや負けて、翔太郎は深く息を吐いた。この相棒が検索し探り当てたからには、事実には違いあるまい。
 妖怪も、それと戦う組織も、残念ながら実在しているのだ。
 仮面ライダーやガイアメモリにドーパント、風都の荒唐無稽さに敵うものはあるまいと思っていたが、世の中上には上が存在するようだった。

* * *

 甘味処たちばなから出てくる筋骨隆々の男を辿れば、妖怪には辿り着ける。
 その結論を得て、翔太郎は再び、トランペットを吹いていた優男の尾行を開始した。
 妖怪と戦う組織があるという事は、妖怪は人に仇なす可能性が高い。亜樹子は連れずに、一人で青年の後を追う。
 彼は河畔に到着すると、キャンプのバーベキューセットのような机をしつらえた傍に立つ少女に、何か話し始めた。少女は白いキャップにパーカー、ジーンズ、河川敷に運動でもしに来たような、動きやすそうな出で立ちをしている。
 河川敷は見通しがいい為、会話が聞こえる距離まで近付く事ができない。
 何を話したのかは不明だが、少女はテーブルの上に置いたケースを開けると、笛と思われるものを腰から取り出し、口に当てた。
 澄んだ音が響く。行動の意図は分からないが、美しい音色だ。だが翔太郎は、次の瞬間繰り広げられた衝撃の光景に、声こそ洩らさなかったものの、あんぐり開けた口を閉じるのを忘れ見入った。
 ケースの中から、次々順番に順序よく、何かが飛び出してくる。
 それは青い四つ脚だったり、緑でゴリラのように見えたり、真っ赤な鳥のような形をしていて、ケースを飛び出すと四方八方へと散っていく。翔太郎の足下を、手の平サイズの青い狼のようなものが駆けていった。
 ――何だ、ありゃ……?
 今の光景を形容する言葉がない。フィリップの作ったメモリガジェット達もある程度の自律行動は可能だが、なんだかスケールが違いすぎる。
 手品か何かの練習に違いないと思えれば気も楽だろうが、妖怪退治で手品もあるまい。
 青年は椅子に腰掛けて、少女が魔法瓶から紙コップに注いだ飲み物を渡す。何とも平和な光景だった。
 もし今の光景が、妖怪退治の為の何かならば、今は翔太郎も動くべき時ではないのだろう。
 暫くは、のんびりと茶を啜る青年と少女を見守る以外、する事を失う。
 今の結構な量のミニ動物ガジェット達は何の為に放たれたのだろう。もし翔太郎が同じ事をするなら、ローラー作戦による目標の捜索が目的になるだろう。
 人力を使えば非効率な作戦だが、あれだけの数が放たれたなら、(もし河童が実在すれば)意外に早く見つかるだろう。
 そこまでぼんやり考えて、翔太郎には、よく分からなくなった事があった。
 そういえば、何でこんな必死に河童を捜しているのか?
 河童の実在情報をマスコミに売り込み、金銭や知名度を得るのが目的だったような気がする。
 然して、あの猛士の所属と推察される青年が河童を見付けだせばどうなるか? 彼は河童を退治し、よしんば写真が撮れたとしても、合成と一蹴される懸念の方が高い。
 つまり、翔太郎は実は、青年に先んじて、河童を見付け出し、あわよくば生け捕りにしなければならない、のではないだろうか?
 こんな所でのんびりしている場合ではなさそうだった。そっと立ち上がり駆け出す。
 少し深く注意を向ければ、少女の放ったミニ動物がそこかしこを駆け回っている。空を見ると、一羽の紅の鳥が、翔太郎が今来た方角へと、ややたどたどしく飛んでいた。
 方角はあちら、河童と断定は出来ないが、何事かが起こったとは推察できる。
 暫く走ると、橋の下に人影らしきものが三つ。だが、一つは明らかに人間ではない。残り二つは、着物に烏帽子。
『Joker』
「ビンゴだ! いくぜ、フィリップ!」
『オーケイ』
 走りつつガイアメモリを起動、腰にダブルドライバーを当てれば、ベルトを介して意識の繋がった相棒の声が響く。起動させた切り札の記憶をドライバーにセットするとすぐに、右側に転送されてきたサイクロンメモリを押し込みセット、畳まれたドライバーを開いて起動する。
『Cyclon, Joker』
 駆ける翔太郎をつむじ風が包んで、過ぎ去る頃には仮面ライダーダブルが走っていた。
 三対一では数の上で不利。生け捕りのため力の加減も必要。となれば、中距離で敵を圧倒できるメタルがベターな選択と思われた。
『Metal――Cyclon, Metal』
 駆けつつボディ側のメモリを素早く交換、背中につむじ風が生み出したメタルシャフトが生成され、ダブルはそれを手慣れた様子で取り外し、右手に握った。
 河童と思われる異形は、何かに真上から食らい付いていた。
 大きく開いた口から背広の脚に見えない事もないものが二本、はみ出して、横に革靴が右、左一つづつと、財布が落ちていた。河童の足元の土は、黒く湿っている。
「おいおいおい、洒落んなってねぇぞ、マジで河童が失踪事件の犯人かよ!」
「気を抜かないで、来るよ!」
 和装に烏帽子の男女は、土気色した肌に、頬の削げた容貌をしている。男女共目をかっと見開いて奇声を上げ、どこから取り出したのか刀を振り上げダブルを迎え撃つ。
「ここは風都じゃねえけどよ、街を泣かせる奴は容赦しねえぞ!」
 シャフトを振るうと旋風が巻き起こる。元々のリーチの長さに暴風の威力がプラスされて、男女は刀を振るうも、容易にはダブルに近寄れない。
 利有りと見て、ダブルは女の着地点を鋭い突きで狙った。女は野太いバリトンの罵声を上げて躱すが、巻き起こった風にバランスを崩し尻餅をついた。
 ソプラノの奇声を上げて猛然と斬り掛かる男も、冷静さを失っている、敵ではない。シャフトを払い払い、後退ったところに鳩尾への突き。避け切れず軽く食らって、男も背中から倒れこむ。
 河童へと向かうが、河童は口を大きく開いて、何かを吐き出した。払おうと咄嗟に顔を庇う体勢でシャフトを構えると、河童の吐き出した何かが左手に当たり絡みついた。
「何じゃこりゃあ!」
 透明な粘液だったそれは、左手をシャフトと共に絡めとると、瞬時に白く凝固した。同時に、米袋でも乗せられているような重量が左手首にかかる。
「うおっ、おっ、重てえ! おいフィリップ!」
「ふむ、燃やしてしまうか」
『Heat――Heat』
 飛びかかる河童の体当たりを避けつつ、右手が器用に片手でメモリを起動、ドライバーのソウルサイドメモリを交換する。
 真紅に変化した右半身、その掌が炎に包まれて、左手首を掴む。粘液が凝り固まったものを燃やし尽くそうとすると、ドライアイスが発するような猛烈な勢いの蒸気がダブルを襲い包んだ。
「うごっ、げふっ! ……えっ、なな、何じゃ、こりゃあ!」
 アンモニアを沸騰させたような猛烈な臭気に襲われるが、異様な重さの塊は煙幕と引き換えに蒸発し燃え尽き、左手は自由となる。
「さすが妖怪、中々奇怪な現象を起こすね」
「感心してる場合か! でもまあ、これで動けるな、よくもやってくれたなこの河童!」
 やや鼻声でボディサイドが吠え、シャフトが横に払われてから、緑の河童を西瓜のように、唐竹割りに脳天から殴りつける。
 当たった、と思った瞬間、奇妙な事が起こった。
 河童の首が、甲羅から、にゅるん、と殴られた勢いに負けて、抜けて地面にたたきつけられてしまったのだった。
「え…………?」
 殴りつけた当のダブルも声もなく驚愕し、固まってしまう。その間に甲羅からは新しい頭が生えて、落ちた頭は受精卵が成長する過程を早送りしているように、尻尾が分かれて手足となって、あれよあれよと見ていれば、もう一匹河童が増えていた。
「ふふふ、増えたーっ⁉」
「増えた、増えた!」
「子供が増えた、可愛いな、わあいわあい!」
 ボディサイドの絶叫に、弾んだ声で和装の男女が答える。
『ななななな、何なんだこいつら……! ……って何だ、何だこの声!』
 ボディサイドは驚きの声を上げるが、自らの喉から発せられた筈の声が、翔太郎を更に驚かせた。
「…………翔太郎……? 何だい、その声は」
『俺が知るかーっ! なんで俺のハードボイルドなテノールボイスがこんな事になっとるんじゃーっ!』
 それは丁度、ヘリウムを吸った後の声そのものだった。VTRを音声ごと八倍速再生をしているかのような甲高い声がボディサイドの脳天から響く。
「喋らないで……くれないか……ぷっ、くくく……」
『おまっ……フィリップこら、笑ってんじゃねえ、俺たちゃ今戦ってんだぞ!』
「だって、君のその声だって、今戦ってるようには……ぷぷっ……」
 嗜めれば逆効果、泥沼だった。下手に河童を殴ればまた増えるかもしれない、和装の男女ももう立ち上がって斬りかかってくる。先程まで優勢だったダブルは、四方からの攻撃を躱すのに手一杯の状況に陥ってしまった。
 河童が吐き出す粘液を躱し切れずに、右肘と左の脛に白く重い結晶が纏わり付く。動きは精彩を欠いて、このままでは非常にまずい事は明らかだった。
 とうとう進退極まる。四方を囲まれ身動きもままならない。その時。
「はーっ」
 昼下がりの縁側で背中を伸ばしているような、平和な声が響いたと思うと、河童が一匹背中に何かを食らい吹き飛ばされる。進行方向に立っていたダブルも巻き込まれて、河童とくんずほぐれつ絡み合って、やや湿った橋桁下の地面に倒れ込んだ。
「イブキー、あきらにカッコ悪いとこ見せたくないのは分かるけど、ちゃんと働いてよ?」
「分かってます分かってます、ここはどうしてもヒビキさんの力が必要だから」
「なーんか乗せられてる気がしないでもないけど、まいっか。よーし……」
 異形が二体、佇んでいた。
 黒と金に、紅。裸なのか違うのかも良く分からない、異様に発達した筋肉に覆われた体躯を晒した二体の人型が、太鼓の撥のようなものを手に構えていた。
 二体には顔がない。顔面は鏡面のようになっており、緩い陽光を照り返して光るばかりで表情など読み取れない。
 二体は特に何の合図もなく駈け出し、紅が河童を撥で殴りつけ、黒と金が男女と渡り合う。ダブルがどかした河童も紅が引き受ける。
「あー、そこの半分こ君、何者か知らないけど、残念ながら君にはこいつらは倒せないよ。下手に君が手ぇ出すと増えて厄介だから、逃げてくれるかな!」
『どういうこった!』
「あーあ、その声、河童にやられちゃったんだ……こいつら魔化魍っていってね」
「ヒビキさん!」
「おっとっと、話しちゃいけないんだった。とにかく、そういう、事だか、らっ!」
 ダブルに語りかけ、黒と金に窘められつつ、紅の、先端に炎を宿した太鼓の撥が河童の胴を捉えた。河童は四五メートル吹き飛ばされると、破裂し塵となって四散した。
「……ここは、彼の言う通り撤退した方がよさそうだね。河童探しは無駄足になってしまったようだけど仕方ない」
『お前がそう言うんなら、仕方ねぇな……おい、誰だか知らねぇけどありがとよ、後は頼んだぜ!』
「大丈夫、鍛えてますから! 気をつけて!」
 紅の奴は余裕があるのか、撥を持ったままこめかみの横で右手の指を立ててポーズをとってみせた。
 悔しくはあるが仕方がない。ダブルがあれだけ手こずった河童を苦も無く砕いたのだ、この紅と、トランペットの青年と同じ声をした黒金は、妖怪退治のプロなのだろう。フィリップの検索の通りに。そして、恐らく何らかの事情によって、ダブルではあの妖怪は倒せないのだろう。
 しばらくして戻ると、既に戦いの痕跡は消えていた。静かに水音だけが響く河畔で、落ちたままの革靴と財布だけが目についた。溜息をつくとスタッグフォンを取り出し、翔太郎は照井へと電話をかけた。

* * *

「あの赤い奴が言っていたろう、魔化魍。実に興味深い。所謂妖怪だが、聖なる音で清めなくては祓えない、復活してしまうんだ。だから猛士に所属する戦士たちは楽器を用いるんだよ!」
 帰ってみれば、フィリップは既に検索で知的好奇心を満たしていたようだった。
『へえ……俺達は手出ししない方が利口、って事か』
「そうなるね。魔化魍は個体の進化や適応のスピードが早い。素人が下手に手出しして倒してしまうと、弱点を克服して復活してしまうようなんだよ」
 白紙の本から目を離さずにフィリップが答えた。
 手出しが出来ないというのは、何とももどかしい。ここは風都ではないが、人が喰われていて黙っていなくてはならないというのは、どうにももどかしかった。
『あれはあいつらの戦い……って事か』
「何を面白い声で黄昏とるんじゃバッカモーン!」
 つまらなさそうに息を吐くと、後頭部をスリッパに強打される。
『てめ……亜樹子ーっ! 何しやがるんだ!』
「河童はどうすんのよ河童は! あたしがアイドルデビューする計画はどうすんのよ!」
『そんな計画は元からねえよ! ……ビラ、配ってくらぁ』
 つまらなさそうに唇を尖らせて口にすると、亜樹子も気勢を削がれたのか、言葉を詰まらせて軽く頷いた。
 地道に信頼を積み重ねるのが、何にしても一番の近道なのだろう。それは翔太郎も分かっていたから、ビラ配りは気が乗らなくてもやる。
 存在を知ってもらえなければ何も始まらない。
 今一番の問題といえば、河童の吐き出した粘液のせいと思しきこのヘリウムボイスが、いつまで続くのかが全く分からない事だった。
「ま、そんな面白い声の人だけに仕事させらんないよね。鳴海探偵事務所が変態の巣窟とか思われたら困るし。あたしも行ってくるから、フィリップ君留守番お願いね」
「オーケイ、しっかり顧客を開拓してきてくれたまえ」
 言うと亜樹子は机の上に積んだビラから一掴みを手に取り、フィリップは顔を上げて微笑んだ。
 声はいつか渋いテノールに戻るだろうし、この二人がいれば頑張れる。そんな風に思えて、だけれども今口を開けば何もかも台無しになってしまう。翔太郎は黙ったままで鼻の下を人差し指の先で軽く擦ると、ドアへと向かった。

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